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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第2章 祭りへの旅路
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2-7 闇ギルド

「そういえばさ、闇ギルドって何か知ってる?」


 ジャガイモの皮を剥いていた手を止めてファルナがこちらを不審そうに振り向いた。


 時刻は夕暮れ時。太陽は西の地平へと姿を隠し、月が東の地平から昇り、空は青空から夕暮れ空へと壁紙を張り替える。

 僕らはオークとハーピーの群れとの遭遇地点から馬車で東に五時間走った先にある川縁をキャンプ地と決めた。ここまでがネーデの領地で、ここから先はまた別の領地になるそうだ。もっとも今回は真っ直ぐカラバの港町に向かうため、街に行かないようだ。


 あの後、森でクロトたち一行の死体を検分したジェロニモさんとオルドは彼らの遺体を略式ではあるが森に埋葬した。その後、森を抜けるまで一言も喋らなかった。とてもじゃないがジェロニモさんが言った闇ギルドについて聞ける雰囲気ではなかった。

 森を抜けると、屍の山は片付けられていた。あのまま残しておくと血の匂いで他のモンスターを呼び寄せる恐れがあるから穴を掘って埋めたそうだ。

オルドはキャラバンに出発を命じた。その際に、エリザベートたちが乗っていた馬車にある宝石の類を回収する様にとも命じていた。そして、エリザベートとレティを自分たちの乗る馬車に呼ぶと出発した。


 寄り道のせいで遅れた旅程を取り戻すため昼食抜きの強行軍が開始した。ちなみに、僕の馬車酔いは強行軍と比例してひどくなり、ついには寝込むほどになっていた。


 それから五時間、休憩も無しにここまで来た。元々、今日の宿泊地としてこの川を候補地としていたから遅れは取り戻せたろう。

 だけど、僕らは昼食もとらずにここまで来たため、馬車を止めるなり食事を求めて行動を開始する。軍隊アリのように一糸乱れずに夕食の準備を始めた冒険者たち。そんな彼らの波を掻き分ける様にしてやって来たロータスさんに僕とファルナは呼び止められた。


 僕とファルナは昼の命令無視の罰に明日の朝飯の支度を終えるまでは食事をとってはダメとロータスさんに言われてしまう。


「これも、罰の一環と捉えてください」


 こうして僕とファルナは向うの焚火の輪に加わらず、明日の朝食の下ごしらえを行っている。向うではエリザベートとレティの歓迎を兼ねた宴会が行われていた。少し離れた場所からでも歌や笑いが聞こえてくる。ファルナに言わせると冒険者は酒が飲めて騒げる機会があれば何だって宴会の種にするそうだ。


 僕はオイジンが森で狩猟した動物の燻製を作る為に、ウサギの解体に取り掛かっていた。

 血抜きが済んでいるウサギを逆さにつるして、手に握りしめたナイフで脚の皮から剝がしていく。切れ込みを入れると手を間に差し込み少しずつ肉と皮を剝がしていく。時折、引っかかる所にナイフを入れては作業を続ける。


 血抜きをしてあるとは言え多少の血が毛皮につく。毛皮自体も街で売れるため足元に置いてある水桶に付け込んでおく。すでに桶の中には先客がいるためあとで纏めて血を落としておかないと。


 皮を剥ぎ終わったウサギの肉はピンク色に輝く。思っていたよりも筋肉質な為、下ろすとき手にずっしりとした重さを感じる。まな板の上に載せると部位ごとに切り分けて、燻製にしやすいサイズに切り分けておく。


 これを繰り返すこと六回。まな板の上に小山のように盛り上がったウサギの肉が積まれている。燻製の準備もすでに済ませてある。切り分けた肉を網に乗せていく時になってやっとファルナに闇ギルドについて尋ねる余裕ができた。


