5-31 深層探索
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「っウウウ!!」
「静かにしてください……死にたくなければ、何も言わないでください」
レイは意識を覚醒すると同時に、十二度目のナリンザの横顔を眺めた。
イタミが体を駆けまわり、レイはうめき声を出さないようにと口内を噛みしめる。あっという間に、柔らかな頬の内側から鮮血が溢れ、喉を流れていく。
吸血鬼じゃないレイにしてみると、血液は水分代わりにならないが、口を塞ぐと言う意味では十分役に立つ。今度は首を締めなくても済んだ。
レッサーデーモンたちの足音が通り過ぎ、レイを押さえつけていたナリンザは、自分の手に付着した血に気づいた。レイの唇から、飲み込めなかった血が伝って落ちる。
「申し訳ありません。押さえつける力が強すぎましたか」
自分のせいかと勘違いし、すまなそうに尋ねるナリンザに、首を横に振って否定した。そして、口に溜まっていた血を吐き出すと、レイはナリンザに向けて言う。
「ナリンザさん。ここはどうも深層のようです」
「―――ッ! それは……いえ、そうかもしれませんが。いや、しかし」
レイの唐突な発言にナリンザは困惑を浮かべた。なぜなら、深層というのは世界に山とある迷宮の中で、僅かに五個の迷宮でしか確認されていない、希少な場所だ。
その希少性に比例して、攻略難度は非常に高い。あのA級冒険者のオルドでさえ、クランの実力者を率いていなかったというマイナス要素があったにしろ、探索を中止した場所。
超級モンスターが当たり前のようにうろつき、冒険者を殺しに来る罠が悪魔的な配置をされ、高難易度を象徴するような伝説級の超弩級ボスモンスターが最奥で待ち構えている。
その分、手に入るアイテムや、鉱石や薬草などの類も伝説級の物ばかりとなる。腕に自信のある冒険者たちは、万全の準備をしてから一つずつ、安全を積み重ねて進む。
それが深層。
そんな場所に上層から転移したと言われても信じるのは難しい。だけど、すぐ傍を通ったレッサーデーモンたちを見た以上、自分がありえない現象に巻き込まれているのもナリンザには無視できない事実だった。
(超級モンスターのレッサーデーモンの確認例は、下層部でもある事にはあります。ですが、そのどれもが、ボスモンスターとしてのものや、それ以外の場所で遭遇したとしても一体程度。少なくとも三体も連れ立って歩くところは、深層以外では耳にした事はない。ですがいくらなんでも考えが飛躍しているような)
ナリンザは胸中で考え込むが、レイの言葉をすんなりと信じる事は出来なかった。すると、畳みかけるようにレイが口を開いた。
「ここは上の階層と同じで、通路が入り組む迷路のような作りになっています。左に進むと、インビジブルストーカーに遭遇しますので、右に進みましょう」
言うなり、レイは通路を歩きだそうとして―――首筋に槍を突きつけられて、足を止めた。
「待ってください、レイ殿」
双頭の槍の穂先をレイに付きつけ、ナリンザは固い声色を出す。
「……あんまり、遊んでいる暇はありませんよ、ナリンザさん。ここもいずれモンスターが現れますから、安全地帯とは言い難いので」
槍を突きつけるナリンザの顔は険しく、殺意すら込められているというのに、レイの態度は冷静そのものだった。まるで、こうなる事を予測すらしていたかのように自然体のままだ。その態度が、ナリンザの中で芽吹いた疑念の花を大きくさせる。
「貴方は、つい今しがたまで気絶していました。それを私が気付け薬で目を覚まさせ、あそこに押し込めました。情報を手に入れる余裕なんて無かったはずなのに、ここが深層だと知り、インビジブルストーカーが左手の通路に居る事を告げました。……それが事実かどうかは分かりませんが、何を知っているのですか、貴方は。もしや、この場所に来たのも何かの企みがあるというのですか?」
レイはため息を吐くと、ナリンザに振り返った。槍が喉元へと突きつけられるのに、レイは恐れていない。
「ナリンザさん。これからする説明に、質問はなしです。これは時間との戦いなんです。あと五分もしないうちに、ここにフィアーメイガスが通りかかり、僕らを見つけ次第、通路を腐食の沼に作り替えます。足元から崩れ落ちていくので、かなり痛いですよ」
「な、なにを言っているのですか? まさか、気が―――」
