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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第6章 水の都
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6-20 エトネの夏休みⅤ

 フジワラは隠密として高い技量を持ち、同時に鋭い感覚を備えていた。彼の持つ《大地ノ海》は地中や厚みのある物に潜る能力で、外の状況は自分の五感で判断しないといけないため、必然的に感覚が鋭くなっていった。


 そんな彼はいま、追い詰められていた。


 自分が地面に半ばまで引きずり込んだ少女に圧倒される。つい数秒前まで感じられなかった超常的存在を目の当たりにしていた。


「こ……これは……精霊か!?」


 エルドラドにかつていた13神。その神々と人々を繋ぎ合わせていた存在、それが精霊だ。無神時代が始まり、精霊は人の目から逃れるように姿を消していたが、召喚魔法で呼びかければ力を貸してくれる。


 フジワラもかつてこなした任務で精霊を扱う魔法使いを処理したことがあり、その時の苦戦を覚えていた。低級精霊一体を相手に、相当な痛手を被った。


 その時と、比べ物にならない圧力がエトネの体から放たれている。陸の上なのに、水の底に引きずり込まれたように息苦しくなる。


「ありえない。あんな短い詠唱で、精霊を呼び出すなんて、そんな事あり得るわけが」


「あり得るんだよね、これが」


 狼狽するフジワラに冷たい声が浴びせられた。発したのはエトネのはずだが、その声は今まで相対していた少女の声とは若干違う。


「精霊の寵愛を受けし者の呼びかけには、私たちは一も二も無く参上するのさ。詠唱なんてそれこそ意味ない、名前を呼んでもらうだけで十分なぐらいよ」


 エトネの口から二種類の声が吐き出される。一つはエトネの素の声。しかし、もう一種類、別の声が混じっている。若々しく、瑞々しい、弾けるような声色なのに、どこか深遠な響きを含んでいる声にフジワラは悪寒を抱いた。


「貴様、何者だ」


「私? アンタが居ないって言っていたハヅミだよ。ああ、でも。この名前で呼んでほしくないな。だからちゃんと名乗ってあげるよ。……我は13神オケアニスに仕えし水の精霊、『ミヅハノメ』。今はこの子の体に宿り参上した」


 その名をフジワラとて知っていた。


「……超級精霊、ミヅハノメだと。……信じられん。神の側近とも言われた超級精霊が人如きの呼びかけに応えるとは」


「やだなぁ。その言い方だと、私たちがお高く留まっているように聞こえるじゃない。そりゃ、気の乗らない相手の呼びかけには、例え千人が集まって祈っても応えないけど、そうじゃない時もあるのよ」


 肩を竦めたエトネは―――いや、エトネの中に居るミヅハノメは言葉を区切ると、大地に掌を落とした。それだけで、彼女は行動を完了させた。


 次の瞬間、地響きが起きた。


「貴様何を……いや、これは貴様のした事なのか」


 フジワラの問いにミヅハノメは答えない。鼻歌まじりで揺れる大地を楽しんでいる。


 揺らぎは時間が経つにつれ大きくなる。立つのもおぼつかなくなり、フジワラはしゃがみ込むと指先で地面の下から何かが迫って来るのを感じ取った。


 そして、それは一気に吹きあがった。


 エトネの体が急に持ち上がり、そのまま地面の拘束から脱出する。彼女の体を助けたのは水だった。勢いよく噴き出した水流が少女の体を傷一つ付けることなく、周りの地面を抉りとる。


 空中に川が生まれ、ミヅハノメはその流れに滑って地面へと着地した。そして、地面から吹きあがった水は彼女を囲むように輪の形を取る。フジワラが間髪入れずに投擲したナイフは、全て水の輪に受け止められてしまう。


 間違いなく、ミヅハノメが操作していた。


「水の精霊。なるほど、水芸はお手の物のようだな」


「うふふ。その通りよ。この世における水の全てに私は居る。この雨水も、それを構成する雲も……そして人の体に宿る水もね」


 言葉と共に、ミヅハノメは二本の指で何かを摘まみ、捻るような動作をした。その瞬間、フジワラの体が震えた。


「ぐぉおおおおお!!」


 先程の原因不明の衝撃とは別の衝撃が彼を襲う。体の内側と外側で、別々の向きに回転されるような、理解しがたい痛み。強化された肉体でも耐える事は難しい。


「痛い? 血の巡り方を変えてみたのよ。痛いなら良かったわ。この子に手を出そうとしたんですもの。それぐらい甘んじて受けなさい」


 穏やかに、慈愛の笑みすら浮かべながら痛みに仰け反るフジワラを見下ろすミヅハノメ。体の内側から起きる逃げ場の無い痛みを浴びながら、目の前の存在が自分の事を敵とすら見ていない事に気が付いた。