「どこでそんな名前を聞いたんだ?」


 不審そうに見つめるファルナ。その瞳は警戒心で彩られている。響きからして怪しい気配がしていたがやはりまっとうな組織ではなさそうだ。


「森の中で。オルドとジェロニモさんが奴隷商の持ち物を探した後に口にしていた。何か知っている?」


 明日の朝食用のスープを作っていたファルナは野菜の皮を剥き、食べやすい大きさにカットする。後は鍋に放り込んで、煮込み、味を調えたら終了と言う簡単な料理だ。

 そのため、刃物に慣れているファルナは手元を見ずにジャガイモの皮を剥くのと会話を両立させる。器用な物だと感心した。


「ふーん。エリザベートの前の主人は奴隷商なんだ……それも闇ギルドのね」


 いわくありげに呟いたファルナは皮を剥き終わったジャガイモを食べやすい大きさに刻んでいく。僕も網に並べたウサギの肉を燻製用の鉄の箱に一段一段差し込んでいき、蓋をした。一番底の部分に火種を入れて、その上にチップを敷けば下から燻されて発生する煙が箱の中に充満し、燻製肉が出来上がる。


「闇ギルドって言い方はいわゆる蔑称さ」


「蔑称?」


 オウム返しのように問いかけた僕にファルナが頷く。その間も手元は正確にジャガイモを切り分ける。


「そう。正確にいうと商人ギルドに加入していない商人のことを指してるの」


 僕は火打石を擦りつけて火種を燻製箱に投入して、その場を離れた。後はほっといても勝手に燻製肉は出来上がる。ファルナの隣に座り、剥いていないジャガイモを手に取り、新しいナイフを掴んだ。


「ギルドに加入して商売をすると、扱う商品次第だけど売り上げの一部をギルドに納めないといけない。特に奴隷は価値が高いから税金も結構な額になる」


 ファルナ程の正確な手さばきとは言えないがジャガイモの皮を剥きつつファルナの話に耳を傾ける。


「それは嫌がりそうな人もたくさんいるだろうに」


「正解。ギルドに金を払うのが嫌で嫌でしょうがないから、ギルドに隠れて商売をし始めた奴らを闇ギルドって呼び始めたんだ」


 ジャガイモを向き終えたファルナが今度は人参に取り掛かる。鍋にはジャガイモやパセリ、カボチャといった野菜が並んでいる。


「それに闇ギルドにはもう1つメリットがあってね。ギルドは物の流れを全て把握している。どこそこの街で誰が何をどれくらいの量を幾らで売買したのか全部をギルド同士が魔水晶を使って報告し合う。ギルドが流通を見張ってるんだ」


 それは途方もない話だ。


 エルドラドがどれほど広大な世界なのかは分からないが、地球で置き換えた場合、それが可能だろうか。例えば大手通販サイト。日本にも巨大な倉庫を持ち、パソコンで商品がどこに在るかを管理し、注文があれば素早く梱包し出荷する。客に届くまでの一連の流れを会社ごとに追跡することは可能だ。だけどそれはその会社で完結する情報だ。他に数多ある会社のすべてのやり取りを世界規模で管理するとなったら膨大な手間暇がかかる。


「ギルドに商人は首輪を着けられてるのか」


 ファルナは頷くと、ニンジンを大雑把に切り分けては鍋に入れていく。あと少しでスープの下ごしらえも終わる。


「だけど、それだと具合の悪い商品もあるだろ」


 声を潜めて彼女は言う。頭の中を過ったのは表に出せない商品。つまり、


「盗品とか?」


 と、僕は口に出していた。


「そう。盗品とか曰くつきの商品。呪われたアイテムとか色々とやばい物をギルドに通さずに売買するんだ。それに、それだけじゃないよ。例えばある国が隣国を攻めるために武器を大量に購入する必要があったとするだろ。でも、正規の商人に頼めばギルドに記録される。そいつを調べれば近隣諸国はその国がどれぐらいの規模の兵を囲っているのか一発で分かっちまう」


「ああ、成程。自分の手の内を晒したくないからあえて裏の世界に商品を融通してもらうのか」


 僕の理解に満足そうに頷くとファルナは最後の人参を鍋に放り込んだ。


「表のルートに残したくない商品を取引するのに使われている闇の世界。だから闇ギルドって呼ばれているのかもな」


 そう、まとめた。


 話が終わるとファルナは焚火に近づく。上から吊るして火にかけていたやかんから水蒸気が鋭い音を立てて噴き出す。スープに使う水を一度消毒していた。僕も立ち上がると燻製用の箱の蓋を開ける。モワッとした煙と、燻された木の匂いが顔を撫でる。熱を逃がさない様に手早くトングで肉をひっくり返していく。こうしておくと両面とも艶のある燻製肉に仕上がるそうだ。できれば肉をつるした方が油も綺麗に抜けるのだが量が多いため、今回はつるすのを諦める。

