5-41 温もり
暗い世界。光なんて一筋も射しこまない、完璧なまでの闇が周囲を包んでいる。
果てがないほど漆黒の闇が無限に広がる世界。フィーニスの影に飲み込まれたレイは、何も見えない世界を漂う。感じるのはコウエンの冷たい鋼の感触だけ。一緒に影に飲み込まれたナリンザの気配すら感じ取れない。
上下左右どこを向いても闇しかない世界でいつしかレイは時の流れすら忘れていた。闇の海で浮かび上がるのを待つ。呼吸が出来たのが救いだった。
そして、その時が来た。
レイの体が、急速に流れ始めた。まるでウオータースライダーに乗ったかのように、体が上下左右あちこちに流され―――次の瞬間。レイは闇の世界から脱出した。
「―――っう! ……ここは?」
先程までの完璧な暗闇とは違う、薄暗い闇の中で冷たい土の匂いを感じた。次いで、埃臭さや、様々な食料の匂い。そこはシアトラ村にある備蓄庫の地下室だった。迷宮の入り口が発見された場所にレイは戻ってきたのだ。
レイは満足に動かない体をどうにか動かして、周囲を見回した。すると、自分の近くにナリンザが倒れているのを発見した。
地面を文字通り這って進んで、レイはナリンザの傍に辿りついた。
「帰って、来れたよ。……ナリンザ……さん。帰って……来れた……よ」
言葉が途切れ途切れになるのは、体力の限界からだ。ほとんど失いかけている意識を繋ぎとめて、レイはポーチから最後に残していた回復薬を取り出しナリンザの口元に寄せた。瓶を傾けると、唇に向けて緑色の液体が向かう。ピクリとも動かないナリンザの体だったが、僅かばかりに喉が動くのは生きている証だろうか。
回復薬が空になるのと比例して、彼女の体温が上がっていく。呼吸も安定していた。どうにか峠を越えたと、レイは胸をなで下ろした。
「良かった。……本当に良かった」
そして、最後の力を振り絞って告げた。
「《僕は此処だ。皆来てくれ》!」
戦奴隷に対する命令。それはどの程度の距離で通じるのかレイは知らない。だけど、これしか思いつかなかったのだ。
レイは力を失ったように、頭が地面を叩く。どこか遠くで、扉が開くのが幻聴では無いと祈りながら、意識が暗転した。
ドーム型の空には満天の星が輝いている。それら一つ一つが、こことは違う世界の輝きだ。強く輝くのは、世界が新しい局面、時代の変わり目を迎え過熱している証で、弱く輝くのは衰退の一途をたどっている証。光を司る神、ヘリオスが眺めていた星は、まるで蝋燭の火が消える間際のように一瞬だけ強く輝いてから消えてしまった。
星の消失は世界の消失を意味する。万とも億とも兆とも言われている異世界の一つが消えた。それは他の世界に少なくない影響を与えるものの、全体を見渡せば数多ある世界の内の一つが消失したに過ぎない。いずれ誰もが忘れてしまう。もっとも、その世界を管理していた神にしてみれば己が根底に関わる重要な出来事。
世界の消失は神の座からの陥落を意味する。世界を管理するという唯一にして絶対の役目を失った神の末路は大概悲惨だ。どこかの世界にあるかもしれない神の座を求めて流浪するか、悠久に近い時間を費やし、己の消滅を待つしかない。
退屈を嫌う神にしてみれば恐怖そのものであろう。
そう考えると、エルドラドの消失というのも、本来なら13神全員が一丸となって取り組む事態。だが、一方で13神は飽いてもいた。黒子としてエルドラドを管理し続け、他の世界の神が遊戯に熱を入れているのを眺めているに過ぎなかった日々。『旧七帝』の登場によって、その日々は打ち砕かれ、世界の時を巻き戻すという荒行で世界の消失だけは回避した。
その際に他の世界の神々から、彼らのお気に入りの魂を無に帰した事を責められ、直接的な介入する権利をはく奪された時は腸も煮えくり返った。しかし、こうして自分たち13神だけの遊戯を開けることが逆に無聊を慰める事になり、新たな娯楽を前にして愉悦に浸っていた。
―――彼らにとって、エルドラドの救済は娯楽に過ぎない。
例え、13神が送り出した『招かれた者』が敗北し、世界が再び滅びの時を迎えようとしても、それはそれで構わない。
その時は、今ある文明を消去して一からやり直させればいい。その時は面倒だが、他の世界の神々を説得し、再び介入する権限を手に入れ、『神々の遊技場』を再開すればいい。
