5-36 矢
パチパチパチ、と。乾いた音が広間に響く。白い少年が病的なまでに白く、骨に申し訳程度の肉を張り付けたような手を叩いていた。
もっとも、称賛の為の拍手では無いのは誰の目から見ても明らかだ。
「かっこいいな。凄く勇敢な言葉だ。ボクを倒し、地上に帰る。力強く希望に溢れている。まるで太陽のような力強さと温かさを兼ね備えているよ。……で? どうやって?」
おそらく、顔を隠す長髪の下は嘲りの顔を浮かべているのだろう。あからさまに馬鹿にした口調で、少年は続けた。
「明確な手立ても無く、誇大妄想を口にするのは勝手だが、叶わぬ夢を見させる事ほど残酷な事も無いよ」
「明確な手立てはあるし、誇大妄想なんかじゃない。叶わない夢? 叶えてこその夢だろ」
「ホントに格好いいよ、君。そーいう気概、ボクとしては嫌いじゃないが、しかし、分からない。どうやって、叶えるというのだ?」
レイは白い少年にコウエンの切っ先を向けた。
「お前と戦い、倒して進むんだよ。そんな事も分かんないのかよ」
腹の底から力を入れないと、声が震えてしまう。目の前の少年から醸し出される圧力は、レイの心胆を冷やす。それに負けないためにと、自らを震わす言葉を口にした。
すると、白い少年は身動き一つ取らず、凍ったかのように固まった。数秒後、沈黙を突き破るように哄笑が轟く。
「アッハハハハハ! 良い!! 実に良い!! 成程、君はボクを笑い死にさせるつもりか。それなら、確かにボクが負ける事もあるだろうな!」
膝を叩き、体をくの字に折り曲げて笑う少年。その姿は無防備に見えるのに、レイは踏み込む気にはなれなかった。
「……何がおかしいんだ!?」
踏み込めない代わりに言葉を放つと、白い少年は身をよじって笑うの止め、平坦な口調で告げた。
「だって、戦闘というのは、実力が近しい者同士でしか成立しないだろ。君とボクでは……蹂躙が正しい」
白い少年はレイに向けて指を一本、突きつけた。そして指揮棒のように振るう。
―――それが合図だった。
白い少年の足元で蠢いていた影が、質量を持ったかのように持ち上がる。それは黒い球体となって、白い少年の背後で止まる。
くい、と。少年が指を振るうと、球体が潰れ、壁になった。少年の背丈を優に超え、僅かばかり内側に向けて湾曲している漆黒の壁はレイを威圧する。
相手の行動が全く読めないレイはコウエンを前に構えて、相手の出方を伺う。一方で、頭の中ではナリンザを襲っていた場面から、相手の攻撃手段を推測する。
(アイツの攻撃方法は影だ。質量を持った、まるで鋼鉄製の影を武器としていた。影ってことは、形状は一定じゃないかもしれない。くそっ、どんな攻撃をするんだ!?)
相手の不気味さも相まって、レイの焦りが顔に浮かんでいく。白い少年は長髪の下で笑みを浮かべると、甘い声色で語り掛ける。
「これは軽い小手調べだ。これぐらいで死ぬなよ」
白い少年が呟くのと同時に、黒い壁が波紋を浮かべ、波紋の中心から黒い物体が射出された。それは棒だった。長さは三十センチも無い、丸い棒。直径も二センチも無いだろう。それこそ、エトネの使うクロスボウのボルトよりも長い程度。普通の速度で迫る程度なら、それほど脅威にならない。
しかし、レイの目には黒い棒は点としか映らなかった。
ガキン、と。一際大きな音と共に、ぐちゃり、と水っぽい音が同時にした。
放たれた三本の棒の内、一本はコウエンで防いだ。レイの胸を狙った一撃は、正面に構えていた龍刀にたまたま当り砕けた。まるで脆いガラス細工の様に闇は影へと変わり地面へと落ちて行った。
しかし、残りの二本は、レイの反応を上回る速度でレイを貫いた。一本は右肩を。一本は左脇腹鎧ごと砕く。《耐久》の加護はグラントスライム戦で使い切り、回復していなかった。もっとも、発動していたとしても、黒い棒……いや矢を止めることは叶わなかっただろう。
「ごふっ!!」
黒い矢による衝撃が全身を貫く。右肩は肩の役割を保てない程抉られ、辛うじて脇の筋肉で繋がっていた。一方で、左わき腹への一撃は、半円状の穴を作り、そこからおびただしい量の血が流れていく。臓器が潰されたのだ。レイの体に尋常ならざるダメージを与えた矢は、二本とも背後の壁を貫いて止まる。
恐ろしい事に、二本の矢はどちらも、レイの体を掠めただけなのだ。掠めただけでこの威力。
どう考えても、重傷、いや瀕死の姿だった。それなのにレイの膝は屈しない。
動かない右腕は龍刀にしがみ付き、脇腹の傷口は文字通りの風穴が開いて向こう側が見えている。咳き込む口から血が溢れても、レイの体は一つの情念によって支えられていた。
―――白い少年の前で絶対に膝を付きたくない。
子供のような意地。しかし、それがレイに力を与えていた。
「お。大口を叩くだけはあるな。うんうん。それぐらいじゃないと、ボクも楽しめないよな」
白い少年は本心を明かすように続ける。
「それじゃ、次は五本だ。さあ、行ってみよう」
