1-22 ゲオルギウス
昨日の時点で密かな目標としていたPV2500アクセスとユニーク500人を超えました。
私の拙い小説を読んでいただき、ありがとうございます。
次は、PVを5000アクセスとユニークを1000人を目標として頑張ります。
※7/25 空行と一部訂正。
オルドは浴びるほどアルコールを摂取したのに、まったく酔えなかった。喉を焼くような度数の高い酒を胃に流し込んでも酔えないのは初めての経験だった。
理由は目の前の娘の様子だ。
女性の冒険者もいるが基本的にこの業界は男社会。そんな中で男手ひとつ育ててきた男勝りな娘の様子がおかしかった。
ニタニタと思い出すように笑い、グラスの水面に映った自分の笑みに気づいてはしゃきっとして、それでもまた相貌が崩れるを繰り返す。アルコールは飲ませていないはず。
(これじゃあ、まるで恋煩い……いや、そんなことは無い!)
心の動揺を隠すように酒を飲むが、一向に酔えない。結果、空になったビンはテーブルだけでなく、足元にも積み重なる。
「団長。今日はやけにペースが速いですね。何かありましたか?」
そんな彼を見かねて、口を出すのは『紅蓮の旅団』、副団長のロータスだ。他の団員はすでに潰れて、眠りの世界に身をゆだねている。
「あ? ……ああ。ちょっとな」
口ごもりながら、曖昧に返す。エルフの美女は、花のような可憐な笑みを浮かべつつ酒を口にして彼女の足元にも空のボトルが積まれていく。いつもながら凄まじい飲みっぷりだとオルドは舌を巻く。これだけ飲んでいても明日にはケロッとした顔で起きてくるのだ。
裏に引っ込んだ女将はどんどん増えていく売り上げに喜ぶ一方、明日の酒が無くなっていく恐怖に板挟みになる。
それにしてもと、彼は店の入り口に目を向けた。先程から酔っぱらいの喧嘩でも起きているのだろうか。通りが煩い。
ここの小さなウェイトレスも女将に言われて様子を見に行ったほどだ。
「なあ、ファルナ。ちょいと聞きてえんだがよ」
彼は巌のような顔面に渋面を作りつつ娘に問いかける。
「なんだよ、親父。そんな真剣なツラして」
いつもと雰囲気の違う父親の表情から何かを察したのか、夢うつつだったファルナも表情を改める。
「いや、何だ。俺の……勘違いかもしんないが。うん。勘違いだと思うが」
「ホントにどうした親父。らしくないぞ」
歯切れの悪い父親に対して、不安げな表情を浮かべる娘。
(いかんな。ここは男らしくスパッと聞くべきだ)
覚悟を決めるかのようにボトルに直接口をつける。まだ大量に残っていた酒を、喉を鳴らして胃に流し込ます。
ダン、と机に叩きつけた時には空になっていた。
「お前、あの小僧の事」
どう思っている。そう彼は続けるつもりだった。
しかし、それはできなかった。
突然大通りから悲鳴が上がる。同時に人が何かを恐れて走り出していく。
心臓を鷲掴みにするような殺気がオルドを貫く。まるで死神に心臓を撫でられたようだった。
熟練の冒険者であるオルドはロータスに視線を向けた。彼女も何かを語らずとも、理解したように頷いた。
「……親父?」
アイコンタクトに疑問を抱いたファルナを置いて2人は店の出口へと走った。途中オルドは振り返り、指示を出す。
「ファルナ! 他の奴らを叩き起こして武装状態で店を出ろ! その後の指示はカーティスの判断に従え」
「親父たちはどうすんだよ!」
ただならぬ2人の様子から異常事態だと感じたファルナは心配して叫んだ。
「俺らの事は良い」
「大丈夫ですよ、ファルナ。いまは自分の身の安全を優先してください。せっかくカッコいい男の子に助けてもらったんですから」
「な! ロータス姐!」
ロータスがからかう様に言うと、耳まで赤くして怒るファルナ。そんな娘の様子にオルドの中の疑念が形を持つ。
「いいから行くぞ! ロータス」
「了解です。団長」
2人は店を出て、大通りを人が逃げてくる方へ視線を向けた。
瞬間。
ギルドの前で爆発が起きた。
