6-18 エトネの夏休みⅢ
スヴェンの屋敷に隣接する屋敷は、どれもシュウ王国における貴族の邸宅だ。武官として軍務を任されている者も居れば、文官として南領の政務を担う者もいる。それら全ての屋敷に侵入者がいることを誰も知らない。
どの屋敷にも常時人がいる。屋敷で暮らす妻や子供、それに執事や使用人たちだ。
家人の目を掻い潜って、侵入者は屋根裏や、使われていない一室を不法に占拠していた。
全員が人相を隠した装束を身に付け、漂わせる空気は死臭に濁る。堅気の人間ではないのは明白だ。彼らはガシャクラの命により、レイ達一行の見張りをしていた。
ある者は鏡に魔法を掛ける事で屋敷の中を探り、ある者は技能を使い遠く離れ壁に囲まれた屋敷の会話を盗み聞く。
そんな監視体制の中、ある屋敷で苛立ちが頂点に達しようとしていた。
物置として使われている一室に人払いの陣を描き、埃が舞う室内に影が四つ。
その全員が苛立っていた。
「目標が篭ってから二日。何の動きも見せないではないか。このままでは何の情報も得ることなく、時だけが過ぎてしまうぞ」
怒りのあまり拳で壁をうつ男。人払いの陣があるとはいえ、あまり物音を立てれば不審がられてしまうのに、誰も止めようとはしない。苛立つ気持ちは全員が理解できていた。
スヴェンの屋敷を取り囲む者達に与えられた役目は、レイとその仲間たちの監視と情報収集のみ。パーティーの構成、レベル、装備、技能や戦技の効果。あるいは街での滞在期間や次の目的地とそこまでの交通手段といった事柄の情報を集めるべく、行動していた。
ところが、尾行者の存在に気づいてからのレイ達は屋敷を出ようとはしない。おそらく、自分たちのひいては主であるガシャクラの存在に気づき、防衛のために屋敷に籠っているのだろう。
彼らとて、ただ手をこまねいていたわけではない。前者の戦闘に関する情報は既に揃えていた。冒険者の基本的なステータスはギルドに保管されている。流石に細かい技能や戦技、魔法の種類までは保管していないが、レベルなどの主だった情報なら金を出すなり、忍び込むなりすれば簡単につかめた。
E級パーティー《ミクリヤ》のリーダー、レイ。所属しているのは戦奴隷のエリザベート、レティシア、シアラの三名と、ハーフエルフのエトネを合わせた合計五名のパーティーだ。
E級パーティーにしてはレベルの平均や人数が少ないものの、潜り抜けている修羅場が普通のパーティーとは違う。結成前にスタンピードや赤龍と遭遇し、結成後に未探索の迷宮に突入し生還している。この経歴なら、尾行に気づくのも頷ける。
だが、それ以外の情報は不明のままだ。
どうしてシュウ王国第二王子の屋敷に逗留し、パーティーに登録されていない謎の成人男性の正体も不明だ。魔法の監視も、技能による盗聴も、阻害魔法によって封じられてしまう。特に屋敷の中は念入りに施されており、ノイズだらけで役に立たない。
ほんの目と鼻の先に自分たちの目標が居ると言うのに、手を出せないもどかしさが彼らを焦らせる。
「ロリコン王子と揶揄されても、あそこは第二王子の屋敷だ。屋敷を囲うように陣が敷かれている。鉄柵を乗り越えた瞬間、直ぐに侵入がばれてしまう」
「スヴェン自体はテオドールとの確執により、何かしらの罰を受け重傷だ。本人が飛んでくることは無いだろうが、奴の近衛が三分もしないうちに姿を見せる。屋敷に潜入したとしても、何かを仕掛けるほどの時間は無いだろう」
シュウ王国の王族を呼び捨てにし、不敬な二つ名で呼んでも彼らは気にしない。なぜなら彼らの出自は帝国であり、主はガシャクラ。そのガシャクラもウージアの女帝を主としていた。この部屋に居る者達にとって、シュウ王国の王族は敬う対象では無い。
かといって、軽視する訳にもいかない。忍び込む以前に、こうして屋敷を監視しているのが露見するだけでも主の立場を危うくする。
第二王子スヴェンと女帝ジョゼフィーヌは大変に仲が悪く、隙あらば相手の力を削ごうと常に警戒している間柄だ。
下手に動いて失敗すればジョゼフィーヌの怒りを招きかねない。故国を追い出され流浪の旅の末に見つけた安住の地を離れるわけには行かない。かといって、ガシャクラの傷と死した同胞の仇を取らない訳にもいかない。
時が流れていくのを感じながら、腹の底は焦燥の火に炙られていた。
まさにそんな時だった。
「おい。報告にあった雑種の小娘が、また林に来たぞ」
両目を瞑り監視をしていた男が仲間に告げた。男の技能は使役した動物の視界を自分のものとする。瞼の裏ではエトネが屋敷の裏の林を訪れていた。昨日とは違い、虫かごを持たず、辺りを見回す。誰かを探している様だ。
