2-2 いつか見た金色
ネーデの街を出発して二日が過ぎた。
四台の馬車と三匹の馬のキャラバンは順調にカラバへの道程を消化していた。平穏無事、トラブルに見舞われず、穏やかな旅だ。天気も快晴でどこまでも青い空が続く。最近になって気づいたのだが、この世界の空の方が鮮やかな色をしている。おそらく、現代日本の空は様々な要因で汚れてしまったのだろう。
もっとも、空を見上げている、僕ことレイは無事とは言えなかった。
「だー……この振動に……全く慣れない」
自分の口元に手を当てて、胃からせり上がる酸っぱい物を堪える。このままだと食道が酸で荒れ果てた荒野となる。
馬車は街道を走るが、現代日本と違い整備されているとは言い難い道。ただでさえずっと続く振動に耐えかねているのに細かい石に車輪が取られるだけで跳ね上がる車体。乗り物酔いになった事は無かっただけに初めての経験に体が混乱する。
「……すっげぇー気持ち悪い」
「なっさけないな、しっかりしろよ。男だろ!」
同じ馬車に乗るファルナが僕の背中を勢いよく叩く。胸当てをバンバンと叩かれるだけで益々酔いが加速しそうになる。
「その発言は……男女……差別……だと思うぞ……うっぷ」
「ったく。何言ってんだか分かんねえよ。なあオイジン」
フラフラの僕から視線を同じ馬車に乗っている猪人の若者に向けた。彼は僕らよりも10は年上の無口な青年だ。今もファルナが声をかけても、開けてるのか閉じてるのか分からない細い目をこちらに向けて、興味が無くなったように視線を床に向けた。
この三人にフェスティオ商会に所属する馬車を動かす御者を合わせて四人が乗員だ。
僕らの役目は基本的に後方確認。怪しい者がこちらを尾行していないか幌の隙間から覗いている。
一応、青ざめた僕も外の空気を吸いつつ監視は怠っていない。見渡す限り障害物の無い平原は誰かが姿を現すだけですぐに分かる。
「それでファルナ。次の休憩地はまだなの」
休憩地とは読んで字のごとく休憩する場所。並走する騎馬の一人が隊列を外れ、何処か休める場所を探しに行ってから三十分は経つ。時刻も昼を過ぎている。朝も霧が晴れる前に出発したため馬も人も休ませないといけない。
ちらりとオイジンが前を行く馬車を見た。
「合図、無い」
寡黙な彼は端的に言葉を発する。取っ付きにくそうに見えるが実際は凄く親切だ。現に朝方森に入り、酔いに効く草を摘んで僕にくれた。噛むと苦味が口いっぱいに広がるが、確かに酔いが収まって来る。
それだけでなくオイジンにはこの旅の間それとなく助けてもらっている。彼だけでは無い。『紅蓮の旅団』の冒険者は何くれなく、折を見ては僕にいろいろな事を教えてくれた。食べられる野草と食べてはいけない野草の見分け方。水の無い場所での水の手に入れ方。火のおこしかたから夜の火の番における眠らないコツ。一人で旅をしていたら、知る事の出来ない様々な事を教えてもらった。おそらく一人でネーデの街を出ていたら三日目で死んでいたろう。
それだけでなく暇を見ては寸止めではあるが剣の稽古をつけてくれた。オイジンはレベル70を超えた槍の使い手。ゲオルギウスとの戦いで槍の懐に入れなかった苦い思い出から稽古をつけてもらった。そのおかげで僕はこの旅の二日目にして新しい技能を手に入れていた。
「うーん? たしかにちょっとばかし遅いね。……前の方で何かあったのかな」
ファルナが腕に巻く時計に目線を落とす。驚いたことにこの世界には現代日本と同じぐらい正確な腕時計が一般に流通している。安価とは言い難いが手の出せない値段では無い。僕はステータス画面に表示されるから要らないが冒険者の必需品として購入を検討中だ。持っていないと不審がられるかもしれない。
僕はファルナの腕時計を覗きこんだ。時刻はもう一時を指す。
「合図、来た。でも、変」
前の馬車を注意深く見ていたオイジンが異変に気づいた。御者も気づいたのか手綱を使い、馬を停止させる。どっちにしろ、永遠のように感じられた振動から解放されたのだ。喜ばしい事だ。
馬車が停車するなりファルナは僕の首根っこを掴むと荷台から下りた。当然僕も、地面へと落下した。
「オイジンは残って周りの警戒をお願い! アタシらは前の馬車の様子を見てくる!」