 再び、手すきになった僕は毛皮に着いた血を洗うために水桶へと向かった。


 一方でファルナは熱湯を鍋に投入し、サイコロ状の固形物と化したコンソメを鍋に投入して火にかける。後は灰汁を取りつつ煮込みすぎるのを注意するだけでスープが出来上がる。


 野菜はともかくウサギの肉は現地調達な上、皮も手に入り売ることができる。こういった経験は一人旅では得られなかったと思う。


「じゃあさ、戦奴隷って何?」


 水桶に入った毛皮の血を揉み出す様に洗う。春とはいえ夜の水は冷たく、手早く行わないと指先の感覚が無くなってしまいそうだ。だけど、黙々と作業を続けるのも飽きるため、ファルナに再度質問を投げかけた。


「お前本当に知らないんだ」


 鍋の前に座り、火の調整をしつつ味を確かめていたファルナが呆れた様に僕に言った。僕はむっとして毛皮にこびりついた血を拭いながら言い返す。


「知らないもんは知らないんだ。僕の故郷じゃ奴隷制度はとうの昔に廃れてしまってね。だからネーデの街に来て初めて知ったんだ」


「ふーん。中央大陸の南西にそういう国があるって聞いたけど、お前もそのあたりの出なのか」


 探るような視線が背中に突き刺さる。思わず口を滑らして余計な事を言ったと後悔した。しかし、ファルナは視線を手元の鍋に落とした。


「まあ、いいか。アンタがどこの生まれで何をしていたかなんて聞くのは野暮ってもんだろ?」


 肩越しに振り返ると、彼女は大人びた表情を浮かべて鍋を見つめていた。


(本当に姉御肌だな)


 とてもじゃないが、双頭のバジリスクとの戦いで弱音を吐いていた少女と同一人物とは思えない。あの時、彼女は自分が姉御肌を演じていると言っていたが、元からそういう素養を持っているとしか思えない。


 僕の視線に気づかずにファルナは口を開いた。


「戦奴隷、というよりも今ある奴隷制度は冒険王がこの世界にもたらした三大発明の一つさ」


 ファルナは指を三本立てると一つずつ折っていく。


「ギルド、共通規格、奴隷制度。この三つが冒険王の偉業とされているのさ」


 上擦ったような響きが彼女の声色に存在する。氷を思わせるアイスブルーの瞳は輝きを放ち、まるで憧れの存在を口にしている乙女の様だ。


 とてもじゃないが、冒険の書から読み取れる人物像とそぐわない。だからと言ってファルナに茶化せるような雰囲気を感じない為、黙って彼女が先を語るのを待っている。手元の毛皮の血はすでに流し終えており、あとは毛皮を乾かすだけだ。


「冒険王がもたらした奴隷制度は奴隷を物扱いから人へと押し上げた制度さ」


 一拍の後、彼女は言葉を継ぐ。


「冒険王が現れる前の時代は、奴隷にとって暗黒時代と呼ばれていたそうだ。とにかく奴隷をどう扱っても主人の自由。記録によればモンスターと子供の奴隷を戦わせるのを見世物にしたり、最初から殺すことを目的に購入していた下種野郎もいたそうだ」


 口にするのも汚らわしそうにファルナは吐き捨てる。僕も同じ気分を味わう。世界が違っても吐き気を催す人間は存在する。


「一方で奴隷同士が結託して主人に反旗を翻して主人の家族を皆殺しにするケースもよくあった。主人にしても奴隷にしても安定した時代とは言えなかったんだな。そんな時に冒険王が奴隷紋を仲間の魔法使いと共に開発したんだ」