すると、少女が急に後ろを振り返り、何かを見つけたかのように反応した。残念ながら声までは伝わらないため、男は使役する鳥に位置を変えるように指示を出した。枝から枝へと移動した鳥はエトネの姿を正面から捕える。
映し出されたのは奇妙な光景だ。周りに誰もいなはずのエトネが、虚空に向かって話しかけているのだ。笑みを浮かべ、口元を動かす姿に寒気を感じていた。
「……昨日と同じ。誰も居ないのに、そこに誰かが居るかのように振る舞っているぞ」
監視役の男の報告に誰かが気狂いか、と呟いた。彼らは昨日の昼間も今と同様に監視していた。エトネが蜂を追いかけて木に登り巣を捕まえようとしたのも、それに失敗したものの蜂が急にショックを受けて落ちたのも、太陽が沈むまで庭園を駆けまわっていたのを。全て見ていた。
その全てで、エトネは一人だった。
いまも何も無い空間に向けて話をしていた。
「あの齢で気狂いとは。哀れと言えば哀れだな」
「しかし、気狂いとは言え、言葉を話せればそれで十分だろう」
「十分? 何のことを言っているのだ、フジワラ」
拳を壁に突きたてていた男が突然窓の方へと移動し始める。片隅に置いてあったトンファーなどの武器を装備しまるで戦支度をしているかの様子に仲間達は困惑する。
窓を開け放ったフジワラは振り返りもせずに告げた。
「いまより、敷地に潜り、あの娘を誘拐する」
「正気か、フジワラ!」
男のくぐもった怒声が響く。
「そのような勝手は許されない。これ以上の失態を重ねれば頭領の逆鱗に触れるぞ。ここは堪えて更なる機会を待つのが賢明だ」
フジワラの肩を掴んだ男の言葉に他の者も同意するように頷いた。しかし、フジワラは頑として聞き入れなかった。
「御一同。これは好機だ。気狂いの娘の傍に誰も居ない。その上、林の中という人目につかない場所だ。あのような小娘を攫うのに数分も掛かるまい。あの小僧の事だ。誘拐の事実を知れば重い腰も上げて動くはずだ」
フジワラの推測に男たちは内心では確かにと納得していた。レイの性格分析は既に済んでいる。ウージアの時と同様、仲間を誘拐されれば確実に追ってくるはず。スヴェンに知られることなく、レイだけを屋敷の外へと引きずり出す事も出来るかもしれない。
「なにより。あの屋敷に気づかれずに侵入できるのは、俺以外誰にも、頭領にも出来ない事だ。故に俺ならあの娘を誘拐できる。違うか」
ある種の傲慢じみた発言だが、それは事実だ。ガシャクラを含めた隠密たちの中でフジワラだけは唯一、あの屋敷へ誰にも気づかれずに侵入できる。失敗した時のリスクと、成功した時のリターンが天秤に掛けられ、片方に傾いた。
男は掴んでいた手を離した。
「……それでは、いざ御免!」
窓枠を蹴り上げ飛び降りたフジワラ。男が遅れて窓から下へと覗きこむと、フジワラの姿はどこにもなかった。
「エトネ。勉強は終わったのですか?」
屋敷を出ようと廊下を歩いていると、前からリザとすれ違う。彼女は練習用の剣を手に提げている。髪を後ろの高い位置でくくり、これから騎士を相手に手合わせをする様子だ。
「うん。おにわであそんでくるね」
「そうですか。……そういえば、お友達が出来たと昨日言っておりましたね」
「うん! ハヅミっていうの」
弾けんばかりの笑みを浮かべたエトネにリザも嬉しくなり笑みを返した。
「良かったですね。……そうですね。三時くらいになったら、その子と一緒におやしきに戻って来なさい。そしたら、ご主人様達も呼んでおやつにしましょう。シアトラ村で頂いたハチミツ漬けのレモンが残っているので、それを使ったクッキーを焼いてあげます」
「ホント! リザおねいちゃん!」
クッキーと聞き、跳び上がらんばかりに喜んだエトネ。彼女にリザは本当ですよと返した。尻尾を期待に膨らませたエトネは何度も礼を言いながら屋敷を飛び出した。向かうのは屋敷の裏手の林だ。
昨日と違い、灰色雲が空を覆う天気。もしかしたら、雨が降るかもしれないとレティが言っていたのをエトネは思い出した。
(あめがふったら、きょうはおやしきであそぼうかな)
レイから教わったオセロなどで遊ぼうかと考えながらうっすらと暗い林に入り、そのまま昨日であった場所まで進む。感覚が鋭いエトネが一度来た道を間違える事は少ない。その上、近づくにつれてハヅミの気配もする。
あの存在しているか、していないか、不安定な感覚にも慣れた。
巣が落ちた場所に着いたエトネは近くにハヅミが居るのを感じ取った。
