6-17 エトネの夏休みⅡ
ハヅミと名乗る不思議な少女は全身で喜びを表現すると急にエトネの顔を覗き込んだ。
「エトネ、私とお友達になってくれない?」
「う、うん。わかったよ、ハヅミ」
「うれしいなぁ、うれしいなぁ。こんなにうれしいのは久しぶりよ」
髪と同じ薄水色の瞳に自分の姿がくっきりと写るほど顔を近づけられたエトネは、困惑しつつも了承した。彼女の短い人生経験においても、ハヅミのような存在を他に知らなかった。姿形や着ている衣服の事では無く、その存在感だ。目の前に、それこそ互いの吐息が混じりそうなほど近い距離でも、そこにハヅミの気配を感じ取れないでいた。薄いベールを幾枚も間にひかれ、曖昧なシルエットを見ているかのように曖昧で、不定だ。
そこに居るのに、そこに居ない。
ここに居ないのに、ここに居る。
不安定な揺らめきのように、夏の水たまりに生まれた陽炎のようにしか感じられない。
(もしかして、ゆうれいとかかな)
かつて夜に流星群を見ようとベッドを抜け出した時に、夜の山を一人でうろつくと御霊に昇れなかった哀れな存在に捕まってしまうと母に言われた。薄い、青白い何かに引きずられていく自分を想像して怖くて泣いてしまった。あとになって、父と母が死んだ時に幽霊でもいいから傍に戻ってきてほしいと願い泣いたこともある。
エトネは幽霊の特徴として、触れないのと足が無い事を思い出す。
視線を下に向けると、ハヅミの綺麗な素足がボロ布から突き出ているのが見えた。手を伸ばしてハヅミの白い肌に触れると、まるで動物の腹のように柔らかな手触りが返って来る。
「なーに。触りっこ? お返しだ!」
ハヅミが同じようにエトネに触れてくる。その手は少しだけ冷たくもあったが、同時に生身の温もりを感じていた。ハヅミは幽霊じゃないとエトネは確信した。
二人の少女はそのまま互いの頬を触り、楽しくなってきたのかそのまま芝生の上をもつれるように転がった。特にハヅミはエトネの体に触れるのがお気に入りになったのか、髪を触り、肩を触り、尾を触る。
「くすぐったいよ、もう」
「ジッとしてなさいよ。ああ、もふもふ。もふもふ」
エトネの尾の毛触りを堪能するハヅミの表情は恍惚に緩んでいる。尻尾にも感覚があるため常にくすぐられているような状況のエトネは頬を緩めながら―――思い出した。
自分がココで何をしに来ていたのかを。
「ああっ! わすれてた!」
「きゃあ。どうしたのよ、エトネ」
急に立ち上がったエトネにはね飛ばされたハヅミは抗議の声を上げるが、エトネに構っている余裕はなかった。彼女は自分が落としたナギバチの巣をほったらかしにしていたのを思い出していた。
慌てて巣のある方向へ走り出したエトネだが、直ぐに足を止める事になる。なぜなら行く手を阻むようにナギバチが隊列を組んでいたのだ。巣には近づけさせないという意思がハッキリと表れている。
本来なら、大人しく臆病なナギバチなのに、ここまで好戦的になったのは巣を攻撃されたからだろう。彼らにとって女王蜂が卵を産む巣は唯一無二の存在。それが落とされた以上、次の巣を作るまで今の巣を外敵から守る必要があった。
(やっちゃった。ナギバチをおこらせちゃったよ)
エトネは途方に暮れた。
元々の計画では蜂の巣を掴んだらそのまま虫かごに放り込んで、この場を逃げ出すつもりだった。巣の中に居る女王蜂を含めた全てのナギバチを巣ごとレティに渡すつもりだった。虫取り網を持っていないエトネにしてみれば、それが一度に多数を捕まえる方法だったのだ。
それが、こうも警戒されてしまえばその作戦は使えない。そもそも巣から飛び出して蜂は興奮状態に陥った。いまさら巣を回収しても意味はあまりない。
