5-42 約束
室内には香が焚かれていた。エルドラドにおける死者との別れ方は、国や地域、民族によって違いがある。デゼルト国では防腐処理をした遺体を数日間、寝かしておく。遠方から別れを告げる者が花を手向けにくる時間を与えるのだ、
デゼルト国の作法に則り、ナリンザの遺体はベッドに寝かされて、御霊に旅立つ時を待っていた。
穏やかな表情を携えていた。まるで今にも起き上がりそうなほど自然な顔だ。顔に受けた傷はレティによって縫われた上でシアラが薄く死化粧を施して隠されている。胸元までかかっているタオルケットの下も、回復薬の影響で傷口自体は塞がっていた。ただ一つ、無くしてしまった右腕の部分がへこんでいる。
ダリーシャスは無言のまま、横たわるナリンザの傍に付き添っていた。日頃見せていた明るい笑みは消え失せ、唇は真一文字に結ばれている。沈痛な表情を浮かべてはいるが、その背は真っ直ぐに伸び、取り乱したりはしていなかった。
置かれた時計が刻む音だけが響く、静寂が室内を支配していた。
ところがだ。
ダリーシャスの耳は上からの騒音を拾い上げた。獣じみた慟哭が止んだと思ったら、この騒ぎだ。誰かが起き上がるのを止めようと複数の人間が慌ただしく動いているのか、振動に合わせて埃が落ちてくる。
「ご主人様、いけません。まだ動いては、傷に触ります!」
「いいから、退いてくれ。僕は行かなくちゃいけないんだ!!」
男女の声が階段から響くと、次いで、何かが転がり落ちる音がした。悲鳴も上がる。
「だ、大丈夫、ご主人さま!」「おにいちゃん、へいき!?」
だが、落ちたと思しき人物は上から聞こえてくる気づかいを無視し、ダリーシャスの元へと駆け寄った。ダリーシャスは背後を見ずに、
「騒々しいぞ、レイ。死者の眠りを覚ますな」
「ダリーシャス。……ナリンザさんは……」
レイの言葉は続かなかった。彼の瞳はベッドに横たわるナリンザへ吸い寄せられた。薬液を染み込ませた包帯で全身を覆うレイは、よろよろとした歩みでベッドの傍に跪いた。震える手が伸び、眠り姫のようなナリンザの横顔に触れた。
包帯越しでも、物言わぬ肉体の冷たさは伝わる。
ナリンザは死んでいる。
「どうして……こんな。……あの時、まだ生きていたのに」
備蓄庫の地下室に出た時。ナリンザの意識は回復していなかった。だけど、回復薬を流し込むと、呼吸は安定し、体温も戻っていた。死から逃れたはずだ。それなのに、目の前に横たわるナリンザの姿を、レイは現実として受け止めきれないでいた。
「其方とナリンザが地下の迷宮から脱出したのは、いまから二日前だ」
レイは二日と呟いた。ダリーシャスの言葉を理解できていない様子だが、それでもダリーシャスは説明を続けた。
「先に地上に帰還した我らは、其方らの帰りに気づき、地下室に降りた。その時点では確かに生きていた。……レティの治療もあり、一時は快方に向かっていた。翌朝にはアマツマラから送られた冒険者の中にヒーラーも居た。だが、それまでに血を流し過ぎたようだ。昨晩、眠るように息を引き取った」
ダリーシャスの淡々とした説明を聞きつつ、レイは頭の中でどうにかこの結末をやり直せないかと考えを巡らす。《トライ&エラー》は時を巻き戻す力。人の死すらなかった事にできる……はずだった。
しかし、どうやっても、ナリンザの死はやり直せない。
そのどうしようもない現実がレイの胸に刃の如く深く突き刺さった。
「……申し訳、ありません。……僕の……せいです」
絞り出すようにレイは言う。俯いたままのダリーシャスに顔を向ける事もできず、レイは背を向けたまま懺悔する。
「僕らが転移された場所は……信じられないでしょうけど迷宮の深層でした。……超級モンスターが至る所を歩き、理不尽な罠が待ち構えている危険地帯。そこで、僕は……モンスターに囚われている人を助けました」
二階から降りて来たリザ達は主の言葉を遮らないように黙って聞いていた。ダリーシャスも無言のまま、レイの懺悔に耳を傾ける。
「そいつは……全身が真っ白な、少年でした。……奴は自分の事を……『魔王』と名乗り、ナリンザさんを蹂躙……しました。ナリンザさんは僕を守る為に、勝てない相手に挑んだんです。僕が殺したも同然です」
そこまで言うと、レイはダリーシャスの方を向いた。項垂れているダリーシャスの顔は伺えず、しかし、レイは跪いたまま、頭を下げた。
「貴方の従者のお蔭で僕は生きて帰って来られました。……そして、貴方の従者を助けられず、一人で生きて帰ってきてしまいました。本当に申し訳ありません」
レイが頭を下げると、室内に静寂が帰って来た。しかし、その静寂は張りつめた空気を伴い、掲げてある時計の針が刻む音が、何かのカウントダウンをしているかのようだった。