気負うことなく、白い少年は指を小刻みに揺らした。それだけで背面の壁は揺らめき、レイの目に捉えられない速度で矢が放たれ―――レイの体を穿つ。
★
闇が体を啄む。喰われた箇所は感覚を失い、元から無かったかのように体は欠落に慣れていく。
四方は完全なる漆黒。自分の姿を見る事すら叶わず、自分を認識できるのは自分の感覚しかない。それなのに、感覚が伝わってこなくなり、欠落が当たり前だと認識し始めた。
パクパクパクパク。
闇が体を啄むたびに、自分という存在が減っていく。いや、減っていくのが正しいのか、元から無かったのか。その境界線が曖昧になっていく。
そして最後には―――自分が居たのかどうかすら、分からなくなった。
★
「―――ッウウウウ!」
レイは意識を覚醒させると、イタミで蹂躙される体に無理やり鞭を打ち、立たせた。心臓は破裂しそうなほど鼓動し、汗が全身から噴き出し、血が逆流しそうな状況下で立ち上がるのは奇跡に近い。
だけど、彼は行かねばならない。
いまも白い少年になぶられているだろうナリンザの元へ。一秒でも早く、一瞬でも早く。彼女を生かすためにとレイは駆けだした。
だけど、レイの意思に反してその体はまともに動かない。何度も足がもつれ、みっともなく転んでしまう。それでも彼は転ぶ度に立ち上がり前へ前へと進む。
惨劇の舞台へと再び上がる為に。
そして、少年は高々と舞うナリンザの右腕を見た。
(だめなのか。せめて、この瞬間よりも前にアイツとナリンザさんの間に割って入りたいのに)
何一つ変わらない光景に絶望を抱くも、レイは前へと突き進んだ。何故なら、ナリンザの体は漆黒の刃に貫かれて持ち上げられているのだ。レイの記憶通り、放り投げられたナリンザの体をレイは受け止めた。
「ナ、ナリンザさん。いま回復をしますから。気をしっかり!」
レイはナリンザのポーチから回復薬を掴み取ると、彼女の傷口へと振りかけた。どうにか塞がり始めるも、それまでに流した血が多いせいで顔色は紙のように白い。歴史は変わっていない。
「おや? もしかして、お仲間かな」
暗闇の中から声が放たれた。レイが睨むように顔を上げると、暗闇から白い少年が現れた。ナリンザを貫いた漆黒の槍は地面に溶けるように沈み影に戻ると、白い少年の元へと帰っていく。
「不思議な事もあるもんだ。何処とも繋がっていないはずの迷宮で、こうも人間と遭うとは。折角の日光浴が台無しじゃないか」
「日光浴……こんな暗い地下でか」
前回とは違う会話の流れ。少しでも白い少年の情報が欲しいレイは、彼が迷宮に居る理由を尋ねた。白い少年はとくに何も思わず、レイの質問に答えた。
「見ての通り、僕の肌は白いだろ。直接太陽の元に出ると、あっという間に赤く爛れてしまう。ここの鉱石は大地に降り注ぐ日差しの熱を貯めこんで、発光する。いわば、太陽の日差しと同じなのさ。長時間浴びていると、活力も与えてくれるんだ」
天井から降り注ぐ青い光を受け止めるように両腕を伸ばす少年。嘘か真かレイには判断がつかないが信じるしかない。
今度は白い少年がレイに質問する番だ。
「ここはボクのお気に入りの隠れ家。誰にも教えていないのに、どうして君たちは居るんだい?」
「……シアトラ村の備蓄庫とこの迷宮が繋がったんだ」
嘘を吐く理由も無いため、レイは正直に答えた。
「シア……トラ村。聞いたことない名前だな。……どこの国の村なんだ」
質問をする間は、白い少年は攻撃を仕掛けようとはしない。レイは一つでも多くの情報を少年から引き出すべく、質問に律儀に回答する。
「東方大陸のシュウ王国南部にある村だ」
すると、白い少年は驚いたように固まり、笑い声を上げた。前回の時にしたような嘲笑う哄笑では無く、面白いから笑うといった明るい笑い声だ。
「アッハハハ。驚いたな。シュウ王国なんて、赤龍の近所じゃないか! 偶然……じゃないな。誰かの策略かな。こういう搦め手が好きなのは『魔術師』辺りだけど……アイツがいまのボクとやりあう気は無いだろうし。……これは何かしらの運命が働いているな。ふふん、面白くなってきたぞ誰がボクを引き寄せたんだろーな」
一人で何かに納得したかのように頷く白い少年。すると、レイが抱きかかえていたナリンザが囁くような声で、レイに逃げろと言う。通路が通れるようになったから、自分を置いて逃げろ、と。
「そんなの嫌だ。僕一人で、逃げるなんて絶対に嫌だ。地上に帰る時は二人一緒に、って約束したでしょ」
同じセリフだとレイは内心で思う。だけど、一度抱いた覚悟を捨てるつもりは無かった。
「アイツを倒して、一緒に地上に帰りましょう。王子が、ダリーシャスが貴方を待っています。だから、こんな所で死なないでください!!」
一方的な約束をナリンザにすると、レイは白い少年に向けて駆けだした。前回とは違う行動をとったのだ。
(どうせ待っていても、あの黒い矢を凌げる可能性は無い。だったら、先手を取るしかない!)