「奴隷紋?」


「ほら、エリザベートの右手に焼印のようにくっきりと着いていた黒い跡。あれが奴隷紋さ」


 言われてエリザベートの右手に刻まれていた刺青のような物を思い出す。それだけじゃない。オルゴン亭で働いていたリラちゃんや公衆浴場で新式魔法を使っていた少年たちにも刻まれていた。あれは奴隷の身分を表していたのかと今更理解した。


 だが、否定するかのようにファルナが意外な事を口にした。


「あの奴隷紋はいわゆる契約書・・・を意味しているんだ」


「契約書? 身分を表しているんじゃないんだ」


「お、それも間違ってないんだが、正解じゃないね」


 惜しいね、と口にしながらファルナは解説を続ける。


「奴隷紋は主人と奴隷の魂を縛る契約。どちらかが契約違反を行えば、そいつを罰せる機能が備わっているんだ。例えば、基本的に盛り込まれている契約内容で言うと『奴隷の命に係わる事を命じない』とか『主人の命を奪わない』とかな」


「それを破るとどんな罰が下るんだ」


「即死、っていう危ない罰は少ないけど、それでも心身に相当なダメージが与えられるらしいよ。とと、ちょっと待った」


 鍋の野菜がグズグズに溶けない様に火と鍋の距離を調節している。僕も今のうちに毛皮を干すことにした、柱を二本立てて、その間に糸を垂らすと、そこに毛皮を伸ばしていく。本当は太陽の日差しで乾かしたいのだが時間が無い。夜風に揺られるのを確認してからファルナの方へと戻っていった。彼女はまだ鍋の様子を見ている。僕は彼女の隣に座った。


「冒険王は奴隷を使用目的に合わせて三つの種類に分けた。一つは労働奴隷、一つは戦奴隷、最後は、あーうんあれだ」


 隣に座るファルナは急に最後の所だけ言葉を明確に発しない。焚火が爆ぜる音で掻き消せるほど小さな声だったため聞き取れない。


「ファルナ? 悪いんだけど最後が聞き取れない。もう一回言って」


 僕が頼むとファルナは顔を赤くして起こったように口を開いた。


「性奴隷だ! ばか!!」


 大声は辺りに響く。咄嗟に向うの宴会の方に振り向いた。ここからでは分からないが、オルドが話を聞いていてるかどうかだけを確認する。生死に関わる重要な事だ。


 どうやら、歌に掻き消えてファルナの大声は正確に聞き取れていないようだ。額に噴き出た汗を拭い、不機嫌そうなファルナに先を促した。


「主人が奴隷を購入する際に奴隷との間に契約を取り決めて、それが違反された場合罰を与える。例えば労働奴隷として購入されたのに護衛任務とかの命を懸けるような仕事に従事する。これは契約違反だ。そうすると、主人に罰が与えられる、交わした契約次第だけど死ぬほどの痛い目にあう事もある。それにどんな奴隷契約でも解放条件を契約時に結ぶんだ。何年間従事したら開放するとか。そうする事で奴隷は主人に従順になる。なにせ命の保証はされて、解放も約束されているからな」


「なんだか奴隷を単なる職業に落とした様だね」


 僕がポツリと感想を言うと、ファルナが驚いた様子を見せる。眉が上がり、目が丸くなる。僕が不思議そうに彼女を見つめると半開きの口を動かした。


「そうなんだよ。冒険王も同じ事を言ったんだ。奴隷と言う呪いを職業に落とし込むってね」


 感心した様に肩を叩かれたが僕はファルナの言葉から益々確信・・を深めていった。


「あれ? でもさ、戦奴隷はどうなるの。エリザベートは囮にされたって言ってたよね」


 僕が言うと、ファルナは肩を叩く手を止めて口を開いた。


「戦奴隷は他の奴隷と比べても特殊で、前提として奴隷の死亡も条件に含まれるんだ。それに力のある奴隷が契約の罰を耐えられる自信がある場合主人を殺してしまう危険性もある。だから戦奴隷のみ主人が死んだ場合、自分も死ぬ呪いが仕込まれている。だから奴隷は主人を守るために戦うんだ」


 頭がくらりと揺れる。


 つまりエリザベートとレティは主人に自分の命を握られたのではなく、差し出したということになる。どういう経緯で彼女らが奴隷になったか想像できないが、並大抵の覚悟では無かったと思う。