「了解」
短い返答を聞くなり、ファルナは僕を引きずりながら、なだらかな坂道を進んでいく。他の馬車からも人が降りてきて先頭の様子を伺おうと集まる。皆、警戒しており、いつでも戦えるように武器に手が伸びている。僕も腰に下げたバスタードソードの柄を触る。
「ファルナ。歩けるから下ろして」
「ああ、悪い、悪い」
ようやく引きずっていたことに気づき手を離した彼女。僕はやっと自由と揺れない大地を手に入れた達成感で胸がいっぱいになる。しかし、悠長に構えていられない。早足で坂道を駆けるファルナに僕も置いてかれまいと駆ける。
なだらかな坂道の頂上にオルドやロータスを含む『紅蓮の旅団』の団員やフェスティオ商会のジェロニモさんが坂を見下ろしながら難しそうな顔で集まっている。
彼らは僕らの接近に気づきながらも何も反応を示さずに地図を見ながら議論をしている。
「森を入らずに迂回するのはどうだ?」
「無理ですわ。北の森も、南の森もどちらも迂回すると半日はかかります。いっその事、ここまで釣りますか?」
「ここで戦闘ですか? 荷物への余計な被害は避けたいところですね」
オルドの提案をロータスさんが却下し、ジェロニモさんが彼女の提案を退けた。
頂上に着くと、目の前になだらかな坂道が続く。僕らが進む街道が東へと真っ直ぐ伸びていく先に森が二つ見える。東に向けて移動をしていたので、左が北で、右が南になる。南北に分かれた二つの森はちょうど街道の周りだけが空白地帯になっており障害物など無いように見える。おそらく街道を馬車で行き来できるように開墾された場所なのだろう。
しかし、僕にはオルドたちが何を揉めているのか分からなかった。
ファルナを伺うと彼女も同じようで首を傾げていた。そんな時、馬に騎乗していた犬人族の女性が僕らに双眼鏡を渡してくれた。名前はハイジスト。周りは短くハイジと呼ぶ。
「お嬢、レイ。これで街道と左の森の間位を見てごらん」
「ありがとう、ハイジ」
彼女はこのキャラバンに置いて偵察係を一手に担っている。というのも獣人種はどの種族でも感覚が異常に研ぎ澄まされているそうだ。聴覚、視覚、嗅覚、触覚、味覚。五つの感覚のどれかしらが僕たち人間種よりもはるかに高いためどんなパーティーやクランでも索敵係として獣人は一人は入れる。これは彼女から習ったことだ。犬人族の彼女は耳と鼻が異常に鋭い。
僕らは渡された双眼鏡に目を当て、言われた場所をジッと見つめる。
重なった円の視界にゴマのような点が空に蠢いているのが分かる。ここからでは地上部分は盛り上がった坂でちょうど隠れてしまい見る事は出来ない。
「あれって……モンスターの群れ?」
「その通りだ。このあたりに居る空を飛ぶモンスターと言えばハーピーだ」
オルドが僕の横に立ち、目を細めて北東の空を睨む。双眼鏡なしで見えるのだろうか。
「それでさ、親父。なんでアタシらはここで立ち往生してんのさ」
双眼鏡から目を離したファルナがオルドに尋ねた。
「それなんだがな。お前たち、あのハーピーが何をしているのか見当がつくか?」
オルドが困ったように頭を掻きながら疑問を投げかけた。僕が言葉に詰まるとファルナがああ、と手を打った。何か閃いたようだ。
「もしかすると、あそこで他のモンスターと戦っているのか」
ファルナの言った内容に心当たりがあった。初めてエルドラドに来た夜。スライムから逃げ回るときに遭遇したクマのモンスターとスライムは戦いを繰り広げていた。
「縄張り争いって事?」
「そうそう! 違うか、親父」
僕が聞くと、我が意を得たりと言わんばかりに満面の笑みでオルドに尋ねた。しかし、オルドは首を横に振る。
「おしいな。その答えだと半分だ」
「えー!? どういう事だよ」
抗議するファルナだがオルドはヒントらしきものを出さずに年若い冒険者への教育を続ける。
ふと、森での逃走劇を思い出した。モンスターが一番何をしたがるのか、それが分かった。
「もしかして……人を襲ってる?」
「お、これで揃ったな。まったく二人ともまだまだ半人前だな」
何が楽しいのかオルドはにやけつつ、口を開いた。