「ぬううう!」
「きゃああ!」
身構えた2人に土煙が襲い掛かる。オルドは背負った斧を扇子の様に使い、風を引き起こして土煙を吹き飛ばす。
土煙が晴れると2人は爆発した場所を見て、硬直した。
そこに一本の黒い槍が刺さり、大地にクレーターを作り出していた。
一見するとただの槍の様に見えるが熟練された戦士には禍々しいオーラが見えていた。
そして、その向こうでレイが少女を抱きかかえて、地面に蹲っているのを見た瞬間、戦士たちは動いていた。
無言で、打ち合わせも無く、各々の役割を果たそうとする。
ロータスはオルゴン亭の真向いの建物の柱に手をかけると、するするとのぼり始めた。屋根にたどり着くと、そのまま、ギルドへと屋根伝いに移動する。
オルドは豪快にジャンプした。オルゴン亭の庇に手をかけて屋根へと上る。慎重に、極力音を立てない様に移動する。
瞬く間に奇襲の準備ができた。
ギルドの外壁をよじ登り、屋上へとたどり着いたロータスは絶好の狙撃ポイントを決める。眼下にレイと、謎の男を捉えた。
家々の屋根を使い、オルドは男の頭上を見下ろせる位置に着いた。
2人は直感で理解していた。
一見するとぼろを纏った浮浪者のような出で立ちだが、この男はとてつもなく強いと。そして、敵だと理解した。
下では、男がいつの間にか槍を握り、振りかぶっていた。オルドはロータスの方を見た。彼女は一度頷くと、腰に下げた矢筒から矢を数本引き抜くと弓につがえる。
「荷物は捨てなくていいのか?」
「黙ってろ! このサディスト戦闘狂!!」
(よくぞ吠えた!)
オルドは自分でも気づかずに獰猛な笑みを浮かべていた。
タイミングはロータスに任せる。彼の役目は、その後だ。
眼下で、状況が開始する。
複数の矢が男をめがけて射られた。音に反応したのか、殺気に反応したのか分からなかったが、男は槍を巧みに使い、矢を撃ち落す。
その技量に感心しつつ、オルドは斧を振りかぶって飛び降りた。
頭部を砕こうと迫りくる斧に、男は槍で受け止めた。夜の大通りに火花が散った。
その時、オルドは男と眼があった。闇夜でもくっきりと輝く、黄金の瞳だった。
「こいつは……冗談だろ」
弾き飛ばされながら小声で呟いた。
彼の脳裏におとぎ話の存在がちらついた。
迷いを振り飛ばすように頭を振る。今は戦場だ。迷った奴から死んでいく。
「よく、一人で頑張ったな、小僧!」
肩越しに、レイに向けて言った。
黒髪の幼さを残す少年はほっとした様にへたり込む。右手首から夥しい血が流れている。顔も青白く、呼吸が浅い。ろっ骨を痛めたなとオルドは分析する。
着地音が背後から聞こえる。弓を携えたロータスが降りてきて、オルドの近くに来る。
「なに、降りてんだよ」
「あそこからいくら狙っても弾かれるだけです。遠目からでもわかりますよ、あの男の危険性が」
副団長の鋭利な目が油断なく男に向けられている。オルドは心の内で同意する。
自分の体重と斧の重量、それに落下のエネルギーを振り下ろしの一撃に込めた。それをあの男は難なく受け止め弾き飛ばしたのだ。
2人の冒険者の鍛え上げたセンサーが一気に警告している。目の前の敵は強敵だと。
「助太刀します」
凛とした声が緊張している2人に掛けられた。ギルドの制服に身を包んだアイナが、宝石のついた杖を携えて2人の傍に立っていた。
「お嬢ちゃん。……たしか元冒険者の」
「魔人種です。名をアイナと言います」
端的に自己紹介をした。
『紅蓮の旅団』の2人にもその名は聞き覚えがあった。中央大陸を活動の拠点としていた魔人種が引退後、ある街のギルド職員として働いていると。
「たしか、レベル100越えの魔術師と伺っています。確かですか」
ロータスが記憶を頼りに質問する。アイナはそれに頷いて返す。
「もっとも、最近は腕が鈍ってしまい。ちょっと弱くなっています」
「十分だ。これで戦力は最低限揃ったな。その上で聞きたいことがある」
「何でしょうか、オルドさん?」