 当たり前の話だ。


 超級精霊は、いわばこの世界を構成する重要な要素の一つ。群体の、夥しい数いる人間の一人を敵とみなすはずがない。


 死を覚悟した時、唐突に衝撃は止まった。ぐったりとしているフジワラにミヅハノメは言う。


「もう、これで懲りたわよね。そしたら、さっさとこの場から消えなさい。殺さないのは私の慈悲だと思いなさい」


 尊大な、遥か彼方からの言葉。しかし、真実のようにミヅハノメは言う。本心から見逃すと言っているのだ。


 ほとんど戦意を喪失したフジワラは地面に手を着いて《大地ノ海》を発動して逃げようとして―――ふと、ある事に気が付いた。


 かつて、精霊使いと戦った時に知った、精霊の持つ制約を。


「……ふっ。ふふふ、ははは。違うだろ。違うのだろう、ミヅハノメ」


「何が……おかしいのかしら」


 吐血で血に染まった覆面の下で笑うフジワラにミヅハノメは不吉な気配を感じた。


 フジワラは戦闘続行を示すように立ち上がりトンファーを構える。


「俺を殺さないのではなく、殺せないのだろう」


 フジワラの言葉を受けて、ミヅハノメは無言を貫く。だが、それが答えでもあった。


「精霊は……その強さ故に、13神から幾つかの制約を受けている。精霊が……勝手に世界を掌握しないように楔を打たれた。……その一つが、己が意思で人を殺してはならない」


 無神時代が始まるよりも前、精霊が人と神の橋渡しをしていたころから続く誓約は、神が大地を去ってからも機能していた。それを破ればどうなるか、ミヅハノメは十分知っている。


「誓約を破った精霊や古代種の龍は狂いし者として、処罰を受ける。かつて、古代種の龍が暴走し、残りの龍が封印した時と同じように、俺を殺せば貴様も他の精霊に討たれるのだろう。その体の持ち主が意識を無くしている今、お前に俺は殺せない」


 ミヅハノメは表面上では変わらず、しかし内心では冷汗をかいていた。全てフジワラの言うお通りだった。このでフジワラを殺せば自分は狂いし者として堕ちてしまう。一度堕ちた精霊はどうやっても元には戻れず、世界を構成する存在にはなれない。他の精霊か、あるいは人の手で討たれ、消える運命が待つ。


 フジワラは覆面の下で勝利を確信した。降りしきる雨すら心地良く感じる。


「形成逆転だな」


「そうかしら? 逆を言えば、貴方を生かさず殺さずの状態まで追い詰めれば、それで終わりよ。四肢を捥ぎ、神経を抜けばそれだけで十分」


「はっ。これ以上、攻撃を食らえば俺は死ぬだろう。ほとんど瀕死の俺をどうやって止めるのだ?」


 フジワラの言葉に偽りはない。体内の水を通して、彼の状態は手に取るようにわかるミヅハノメはこれ以上の攻撃は出来ないと理解していた。


 その沈黙を好機と捉えたフジワラが地を蹴った。雨を浴びながら彼はトンファーを振るい、ミヅハノメを守る水の輪を砕く。衝撃でただの水に戻ると、浮かんでいた水は全て地面に染み込み、彼女を守る物は何もなくなった。


 すかさずフジワラは体を回転させて、更なる一撃を繰り出そうとする。


 ミヅハノメはエトネの体を使い、距離を取ろうと下がる。しかし、そこは少女の体。深手を負っているフジワラといえど、簡単に追いついてしまう。トンファーの先端が少女の鳩尾を貫いた。


 フジワラの目的は変わらない。彼はレイに対するけん制としてエトネを誘拐する事だ。彼女を気絶させようと最短の手段を選んだ。


 しかし。


 トンファーを握る右手に、不可思議な手ごたえが返ってきた。今まで何十何百と振るってきた中で初めての感触に、フジワラはすぐさま距離を取った。


 そして、トンファーの先端に奇妙な物が付着している事に気が付いた。青白い、まるでスライムのような粘液が付着していたのだ。


「な、なんだ、これは?」


 ぐにぐにと、表面を震わす粘液を剝がそうとするも、指で掴めない。それどころか、粘液は成長し、あっという間にトンファーを握る右腕を包み込んでしまう。


(武器だけじゃなく、右腕も封じられてしまった。しかし、どこからこんな粘液を。水は地に返った。他に水は……まさか!?)