「もっとも、ここからじゃ何が起きてるのか見る事もできないが、自分たちのテリトリーを出てきてんだ。他のモンスターとの縄張り争いか……人を襲ってるかのどちらかだ」
オルドが冷静に言う。もう一度双眼鏡で、現場を覗こうとしたが此処からでは見る事は出来ない。
「偵察は送らないんですか? ここからじゃ正確な情報が手に入りません」
「ハーピーは群れで行動する習性がある。一匹に見つかったら、全部を相手にする必要がある。ここから見てる分にはあいつ等も手を出さないだろうな」
僕は動きの鈍いオルドの態度に嫌な予感を感じた。かつての時間軸で見た、娘の危機に焦った男の態度とは思えなかった。不吉な予感を感じながら僕は口を開く、
「……もしも、後者。つまり、人が襲われていたら助けるんですか?」
「いや、見捨てる」
冷徹に、オルドは断言した。考えるまでも無いと言う風に。
僕は頭をガツンと殴られた気がした。目の前にいる男に怒りを抱いてしまう。
「そんな、助けないんですか!」
僕が泡を食って抗議すると、オルドは真剣な表情で僕を見下ろすと、坂道にて止まっているキャラバンを指さす。
「レイ、てめぇはここに居る全員を道連れに、顔も知らない奴を助けに行くのか」
「それは……」
口ごもる僕にオルドは続ける。
「オレにはそんな事は出来ねえ。いいか、レイ。全部を助けようとするのはハッキリ言うと無理だ。そんなことをしようとするとどこかで破綻する。結局助けようとした人間と一緒に自分も地獄に落ちちまう」
まるで自分が体験したかのように確信を持ってオルドは言った。
「何が何でも助ける命と見捨てる命。線引きはしっかりしとけ。じゃねえと、いつかてめぇの命を捨てちまうぞ」
突き放すように言うとオルドはロータスさんたちの輪に戻っていく。項垂れた僕を慰める様にファルナが寄り添った。
「僕は……間違ってるのかな」
「……アタシにはどっちも正しく聞こえたよ」
「方針を伝える! 各自馬車に残った奴に伝えろ」
オルドが集まった人たちに指示を飛ばす為に声を震わす。冒険者たちの視線が団長へと向けられる。
「ここから坂を下りた先でハーピーが空を飛んでいる。見える範囲で数は20以上。危険度は高いと思う。そこで俺たちは街道を南に少し外れつつ、戦闘を避けつつ突破する」
「強行突破ですか? 団長」
「そうだ。御者に徹底させろ。馬の足を潰さない様に気をつけつつ、速度を上げろ。荷は進行方向に対し、右だ。重心が片方による。横転に注意だ。団員は各自盾を持ち、荷物と御者を守るために左側に立て」
「盾は三番目の馬車に積んであります。各自、自分の分と馬車に残した者の分を持って配置について下さい」
ロータスさんがオルドの説明の補足をする。
「全員。盾を持ち次第、馬車に搭乗! 五分後に出発する。遅れるなよ! さあ、行け!」
オルドが指示を出すと冒険者たちは速やかに盾を受け取り、自分の馬車に戻っていく。
僕らもオイジンの分の盾を受け取る。盾は人を丸ごと隠せそうな大きさで木の板を重ねた安そうな物だ。
「これでハーピーの羽を防げっていうのか。けち臭いね、親父は」
「ハーピーは羽で攻撃してくるの?」
ぼやくように呟いて盾を見るファルナに僕はハーピーの特徴を聞く。
「そうさ。アイツらは自前の羽を矢のように飛ばし、獲物を撃つ。時折魔法を撃って、止めは足の爪さ」
僕は魔法と聞いて表情を強張らせた。脳裏に浮かぶのは双頭のバジリスクの風魔法やゲオルギウスの合成魔法だ。僕の表情から同じ経験を持つ彼女は笑いながら僕の不安を減らそうとする。
「大丈夫だって。あの亜種のように中級魔法は放ってこないよ。撃っても初級や低級の魔法さ」
安心させるように軽く言われても僕の不安は拭い去れない。
馬車に戻ると、不安そうにこちらを見つめる御者や開いているかどうか定かではない細い目をこちらに向けるオイジンが居た。
彼らに状況を伝えると、オイジンが弾かれたように行動を開始する。荷台の半分以上を占領していた荷物を右側に寄せる。左側に僕らの空間を作るために、木箱を積み上げて紐で結ぶと大きく馬車が傾き始める。横転してしまうと思った僕らは慌てて馬車に乗り込み、ファルナと並んで盾を構える。