オルドは男を指さしてアイナに問いかける。
「あいつ、魔人種だよな」
「はい。あのオーラは間違いなく同族です」
「なら聞くが、魔人種にとって髪は俺ら人間種と違い、伸びる速度が圧倒的に遅い。だから伸びた髪の長さがそのままそいつの年齢を表すと聞く」
アイナはオルドが何を聞きたいのか分かった。3人の視線は足元まで伸び切った黒髪へと注がれた。
「およそで良い。アイツの年齢は幾つだと思う」
「……おそらくは500は越えていると思います」
アイナの回答にオルドは心の底からため息を吐き出した。
敬愛する団長のそんな姿に驚いたロータスは口を開く。
「なにをそんなに弱気になっているんですか!」
「いやな。前髪で隠れているアイツの目がな、金色だったんだよ」
オルドの言葉に、2人の美女は食い入るように前髪の奥にある瞳へと注がれる。2人の脳裏に共通して、あるおとぎ話がよぎった。
視線を受けた男は誇示するかのように前髪をかきあげる氷のような美貌と共に金色の瞳が露わになった。
「「―――っ!」」
その瞳に射抜かれたように2人は動きを止めてしまう。だがオルドは一歩前に出て斧を向けた。
「貴様に問う。……名を何という?」
男は一瞬、虚を突かれたような表情を浮かべて、おもむろに笑い出した。
「はっはっはっ! いや、これは失礼した。たしかにその小僧にも名乗るのを忘れていた。なにより潰しがいのある戦士に名乗らぬは恥だな」
ポツリと男は言った。
槍を地面に突き刺すとぼろのマントを放り投げる。悪魔的な意匠の漆黒の甲冑を晒し、むき出しの両肩には口が生えている。大仰な身振りで、まるで舞台に上がった役者の様だ。
「遠き者は音に聞け、近き者は寄って目に見よ! 我は六将軍が二席! 陛下より賜りし名はゲオルギウス! 300年の眠りから目覚めたのだ!」
高らかに宣言した。
3人の顔は一様に青ざめる。覚悟していたとは言え、真実だとは思えなかった。
「……冗談だと思うか?」
「……伊達や酔狂で名乗る名前だとは思えません」
ロータスは信じられないと思いつつも、否定する材料は見つからなかった。証拠のように薄布を一枚剝がしただけで暴風のような殺気が巻き起こっている。
「恐らく本物だと思います。あの刺傷を見てください」
アイナが傷だらけの鎧の中でも一際目立つ、二つの傷を指さす。
「どう見ても心臓を貫通している傷なのにこの迫力。伝説通りの存在なら心臓が三つあります」
「つまり、あの男は心臓を二つ潰されて、あと一つしか持っていないのにまだあんなに元気なのね」
ロータスが暗い顔で纏めた。
「だとしたら、アイツはレベル600オーバーの怪物になるな」
「流石に心臓を二つ潰されていますから、200越えぐらいでしょうけど」
オルドが口にした数字をアイナは訂正した。しかし、それでも状況が好転したわけでは無い。だけど三人の戦意にいささかの陰りも無かった。
三人にとって、相手の強さが退く理由にはならない。ここで彼らが退けば、10分もしないうちにネーデの街は地図から消える。それは間違いない。
後方の美女たちが力を込めて武器を握るのをオルドは肌で感じた。
「アイナ。旧式魔法の上級を扱えるか?」
「……風魔法なら。三分下さい」
自分の現在の力量から正確に時間を告げた。だが、口にするアイナは告げるのを一瞬、躊躇った。質問の意図を理解したからだ。
オルドは時間を稼ぐと暗に言っている。おそらくロータスもそのつもりなのだろう。ゲオルギウスを相手に時間を稼ぐ。無謀とも言える考えだ。
しかし、オルドは躊躇わずに一歩前に進む。獰猛な笑みを浮かべて、野獣のような体躯に力を込める。
「十分だ! 距離をとって詠唱に入れ。ロータスは俺の援護!」
「団長は?」
分かり切っているが、ロータスはつい、口に出した。
「時間稼ぎだ。お前らに俺の命を預ける!」
駆けだす戦士の背中に、2人は了解と頷いた。
「名乗り合いはしないのか。……まあ良い。不作法は許してやろう、楽しませてくれよ、人間!」
