5-43 シアラの告白 『前編』
青い月光が窓から飛び込み、室内を淡く照らす。二段ベッドがそれぞれ壁の両側にある、シアトラ村でも大きく新しめの家屋。その二階。子供用の寝室なのか、ベッドのサイズは小さくレティやエトネにはちょうど良くても、レイやリザには少々小さい。足を延ばせば、あと少しでベッドの足元に付きそうになる。
すやすやと穏やかな寝息を立てる女性陣とは違い、レイはか細いうめき声を上げている。レイの命令を受けたリザ達が地下室に降りた時、少年は全身の皮膚に中度の火傷を負っていた。誰が見ても危険な状態だった。特に危なかったのは下半身だった。ブーツは炭と変わり、脚甲が熱せられて、赤く輝いていた。むしろ、傷がある程度塞がっていたナリンザの方が状態としてはマシといえた。
すぐさま治療が開始された。
シアラの火傷用の治療魔法に、有事の際にと保管されていた村のポーションを使いきり、レティは精神力が空になっても《回復》を掛け続け、村人総出で集めた薬草を煮詰めて作った薬液を火傷に塗って。そこまでしてようやく危険な状態を脱したのだ。朝になりアマツマラから派遣された冒険者たちの中にいたヒーラーに後を任せてレティとシアラは意識を失った。
手厚い看病のお蔭で、薬液を浸した包帯の下では急速に新しい皮膚が生えていく。その際に体が負荷を受けて、痛みや熱を感じているとヒーラーは説明していた。呻いているのは、レイの体が回復しようとしている証拠だ。誰も手は出せない。
それでも、少しでも主の苦痛を和らげようと、看病役を買って出たシアラは水を張った桶に魔法で出した氷を沈め、タオルを冷水に浸ける。頃合いを見計らって取り出したタオルは冷たく、白い肌の指先が赤らむもシアラは気にした素振りも見せずに絞る。ぽたぽたと落ちる水滴の音。
シアラはタオルをレイの額に置いた。これがどれだけ役に立つのか分からないけど、やらないよりかずっとマシだ。
すると、そのレイに変化があった。
巻かれた包帯の隙間から、ゆっくりと瞼が持ち上がったのだ。
黒目が細かく動き、周りを見て、シアラの金色黒色の瞳とぶつかった。
「シアラ……僕は……えっと。ダリーシャスと会って、それで」
包帯で顎を押さえつけられているせいか、声がくぐもる。ダリーシャスの前で崩れ落ちるように倒れたため、記憶がぼやけているのかレイは混乱していた。そのまま起き上がろうとするレイの両肩を抑え、寝かせようとする。
「これ以上動いたら、今度こそ死んじゃうわよ。……今は夜で、主様が一度目を覚ましてから、丸一日が経っているわ」
「……一日。そうか。そんなに時間が経ったのか」
首を回して、窓から差し込む月明かりを見て、レイは驚いたように呟いた。シアラは水差しを取って水を飲むかと尋ねた。レイが頷くと、口元に水差しを持っていく。傾きに合わせて、水がレイの喉を通る。
水差しから口を離したレイはありがとう、とシアラに言う。だが、シアラは沈痛な表情を浮かべたまま、言葉少なく頷くだけだった。いつもの溌剌さが影を潜め、表情も暗闇の中でも冴えないのが分かる。水差しを床に置くと、シアラは口を閉ざしてしまう。
二人の間に重い沈黙が立ち込める。聞こえてくるのはリザ達の寝息だけだ。レイは自分の体が煮えたぎっているのを感じながらも、意識を失わないようにと堪えていた。シアラには聞きたいことが山のようにあった。おそらく、シアラも話したいことがあるのだろう。
金色黒色の瞳が、当てもなく彷徨いながらもレイの瞳と何度も交わる。互いに話の切り出し方が分からなかった。
しかし、いつまでも沈黙は続かない。
レイがかすれた声でシアラに尋ねた。
「あの後。ダリーシャスは、どうしてる?」
「……あの王子なら元気を取り戻したわ。表面上はね。今の時刻なら、下で寝てると思うわよ。扉を開けたら、きっといびきが聞こえてくるわよ」
「そいつはうるさそうだ」
寝ずの番をしていた頃に聞こえて来たダリーシャスのいびきは確かに大きかった。
「まったくよ。でも、主様と話をするまで、ナリンザ様の傍を離れようとせず一睡もしてなかったみたいだから、むしろホッとしたわ」
どうやら、ダリーシャスはダリーシャスなりに悲しみに折り合いをつけられた様だ。それが心の表面だけなのかどうかはレイには分からないが、それでも最初の一歩目を踏み出せたことは喜ばしい。
すると、レイはシアラの顔を見つめつつ、
「ごめんね」
「……急にどうしたの。何か謝るようなことをしたかしら」
短く謝罪を言うレイにシアラは動揺する。