今ある文明が続いたとしても、彼らに待っているのは『神々の遊技場』を管理する役目だ。いずれ黒子に戻るのが決まっているなら、それまでの期間を楽しむことだけに集中していた。
いまも、集まった13神たちは『窓』に写る戦いに熱いまなざしを送っていた。
空席の目立つ円形のテーブル。埋まっているのは半分程度だ。その内の一つ、魂を司る神、サートゥルヌスが口を開いた。
「実におもしろい結果に終わりましたな、御一同。『魔王』フィーニスと御厨玲の一騎打ち。どう考えても勝ち目のない戦いは、御厨玲の特殊技能の進化によって勝利するとは」
「あら、サートゥルヌス。進化というのは語弊があってよ」
水を司るオケアニスが柔らかな声色で、サートゥルヌスの間違いを指摘する。
「《トライ&エラー》と《トライ&エラー・グレートディバイド》とは別個の技能。両者は並び立たず、されど似たような力。まるで熱水と冷水のようね」
水にちなんだ例えを口にしたオケアニスだが、それに待ったをかける男神が居た。隣に座る火を司るプロメテウスだ。
「ああん。そりゃ一体どういう意味なんだよ」
「少しは自分で考えたらどうかしら。その頭に脳が詰まっているのを証明するためにもね」
「……意味は分からんが、馬鹿にされてんのだけは分かったぞ」
「ごめんなさい。貴方に分かりやすく言うなら……残念。私の頭では貴方の程度に合わせるのは難しいわ」
両者とも、青い瞳をぶつけ合うと険悪な空気が流れ始める。慌てて、サートゥルヌスが仲介に入った。
「ちょ、ちょっと二人とも。喧嘩は止めてくれませんかね。……プロメテウス。《トライ&エラー・グレートディバイド》は《トライ&エラー》の新機能だと思っていてください」
首を傾げるプロメテウスにサートゥルヌスは畳みかけるように説明を続けた。
「御厨玲が元から持っていた《生死ノ境》。あれが《トライ&エラー》に結びつき、技能に新機能が加わったんです。いままでは時を巻き戻せるポイントは、ある意味任意でした。午前零時か、意識を取り戻した時。それが《トライ&エラー・グレートディバイド》の時は死亡時から五秒前に限定されるようになったんです」
「ふーん。……それじゃあよ。《トライ&エラー・グレートディバイド》で作ったセーブポイントと《トライ&エラー》のセーブポイントは共有されんのか」
サートゥルヌスは内心、軽く驚いてた。脳筋神なんて揶揄されるがこれでも13神の一柱。本質を捉えるのは実にうまい。
「その通り。セーブポイントは共有されます。……そうですね、分かりやすく言えば、御厨玲が作れるセーブポイントはたった一つなんですよ。《トライ&エラー》と《トライ&エラー・グレートディバイド》はその一つしかないセーブポイントを共有しています」
納得したのかプロメテウスは割れた顎を撫でる。
「ねえ、サートゥルヌス」
すると次に口を開いたのは闇を司る神だった。他の神々の間で軽いどよめきが起こる。何しろ、自分の領域に引きこもり、そこから出てこない事で有名な神だ。
この円卓の間に姿を見せたのも、三百年ぶりの出来事。しかし、姿を見せた理由は納得できる。なぜなら、この者こそ今回の『招かれた者』の一人、フィーニスをエルドラドに呼び寄せた当事者なのだ。
もう一人の当事者である御厨玲をエルドラドに送り込んだ、時を司る神、クロノスはこの場に居なかった。途中までは居たのだが、レイが『魔王』相手に何度も死んだのが耐えきれなくなり席を立ったのだ。いまだ帰って来ない。
闇を司る神にサートゥルヌスは逆に問いかけた。
「話を遮って申し訳ないのですが、その前に尋ねたいのです。今のあなたはどちらなんですか」
奇妙な質問だった。しかし、円卓の間にいる全ての神はサートゥルヌスの質問に笑わない。質問を投げかけられた神は微笑んで答えた。
「いまはニュクスよ」
「分かりました。それではニュクス。何か御用でしょうか」
「貴方、間違っているわ」
唐突に言い放つニュクスにサートゥルヌスは首を傾げた。
「私が何か間違っていますか」
ニュクスは冷笑を浮かべて、
「大間違いよ、おバカさん。勝ったのはフィーニス。あの子の気まぐれで御厨玲は生き延びたに過ぎないわ。その辺りを間違えないでくれないかしら」
