1-25 旅の始まり
※7/26 空行と一部訂正。
武器屋を後にして向かったのは安さが売りの道具屋。相変わらず不気味で強欲な婆さんとの舌戦に勝利した僕は道具屋にて回復アイテムを補給した。
一応、世話になった礼を言いつつ、店を出る。
埃っぽく陰気な店から大通りに一歩出るだけで生き返った気がする。大きく深呼吸をして新鮮な空気を取り込む。
(これで回るべきところは回ったな)
頭の隅にアイナさんの姿が浮かぶ。
しかし、時間が無い。
振り払うように頭を振って、道の端で装備品や鞄の中身を確認する。
鞄の中には向こうの世界での衣服や、靴が底に畳まれて置かれている。その上に剣や鎧の双頭のバジリスクとの戦いで得た杖などが入っている。そして、一番重要な魔人の血が入っている瓶を布で何重にも包み、一番上に置く。
腰のポーチには先程購入したポーションが一式入っている。
それらの荷物を確認してから、僕は正門に向かった。
正門は昼を過ぎてなお混雑している。街に出入りする商人や冒険者の往来で道は混み、特に街に入る人物には門番がいちいちチェックをしている。
大変な賑わいだなと思いつつ、僕は『紅蓮の旅団』の人間か、ジェロニモさんの姿を目で追う。
すると、見覚えのある赤い髪を人の流れの向こうに見つけた。
僕は人を掻き分けて、ファルナの方へと近づいた。
「水と食料は三番目の馬車に積んで! 先頭の馬車にはあまり物を詰めずに、二番目と四番目の馬車に振り分けて!」
大通りの端、エルドラド共通文字で馬屋と書かれた店の前に『紅蓮の旅団』の冒険者や商人風の大人たちへ忙しそうに指示を飛ばしている。指示を受けた大人たちは馬を繋げた四つの馬車に荷物を積む。僕が声をかけるのを躊躇していると団員が僕の存在をファルナに知らせた。
振り向いた彼女は大股で僕に近づくと、いきなり手を握る。
「何やってんだよレイ! 暇なら手伝ってくれ!」
「わ、分かったよ」
驚いて硬直する僕に有無を言わさない勢いで引きずられる。結局、彼らと共に肉体労働に勤しむことになる。
「とりあえず、水の入った樽を三番目の馬車に詰めてくれ」
ファルナの指示通りに、水の入った樽を抱えては馬車に詰め込む。
「やるな、坊主。さすがに子供でも冒険者は違うねぇ」
1人で樽を持ち上げるのを見ていた商人が僕に声をかけた。
たしかに、彼らは二人から三人がかりで樽を持ち上げている。一方で冒険者たちは大体一人で運んでいる。
この差は、やはりレベルアップ時のボーナスによるステータスの差だろうと思う。
僕は黙々と作業を続けると、水の入った樽は瞬く間に積み終わる。次は何を運ぼうかと思案しているとファルナから声をかけられた。
「水が運び終わったら、次は携帯食料の木箱を頼む」
「りょーかい」
気の抜けた返事を返すと、鋭い目で睨まれる。おっかないおっかないとボヤキながら木箱を積み込む。箱の側面にはエルドラド共通文字で干し肉だの、干物だのと書かれている。
どうやら三番目の馬車は生活必需品が積まれている。水や食料だけでなく、それらを調理する道具や何に使うか分からない道具が馬車のあちこちに積んである。
「それにしても、一体何人で移動するんだろ?」
すでに幌のついた馬車の半分を木箱や樽で埋めている。この広さだと大の大人が4、5人が乗ったら一杯になってしまう。
他の馬車も中を覗いたわけでは無いが、おそらく似たような感じだろう。馬車に乗れるのは多めに見積もって20人。一方、荷物の手配や積み込みをしている『紅蓮の旅団』の冒険者や商人風の男たちは合計すると30人は超える。
かといってここの水や食料の量では30人どころか20人を十二日分もの旅の間賄える量は無いように見える。
「どうした、レイ? 体が痛むか?」
馬車の中でぼうとしていた僕を心配そうにファルナが声をかける。僕は彼女に大丈夫、と返事をしてから疑問をぶつけてみた。
彼女はああ、と言ってから馬車の中に乗り込んでくる。
「このキャラバンは全部合わせて15人ぐらいで出発するのさ。馬車四台に馬上からの偵察と護衛を兼ねたのが三騎、外側から隊列を護衛するんだ。それにこの水や食料は五日分だけさ」
「五日ってことは」
「そう。ここから東の方にあるカラバの港町にて船に乗り込むんだ。そこまでの分の必要な量をここに積んでるわけ。分かったか?」