「君たちの意見も聞かずに、あの人の護衛をするって事を決めちゃった事さ。本当にごめん」
暗殺者に狙われているダリーシャスを護衛するのはリスクが高い。レイ達がそれなりの場数を踏んだ冒険者だとしても、暗殺という畑違いのフィールドで経験を積んだ本職たちに敵うかどうか不明だ。彼らは何でもやる。毒を使い、武器を使い、人を使い、偶然すら使う。時も場所も選ばず、彼らは闇の中で獲物が隙を見せるのをじっと待つ。そして、一度条件が揃えば、彼らは襲ってくるだろう。
そんな危険な存在を相手取る事を勝手に決めたことを謝っていた。
ところがシアラは肩をすくめると、
「別に気にする事じゃないわ。主様が決めたことに、ワタシたちは従うわよ。それに、主様は決めたんでしょ。あの王子を首都まで連れていくって。ワタシたちが何て言っても止める気なんて無いんでしょ」
本心を言い当てられ、レイは沈黙するしかない。勝ち誇った顔を浮かべたシアラは告げた。
「なら、一緒に行くわよ。何処までもね」
「ありがとう。……リザ達には朝になってから、謝るよ」
「どうせ、リザ達も同じことを言うに決まってるわ」
得意げに笑うシアラに合わせて、レイも苦笑を浮かべた。もっともレイの頬は包帯に抑えられているので笑みというには不格好な姿だ。そして、再び二人の間に言葉が無くなった。レイは話題を探そうと視線を彼方此方へと彷徨わせた。
「えっと、そうだ。僕らが深層に辿りついたころ。皆は無事に戻れたんだよね。自警団の人やマリオンたちは無事に連れ帰れた」
レイの脳裏に自警団の青年二人と、子供二人の姿が蘇る。
「あいつ等ならピンピンしているわよ。そうそう。村長が、傷が治るまでは村に居て下さいって。子供たちだけじゃなく、自警団の二人を助けたのが良かったみたいね」
「そうか。……それじゃ、お言葉に甘えるとしますか」
シアラの言葉にレイは胸をなで下ろした。元々、レイ達が迷宮に潜った理由が子供たちの救出だ。おまけの様についてきた自警団の二人はともかくとして、子供たちが誰か一人でも怪我をしたり、死んでいたら、全てが無駄となっていた。
それこそナリンザの死すら無駄死にとなってしまう。子供たちの無事が、せめてもの救いだった。
三度、沈黙が両者の間に立ち込めると、レイは木目調の板を見つめながら覚悟を決めた。
シアラに白い少年の事を尋ねる、と。
『魔王』フィーニス。弱体化しているとはいえ、『七帝』の一体に君臨する怪物はシアラの事を知っていた。同族でなおかつ雑種だから知っていたのかもしれないが、奴は気になる事を言っていた。
―――昔々、あの子の母の悪戯で酷い目にあってね。
(僕はシアラの事を何一つ知らない。それでいいと思っていた。いつか、彼女の口から語られるまで待とうと決めていた)
だが、状況がそれを許さない。シアラの母がフィーニスにした何かのせいでシアラは氷漬けにされたのだ。ゲオルギウスを始めとした六将軍たちの怒りは凄まじかったはずだ。シアラが今も生きていることを『魔王』経由で知られれば、六将軍が襲ってくる可能性は高い。
シアラを見捨てる選択肢はあり得ない。そんな事、死んでも選ぶつもりは無かった。
だけど、真実を知らず、訳も分からないまま六将軍との戦いを始める訳にもいかない。
尋ねれば後戻りできない闇に足を踏み入れるかもしれないと、恐怖を抱きつつも、それでも知らなければ前に進めない。
レイが口を開こうとする―――前に、先にシアラが沈黙を破った。
「あのね、主様。……聞いて欲しい話があるの。……少し長くなるかもしれないけど、良いかしら」
どこか怯えたような、傷ついたような表情を浮かべたシアラが固い声色で言う。レイはその声の中に、シアラの強い覚悟を感じ取り、頷いた。
一度、大きく深呼吸したシアラは語り出す。
己が体に流れる血に纏わる因果を。
「ワタシの母はね。六将軍第三席カタリナ。六将軍でありながら、『魔王』を裏切った魔人種最大の嫌われ者なの」
唐突な告白に、レイは開いた口が塞がらなかった。混乱するレイに笑みをこぼしつつ、シアラは話を続けた。
「母……といってもそんなに会った事は無いんだけどね。記憶にもほとんど残っていない。滅多に帰って来ない人だったの。ワタシの幼少期は父があっという間に老いていく姿しかないわ」
「父親の方が人間種……ってことだよな」