「……これは失礼致しました。御厨玲の勝利では無く、フィーニスが見逃した、という結末でしたな」
大仰に、どこか芝居がかった動作で頭を下げたサートゥルヌスを一瞥したニュクスは不快そうな表情を浮かべた。
「皆さまも勘違い為されないように。クロノスの呼び出した御厨玲が善戦したのは私も認めましょう。でも、いくら蟻が頑張った所で所詮は蟻。地を這う虫に、大空を舞う鳥に敵うはずがない。……そうよ。エルドラドを救うのはあの子だけ。御厨玲にも、『勇者』にも出来ない事なのよ」
「え、ええ! その通り。その通りですから、闇のオーラを撒き散らさないでくれませんかね」
ニュクスがブツブツと呟くと、彼女の周囲から黒い靄のような物が噴き出した。それは円卓の間に置かれた物に触れると、その部分を腐食させていく。オケアニスやプロメテウスが闇を抑え込むために水や炎を放つ。円卓の間に神々の力がぶつかり合った。
数分後。取りあえず闇の拡散だけは防げた円卓の間でニュクスが突然立ち上がった。
「それでは皆さん。ごきげんよう」
数分前の自分の振る舞いを忘れ、周りへの興味を無くしたかのような振る舞いに、誰も何も言えなかった。誰もが闇へと消えていく彼女の背を見送った。
ニュクスの退席を合図に、席を立つ音が続いた。
「まったく。いつもは引きこもっているくせに、フィーニスが表舞台に上がる度にああやって出てきて、何かしらの騒動を引き起こしやがって。エレボスの方が、まだ話が通じるぜ。あれは物事の道理を分かってる」
「貴方に道理を説かれるのは業腹物だけど、その一点には同意するわ。ニュクスは手に負えないのよ。自分の呼び出した英雄に恋い焦がれる乙女。その恋心は全てを盲目にするわ。……『魔王』の掲げる世界救済のやり方は……正直嫌いよ」
「同感だ。ありゃ、上手く行っても、上手く行かなくても、血が沢山流れるぜ」
口々にニュクスとフィーニスの文句を言い合いながら、プロメテウスもオケアニスも、闇へと消えていき、それに続くかのように他の神々もいなくなった。残ったのはサートゥルヌスとヘリオスの二柱のみだ。
窓を複数展開し、そこに映し出されたグラフを眺めるサートゥルヌスに、重々しい口調でヘリオスが尋ねた。
「サートゥルヌス。御厨玲が『七帝』になりうる可能性はあるか」
ぴくり、と。窓を操る手が止まり、伸びた前髪の隙間からサートゥルヌスがヘリオスを睨んだ。
「ない……とは言い切れません。『勇者』にしろ、『魔王』にしろ。我らが見出した『招かれた者』が『七帝』の空席を埋めたのは事実ですからね。……この先。『正体不明』以外に欠落者が出て、その空席に御厨玲が座る事もあり得るかもしれません」
重い沈黙が両者の間に広がる。
ヘリオスの懸念はただ一つ。文明の消滅に伴い『七帝』と呼ばれる存在も消えるのかどうか。
そもそも、13神の誰も魂の肥大化現象の原因が理解できていなかった。新しい文明を生み出しても、再び肥大化された魂によって世界の消失が訪れるかもしれない。そのためにも『七帝』の真実に辿りつく必要があった。
御厨玲が『魔王』と接触する可能性が浮上した時、その謎の一端が明らかになるかもしれないと期待していたのだが、期待外れに終わってしまう。
「『招かれた者』にして『七帝』である『魔王』フィーニス。あの者と御厨玲なら、何かしらの変化や解明が起こるかもしれんと期待していたが……次回に期待するとしよう」
残念そうに呟いたヘリオスもまた席を立つ。その背に向けて慰めるようにサートゥルヌスが言う。
「お気を落とされぬように。まだ、『勇者』がいるじゃありませんか」
『魔王』と同じ『招かれた者』にして『七帝』である同種を口にした。しかし、ヘリオスは嘲りの笑みを浮かべた。
「ありえんよ。あれは既に死した身。生者にあらず。我が求める変化は起きようもない」
闇の中から放たれた言葉はサートゥルヌスの耳を冷たく振るわせた。たった一人、円卓の間に残ったサートゥルヌスはある窓に注目した。
レイが死に戻りを重ねた結果、因果が重なったグラフだ。飛びぬけて高いグラフがレイの今後を不吉に彩っていた。
ズキズキと、痛覚だけを最初に感じた。次に感じたのは匂いだった。どこからか漂ってくるのは調理中の香り。途端に、腹が空っぽだと抗議の音を立てた。