 彼女たちは自分の命を捨てる覚悟・・をしたのだ。


「もちろん主人側が死んだ理由が病気や事故の場合もある。そういう時の救済措置として仮契約があるのさ。レイ、アンタがあの二人に触れた時に鎖が絡みついただろ、あれがそうなのさ」


 思わず両手を見下ろした。跡も残さずに消えた鎖が皮膚の下を蛇のように這いずるのを感じる。


 ぶるり、と体が震えるのと腹が鳴るのは同時だった。僕の腹の音に驚いたファルナは笑う。

 ひとしきり笑い終えた後に鍋の様子を見て、納得したように頷くと火を消して鍋に蓋をした。僕も燻製箱の方へと歩いていき、扉を開けて中の様子を伺った。火は消えており、チップは炭へと変化していた。網を引き抜くと、生肉だったウサギ肉は飴色の艶を携えた燻製肉と変わっていた。網を取り出し、燻製肉を空の鍋に放り込んでいく。明日の朝には肉をスライスするので虫が寄ってこない様に蓋をして放置する。


 網や燻製箱の始末は夕食を食べてからにしようと決める。腹が空いたと喚く胃に従い、ファルナの所に戻ると。焚火の輪から皿を持ってきたロータスさんと出くわした。


「食事を持ってきましたよ。あちらはもう混沌としてきたからここで食べた方がいいと思うわ」


 そう言った彼女の向こう側では確かに男衆が半裸になって踊り始めた。恐ろしい事に率先しているのはあのジェロニモさんだ。昨日の夜もそうだった。野営なのにアルコールを大量に摂取した男衆は最終的に全裸になってから酔いつぶれた。あれでは盗賊どころか野犬も近づかない乱痴気騒ぎだった。危うく僕も巻き込まれる所だった。


 女性陣は慣れた様に撤収している。


「ありがとう、ロータス姐」


「ありがとうございます、ロータスさん」


 僕らは礼を口にして皿を受け取る。川でとれた焼き魚にネーデの街で仕入れた新鮮な野菜のサラダ。水筒からボウルに注がれたのは今朝のスープの残りだった。


「いただきます」


 いつもの習慣で口に出していたが、その隙を狙ったかのようにファルナが手を焼き魚に伸ばす。僕も慌てて焼き魚を手に取ると一気に齧り付いた。塩でしか味を付けていないのにどうしてこんなに美味しいのだろうか。


 欠食児童のようにわき目も振らずに食事をする僕らを若干引いたような目線を送っていたロータスさんが思い出したように口を開いた。


「レイさん。ジェロニモさんからの伝言です。シュウ王国で懇意の奴隷商が滞在しています。その人に仮契約を破棄してもらいますのでそれまでは我慢してくださいとのことです」


 僕は口に魚を詰め込んでいたため、頷いて返事をした。



 青白い月が天頂を通り過ぎた頃。僕は寝ずに焚火の前に陣取って座っていた。擦切れたコートの上から毛布を掛けて火が消えない様に見張る。昼に馬車で寝込んだため詫びの代わりにオイジンと火の番を代わった。


 少し離れた所でも火の番をする人たちがいる。僕らの役目は外からの侵入者を警戒する事。そうすると必然的に内側への警戒が疎かになるのは仕方がないと言うのは言い訳だろう。


「見張りですか?」


 火の番をしていた僕に背後から声がした。振り返ると、軽鎧を着こんだエリザベートが後ろに佇む。流れるような金髪は青白い月光を受けて輝いている様だ。彼女は宴が終わる前にロータスさんを始めとする女性陣と共に引き上げて、彼女たちと同じところで寝泊りをしているはずだ。


 実際にファルナも夕食をとった後そちらに向かった。後片付けを僕に押し付けて。


「隣、いいですか?」


 再度質問を投げかけられた。僕は黙って頷くと、彼女は隣に座りぼうぼうと燃える焚火を見つめる。

 ちらりと横顔に視線を向けると、炎に照らされたエリザベートの人形めいた表情からは何の感情も見いだせない。無機質と言うよりも極端なまでに感情を押し殺しているように見えた。