「―――狂っていません。……ナリンザさん。僕は特殊技能を持っています。効果は、死亡した場合、僕の意識は死亡する前へと戻り、時間をやり直すことが出来ます」
ぽかん、と。美麗な表情が間の抜けた顔になる。レイは槍を突きつけられている状況だと言うのに、噴き出しそうになってしまう。何度見ても、彼女のこの表情は気が緩んでしまう。
しかし、ここで時間をくうと、腐食の沼コースになるのは四回目で体験済みである。レイは笑いを堪えながら、説明を続ける。
「僕の主観では、この深層探索は十二回目です。ここからしばらくの間の道順や、罠、モンスターの配置や行動などを僕の記憶は蓄積しています。だから、例え今回がだめでも、経験は引き継がれます。次に繋ぐためにも、僕を信じて一緒に行動してください」
「……やはり、信じられませんね。むしろ、狂ったと言われた方が納得できます」
ナリンザは視線を鋭くして、レイに疑惑の視線を向ける。これも今までの展開と同じだった。だからレイは動じることなく、ある言葉を記憶の中から引きずり出す。
「三回目の時、僕はナリンザさんから、ある言葉を受け取りました。それを言えば、確実に自分は信じるだろう、と」
「面白いですね。ならば、言ってみてください。もっともそんな言葉があるのでしたらね」
ナリンザの態度はレイを小ばかする。だけど、その態度が数秒後に激変するのをレイは知っていた。あの手この手で、三回目の死に戻りの時にナリンザから受け取った言葉をハッキリと口にした。
「オジマンティ」
「――――ッ!!」
絶句。
ナリンザは衝撃のあまり魂が抜け落ちたかのようにふらついた。毎度のことながら、レイは人がこれほどの衝撃を受けることがあるのかと困惑すらしていた。
だが、それも数秒の事だ。
ナリンザはレイの首元に突きつけていた槍を下げると、深々と頭を下げた。
「数々の無礼な態度、申し訳ありません。今は火急の折より、地上に戻れた暁には正式な謝罪をさせて頂きたい。どうかご容赦の程を」
先程までとは打って変わった態度にレイは驚くよりも引きつってしまう。何度見ても、この変わりように付いて行けない。自分が許すと言わなければ、彼女はこの姿勢を解こうとはしないので、
「分かりました。先程までの事は水に流して、一緒に生きて帰れるように頑張りましょう」
「ありがとう存じ上げます。……それではレイ殿。前回まではどのような道順を辿ったのでしょうか。そして、何処で死んだのでしょうか」
どのような修羅場を潜り抜けてきたのか知らないが、ナリンザの頭の回転は非常に高い。レイを信じる事にした彼女は《トライ&エラー》の効果をレイの短い説明で大よそながら理解していた。
「ダンジョントラップで死にました。とりあえず、僕の後に着いて来て下さい」
レイが先導する形となって、深層の通路を進む。レッサーデーモンたちが来た方角を進みながら、後ろを振り返った。ナリンザはレイの事を全く疑っておらず、槍を片手に周りを警戒していた。
(本当に、人が代わったかのように態度が変わるよな。いったい、何なんだ、オジマンティって)
インビジブルストーカーに殺された直後の死に戻り。レイは自分が死に戻り、未来を知っていると説明した。その時のナリンザはまったく信じないどころか、レイの事をモンスターに洗脳されたのではないかと疑ってすらいた。
そのためワザとインビジブルストーカーの居る方向へとナリンザを連れていき、インビジブルストーカーを返り撃ちにする事で信頼を得た。その時に、ナリンザがレイの事をすぐさま信頼できる言葉は無いかと尋ねた、悩んだ末に絞り出された言葉がオジマンティだった。
その意味が何かは、最期まで教えて貰えなかった。
四回目の時に、信じて貰えるように能力の説明を長々とした後に、オジマンティを持ち出すと、それまで全く信じようとしなかったナリンザがあっさりと信じたのだ。逆に驚いてしまった間に、フィアーメイガスがレイ達の傍に転移してきたため、死んでしまったが。
そして五回目以降、レイは説明を短くし、オジマンティをすぐさま出すことでナリンザの協力を取り付けるようになった。
「っと、待ってください。こっちの通路を行きます」
レイは三つに分かれている通路の内、左の通路に飛び込んだ。しかし、奥に進もうとはしないで曲がり角で身を潜める。不思議に思うナリンザだが、口を出さずに見守っていた。