したり顔で締めくくる。説明を受けて、納得いった。最初から十二日分の水や食料を積み込むはずもないか。
だけど、今度は別の疑問が生まれた。
「それじゃ、残りの人たちはネーデに置いていくの?」
「そういう事になる。残りのメンバーは後発部隊の増員として残していくんだ。少なく見積もってもこれと同じ規模のキャラバンがあと二回はネーデを出発するから、そっちに回されるんだ」
「ああ、成程ね」
僕が頷くと、ファルナが急に赤くなりながら口を開いた。
「あー……ちなみにアンタとアタシは一緒のグループだから。……よろしくな」
「ん? こっちこそよろしくね」
僕が普通に返すと、何故だか彼女は眦を上げて、急に不機嫌そうに馬車を降りていく。
「なんだあれ? ……よく分からんな?」
急に不機嫌になった彼女の背中を見ながら僕は首を傾げた。
「おーい! 誰か! こいつの積み込みを頼む!」
すると、馬車の外から大きな声が聞こえてきた。僕は馬車を降りて、声の方へと向かった。
数人の商人が汗を流し、息を荒げて地面に倒れふす。彼らの傍に木の台車が置かれていた。どうやらこれを運ぶのに全力を費やしたようだ。
その台車に積まれた異様な木箱は人が二人から三人は入りそうな大きさで、一部分台車からはみ出している。異様なのはその大きさでは無い。木箱を封印する様に何重にも巻かれた鎖。側面には札のような物が貼られ、開封したら一目で分かるようにしてある。
「……何だこりゃ」
「おう、坊主。ちょっと手伝ってくれや」
その異様な木箱を呆けた様に見ていると、僕の肩が叩かれた。狼の獣人種が背後から木箱へと駆けていく。たしか打ち上げに参加していた『紅蓮の旅団』の冒険者だ。
名前はカーティスと呼ばれていた。
打ち上げの席で僕の前に座り、しきりに声をかけてくれた気の良さそうな人だ。呼び捨てでいいとも言ってくれた。
「すいません。いま、行きます」
謝りつつ、カーティスと協力して木箱を持ち上げる。木箱は重く両の手に力を込めてやっと持ち上がるが、僕の方が下に下がりバランスが悪くなる。
「おーい! お前らも協力しろ!」
カーティスが馬車の周囲にたむろっている『紅蓮の旅団』の冒険者たちに声をかけた。しかし、彼らは動きが遅く、何よりも僕を見るとあからさまに嫌そうな顔を向けた。
その内、別の馬車で積み込みを終えた冒険者たちが彼らよりも素早く木箱に駆け寄り力を貸してくれる。
「冒険者さんたち! そいつは二番目の馬車に積み込んでくれ」
「了解。お前ら、二番目の馬車だ」
地面に倒れこんでいる商人が指示した馬車へと木箱を運ぶ。その馬車の横にはリストらしき紙と商品を照らし合わせているジェロニモさんが居た。
彼はこの木箱を見ると、馬車を覗きこむ。
「その木箱は寝かした状態で置いて下さい! 気をつけてくださいよ。なにせそれが一番高値で売れますから」
そう言わると、木箱を持つ男たちに緊張が走る。傷一つつけない様に慎重に木箱を馬車に積み込んだ。
無事に馬車に積み込むとカーティスは胸をなで下ろした。
「まったく。……こいつの中は何だろうな、レイ?」
「随分重いですよね。香辛料や食べ物じゃ無くて、何か鉄製の物……かな?」
「むしろ気になるのが、この鎖と札だ。まるで開けるのを怖がっているようじゃないか」
僕らは不吉な予感を感じながら馬車を降りた。すると、カーティスが急に頭を下げる。彼の唐突な行動に僕は驚いて足を止めた。
「ちょっと……急にどうしたんですか?」
周りを見回して誰にも見られていないか確認する。誰かに見られたらややこしい事になる。幸い周りはこちらを見る余裕は無いようだ。
「すまんな、レイ。さっきの奴らの態度」
言われて、一瞬僕は何のことを言われたか分からなかった。
恐らく彼が言いたいのは先程の動きが遅かった冒険者たちの事だろうと推測する。たしかに、あれは変だったなと思う。
「実はアイツら、俺と同じで居残り組なんだ」
顔を上げた狼男は申し訳なさそうな表情を浮かべて続ける。
「今回の先発隊の編成は俺を除いた打ち上げに参加したメンツ……つまりネーデに居る『紅蓮の旅団』の強いメンツで構成される。多分理由はあれの防衛を確実にするためだろう」
彼は今積み込んだ木箱を顎で示す。