 背筋を震わしたフジワラは顔を覆っている布を解き、それを右腕に巻き付けた。右腕の半ばまでを侵食していた粘液は布に巻かれると増殖を止めた。


 短く刈り込んだ黄色の髪が雨に濡れていく。


「この雨か。これも貴様が起こしているのか!」


 ミヅハノメは正解、と返すと言葉の真偽を証明するように雨を強めた。視界を塞ぎそうな土砂降りの中、両者は睨みあう。


「安心しなさい。私が引っ込めば、その粘液は溶けて消えるからね」


「ふざけるな。今すぐ貴様を殺して消すだけだ」


 フジワラはここに来てようやく、エトネの殺害を決心した。単に水を操るだけでなく、天候すら操っているとなれば十分に脅威となり得る。


 自由な左手でナイフを懐から取り出すと、フジワラは奇妙な事に気が付いた。


 ミヅハノメの背後。林のさらに向こう側の空は。雲が空に蓋をしているが、少なくとも雨は降っていないようだ。


(雨はここだけしか降っていないのか。……いや、待てよ。この雨は何時から降っていた)


 急速に回転しだす思考。フジワラは自分が何かを見落としているのではないかと不安に駆られた。


(雨を降らしているのがミヅハノメだとしたら……ここだけに降らしているのもミヅハノメということに―――しまった!!)


 ―――瞬間。フジワラは背後へと振り返り、手にしたナイフを投げた。


 目の前で投擲されたナイフを、背後から奇襲を掛けた人影は振り下ろした刀で弾く。峰を向けた刃の軌道はそれて、フジワラの足元に刃は突き刺さった。


 雨にうたれ、濡れた黒髪。目の下に横に走る傷を持った少年、レイだ。


 怒りに震える瞳がフジワラを射抜いた。その視線に押されるようにフジワラは後ろに飛びずさる。刹那の差で、彼は地面から持ち上がったコウエンの刃を躱した。


「貴様、レイか!」


 フジワラは突然現れたレイに幾つもの疑問を浮かべた。結界をすり抜けたのに、どうしてここが分かったのか。ここまで接近されたのにどうして自分が気が付けなかったのか。その答えは全て雨にあった。


 ミヅハノメが降らした雨の範囲は屋敷から自分が居るまでの間のみだ。いわば雨が道しるべとなってレイを導いたのだ。そして、強めた雨がレイの気配を掻き消した。


 峰を向けたままのレイはちらりとエトネを見た。彼女は先程までの余裕そうな笑みを消して、疲れ切った様子で地面に座り込んでいた。


「エトネ、無事か!?」


「無事よー。来るのが遅いんだから、まったく」


 一瞬訝しげに細められた瞳がそのまま鋭くエトネを睨んだ。


「……誰だ、お前」


 低い声。レイはすぐさまエトネの異変に気が付いた。彼女の体を覆う威圧感に覚えがあったのだ。自分が手にしている龍刀コウエン。その中に居るコウエンとよく似た存在がエトネに取りついている、と。


「敵じゃないわよ。それより、早くそいつを蹴散らして頂戴。話はそれから」


 ミヅハノメに言われ、レイはしぶしぶ刀を構え直した。峰を返し、刃をフジワラに向ける。


 ちらりとフジワラは視線をレイから屋敷の方へと移した。土砂降りの中、複数の人影がこちらに向かっているのが見えた。当たり前の話だが、フジワラの増援では無い。リザ達だ。


「投降するなら、殺しはしない。お前には聞きたいことが山のようにある」


「……正直に答えると思うか」


「さあな。だけど正直に答えたいと懇願したくなるような目に合うのは御免だろ」


 二人の間に緊張が高まり、両者は同時に動き出した。


 レイは前進を。


 フジワラは後退を。


 振るわれるコウエンを掻い潜り、フジワラは林の方へ逃走する。なにしろメインの武器であるトンファーが使えず、片手でレイをいなせない。その上増援まで来てしまえば、逃げる事はほぼ不可能だろう。