「あっちの右の通路から、アンブレイカーゴーストが出てきます。そしたら、右の通路に向かいましょう」
レイの言葉通り、青白い女の幽霊が漂いながら右の通路から姿を現した。見ているだけで、寒々しさを撒き散らす幽霊はレイ達に気づくことなく、中央の通路へと消えていった。
「本当に、アンブレイカーゴースト。やはり、レイ殿のいう死に戻りは本当でしたか。……でも、どうしてこの先を行かないのですか」
右の通路へと進むレイに対して、進まなかった左に向かう通路の事を尋ねるナリンザ。レイは振り返ることなく、簡潔に言う。
「あそこを進むと、アンブルバグズの巣に落ちてしまいます。中央に行けば曲がり角も無い直線なので、後ろからアンブレイカーゴーストに襲われます。ですから、この順路がモンスターを回避できます」
「つまり、モンスターの回避を主体に探索を重ねているのですね」
ナリンザの指摘は正解だった。レイはこれまでの探索をモンスターとの遭遇を可能な限り、というよりも確実に遭遇しないことを主体に置いていた。
三回目の死に戻りの時。インビジブルストーカー三体を倒すのに、レイ達が支払った代価は自分の左手と右足。そしてナリンザの命だ。
オジマンティは死に逝くナリンザから託された遺言のような物だった。
考えるまでもない当たり前の話なのだが、超級モンスターを相手にレベル五十台と百を超えている冒険者二人では厳しい。レイがアマツマラの迷宮でレッサーデーモンを倒せたのは、二十を超す繰り返しの内で、レッサーデーモンのパターンを編み出した事と、狭い通路で戦う事によって巨体が仇となったからに過ぎない。
戦闘は出来る限り避けるのが、レイの決めた方針だった。
ふと、レイは見覚えのある景色に辿りつき、足を止めた。ナリンザも同じように足を止めた。
「ナリンザさん。ここから先は僕の歩いた場所だけを踏んで下さい」
「それは一体……もしや、ここが?」
「はい。この先は罠だらけです」
一見すると、何の変哲もない単なる通路。しかし、レイは知っていた。この通路には至る所に罠が仕掛けてあるのを。
レイは服の袖をダガーで切ると、記憶にあるタイルへと向かって落とした。ひらひらと舞い落ちた布きれはタイルに落ちるなり、ずざん、と貫かれた。
貫いたのは光線だ。タイルの中心部から天井までを貫くオレンジ色の光線が出現していた。光に貫かれた布きれはあっという間に燃え尽き灰となって散った。
「光魔法によるダンジョントラップ……ですね」
「あんな布が触れただけで起動します。しかも高温なので、あっという間に火だるまになりますんで」
赤龍のブレスと比べて火力の低い火は、中々レイを死なせてくれない。絡みつく様に肉と骨を焼く火は酸素を奪い、むしろ呼吸が出来ないせいで死んだのだろう。
レイは自分が火だるまになった事を思い出しながら、最初の一歩を踏み出した。通路の始まりは簡単なのだ。普通の歩幅で次の安全地帯へと移動できる。
しかし、長い通路の半ばまで行くと、難易度が上がっていく。レイはダガーを抜いて、安全地帯に向けて投げ飛ばした。がつんと床に刺さったダガーを指差しながら、
「次はあそこまで行きます!」
「随分と、遠くになりましたね」
レイの数歩後ろを付いてくるナリンザが驚いた顔をする。なにしろ、次の場所までは四メートルはあるのだ。今までと違って随分と遠くになってしまった。
しかし、これは十一回目のレイが、衣服全部を放り投げて確認した事実だ。パンツ一枚で幅跳びをする羽目になったのは、記憶から忘れたかった。その上、微妙に距離が足りなかったせいもあり、死んでしまったのだ。
だけど、今のレイには秘策がある。レイは精神力を足に込めると、右の壁に向けて跳んだ。そして、壁に激突するのではなく、その壁を足場にもう一度跳躍した。
レイは余裕を持ってダガーを突き刺した場所へと辿りついた。そして、問題ない事をアピールするかのように立ち上がり、
―――ずざん、と。
左右の壁を貫いた光線に、頭を貫通されてしまった。
暗くなる視界。遠くでナリンザの叫び声が聞こえていく中、レイは、
「高さ制限……かよ」
と、呟いた。
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十五回目。トラップゾーンをようやく突破するも、ばったりと出くわしたアイアンナイト一体と戦闘に入る。狭い通路の中を縦横無尽に駆けまわる、鎧騎士。手にした長槍がレイの体を血まみれにするも、どうにか撃退に成功。ところがナリンザに治療を受けている間に、逃げたアイアンナイトが仲間を引き連れ戻ってきた。それもご丁寧に長槍兵を前列に、後列に弓兵を置くという徹底ぶり。背後がトラップゾーンのため、直進したレイは矢を浴び、槍衾に貫かれて死亡。