(こうなったら、べつのナギバチのすをさがして、そっちをつかまえようかな)
ナギバチの巣が敷地の林に都合よくあるかどうかは不明だが、これ以上ここに居てもどうにもならない。そう考えて踵を返そうとするエトネをハヅミが止めた。
「ねえ、ねえ。エトネはあの虫を捕まえたいの」
「うん。そうなんだけど、おこらせちゃったからあきらめないと。べつのすをさがそうとおもうんだ」
「ふーん。それって誰かに頼まれた事なの」
ハヅミの意図が分からないエトネだが、彼女に肯定するように首を振った。
「それじゃ、虫を捕まえたら、一緒に遊ぶ時間はあるかな?」
「うん。あるよ。なにしろ、ふねがくるまでへいのむこうにはでられないんだもの」
「そうか。そうなんだ。うん、わかった」
一人で納得したハヅミ何度も頷くと、両手を前に伸ばした。それだけで周囲の空気が変わり、エトネの肌が粟立つ。
「それじゃ、手伝うから、一緒に遊ぼうよ」
一方的に、エトネの返事を待たずにハヅミは言うと、前に伸ばした手を合わせた。ぱん、と乾いた音が周囲に響き、直後異変が起きる。隊列を組んで巣を守っていたナギバチが一斉に落ちたのだ。見えない重りに引きずられるように、芝生へと落下した。唖然としてしまうエトネに対して、ハヅミはナギバチに近寄り、小さな胴体を摘まんでみせる。
「ほら。いまなら大人しいから集めようよ」
あっけらかんと、いましがた起きた異変に何の疑問を挟まない姿にエトネは言葉に出来ない違和感を覚えた。今のが魔法なのか、技能なのか、技術なのか、それとも単なる偶然なのか分からない。だけど現実として、ハヅミが手を叩いた直後に百を超えるナギバチが一斉に生きた状態で落ちたのは間違いない。
二人で虫かごにナギバチを放り込みながら、ハヅミを盗み見るエトネ。無造作に蜂を掴み、気持ち悪いねと声を掛けてくる彼女に敵意も悪意も感じない。ひたすらに曖昧な存在だとしか理解できなかった。
「レティおねいちゃん。捕まえて来たよ」
「え? もう捕まえて来たの? 早かったね」
鉢に乾燥させた葉と生の実を入れ潰していたレティは自分を呼ぶ声に作業を止め振り返った。温室の入り口で虫かごを掲げるエトネを見つけて、驚きの声を上げた。
多種多様な植物が栽培されている温室はレティにしてみれば宝の山だ。他大陸に咲いている花や、時季外れにつけた実など夏には採れないはずの草花が温室には集まっていた。これはスヴェンの趣味という訳でなく、有事の際に王子の身を助けるだけの薬草をいつでも手元に置いておくと言ういわば保険的な意味合いがあった。
もっとも、温室の来歴なんてレティには興味が無く、彼女はエルフの里で教わったレシピを元に戦闘で使える麻痺毒や意識の混濁を促す薬を調合していた。エトネのクロスボウと掛け合わせればきっと役に立つと思ったのだ。
エトネに集めて貰いに行ったナギバチの毒も、それらを作成する為に必要な材料だ。もっとも、三十と失敗を想定して多めの数を伝えていたから、もう少し時間がかかると思っていただけに驚いていた。
しかし、本当に驚いたのは彼女が持ってきた虫かごを見てからだった。
「な……なにこれ!?」
温室にレティの悲鳴まじりの驚愕が響き渡る。
なにしろ、レティが持ってきた虫かごは分厚い辞書を四つか五つほど重ね合わせた、虫かごにしては大き目の部類にあたる。あとになって知ったのだが、虫かごは虫かごだが、虫を生かしたまま飼育することを目的としおり、土や枯葉、木などを入れる為に大きかった。