槍を構えて迎撃をしようとするゲオルギウスの殺気が一気に膨れ上がった。禍々しい殺気の嵐を切り裂く様に矢が放たれた。
ロータスの矢は槍に簡単に弾かれる。舌打ちをしつつ、彼女は側面へと駆けだした。
ゲオルギウスはオルドに対し、神速の突きを繰り出す。先程までレイと戦っていた時には見せなかった速度だ。胸元を狙った槍は、オルドが振り上げる斧に阻まれる。
金属がぶつかる音が響く。上へと持ち上がる槍を己の筋力で押しとどめる。これ以上は近づけさせないとばかりに何度も突きを繰り出す。その全てをオルドは斧で撃ち落す。鈍重な斧をレイピアの様に軽々と振り回す。だが、的確に急所を狙う槍の前に、前へ進めずにいた。
両者は足を止めて、打ち合う。
その絶技を見つつアイナは行動を開始する。ゲオルギウスを目視しつつ、それでいて一足飛びで近づかれず、さらに言うと後方で動けずにいるレイを庇える位置に移動する。
借り物の杖を握り、己の内へと思考を集中する。詠唱を始める準備に取り掛かる。
「《鍵を開け》」
口に出すと、自分の中の精神力が堰を切ったように溢れてくる。意識を集中させる。久方ぶりの戦いに心を乱されているのが自分で分かっている。
旧式魔法は新式魔法や精霊魔法と違う点がある。まず、自分の精神力を必要な分だけ取り出す必要がある。先程口にしたのは、魔法使いがそれぞれ持ち合わせる、『宣誓』だ。今回発動するのに必要な精神力は自分の持つ量の八割に当たる。
その量を自分の精神から切り分ける。注意深く、繊細に扱う。この工程に失敗すれば、切り出した精神力が漏れて、無色の魔法として発動してしまう。無駄に消費してしまう。それを避けるためにも彼女は深く瞑想する。
一方、ロータスは軽業師の様に建造物の屋上へと昇って、戦場を俯瞰する。視界の端でアイナが詠唱に取り掛かったのを確認する。
(すばらしいですね。流石、魔人種)
エルフである彼女は、他の種族よりも精神力の流れに敏感である。アイナが自分の中で取り出し、魔法へと変換しようとしている精神力の量をこの距離から正確に読み取っている。
だが、逆に言えば、自分と同程度のセンサーを持つ存在なら同じように感じ取れるという事だ。
眼下で猛威を振るうゲオルギウスはアイナと同じ魔人種。たとえ肌で正確に感じ取れなくても、アイナの役割には気づくはず。
(だから、邪魔はさせません)
彼女は矢筒から矢を一本引き抜くと弓につがえる。
「《超短文・中級・倍増》」
新式魔法の光が矢を包む。彼女は引き絞った弓から手を離した。
ゲオルギウスは目の前の相手に意識を集中させていた。
三つの心臓の内二つを潰されて大幅に弱体した上、彼の前に立ちふさがるオルドは数値上のレベル以上に高い技量の持ち主。互いに足を止めて打ち合いつつ、決定打を繰り出そうとしては潰される。
しかし、そんな状況でも戦場の把握は済ませている。オルドの後方で瞑想している同族から大量の精神力が引っ張られたのを見て、彼女の放つ魔法を第一の脅威と見ていた。
そして、側面から飛来する矢が側頭部を狙っているのも気づいていた。
彼は槍の穂先はオルドに向けたまま、石突きで矢を撃ち落した。
はずだった。
「―――なに!」
ゲオルギウスは彼らしくない、驚きを抱いていた。撃ち落した矢の背後に、もう一本矢が追随していた。
影のように付き従う矢は、石突きを躱し顔面へと迫っていた。
「ちぃ!」
態勢を崩しながら迫りくる矢を躱す。だが、それは隙をオルドに見せる事になる。
「でかした!」
吠える様にオルドが槍の間合いに入り込み、斧を振り回す。ゲオルギウスは後退せず、迎撃する。誇り高く、傲慢な彼にとって人間相手に後退はありえない事だ。
「《大気よ、震えよ》」
剣劇の合間に遠くでアイナが詠唱を始めたのをゲオルギウスの耳は捉えていた。
その間もオルドとロータスの連撃を槍で捌いていく。だが、アイナの所へと行こうとすれば、2人に行く手を阻まれる。