(最後に食べたのは……ブレイブサラマンダー戦前か。随分と前に感じるな)
ふと、闇の中で思うと、レイはゆっくりと眼を開けた。飛び込んできたのは木目調の板だった。
自分がどこに居るのか見当もつかない。ただ、今まで居た迷宮とは違う空気に安心していた。
彼は開口一番、
「腹、減った」
と、呟いていた。何とも情けない話だが、その言葉だけがすんなりと出てしまうのだ。
がたんと呟きに反応するように物音がした。レイは動けない体に苛立ち、眼球だけを動かして音の方を見た。そこにはシアラが立っていた。鎧など着けておらず、呆然と立ち尽くしていた。
「あ……る……じ……様」
金色黒色の瞳がわななく。溢れんばかりの涙が溜まっていき、空の手が彼女の顔を覆った。すると、物音に反応して、足音が続いた。シアラの背後から姿を現したのは、リザだった。彼女もまた、戦支度を解いていた。
「シアラ。いまの音は―――ご主人様。目が覚めましたか!!」
リザが空を思わせる青い瞳を見開き、大音声で叫んだ。呼ばれたレイは耳がつんざいてしまう。部屋を震わした声に木霊するようにどこからか、
「お兄ちゃん、目を覚ましたの!?」「ほんとう!!」
と、喧しい声が響いた。どたばたと足音が続くと、固まった二人を押しのけてレティとエトネが姿を見せた。二人とも泣きべそを浮かべていた。
狭い室内に雪崩れ込んだ四人の仲間に対してレイは弱々しく言う。
「……やあ、みんな。元気そうで良かったよ」
「「「「それはこっちの台詞よ、ご主人様」主様」お兄ちゃん」おにいちゃん!!」
異口同音に叫んだ四人はレイの元へとしがみ付いた。口々にレイの無事を祝う言葉が投げかけられ、涙が雨のようにレイに落ちていく。
動けないレイは流れに身を任しつつ、いの一番に尋ねたいことがあった。
「ねえ、分かったから。皆がどれだけ心配していたか、分かったよ。それよりも、ナリンザさん。彼女はどこ?」
レイは視線を自分の反対側に向けた。そこは空の二段ベッドしかなかった。レイが居る場所は、シアトラ村の備蓄庫傍にある二階建ての建物。レイ達が借り受けた家だ。二段ベッドが二つある室内のどこにもナリンザの姿は無かった。
「ナリンザさんの方が僕よりも酷かったけど、息は辛うじてあっただろ。いまはどこに居るんだ?」
その言葉に四人は涙で汚れた顔を強張らせた。言葉を探すように互いを見つめ合い。そして長い沈黙の後、告げた。
「ご主人様。お気を確かに、聞いてください。……ナリンザ様は……お亡くなりになりました」
―――一瞬、レイの意識が遠のきそうになる。血の気が引いてき、世界がぐるぐると回り出した。自分を心配そうに見つめてくる少女たちの顔が、赤の他人のように見えて、現実感が無くなっていく。
「…………おいおい。リザ。そんな、そんな嘘を吐くなよ」
「嘘では……ありません」
「嘘を吐くな! 僕は、この手に感じたんだ。ナリンザさんの体温が、命が戻ってきた温もりを!! 彼女はまだ生きていたんだ! 彼女はどこに居るんだ!」
レイ自身、どこにそんな力があったのか分からない。だけど、少年の体は痛みと発熱と極度の疲労に侵されながらも起き上がろうとしていた。慌ててリザとシアラが止めに入る。
「主様、動かないで! 今動いたら、死んじゃうわよ!!」
「火傷の痕が酷すぎます! どうか落ち着てください!」
「うるさい! そこを退け! ナリンザさんは、ナリンザさんは、まだ生きて―――」
ぺち、と。レイの頬をエトネの小さな手が叩いた。少女はレイの胸に跨ると、萌黄色の瞳から大粒の涙を流しながらも言う。
「おにいちゃん。ナリンザおねいちゃんは……死んじゃったよ。おかあさんといっしょで、おにいちゃんをまもって死んだの。……だから、おにいちゃんは……死のうとしちゃ、ダメだよ」
少女の言葉はレイの胸を穿つ。乾いたスポンジに水が染み込む様に、レイはナリンザの死が現実だと理解していく。知らず知らずのうちに、レイの両目から涙があふれ出した。
「う、う、う、うおおおおぉぉぉ!!」
少年の口から出た獣じみた慟哭は涙と共に流れていく。少女たちも、互いの体を掴み必死に悲しみを耐えようとしていた。
読んで下さって、ありがとうございます。