リザ達はダリーシャスがレイに対して危害を加えようとした時、レイを守れるようにと身構えていた。ダリーシャスとナリンザの間には単なる主従関係とは違った絆があったのは誰の目にも明白だ。それを無くしたことで、その責任がレイにあるという事で、ダリーシャスがどのような行動をとるのか予測がつかない。
しかし、ダリーシャスは微動だにしていないまま、五分、十分と時間が過ぎていく。焦れたようにレイが言葉を重ねた。
「いきなり、『魔王』なんて言われても、信じられないとは思い―――」
「―――いや、それは信じている」
レイの言葉を遮って、ダリーシャスは口を開いた。
「ナリンザが息を引き取る前に、何があったのか粗方聞いた。其方と共に深層を探索し、不幸にも伝説の存在。『魔王』と戦った事を。……其方が一太刀浴びせたとも聞いたぞ」
ダリーシャスの言葉に伏せた顔が強張った。果たして、ダリーシャスはどこまでナリンザから聞いているのか。レイの《トライ&エラー》の事を知っているのかどうか、それが不明だった。
しかし、レイの気持ちを知らないダリーシャスは淡々と、
「其方に責は無い。迷宮に潜ったのは俺の意思だ。それゆえ、ナリンザは俺を守る為に付いていき、そして死んだに過ぎない。ゆえに、其方が気にすることは無いぞ、レイ。顔を上げてくれ」
責任が無いと言われて、納得できるような精神構造をレイはしていない。だけど、再度顔を上げるようにと言われ、従った。
錆びついた歯車のように、首が軋む。項垂れているダリーシャスの顔を下からのぞき込むと、レイはぞわりと、うなじが泡立った。
空虚。
ダリーシャスの表情から、あらゆる感情が削がれていた。怒りでも悲しみでも絶望でもない。得体の知れない何かだけが、彼の中でへばり付いている。
それが何か、レイには分からない。
分からないけど、直感した。この男は諦めている、と。自分の生存を諦めて、死を受け入れようとしていると。
「あの……これから、どうされるのですか」
リザがダリーシャスに気遣わしそうに尋ねた。ダリーシャスは背後を見ずに答えた。
「こうなっては仕方あるまい。ナリンザの遺体を火葬した後、本国に連絡を入れる。叔父の一派に知られるという危険な賭けではあるが、流石に一人で旅をするのは難しいのでな」
まるで予め想定していたような、滑らかな回答だ。
「なに、其方らの手は借りん。故に其方は気にせずに旅を続け―――」
「―――本国に連絡すれば、アンタは死ぬかもしれない。それでも国に連絡するんですか」
リザ達がレイの質問の意味が分からず首を傾げる。だが、ダリーシャスは理解したのか、橙色の瞳に困惑が混じる。
「どうして、そのことを。もしや、ナリンザから聞いているのか」
「ああ。アンタは叔父以外にも、兄弟や……父親からも狙われていると」
その言葉にリザ達が息を飲む。レイはナリンザから聞いていた話を、デゼルト国の王家に蔓延る闇を少女たちに説明した。
「それでは、ダリーシャス様が国に連絡を取るのは自殺行為ではありませんか。その、唯一の残っていた護衛が居なくなり、ある意味これ以上ないほど暗殺しやすい条件はありません」
「そうだよね。……その位、ダリーシャス様だって気づいているはずなのに、なんで自分から国に連絡をしようとするんだろ」
レティが呟いた疑問にレイは短く答えた。
「オジマンティ」
その時。ダリーシャスに劇的な変化が起きた。腰を上げて、レイを睨む顔面は蒼白に染まり、目は血走っていた。唇はわななき、声も震えた。
「……ナリンザはそこまで其方に話したのか」
「はい。アンタの特殊技能についても、弟の事も。ナリンザさんから聞きました」
ダリーシャスは音を立てて椅子に座る。脱力したかのように足を投げ出すと、己の胸中を明らかにする。
「ならば、説明は不要だろう。俺は自分に生き残る価値があるかどうかを試したい。国に連絡をし、俺を殺すべく暗殺者が放たれるかどうか。そしてそれを潜り抜けるかどうか。運に任せたいのだ」
「どうして、自分の命を軽く扱うんですか! 曲がりなりにも、アンタは今日まで生きて来た! ラミアの巣も、ブレイブサラマンダーも生き延びて、どうして自分に生きる価値があるかどうかって悩んでんだよ!!」
レイの絶叫が室内に響く。ダリーシャスは視線だけレイに合せると、低く、重たい声で言う。まるで呪詛のように、自分を呪うように。
「我が《ユマン・ゲンニュ》は人の感情を操るのみにあらず。運命すらある程度操る。……我に困難を与えようとせず、我の周りに試練を与える。……スタンピードにおいても、本国に居た時も、そして今回もだ。俺だけが生き延びる。俺の周りだけが傷つき、倒れていくんだぞ!!」
「……ダリーシャス」
ダリーシャスは天を睨みながら涙を流していた。
「俺は運命が憎い。こんな技能は望んでいない。これを俺に与えるようにと運命を弄った者が居るならそいつを縊り殺したい。だがそれ以上に、俺は俺が憎い。だから、俺は死を望む。こんな俺は居ない方が世界のためなんだ。分かってくれ」