「残りは二回目、三回目のキャラバンに振り分けられる。つまり、一番重要な防御を任すには力不足を宣告されたんだ。ところが団長の鶴の一声でレイが先発隊に組み込まれたのを……まあ、なんだ」
「気に入らないんですね」
「お前……言い難いことをズバッと言うなー」
呆れた様に僕を見るカーティス。彼らの気持ちも分からなくない。なんだかんだ言って僕はまだF級の冒険者。レベルも20台。彼らにしてみると気にくわないどころではないだろう。
「ちなみにカーティスはどう思ってる?」
「俺か? 俺は最初から後発隊の責任者だからどっち道、残留が決まってたからな。別に気にならんかな」
あっけらかんと彼は言う。その明るい態度に僕は笑ってしまう。
「笑うなよ。……アイツらはファルナとよくパーティーを組んでいる若手の奴らだから、余計に頭に来たんだろうな」
「ああ。つまりオルドやファルナに団員でもない僕が親しくしているのが余計に気に入らないんですね」
「……本当にお前って奴は……」
カーティスは開いた口が塞がらないといった具合だ。
その時、ファルナが馬車の陰から飛び出してきた。
「ああ、レイ。ここに居たのか」
飛び出してきた彼女はまた眦が吊り上がり、唇を尖らして怒っている様だ。
「どうかした、ファルナ」
「アンタに客だよ」
指で示した方に首を向けると、人ごみの中で息を切らせて立ちすくむアイナさんが居た。
「同僚からレイ君が出発するって聞いたので急いで来たんです」
僕はファルナに許可を貰って、アイナさんを連れて馬車から少し離れた所に連れてくる。
休日だからかアイナさんはいつものギルドの制服では無い。黒のロングスカートに上は白のニットとシンプルだけど女性らしい姿だ。
「急にオルドから話を貰って。こういうのは巡り合わせかなと思って受ける事にしたんです」
「そうですか……体の方は大丈夫ですか。……急に出発が決まりましたけど」
心配そうな彼女に対して、僕は頷く。
「二日も寝ていましたから、元気ですよ」
「……そうですか。それは……良かったですね」
綺麗な彼女の顔に影が差す、しばらく何か言葉を探しては見つからなそうに唇が開けたり閉じたりを繰り返す。いつもの明朗な彼女にしては妙な態度だ。
「アイナさん?」
僕が声をかけると、彼女は悲しそうに笑う。
「すいません。レイ君を引き留める理由を考えたんですけど……ごめんなさい。折角の出発なのに水を差すような真似して」
彼女は眼の端に溜まった涙を拭いさる。僕はそんな彼女に掛けれる言葉が見つからない。
涙を拭い、次に顔を上げた時には少しだけ明るくなっている。
「レイ君の願いが一つ、叶いましたね」
「―――そうですね」
―――世界を見たい。
確かに、彼女に言ったのを思い出す。
異世界エルドラドを見て回りたいと。
「それに、この街も初心者の街とは言えなくなりますしね」
ギルド長が言っていた事が思い出される。迷宮の難易度が上がると、僕のレベルだと普通に潜るのも難しくなる。
今回の話を受けなくてもネーデの街を離れるのはそう遠くないことだった。
「レイ君にとってこのタイミングで街を離れるのは運命なのかも」
彼女は続ける。
「それでも、自分の手に負えない、無茶な事はしないでくださいね。ちゃんと自分の命を大切にしてください」
真剣に、目を見つめられて言われる。真剣な彼女に対して僕も真剣に頷いて返事をする。
安心したかのように頬を緩ませるとアイナさんは思い出したように口を開く。
「……それで、あの。その後はどうするか決めてるんですか?」
「どうって?」
急に口ごもりながら切り出しにくい風に口を開いたアイナさん。要領が掴めずに僕は聞き返してしまう。
「その。シュウ王国の仕事が終わったら、如何するとか、どこに行くとか。例えば『紅蓮の旅団』に加入するとかするんですか?」
彼女に言われてそんな選択肢もあるのかと思った。
だけど、それは無いと思う。
やはり、ゲオルギウスとの戦いでつくづく実感した。
僕に誰かの命を見捨てる覚悟は無い。もし、この先、目の前でファルナやオルドが死んだら、また《トライ&エラー》を使って、彼らを助けようとする。結果、どれだけ強い相手にも挑んでしまうだろう。今回はたまたま上手くいったが、もしかすると、今度は彼らの命を見捨てる結果になるかもしれない。