「嬢ちゃんの所に行かせねえよ!」
「……やるな、人間!」
「《空よ、引き裂け》」
夜の大通りに鉄を打ち付ける音と、風を切る矢の音、それにアイナの詠唱が響く。
オルドの一撃一撃は全力だった。
ゲオルギウスを引き付けるのが彼の役目である以上、全力を持って足止めするのは当然だ。
だけど斧を通して感じるのは、目の前の男の途方もない技量。自分の全力を受け流すように打ち払われる。当然、流されまいと斧を引きもどしつつ、攻撃するが、それも流されてしまう。
両の腕が熱を持つ。まるで振り子の軌道のように大きく流され始めるのを堪えていた。
しかし、ほんの一瞬、オルドの力が抜けてしまう。それをゲオルギウスは見逃さなかった。
一際高い音と共にオルドの斧が上へと持ち上がる。当然両腕も追う形で上へと上がった。
ゲオルギウスの槍が、無防備の胴を貫いた。
魔人の口元に笑みが浮かぶ。手ごたえはあった。
だが。
「……勝ったと思ったか、ゲオルギウス!」
オルドは叫んだ。
全身で殺気を感じたゲオルギウスは刺した槍を抜こうとする。しかし、オルドの胴を貫通した槍はビクともしなかった。
「―――貴様!」
「『岩壁』のオルドを舐めるな!」
極限まで鍛えた筋肉に力を入れて固める事で槍を固定したオルドは真上から斧を振り下ろした。
ゲオルギウスは半歩、横にずれる。槍を抜くのは諦めても、その場を退くことは体が拒絶して中途半端な行動をとってしまう。
結果、渾身の力が込められた斧は甲冑を切り裂き、左肩から斜めに食い込む。
「ぐううう!」
「ごおおお!」
互いの体に己の獲物を食い込ました2人を見ていたロータスにはまるで、自分の尾を喰らう蛇のように見えた。
ずるりと噴き出す血で互いの武器が滑る。オルドは抜けた槍の傷口を、己の筋肉に圧をかけて塞ぐ。
だが、ゲオルギウスは左肩から腋窩付近までを斬られて、皮一枚で左腕がついているという重症だった。
「《空間を磨り潰す、不可視の顎よ》」
アイナの詠唱が追い打ちの様に響く。オルドは勝ったと思った。
この状況から逆転する術は無いと、そう思ってしまった。
―――瞬間。
とてつもない殺意をオルドは浴びる。
咄嗟に身構えたのは冒険者としての経験だった。
盾のように構えた斧が横に吹き飛んだ。
「なんだと……」
油断などしていなかった。
何より、ゲオルギウスの間合いから離れていたと思っていた。
しかし、現実には、槍を横に振った風圧で斧は吹き飛んだ。
「舐めるなはこちらのセリフだ」
底冷えするような冷たい声色と共にゲオルギウスが動く。
彼はあろうことか、取れかけた左腕を引きちぎる。左肩から青白い血が、壊れた蛇口のように噴き出す。
その残骸のような左腕を彼は高速で投擲した。砲弾のように真っ直ぐに、殺気で動きを止めていたロータスへ。
「しまっ!」
気づいた時には遅かった。
彼女は避ける暇も無く、砲弾を受けてしまう。そのまま屋根の向こうへと弾き飛ばされた。
「ロータス!」
オルドは自分の部下の方へと視線を向けてしまった。
ゲオルギウスから視線を外してしまう。失策だった。
視線を戻した時にはゲオルギウスの姿は無かった。
「邪魔だ」
声がしたと思ったら、オルドの体は横へと吹き飛ばされていた。
目にもとまらぬ速度で近づき、右足を振りぬいてオルドを蹴り飛ばしていた。
建造物を幾つも壊してオルドが止まった時、彼は動くこともままならない。
そして、ゲオルギウスは最終節に入ったアイナに向けて、槍を振りかざしていた。
「《我が敵を消し去れ》!」
「死ね、同族」
一瞬、ゲオルギウスの方が早かった。
右腕は振りかぶり、槍が彼の指を離れようとしていた。
その瞬間。
「《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」
レイの技能が発動した。
自然と、引き寄せられるように、槍はアイナの方からレイの方へと穂先を向けつつ、放たれた。