「そうよ。父の名はアレクサンド。魔法使いだったけど、戦っている所は見たことが無かった。でも母と一緒に人龍戦役にも参加して名を馳せた有名人なのよ。……ああ、そうね。父親に懐いていたワタシは、一緒に戦えていた母を恨んでいたわ。ワタシもお父様と一緒に戦いたいって我儘を言っては困らせたわね」
床に腰を下ろすシアラはどこか遠くを見つめている。きっと、彼女の瞳には在りし日の光景が蘇っているのだろう。
「人龍戦役は文字通り、人間と龍が争った戦争。人間の中には魔人種も居たのよ。『魔王』に仕えし六将軍と、その旗のもとに集った魔人種たちは最強の部隊と呼ばれ、恐れられていたの。なにしろ、一騎当千の魔人種に加え、『魔王』も六将軍も魔石を体内に宿すことで魔人と化していた。……主様なら、説明しなくても魔人の強さを知っているでしょ。ゲオルギウスは席次こそ第二席だけど、実力だけなら六将軍随一。あれに及ばなくても、それに近い強さを持った化け物があと五人居たのよ」
『魔王』と聞くたびに、左目の下の傷口が疼いた。ナリンザを殺した少年の顔は決して忘れることは無い。レイはそういえば、とある疑問を口にした。
「そういえば、魔人ってなんなの。魔人種が魔石を取り込むと、どうしてあんな怪物みたいな力を使えるようになるんだ」
魔石とはモンスターの心臓とも言える核の事だ。エルドラドではその魔石から魔力を抽出することで生活を豊かにする科学技術が広がっていた。大きな街では灯りや浴場などを動かすエネルギーとして使われている。
「ワタシも詳しい事はよく知らいけど、魔石を食べる事でその中に詰まっている魔力を体内に取り込むことで、精神力とは別の種類の力を得るの。その代り、人の姿をした怪物となり、年すら取らなくなる。一種の不老になるのね」
レイはシアラの右目を注視した。暗闇でもはっきりと分かる金色の瞳は魔人の証だ。すると、レイの視線に気づいたシアラは慌てて、
「ワタシは違うわよ。この目は生まれつき。先祖返りだって言ったでしょ」
「それじゃ、君の母親。カタリナは魔人になってから君を産んだのかい」
推測を口にしたレイだが、しかし、シアラはそれを否定する。彼女は刹那の間、何かを躊躇った後、苦しそうな表情のまま話を続けた。
「母には父親が居た。当たり前だけど、人は木の股から生まれてこない。母親が居て、父親が居て、それで生まれてくるのは自然の摂理よね。……ワタシの右目はワタシの祖父から貰った物よ。母も魔人になる前は、同じように片目だけが金色だったて、祖父から聞いたわ」
祖父。
ありふれた単語なのに、レイにはとても不吉な響きに聞こえた。心臓が軋む様に痛むのは、決して怪我のせいや疲労の所為では無い。
熱を発する肌と裏腹に魂が冷えていく。
「祖父は……生まれつき……強い戦士だった。特殊技能を持って生まれ、それに驕ることなく研鑽を積み重ねていた。周りは祖父を英雄と見做した。この男なら、先細りしていく種を新たな場所へと連れていける指導者だと思い、託したの。種族全体の命運をね」
―――見たことも無い絵が脳裏に浮かぶ。
「純粋な魔人種として、まだ百歳と少しだった祖父は、民の期待に応えるべく、自らの体に魔石を埋め込み魔人となったの。魔人種を率いる、王となるべく魔人となったの」
―――強靭な戦士が民衆に支持され、覇を唱える姿。
「祖父は子を成した。それは女の子で、その娘もまた、娘を産んだの。それも人間種との間に。周りは怒ったし、嘆いたそうよ。自分たちの指導者の血を汚したと。でも、祖父は周りを沈めた。ほんの数回しか会ったことは無いけど、優しい祖父だったのを覚えている。……父より見た目が若い祖父だったけどね」
―――魔人種を導く王。
「人魔戦役。祖父と六将軍。そして魔人種たちは勝利まで、あと一歩までの所に居た。世界全域を魔人種の世界にすることが出来た。理想の世界が出来上がる瞬間、誰もが想像すらしていなかった裏切りが祖父を襲ったの。……血を分けた娘によって、祖父は力を、勝利を、民を奪われたの」
―――それは即ち。
火傷で痛む体を押して、レイは起き上がった。金色黒色の瞳からとめどなく涙を流すシアラに向けて震える声で尋ねた。
「それじゃ、君は……まさか……そんな」
レイの視線から逃れるように立ち上がったシアラは、窓際でくるりと回る。紫がかった黒髪が青い月光に照らされ、どこか神秘めいた光景が広がる。
「ワタシの名はシアラ・マールム。六将軍第三席カタリナ・マールムとアレクサンドの娘にして―――『魔王』フィーニスの孫よ」
『魔王の血』を受け継いだ少女は、己が運命を告白した。
読んで下さって、ありがとうございます。