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二十一回目。直線の通路が長々と続くトラップゾーンの道を諦め、アンブレイカーゴーストの後を追いかけるルートを選択する。三叉に分かれる道でアンブレイカーゴーストを先に行かせ、中央の通路を進む。
すると、中央の通路をしばらく歩いているうちに、体が動けなくなってしまった。膝に力が入らなくなり、レイとナリンザは通路で倒れてしまう。
ナリンザの装備している上級の《耐毒》の指輪ですら防げない毒が通路を満たしていた。どうやら、アンブレイカーゴーストが無意識に放出している毒だったらしく、体が動かせない中、レイはゆっくりと自分の体が腐っていくのを眺めていた。
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三十七回目。ここに来てようやく大きな変更をする。死に戻った地点から向かう行き先を変更する。つまり、レッサーデーモンたちの後を続くルートにした。
フィアーメイガスが転移してくる寸前まで待ってから、レッサーデーモンが消えた方向へと足を進める。前方から聞こえてくる振動と足音を頼りに前の状況を想像していると、レッサーデーモンたちがある地点でそれぞれバラバラに移動を開始。レイ達もそこに辿りつく、通路が五つに分かれていた。端から順に探索しようと思い、一番左の通路を選ぶ。ところが運悪く、その通路は短く、すぐさま行き止まりだったらしく、引き返そうとしていたレッサーデーモンと目が合ってしまった。撤退を進言するナリンザだったが、レッサーデーモンの咆哮によって異変を察知した他の個体が左の通路に集まったため、挟み撃ちとなってしまう。
狭い通路のため、ハルバードを満足に扱えないレッサーデーモンに善戦するも、地力の差により死亡。
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五十八回目。深層に落ちてから、生存時間が初の一時間越えを達成する。そのルートは三体のレッサーデーモンの後を追い、五つに分かれた道の内、左から二番目の通路を選択。レッサーデーモンはその通路にはおらず、途中で二股に分かれる道を左に行き、巡回するアイアンナイトをやり過ごし。行き止まりと見せかけた回転扉を抜けるルートだ、回転扉を抜けると金属製の扉がレイ達を待っており、開けると四方を壁に囲まれた小部屋となっている。
一度入ると、扉が壁へ変化し、戦技すら跳ね返してしまう。その上、上から天井が迫っていき、侵入者は押しつぶされてしまうのだ。
小部屋に入ったのはこれが三回目で、左の壁から順番に仕掛けが無いかを探索。遂に天井を停止させる装置を発見し、停止に成功した。
ところが、停止の装置はあるものの、そこから脱出する装置はどれだけ時間を掛けても見つからないため、死に戻る為に天井を再び下ろす事となった。以後、この小部屋には入らない事をレイは固く誓った。
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八十二回目。あえてのインビジブルストーカールートを選択。遅々として進まない探索にレイは消耗しており、戦闘を回避するという縛りを外すことに。そこから十回ほど戦闘を繰り返した結果、インビジブルストーカーを三体、無傷で倒すパターンを構築する。
透明になるのが厄介なだけで、透明化を阻害する方法を見つけた時点で勝敗は呆気なかった。未探索の場所に、レイの精神は刺激を受け、気分が高揚する。
そのため、見え見えの罠だった落とし穴を飛び越えようとして、見えない壁に激突。落下していく彼は中国の偉人の名を叫んでいた。
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百二十五回目。いまだ深層の全容は明らかにならず。
地上への帰還方法は分からず。
無限に続く終わりなき探索は、いたずらにレイの脳と精神を消耗させ続けていた。
読んで下さって、ありがとうございます。




