5-13 責任の返し方
青い月が夜空に君臨する。
異世界エルドラドに来てから、行く晩も過ぎたが、何度見ても地球から見上げた夜空との違いに慣れる事は無い。それでも日に日に感じる違和感が小さくなっていくのも事実だ。
いつか、この夜空を見て何とも思わない日が来るのかと思うと首筋に嫌な汗が流れ落ちる。
机の上に置いた燭台、煌々と灯る蝋燭の明かりが影を作る。何処からか入り込んだ蛾がその輝きに引き寄せられるように、フラフラと飛び、火に飛び込んでしまった。
小さな虫の体はあっという間に火に包まれ、机の上に落ちるまでの間に灰となって消えた。
レイとリザは無言のままその光景を見つめていた。
シアトラ村は、冷たい静寂に包まれている。夜になると静けさは一層深くなる。僅かな身じろぎで軋む椅子の音すら、静寂を破る雷のように耳に飛び込んでくる。
村の中心にある備蓄庫の正面。二階建ての大きな家の一階の窓から、レイとリザは備蓄庫の方を眺めていた。備蓄庫に最も近い窓に机と椅子を並べ、異変が起きるかどうか警戒していた。
夕食が終わったあと、警戒役の引継ぎをしにきた自警団の青年からは、備蓄庫の中や出入り口で立っていてほしいと懇願されたが、レイはそれを拒否した。
備蓄庫の中は暗く、瓶や棚で四方は埋まっている。地の底から、モンスターが溢れた時は、逃げ場がない。門番のように出入り口を塞ぐのも意味は無い。モンスターの爪や牙、腕力なら備蓄庫の壁は簡単に吹き飛ばされる。野外で見張ろうが、室内で見張ろうが意味は同じだ。むしろ、野外で見張った方が体力の消耗は避けられない。
そう言いくるめて、室内から見張るのを押し通した。
シアラの《ラプラス・オンブル》によって村人たちに危険が振りかかるかどうかを確認してもらっている。少なくとも、近いうちにスタンピードによって命を危険に晒すことは無いとの事だ。
そのため、レイはあまり乗り気ではないのだが、それでも引き受けたクエストである以上、きっちりこなすつもりだ。
まずはレイとリザの二人が一階に降りて備蓄庫を見張る事になった。ここ数日、眠りが浅いのかシアラは欠伸を繰り返していて、見張り役は任せられない。その後ダリーシャスとナリンザが寝ずの番をする。意外な事に、ダリーシャスは寝ずの番を引き受けるのを嫌がる素振りを見せなかった。どちらかと言うと、ワクワクしていたとさえ言える。
(あれは、遠足とか修学旅行を前にした男子児童みたいな反応だったな)
やはり、王子らしからぬ人物である。
今も、寝泊りしているベッドからいびきを立てているのが聞こえる。あまりの五月蠅さに、適当な布を顔に被せたのだが、それでもいびきは此処まで届くのだった。
「まったく。うるさすぎるよ」
レイが呟くと、リザが控えめに同意した。金髪の少女は何処か浮かない顔をしていた。というよりも、クロッドウルフとの戦闘後から一貫して、彼女は表情を曇らせていたのだ。
昼食を食べた時も、村から提供された食料にレティが腕を振るった豪勢な夕飯の席でも、リザは心ここにあらずと言った様子だった。
「今日はお疲れ様だね。そして、ごめんね。疲れてる所をこうやって見張りに突き合わせてしまって」
レイはリザの様子がおかしいのを疲労のせいだと思い、労わりの言葉を掛けた。すると、リザは慌てた素振りで、
「いえ。私なら大丈夫です」
と、リザは気丈に否定するが、やはり表情はすぐれない。
「本当に大丈夫? なにしろ、はた迷惑な人が付き纏うようになったんだ。疲れたとしても無理ないよ」
誰とは明言しないが、二人は同時に同じ人物を思い描いていた。リザは苦笑を浮かべつつ本当に大丈夫です、と繰り返した。
「それよりも、ご主人様の方こそ。昨晩に引き続き、夜の見張りは体に堪えませんか。それに……食事の間もあの方の相手をしていたのですから」
ダリーシャスの鬱陶しさは食事の席でもいかんなく発揮された。
「もう、あの人の事は頭から無視する事にしたから、平気だよ。どうせ、三日後にはアマツマラから人がやって来る。そうしたら村を離れられる。その時、全力で逃げる事にするよ」
「分かりました。妹たちにも伝えておきます」