 逆に言えば逃走はこの瞬間しかないのだ。


 ―――なにより、フジワラはまだ諦めていなかった。


 レイの斬撃を躱し、彼を鉄柵の方へと誘導していく。まるで逃げ道を塞がれた哀れな道化のように振る舞い、相手レイの油断を誘う。


(こいつはまだ、《大地ノ海》を知らない。鉄柵を抜ける時に、コイツを外におびき出せれば、勝機はまだある)


 この状況を外の仲間達も確認しているはず。鉄柵の外へおびき出せれば、仲間と合流できる。


 そうなれば今度はこちらが数の上で有利となる。


 そんな事を全く知らないレイは、フジワラを追いかけてしまう。遂に木々の間を抜け、鉄柵の傍まで来てしまった。


 上段からの振り下ろしを躱されるも次いで、そのまま突きを放つレイ。浅く胸板を割く一撃を躱そうとしてフジワラは一気に後ろへ飛んだ。その体は鉄柵にぶつかり、これ以上の撤退を許さなかった。


「これで終いだ!」


 逃げ場の無くなったフジワラに対して、峰を向けたコウエンを横に薙いだ。


「馬鹿が! 待っていたのはこちらだ。《我が体は、固き物でも阻めない》!」


 迫りくる斬撃を前にして、フジワラの体は鉄柵をすり抜ける。遅れて、峰打ちが鉄柵を震わした。


 レイとフジワラの間を鉄柵が阻み、刃を拒む。その上、レイの腕は鉄柵を打った衝撃で震えている。龍刀を振り抜いた姿勢のまま硬直していた。


 その体を狙い、蛇のようにフジワラの左腕が鉄柵をすり抜けた。身動きの取れないレイは胸倉を掴まれ、鉄柵の方へと引きずり込まれようとした。


 《レイ! 刃を返せ!》


 突然響いた声に、レイは何も考えずに反応した。刃の向きを変えると、コウエンの刀身が燃え上がり峰から火を噴く。


 まるでジェットエンジンのように噴き出す炎に押されて刃が再び振るわれる。振動で痺れているレイの意思とは関係ない横薙ぎは、先程とは違う展開を見せた。


 巻きあがる炎と熱は城壁の如き鉄柵を容易く切り裂く。余波だけで鉄柵に大きな亀裂が生まれてしまった。


 だけど、レイの胸元を掴むフジワラの腕は、コウエンの刃をものともせず、そこにある。


 《大地ノ海》。その真価は地中に潜る事では無く、物理攻撃の無効化にある。どんな一撃も、物理的な攻撃なら発動中のフジワラを捉える事は出来ない。


 龍刀コウエンの刃すら、フジワラはすり抜けたのだ。


 しかし、斬撃は躱せても、炎は違う。


 赤龍のブレスを受け継いだ炎は容赦なくフジワラの装束に絡みついた。すり抜ける事を許さないように炎は燃え広がる。


「ぬおおお!!」


 驚きのあまりレイから手を離したフジワラは、地面を転がり炎を消そうとする。しかし、コウエンの炎はそれしきでは消えない。左腕を呑み込み、いまにも胴体に燃え移ろうとしていた。すでに技能スキルは効果を切らしており、地面に潜る前に炎は全身を包み込む。


 フジワラの顔が苦渋に歪み、彼は決断を下した。


「この腕を切り落とせ!」


 絶叫に応じたのは鋭い刃だった。どこからか姿を見せた黒装束がフジワラの腕を切り落としたのだ。肩口近くから切り落とされた腕は地面を転がり、炎は腕を呑み込み、塵すら残さず燃やし尽くした。


 いつの間にか、鉄柵の向こう側に黒装束の男たちが集まる。フジワラの傷口にポーションを振りかざし止血をしつつも、レイに向けて警戒を向けていた。それに応じるように炎を上げるコウエンを鉄柵の向こう側に突きつける。


「お前らの主。ガシャクラに伝えろ。……部下を送り込んで様子を伺うな。僕が憎いなら、お前が出てこい。そしたら、あの夜に告げた言葉通り、今度こそお前を……殺す」


 守る為に殺す。


 果たしてそんな事がレイに出来るか分からない。だけど、これ以上仲間を狙われることを避けたいレイはワザと挑発をした。


 黒装束の男たちは無言のまま、レイを睨みつけると音も無く姿を消した。重症のフジワラもそこにはいなかった。


 後に残ったのは大きく横に裂けた鉄柵と、その向こう側の地面に染みついた焦げ跡と血だけだった。


読んで下さって、ありがとうございます。


次回の更新は二十九日月曜日頃を予定しております。

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