褐色の王子の覚悟は理解できた。自らの中にある力が自分だけを安全地帯に追いやり、周りを傷つけていくのは確かに地獄のような光景だ。自分の死をダリーシャスが願うのはある意味自然な事かもしれない。
だけど。
「分かんないよ」
レイは立ちあがりながら返した。全員の視線がレイに注がれる。
「アンタがどれだけ苦しんでいるのか。それは業を背負って生きて来たアンタにしか分かんない事だ。僕に分かるのは……死んだナリンザさんの願いだ」
「……ナリンザの……願いだと」
「ああ、そうだよ。ナリンザさんはアンタに生きて欲しいと願っていた。アンタに生きて、王になってほしいと言ってた。そうすれば、王という衣がアンタを縛り、生かす。善き王になるって信じていたんだ!」
レイは叫ぶと、ダリーシャスの胸倉を掴み、無理やり立たせた。身長差の関係で、レイはダリーシャスを見上げながら告げる。
「アンタは生きるべき人間なんだよ! 少なくとも、アンタに期待していた人間が居た以上、アンタは生きろ!!」
すると、ダリーシャスも動く。レイの胸倉に向かって腕を伸ばした。互いの胸倉を掴みあい、両者の顔は接近する。
「だから何だ! そのナリンザは死んだ! もう居ないんだぞ!! 俺を守ると誓ったナリンザは……お前を守って死んだんだ!」
「そうだよ。僕を守って死んだ。僕の命がここにあるのは……ナリンザさんのお蔭だ。だから、僕は救われた責任を……返す必要があるんだ」
レイは視線を横に滑らすと、居並ぶ少女たちを見た。リザとレティは主の動向をハラハラしながら見つめ、シアラは悲しそうに俯いている。幼いエトネはぽろぽろと涙を流していた。
「エリザベート。レティシア。シアラ。悪いけど、僕の我儘に付き合ってくれ。そして、エトネ。故郷に帰る前に寄り道をするけど、いいかな」
少女たちは互いの顔を見て、そして毅然とした表情で頷いた。
レイの我儘を許したのだ。
「レイ。……そなた、まさか」
「僕は、アンタをデゼルト国の首都まで連れていく。例えアンタが泣いて嫌がり、死にたがっても、体に鎖を巻いて引き摺ってでも連れていく。それが命を救われた僕の責任の返し方だ!!」
―――それでも、何かしらの責任を取りたいと考えるのなら、別の形で返すと良いかもしれません。
あの夜。ナリンザがリザに向けて諭した言葉だった。本人に償えない時、周りを助ける事で償えばいい、と。皮肉にも、その言葉がレイの覚悟を決めた。
ダリーシャスの腕から力が抜け、だらりと垂れ下がった。呆れたような視線をレイに向けて、
「……俺の意思を無視して、連れていくというのか」
「そうだよ。これは僕の自己満足だ。僕がそうしたいと決めたから、そうする。アンタにも文句は言わせない」
無茶苦茶にもほどがある。しかし、レイにはそれ以外の方法も考えも浮かばなかった。単純に、死を望むダリーシャスを救いたいと思ってしまったのだ。
影法師がゲラゲラと笑っている姿を思い浮かべてしまう。
ダリーシャスは諦めたように呟く。
「なるほど。これも一つの運命……なのかもしれんな。……《ミクリヤ》所属。冒険者レイ殿。其方に我の護衛を任せたい。もちろん、報酬を出す」
「承ったよ、デゼルト国王子、ダリーシャス・オードヴァーン。アンタを無事に首都まで連れていくよ」
これ程奇妙な契約の交わし方があっただろうか。冒険者が依頼人の胸倉を掴んだまま、依頼を受けたのだ。しかし、この二人なら、納得できる図だとリザはぼんやりと考えた。
二人はニヤリと笑い……レイの目がぐるん、と白目を剥いた。膝の骨が抜けたように力が抜け、あっという間に倒れそうになった。ダリーシャスが支えなければ、床に倒れていたはず。
「おいおい、レイ。どうしたんだ!?」「ご主人様!?」
ダリーシャスの困惑した声とリザの悲鳴が混じり合う。いち早く動き出したレティが横に寝かされたレイを診察する。
「どうなの、レティ」
「……うん。大丈夫。気絶しただけだよ。元々、立ち上がれるほど体力は回復してないんだもの。こうなって当たり前というか、仕方ないというか」
一同はレイが危険な状態じゃないと分かりホッとした。そして、リザがレイを担ぐと、二階に連れていく。一人残ったダリーシャスはナリンザの顔を撫でながら呟いた。
「ナリンザ。……レイもお節介だが、其方も相当だな。自分が死した後を託せる人物を見出すとはな」
ダリーシャスは橙色の瞳に強い意思を秘めて言う。
「其方に約束しよう。其方が信じた王に成れるかどうか分からんが、せめて成ろうと努力する。……御霊から、見守っていてくれ」
そして、冷たい屍に唇を落とした。それを見ていたのは誰も居なかった。
読んで下さって、ありがとうございます。