これでは本末転倒だ。
もし、僕が誰かと共に旅をするなら、その人を何が何でも死なせない覚悟が要る。
絶対に折れない鋼の覚悟が。
「この先は分かりません。それに折角違う大陸に向かうから、しばらくは諸国を巡ってみるのも面白いかもしれません」
心情を正直に述べたつもりだったが何故だかアイナさんはがっくりと肩を落とす。
「まあ、それでもいつかはここに顔を出しますよ。成長した僕をアイナさんに見てもらいます。アイナさんはここに居ますよね?」
「―――はい。成長したレイ君をずっと待ってますよ」
雨雲から太陽が現れた様な笑顔を浮かべるアイナさん。僕はしばらくその笑顔に見惚れてしまう。
「おい、レイ! 荷物の積み込みが終わったから出るぞ!」
硬直していた僕を叩くような声量でファルナが叫んだ。振り返ると、僕の見間違いだろうか? 赤いオーラを纏いながら不機嫌そうな表情でこちらを睨む赤鬼が居た。
「邪魔しちゃ悪いぜ、お嬢」
「あらあら。可愛いわね、ファルナ」
そんなファルナの後ろでからかう様な笑みを浮かべて眺めるカーティスとロータスさんが立っている。
僕は分かったと大きな声でファルナに返してから、アイナさんに向き合う。
「それじゃ、僕は行きます」
アイナさんは背筋をピンと伸ばすと深々とお辞儀をする。ここが人の往来で賑わう大通りでは無くいつものギルドのような錯覚を感じた。
「それではいってらっしゃいませ。道中の無事を祈ってます」
「はい、行ってきます。アイナさんもお体に気をつけて」
アイナさんなりの激励を受けて、僕は彼女に頭を下げると馬車へと駆けていく。
「ごめん、待たせた」
不機嫌そうなファルナは鼻を鳴らすと僕の手を握り引っ張る。
先頭の車両の横で木箱の上に立つオルドを囲う様に『紅蓮の旅団』の冒険者や商人が輪のように集まる。
僕らもその輪に加わった。
「全員そろったな。……まず俺たち先遣隊はカラバの港町に向かう。後発隊は明後日以降に着くキャラバンにて後から来い! 指揮はカーティスに任す。頼んだぞ、カーティス!」
皆の視線が輪の中のカーティスに向かう。彼は太い腕で胸を力強く打つ。
「了解だぜ! 団長!」
威勢のある男の返事に満足そうにうなずくとオルドは口を開く。
「それじゃあ、先発隊! ロータスの指示に従い馬車に搭乗! 出発だぞ!」
「「「おお!!」」」
冒険者たちの雄叫びに満足そうに頷くとオルドは木箱から下りる。
代わりに木箱に乗ったロータスさんが手にした紙に目線を落として誰がどの馬車に乗るのか説明していく。
「アタシらは四台目だよ」
事前に知らされていたのかファルナは僕の手を引っ張っていく。抵抗するだけ無駄だとわかり始めた。
最後尾の馬車に乗ると、冒険者達が馬車に乗り込み、御者が手綱を握る。
先頭の馬車が正門へと向けて動き出した。
続いて二台目、三台目の馬車が動くと、僕らの乗る馬車も動き出した。僕はそっと閉じた幌を開ける。
動き出した馬車を見送る列に『紅蓮の旅団』の冒険者や商人たちに交じりアイナさんが居た。
アイナさんと目が合うと彼女は手を振る。薄く笑いながら、僕が初めて見た、人を安心させるような笑みを浮かべている。
「行ってきます! アイナさん!」
僕は彼女に向かって手を振った。
どんどん彼女との距離が広がる。小さくなっていく彼女の姿は正門をくぐると人の波に飲まれて見えなくなった。
こうして、僕はネーデの街に別れを告げて、旅立つ。
向かうは東。精霊祭に沸くシュウ王国へと向かった。
まだ、見ぬ地に希望を抱きつつ、馬車は街道を進む。
荘厳な星々の天井。ひんやりと冷たい空気が流れる。
空席のある円卓に座る神々は空中に浮かんだ窓から全てを鑑賞していた。
レイがエルドラドの地に降り立ち、ネーデの街を旅立つ瞬間までを。
森で死に、迷宮で死に、魔人で死に。
死ぬたびに世界の時間が巻き戻るのを彼らは見ていた。
ふと、乾いた音がドームの中に響く。神々の視線は音の発生源へと向けられた。
青い髪を目元まで伸ばした魂の神、サートゥルヌスが拍手をしていた。
まるで上等な演劇を鑑賞した観客のように。唯一露出している口元を歪ませて、歓喜を表すように手を打つ。
「すばらしい結果になりましたな、御一同!」
大げさな身振りで、円卓に座る神々に語り掛ける。