オイジンも盾を受け取ると、御者を庇うように前に出る。ここに来て、御者も覚悟を決めたのだろう。顔を自分の両手で叩くと、気合を入れている。馬車の中に先程までの穏やかな雰囲気は吹き飛び、迷宮の中に居るような張りつめた緊張感が漂う。
「合図、来た」
前方の馬車から冒険者が事前に決めてあるハンドシグナルで合図を送る。同時に馬車がゆっくりと坂道を登り始める。
僕らの四番目の馬車もそれに続く。
手にした盾を北に向けて構える。幌に包まれた荷台では向うの景色を想像するしか見る方法は無い。どうか、誰も襲われていませんようにと、祈りながら馬車は坂道を登り切った。ここからは下り道だ。
「坂道を降ります! 速度がでますから気をつけて!」
「馬の脚を折るなよ! ここで立ち往生したら全員見捨てられちまう!」
御者の悲鳴のような叫びに応える様にファルナが叫ぶ。御者が鞭を振るうと馬は坂道を駆ける様に下る。ただでさえ小さな振動で揺れる車内。なだらかな坂道とは言え、駆け足の馬の速度で降りれば揺れは恐ろしいものになる。
積み上げた木箱は紐で括ったとはいえ、背中でガタガタと音を鳴らす。振動で踏ん張っている体が床から飛び上がり馬車の幌を突き破りそうになる。
「左前方! 敵影、複数!」
「種類は!」
「空にハーピー! 地にオーク!」
「オーク? 縄張り争いしてるって事!?」
前方を睨みつけていたオイジンが捉えた情報を後方の僕らに伝える。その内容に僕はほっとしながら聞き返した。
だけど。
「ちがう」
オイジンの否定に体がビクリと固まる。隣のファルナが僕の腕を掴む。僕の体にしがみ付いているわけでは無い。僕を行かせまいと力を込めている。
「馬車、横転。何者か戦闘中!」
「レイ!」
ファルナが僕を制止する様に、いや、制止するために叫んだ。僕は咄嗟に盾を放りだそうとしていた。彼女の叫びで我に返った。
彼女は辛そうに首を横に振った。
「行っちゃだめだ。行けばアンタを見捨てる事になる」
「でも……それじゃ」
そこに居る人は見捨ててもいいのかと、ファルナに言いそうになる。
しかし、彼女の表情を見て、喉元まで来た言葉をしまう。
彼女も納得なんかしていない。けど『紅蓮の旅団』やフェスティオ商会の人たちを危険に晒すわけにはいかない。彼女も葛藤しているのだ。証拠のように僕の右腕に彼女の爪が食い込むほど力強く握っている。
「わかったよ。……ありがとう、ファルナ」
「……礼なんか言うなよ、バカ」
ファルナは沈んだような表情で握った手を離した。馬車が坂道を抜け、平地へと降り立った。再び御者が馬に鞭を打つ。応える様に馬車の速度が上がった。
(ああ、そうだ。誰も見捨てる事を納得している人はいない。みんな葛藤しながら、自分にとって大事な命を守ろうと選ぶんだ。血反吐を吐くような思いで決める。僕は心の奥底で死んでもやり直せると思うから、誰も彼も救おうと思ってしまう。この先、こんな傲慢な考えは捨てるべきなんだ。じゃないといつか、本当に取り返しの付かない事をしでかす)
「左側、横切る!」
心の中で自戒しているとオイジンが御者台から僕らに警告した。僕らは覚悟を決めて、盾を握る手に力を込めた。何が起きても防ぐと言う覚悟の表れだ。
しかし、何も起きなかった。
そう遠くない場所で鳥の羽ばたく音やモンスターの怒声が響くが、こちらに気づいている様子すら無い。
「こっちに意識を向けてる奴は居る!?」
「居ない! 今、安全!!」
オイジンの報告に馬車の中はほっとした様に安堵の空気が流れる。特に肩が強張っていた御者はあからさまに安心した様に息を吐き出していた。それに合わせてスピードが落ち始めている。
僕は盾を構えつつ、ちらりと幌を捲ってしまう。
視界に飛び込んできたのは倒れ伏すやモンスターの死骸で赤く染まった草原。その屍の丘に横たわる馬車を取り囲む様にモンスターが殺気を放っている。
その死地を舞う様に踊る金色を見た瞬間、僕は馬車を飛び降りた。
高速で流れる地面に転がるように飛び降りた。
「―――レイ!! 何やってんだ!!」
背後からファルナの罵声が飛んでくる。
心の中でごめんと謝る。
でも、僕は行かないといけない。
救われた命の分を返しに行かないと。
読んで下さって、ありがとうございます。