受け身に入れば、勝ち目はないとレイは前回の戦い―――というには、あまりにも一方的過ぎたが―――を通じて理解した。だから、先手を取るべく少年に向けて走り出した。距離にして十メートル。普通なら数秒で駆け抜ける距離だ。
しかし。
「おや、向かってくるとは勇ましい。それなら、こちらもやらせて貰う!」
白い少年がレイを指差す。すると足元の影は少年の背後にて湾曲した壁となる。滑らかな表面に波紋が浮かぶと、黒い矢が放たれた。
―――瞬間。世界が速度を失う。
黒い矢がゆっくりとレイに向けて迫る。レイの動体視力ではほとんど同時に放たれたとしか見えなかったが、どうやら三本の矢は順に放たれていた様だ。
まず、一番近くまで迫っていた胸を狙う矢を撃ち落す。黒い矢はナリンザを襲っていた黒い刃と違い、手が痺れるような衝撃は無かった。コウエンの刃によって砕かれた矢はガラス細工のように無数の皹を走らせて砕ける。
一本目を処理したレイは続けざまにコウエンの刃を返して、斜めに振り上げ、肩を狙う一撃を打ち砕いた。
そして、左わき腹を狙う一撃に対して刃を返したコウエンを振りぬこうとした時、世界が速度を取り戻した。
ずぶり、と。
レイの体を黒い矢が貫いた。驚愕の顔を浮かべて、レイは自身の胸を貫く矢を見た。左わき腹を狙っていたはずの棒は、直前で折れたのだ。棒の先端が、意思を持ったかのように向きを変えて、レイの心臓を一突きする。
★
「―――ッ、あり得ねぇ!」
二回目の死に戻り。レイは叫ぶと同時に立ち上がった。ふらり、とイタミの奔流は狂乱したように駆け巡り、足がふらつくも、背中を壁に押し付ける事で踏みとどまった。
「あの攻撃速度で、途中で軌道を変更できるなんて、無茶苦茶だ!」
二度の死を経て、三つ分かった事がある。一つ目が矢の攻撃が白い少年の支配下にある事。二つ目が矢の攻撃がレイにとって即死級の衝撃である事。三つ目がイタミの度合いがそれほど高くない事だ。二つ目と三つ目は悪い事では無い。
普通の生物は心臓を貫かれてもある程度の秒数息が続いてしまう。心臓を貫かれたからと言って、人間は直ぐには死ねない。もっとも死ぬまでの数秒間は死ぬほど痛い。心臓を貫かれた時の苦しみは筆舌にし難く、レイは一番苦しい死に方ではないかと思っている。それが、心臓を貫かれたと同時に死ねたのは、楽に死ねたと言う事だ。むしろ、一回目の時の様に掠める方が危険だ。痛みで一瞬でも意識が無くなれば、その時点でセーブポイントが出来てしまう。下手に躱すよりも、受けた方がいいのかもしれない。
イタミの度合いは、赤龍は愚かゲオルギウスよりも低いため、おかしな話だが、どうにか堪える事は出来る。これを喜ぶべきかどうなのかレイには分からなかった。
だけど、あの白い少年のタチの悪さは赤龍戦をはるかに凌いでいた。
《トライ&エラー》の強みは相手に同じ行動をとらせて、それをパターン別に分類し、対処方法を見いだせる事だ。パターンを覚える事によって回避し生き延びたのが赤龍戦である。赤龍のブレスは一度放てばそれっきり、軌道が変更することは無かった。普通の矢もそうだ。一度放たれた矢の軌道が直前になって変わることは無い。
ところが白い少年が繰り出す矢はレイの行動に対して反応したのだ。白い少年の意思が介入しているのは明白。規則性のない行動は《トライ&エラー》の天敵といえた。
「……参ったな。こりゃ、どれだけ死ぬか見当もつかないぞ」
背中で壁を叩いて歩き出したレイは三度、惨劇の舞台へと上がろうとする。
―――それは正しい予感だった。
僅か十メートル。白い少年への道はレイの屍で埋め尽くされる。それでもなお、少年にコウエンの刃は届かない。
読んで下さって、ありがとうございます。