「特異すぎる特殊技能に折れない鋼の心。人を助ける覚悟は無いと言っておきながら自らを省みず死地へと向かう勇敢さ。まさに救世主候補に相応しい人間でした」
「……たしかにな。オレは気に入ったぜ。特に諦めが悪い所が良いぜ」
サートゥルヌスの発言に拳を振りかざして同意を示す火の神、プロメテウス。だが隣席に座る水の神、オケアニスはその美貌を曇らせる。
「しかし、使い勝手の悪い技能ではありませんか。時を巻き戻すと言うのは便利ですが……今までの救世主候補とは何か違いすぎる気がしますわ」
席に着く一堂に疑問を投げかける。彼らもまた頷き、同意を示す。
「時の神、クロノスよ。貴様の意見が聞きたい」
一際重厚な男の声が響く。クロノスの正面に座る光の神が発言した。
「……おそらく、御厨玲が生者なのが原因だと思われます」
窓に映るレイから彼女は視線を外さない。その美貌は眉尻を下げ表情は暗く、悲痛さを感じさせる。
「彼の本当の肉体は瀕死とはいえ生きております。故に、エルドラドの彼が死ぬと、本来なら、こちらの彼の肉体も死ぬはずです。しかし、ここはエルドラドの上位世界。あちら側よりこちらの方が世界に対する影響力は強い」
彼女は自分の考えに間違いがないかを確かめるように語る。
「結果、生きているのに死んでいるという矛盾を修正しようとする力があちら側の彼に働いているのでしょう」
「こちらの肉体が生きている限り起きる、生者であるがゆえに手に入れた力というわけか」
「確かに、これまでの救世主候補は皆、死者だった。まさかこのような現象が起きるとは誰にも予測できませんでしたわね」
心の底から驚いている風にオケアニスは言う。だが、サートゥルヌスだけは手元の窓を操作し、何かを発見したのか、苦笑いを浮かべる。
「ですが、一概にメリットだけとは限りませんね」
「どういう意味だ。魂の神、サートゥルヌスよ」
光の神が問いかけると、サートゥルヌスは黙って、自分の見ている窓を円卓の中央で拡大させる。彼らの視線がそこに集まり、なるほど、といった風に頷いた。
その窓には複数のグラフが描かれており、ある項目だけが極端に突出している。
「たしかに。これはデメリットと言うに相応しいな」
「もっともこれを差し引いても、最後の救世主候補としては破格の力を得たと言えますね」
「おいおい、サートゥルヌス。最後じゃないだろ? まだ、アイツが居る」
プロメテウスは顎で空席の1つを指す。
「おっと失礼。そういえばもう一人救世主候補が存命しておりましたね。……これはもしかすると救世主候補同士の戦いが再びエルドラドで起こるかもしれませんね」
楽しそうにサートゥルヌスは言う。
「とにかく」
光の神が口を開く。居並ぶ神々は彼へと視線を向けた。
「この者が残り少ない救世主候補であるのは確かだ。そしてこの者に続く救世主候補も居らぬ。これからもこの者の動向を見ておくように」
そう言うと、光の神は溶ける様に空間から消えた。
それを合図に、他の神々も円卓から姿を消す。
最後に残ったのはサートゥルヌスとクロノスの二柱だけだった
「……どうかしたのか、クロノス」
悲痛そうに俯く妹に、兄としてサートゥルヌスは問いかける。
「兄さん、私は間違えたのかな」
ぽろぽろと大粒の涙を流す妹に彼は黙っていた。
「私はただ、異世界エルドラドという素敵な世界があった事を誰かに覚えてほしかっただけなのに。なんでこんな厳しい試練を彼に与える事になったの!?」
円卓に彼女の怒声が響く。感情を爆発させたクロノスはサートゥルヌスを睨む。
その視線から目を逸らし、窓に映るレイをサートゥルヌスは見ている。
「仕方あるまい。賽は投げられた。……彼の明日はもう私達にも分からない」
サートゥルヌスも他の神と同じように溶ける様に消えた。残されたクロノスの嗚咽が星々のドームに虚しく響くだけだった。
いつも読んで下さって、ありがとうございます。
これにて第一章は終わりとなります。次回の更新は少し間を開けて、来週七月二十七日を予定しております。
その間に第二章の制作と並行して、第一章の手直しを進めます。他の作家さんの作品を読んで自分の物の読みづらさを痛感しましたので全体的に直します。その際に誤字脱字の直しもしますので、ご指摘があったら幸いです。