爆発音や地響きが大通りを揺るがす。巻き上がった土煙の量が被害の規模を物語る。
アイナとレイの間に、クレーターが生まれていた。
「―――小僧!」
ゲオルギウスがレイに対して怨嗟の声を上げるのと、アイナの魔法が完成したのは同時だった。
「《バニシングストーム!》」
詠唱の終了と共に、アイナの体に貯められていた精神力が消失する。
代わりに、ゲオルギウスの胴体に、小さな球体が生まれた。
何とも頼りない球体を見たゲオルギウスの表情にあせりが現れる。
それを待っていたかのように球体が音を立てて大きくなる。悪魔的な意匠の甲冑を削るのに比例しながら大きくなる。
「くおおお!!」
狂乱したかのように叫びながら、張り付いた球体を取ろうとして、無事な右手を突っ込んでしまう。
「やめろおおおお!!」
その右腕も球体に削られていく。もう、誰にも止める事はできない。
球体は加速度的に大きくなり、ゲオルギウスの下半身を飲み込み、上半身も胸郭を上半分ほど残して、突然小さくなり、消えた。
どさり、と音を立てて、食い残しが地面に落ちた。
アイナも、荒い息を吐きつつ、地面に座り込む。
「はぁ、はぁ、はぁ。勝ったの?」
ロータスが壊れた弓を携えて、屋根の上から状況を把握する。
「……終わったんですか?」
オルドは自分で開けた穴を這いずるように大通りに戻ってきた。
「やっと……死にやがったか」
三人の視線が倒れ伏すゲオルギウスに向けられる中、レイだけは違った。
新たなクレーターを作り出した、槍へと視線が注がれていた。
彼の見ている間に、空間に溶ける様に消えていく。嫌な予感を感じた彼は、叫んだ。
「まだだ、まだ終わっていない!」
「―――ああ、まったくその通りだ」
答える様に大通りに声が響いた。四人の視線が発生源へと注がれる。
彼らの見ている前で胸より上しかない存在が宙へと浮かび上がる。傷口から青白い血が滝のように流れている。
「……不死身なのかよ」
オルドが皆の気持ちを代弁する。だが当の本人が首を横に振った。
「さすがに、これ以上の戦闘行為の続行は命に係わる。名残惜しいが退かせてもらう」
「逃がすと思いますか」
ロータスが足首に潜ませているナイフを取り出す。弓を無くしたとはいえ、この中で一番動けるのは彼女だろう。
「怖い、怖い」
ふざけた様にゲオルギウスは言う。
「あまりにも怖いから、刺し違える覚悟で挑もう」
「はぁ、はぁ、はぁ。……刺し違える?」
息を乱しているアイナには心当たりは無かった。
オルドもロータスにも無かった。
だけど、レイだけはその意味を理解した。
彼の視線の先で、ゲオルギウスの右肩の口が動いているのが見えていた。
「そいつの右肩。詠唱をしてる!」
短く叫ぶと三人の視線が、右肩の口へと向けられた。
「そう言えば、伝承でも複数の口から魔法を放ったとありましたね」
「まじかよ……どんだけ化け物なんだ、こいつ」
オルドとロータスはゲオルギウスを挟んで会話する。ロータスはオルドに視線を向けた。オルドはその意味を理解して頷いた。
彼女はナイフを足首のホルスターにしまう。
「結構。それでいい。いや、私としては300年ぶりの死闘に酔いしれて楽しめたぞ、人間ども。貴様らの今後を案じておこう」
心の底から思ってもいないような戯言を述べつつ宙に浮かぶゲオルギウスはそのまま上空へと昇っていく。だが途中で止まり、レイに視線を向けた。
「小僧。……名前は?」
「……レイ」
「覚えておこう、レイよ。貴様はこの私の心臓を貫いた三人目の人間だ。いずれこの借りは返させてもらう」
最後にとてつもない殺気を放ちつつ、人の形をした死は夜空へと消えって行った。
「誰が……覚えて……やるもんか」
「ちょっと。レイ君、レイ君! 目を覚まして、レイ君!!」
レイは毒づきながら倒れこみ意識を手放した。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は7月20日を予定しております。