その大きめの虫かごの中は黒と黄色のまだら模様で一杯だった。木を編んで作られた虫かごの隙間から直接蜂の羽ばたく音が響き、狂気じみた騒音が響いていた。
レティが頼んだのは三十だったが、少なくとも四十や五十では済まない数だ。
「い、一体全体どれだけ捕まえたのよ!」
「うーんと百ぐらい」
「ひゃく!!」
想定外の数に思わず舌を噛みそうになった。エトネは瞳を輝かせながら、
「おおいほうがおねいちゃんのやくにたつとおもったの。ほんとうは、もっととれそうだったけど、むしかごがいっぱいになっちゃったの」
と、無邪気に言う。自分がとんでもない数を捕まえたという意識は無く、ただひたすらにレティの役に立てたという喜びに溢れていた。そんなエトネに捕まえすぎだという事は出来ないレティは曖昧な表情を浮かべてしまう。
「……もしかして、こんなにいらなかったかな」
レティの表情からエトネは自分が何か間違えたのかと不安そうになってしまう。慌ててレティは首を振った。
「そんなことないよ。一杯とってくれて本当にありがとうね。こんなに沢山、一人でとって大変だったんじゃないかなって思ったの」
「ううん。エトネ一人じゃないよ」
「そうなの。誰かと一緒に取ったのかしら」
うん、と頷いたエトネ。レティは屋敷のメイドにでも協力してもらったのかと思うが、温室にはエトネ以外誰も居なかった。
「ハヅミってこといっしょにとったの。このあといっしょにあそぶやくそくしてて、またせてるの。行ってもいい?」
「もちろんよ。でも、暑いから水を飲むのを忘れないでね。そのハヅミって子にも飲むように言ってね」
「はーい!」
元気よく温室を飛び出すエトネを見送り、レティは自らに気合を入れるように頬を叩いた。なぜなら今から百匹近いナギバチを逃がさないように取り出し、毒袋を取り出すという作業に取り掛かるのだ。厄介な事に、蜂の牙が虫かごを削り切る前に終わらせないと、この温室が蜂の住処になってしまう。レティのたった一人の戦いが始まろうとしていた。
温室を揃って飛び出したエトネとハヅミは二人仲良く遊んだ。花壇から花をこっそり抜いて花輪を作り、庭園迷路を一緒に探索して、シアトラ村に居た時にレイから教わった鬼ごっこやかくれんぼ。達磨さんが転んだなどをして過ごした。二人しかいないがそれでもハヅミが溢れんばかりの笑みを絶やさないのを見て、つられてエトネも楽しんでいた。彼女に抱いていた違和感なんて吹き飛んでしまうほどに。
だけど、何にだって終わりは来る。楽しい時間ほど過ぎ去るのはあっという間だ。いつの間にか辺りは暗くなり、空は赤らんでいた。
「もう、かえらないと」
見上げた空から屋敷に戻る時間だとエトネは言う。だけど、ハヅミは不満そうに唇を尖らせた。
「えー。もう帰っちゃうの」
「うん。おにいちゃんとやくそくしたの。そらがくらくなったら、やしきにかえろうって」
「ぶー。ぶー。そのおにいちゃんってのと、私。どっちが大切なの!」
ハヅミの問いにエトネは面喰ってしまう。会ったばかりだと言うに、ハヅミとは親しくなっていた。未だに彼女の不安定さは感じる物の、それとは別に彼女が傍にいると安心できたのだ。まるで故郷の山に居るかのような、懐かしさを感じていた。
だけど、レイやレティたちと共にいるのは別の安らぎを感じていた。血の繋がっていない家族のように、父と母と過ごした時と同じぐらいの温かさを感じていた。
その両者を比べて優劣を決めるのはエトネに出来なかった。必死に考え込むエトネにハヅミは噴き出してしまう。
「冗談よ、冗談。少しだけからかいたくなったのよ。だって、おにいちゃんって言った時や、さっきのレティとかいう子と話している時のあなた、すっごく楽しそうだったもの。ちょっとやいちゃった」