「ハヅミ! きたよー。いっしょにあそぼう!」
声が木々を揺らす。しかし、返事は来なかった。かくれんぼかなと思うエトネの肩を誰かが叩いた。振り向いたエトネの頬に伸ばされた指があたる。柔らかな餅のような肌に指がへこみを作った。
「もう。なにするのよ、ハヅミ」
「ごめん、ごめん。来てくれて嬉しいわ、エトネ」
薄水色の髪に瞳を揺らして笑うハヅミの姿は昨日と同じでボロの布きれを纏っているだけだ。その姿を目の当たりにして、改めて不思議に思う。この綺麗な屋敷にそぐわない姿だと。
「それでさ。今日は何して遊ぼうか。……どうかしたの、エトネ」
心配そうにのぞき込むハヅミから敵意や悪意は感じないが、それがそのまま彼女の昨日は巣をぶつけそうになったこともあり、気後れして聞けなかった事をエトネは尋ねた。
「ハヅミはどこからきたの。おうちはどこにあるの」
「家? 家なんて無いわよ。強いていえば、この大地そのものが我が家かしら」
煙に巻くような言い方にエトネは疑問符を幾つも顔に貼り付けた。
「此処に来たのは偶然よ。少し前に呼ばれて以来、この大陸をうろちょろ漂っていたんだけど、ちょっと前ぐらいから気になる気配を感じてとどまってたのよ。そしたら、いつの間にか降りてたのよねー。不思議な事もあるわ」
一人で納得しているハヅミに対して、エトネは眉を下げる。
この子を連れて屋敷に行けば、レイに迷惑を掛けてしまうと考えた。
「ここはね。おうじさまのおやしきなの。かってにはいりこんだらおこられちゃうよ」
実際の所、怒られる所の騒ぎではないのだが、その辺りは幼いエトネには判断つかない。だけど、目の前の少女が怒られるのは回避するべきだ。
(やっぱり、おにいちゃんを呼んだ方がいいのかな。それともレティおねいちゃんにそうだんしたほうが)
頭の中で、一番話が通じそうな相手を思い浮かべて言う。
「あのね。みんなにハヅミをしょうかいしたいから、きょうはおやしきにいこうか」
するとハヅミは難しそうな、考え込むような表情を一瞬浮かべるも頷いた。
「エトネが望むなら、それでいいよ」
素直に付いて来てくれると分かり、ほっと胸をなで下ろした、まさにその時だった。
―――周りの空気が一変したのは。
首筋に冷たい刃を突きつけられたように、体が震える。林に息苦しい殺意が充満する。それは一人の人間が発していた。
「娘。貴様が行くのは屋敷では無く、我らの元だ」
「―――っ!? だれっ!!」
エトネが声のした方へ振り返ると、木々の隙間から全身を黒い装束で固めた人物が幽鬼のように姿を見せた。顔も口元を隠し、目だけがむき出しになっていて、人相が分からないようにしている。
見たことのない格好だが、話に聞いていた敵の姿と一致する。
「そのかっこう。レティおねえいちゃんをゆうかいしたひとね」
「レティ? ああ、あの戦奴隷の事か。その現場に俺は居なかったが、確かに俺の仲間がした事だ」
あっさりと言い放つ男に対して、エトネは拳を握る。
眼前の男は敵だ。
思考は戦闘用に切り替わり、体は構えをとる。相手の動きに直ぐに反応できるように重心を垂直にする。これで全方位に直ぐに移動できる。
年齢にそぐわない立ち姿に侵入者であるフジワラは称賛を送る。
「素晴らしい。レイとか言う小僧は良く仕込んでいるじゃないか」
エトネの臨戦態勢に呼応するかのように、フジワラはトンファーを構えた。それだけでエトネの肌は粘り気のある殺意に触れた。
(これは……まずいよね)
フジワラが距離を詰めていく間、エトネは静かに自分の不利を悟っていた。今のエトネは防具も手甲も無い、無防備な姿だ。
鋼鉄製のトンファーも、投げ短剣も素手で相手することになる。相手の力量が不明ないま、一撃が致命傷になる。
「お前に私怨は無いがこれも勤めの一つ。悪いが身柄を拘束させてもらうぞ。抵抗しなければ、こちらも手荒な真似はしないが」
「やだ。おとなしくつかまるもんか」
「だろうな。……では、仕方ない。骨の数本は覚悟してもらう」
不吉な発言をするフジワラ。それと対峙するエトネは後ろに居るハヅミに叫んだ。
「ハヅミ。ここはエトネにまかせて、あそこのやしきににげこんで! そして、だれかよんできて!」
この状況下で正しい判断といえた。ハヅミの安全を確保すると同時に、仮にエトネが誘拐されてもそれを直ぐに伝えることが出来る。
ところが、伝言を託されたハヅミは一言。
「やだ」
と、身も蓋も無い返事をしたのだった。
読んで下さって、ありがとうございます。