 ふと、僕の視線と彼女の視線が絡みあう。盗み見をしていたのがばれたと思い目線を逸らそうとしたが、彼女が頭を下げたのを見て視線を戻す。


「エリザベート?」


 僕が不思議そうに首を傾げると彼女は頭を下げたまま口を開く。


「お礼を言いにきました。モンスターに襲われていた妹と私の命を助けていただいた上に主人を無くして死ぬしかなかった私達を助けていただいて本当にありがとうございました」


「こっちこそ助けてもらった借りを返しただけから、頭を上げて!」


 深々と、膝を揃えて額を擦りつける彼女の行動に慌てて声を張り上げる。周りはすでに眠っている人たちだから声を潜めてはいたが彼女には届いただろう。


 それでも顔を上げないエリザベートの肩を無理にでも下から押し上げる。そうすると、起き上がる彼女の顔が近づく。彼女の青い瞳に僕の間抜け面が映り込み、自分が何をしているのか気づき、慌てて距離を取った。


「うわあわ、ごめん!」


 僕の慌て方が面白かったのか花のような笑みをこぼしてエリザベートが笑った。つられて僕も笑い出した。

 ひとしきり笑うと僕は彼女の隣に座りなおした。


「そういえば、レイ様」


 並んで火を見つめていたエリザベートが口を開いた。探るような視線が僕を上から下までを見定める。


「初めて会った時よりも大分、強くなりましたね」


 熱っぽく真剣に言われて僕は照れた様に頭をかく。


 すると、エリザベートはずいと、距離を縮める。驚いて後ろに下がろうとすると、何故だか距離を詰めてきた。そこには先程までの感情の薄い少女の姿は無く、好奇心で目を輝かせている少女が居た。あまりの変質に驚くと、彼女は花弁のような唇を動かす。


「オルド様から聞きました。……迷宮上層部単独攻略。ボスの亜種討伐。極めつけは伝説の向こうに消えた六将軍の一人と剣を交わしたと」


「いや……どれもこれもたまたま上手く行っただけで……それに最初のはともかくあとの二つは僕一人で戦ったわけじゃないし」


 視線を逸らして、弁明するように口を開いた。至近距離まで迫っていたエリザベートは諦めたような表情を浮かべて体を離した。


「教えてくれませんか……残念です。貴方の強くなった訳を知れば私も……」


 全身から気落ちしたような空気を発している少女に、《トライ&エラー》について話すわけにもいかず気まずい思いを抱える。話題を変える様に思い出したことを口にした。


「そういえばロータスさんから聞いたけどシュウ王国に行けば奴隷商がいるから、そこで仮契約も解除できるって。それに、主人がいなくなったから奴隷から解放されるね」


 僕は努めて明るく言った。


 しかし、彼女は余計に憂いを帯びた表情を浮かべた。先程よりも深くて冷たい氷のような表情を浮かべた彼女に驚いた僕は問いただそうとしたが先にエリザベートが口を開く。


「私たちは奴隷からの解放を望んでいません」


 と、有無を言わせない様に断じた。


「……え」


 刹那に何を言われたのか理解できずに硬直する僕にエリザベートは続ける。


「フェスティオ様やオルド様にもお話ししましたが、私たちは奴隷の身分からの解放を望みません。シュウ王国にいるはずの奴隷商に私たちは引き渡されたのち、その方により売られることになります」


 淡々と。それでいて確固たる意志を持って彼女は語る。


 衝撃から覚めないまま、僕は口を開く。


「―――なんで、そんなことを願うんだ。せっかく奴隷から解放されるのに」


解放を望まない者・・・・・・・・も居るのです、レイ様」


 冷めたような目を向けたエリザベートとの間に深い溝を感じた。異世界人との常識の差では無く、僕が理解できない何かを彼女は抱えている。


「命を助けていただき、感謝しております。それでも私たちの事は忘れてください」


 あの夜と同じことを言って、彼女は立ち上がる。一瞥することも無く焚火に背を向けて闇の中に消えていった。


 遠ざかる背中に何か言葉をかける事もできずにただ見送るしかできない。僕の脳裏はぼんやりと鞄の中に仕舞ってあるの存在を思い出していた。


読んで下さって、ありがとうございます。

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