言うとハヅミは立ち上がり、服に付いた草を払う。そして満面の笑みをエトネに向けた。
「楽しかった。こんなに楽しかったのは久しぶりよ。ありがとうね、エトネ」
「こっちこそ、たのしかった。ありがとう、ハヅミ」
「……ねえ、エトネ。あなた、明日もここに来れる? まだ遊べるかな?」
一転して不安そうな顔をするハヅミにエトネは大丈夫と返した。
「みっかごにはでちゃうけど、あしたはここにいるよ。だからいっしょにあそべるよ」
「本当! 本当に本当なのかしら!」
コロコロと表情が変わるハヅミはまたしても笑みを浮かべるとレティの手を握った。何度も本当と尋ねる彼女に、レティはある事を思い出した。
「ほんとうだよ。なんなら、ゆびきりをしようか」
「指切り? 指なんか切ってもいらないけど……エトネがくれるなら貰うわよ」
さらりと血腥い返しが来た。エトネは首が千切れそうなぐらい横に振るとレイから教わった指切りを説明する。
「やくそくをまもるおまじない。こゆびをだして」
ハヅミが小指を立たせると、エトネは自分の小指を絡める。
「いっしょにいって。ゆーびきーりげんまーん。うそついたら針千本のーます。ゆびきった」
「ゆーびきーりげんまーん。うそついたら針千本のーます。指きった」
「うん。これでやくそくだよ。明日もあそぼうね」
絡めていた指を名残惜しそうに離したハヅミだが、エトネの言葉に嬉しそうに頷いた。するとその時、遠くの方からエトネを呼ぶ声がした。
「エトネー! そろそろ屋敷に戻りなさーい」
レイだ。広い庭園の何処かに居るエトネに向けて声を掛けているのだろう。大きな声が辺りに響いていた。
「おにいちゃんだ。エトネ、行かなきゃ」
エトネがレイの方を振り向こうとして、しかし、ハヅミに止められてしまう。エトネの手を掴んだハヅミはどこか驚いたような様子で声のする方を見ていた。あまり明かりの無い庭園においてレイの姿はエトネの目をもってしてもシルエットでしか見えない。
それなのに。
「ねえ。あなたのいうおにいちゃんって、あの黒髪の子なの」
ハヅミはレイの髪色をはっきりと言い当てた。
「う、うん。そうだけど、それがどうかしたの」
「……ううん。何でもないよ。……ただ、世の中って上手くできてるんだなって思ったの」
エトネの手を離したハヅミは誤魔化すように笑い、そしてエトネに聞こえないほど小さな声で呟いた。
「私を呼んだのは赤龍とあの時の少年ってことなんだ。本当によくできてるよ」
エトネの耳にも微かにしか聞こえなかったそれは、夜の訪れとともに現れた闇に飲み込まれて消える。
「なにか……いった?」
「なんでもないよ。それじゃ、また明日。エトネ」
ハヅミはエトネに向かって手を振ると、闇に向かって走り出した。そのまま闇に隠れるように彼女の姿は消えてしまった。辺りに人の気配はせず、まるで最初からハヅミという存在が居なかったかのように。
だけど、小指を絡めた時の感触は残っていた。確かに、そこに彼女は居たのだと。
「おーい。エトネー! 早く帰って来いよー」
「いまいくよ、おにいちゃん!」
レイに向かって叫んだエトネは、今日の夕食の席でハヅミの、新しい友達の事を一杯話そうと決めた。兄と慕う少年の元へ駆け寄る少女の事を見ていたのは空に降り立った星と月―――だけではなかった。
スヴェンの屋敷。その広大な敷地のさらに外から、悪意を持って監視している者達が、レイの元へ駆け寄る少女の姿を無機質な、ガラスのような瞳で追いかけていた。
読んで下さって、ありがとうございます。