レイが頼むと、返すと沈黙が二人の間を隔ててしまう。レイは何か話題は無いかと頭を捻り、一つ、思い出したことがある。
「そ、そういえばリザ」
沈黙に耐えかねたレイが少女に呼びかける。青い瞳を窓から自分へと向けたリザにレイは何を話そうかと悩み、ある事を思い出していた。
「クロッドウルフと戦った後にさ、威力が上がっているとか言ってたよね。あれってどういう意味なんだい」
「えっと。そうですね。ご主人様。私の技能を確認してもらえますか。おそらく私の《風ノ義足》はレベルが上がっています」
リザの言葉に従い、レイは目をつぶるとステータス画面を捲る。確かにリザの言う通り、《風ノ義足》ⅠはⅡに上がっていた。その事をリザに伝えると、
「やはりそうでしたか。威力の上昇もそうですが、一度使用してから次に発動するまでの時間も短くなっていましたので、もしかしたらと思いました」
「なるほどね。技能のレベルアップ、おめでとう。……でいいのかな。この場合は」
リザは薄く笑みを浮かべると、ありがとうございます、と返した。だけど、やはり表情はさえないままだ。レイは少しでも彼女の中にある憂いを取り除こうと、言葉を重ねる。
「技能のレベルアップって特殊技能にもあるのかな」
レイにしてみると、戦闘の話を振ればリザが興味を引くかという思い付きだが、予想外にリザは食いつて来た。
「どう……なのでしょうか。特殊技能は数も少なく、持っている事すら周りに明かさない場合も多いので謎の部分が多いです。ですが、それでも特殊技能で分かっていることではこんなことがあります」
リザは一度、自分の中で話を整理するかのように言葉を区切った。
「一つは技能が融合した事例。元々別個に存在した技能が融合し、一つの技能に変化したのです」
(僕の場合なら、《トライ&エラー》と《心ノ誘導》が融合するようなものか)
レイはリザに先を促す。
「もう一つは特殊技能そのものが変質する場合です。これは冒険王が自らの身に起きた出来事として記しています」
「特殊技能の……変質」
「……残念ながら、冒険王がどのような特殊技能をお持ちだったのか、不明のままです。ですが、冒険王はその時の事をこう記されています」
リザは此処に居ない冒険王エイリークの、安城琢磨の言葉を代弁する。
「『私は新たな力を得るために、新たな地獄の門を開いた』、と」
「……新たな地獄の門」
僅か一行足らずの言葉に過ぎないのに、そこには冒険王が流した血で赤く染まっているかのような悍ましさを放つ。知らず知らずの内に、レイは唾を飲み込んでいた。
「もっとも、特殊技能が変質した例は冒険王の事例しかありません。ですので、多くの研究者はこれを後世の創作だと考えています。冒険王を直接知っている人はこの世にほとんどいませんから、謎のままです。……このようなあやふやな話をして、申し訳ありません」
九百年前に生きており、冒険王を知っている人物と言えば、サファただ一人だが、あの偏屈が素直に喋るとは思えなかった。
(これは学術都市で調べる内容がもう一つ増えたな)
レイが押し黙ると、再び沈黙が両者の間に降り立ち、リザは憂いを帯びた瞳で窓の外を眺めていた。
レイは蝋燭に照らされたリザの顔をじっと見つめた。
精彩を欠いた少女の白い肌は朱色の明かりに照らされると、白い肌が一層白く映る。まるで死者のような命が抜け落ちた肌にレイはリザに再び声を掛けた。
「リザ。やっぱり顔色が悪いよ。何度も聞くけど、本当に体調は大丈夫なのか。寝ずの番が体に厳しいなら、休んでも構わないよ。あとは僕一人でも十分だよ」
死者めいたリザの顔が、僅かに反応して、レイの方を向いた。青い瞳に拭いようのない悲しみが混じる。
「……申し訳ありません」
「謝ってばかりだと、こっちも何も言えないよ」
厳しい言葉だが、リザを思っての事だ。リザもその事を分かっているのか、しばらくためらった後、胸の内に抱えた物を吐き出すように心情を打ち明けた。
「実は……見慣れた光景を再び見てしまい……気持ちが掻き乱されました」
レイが、見慣れた光景と聞き返すと、リザは頷いた。
「あの時。イヴァン様が少女を連れて馬で旅だったあの時。あの光景は私にとって見慣れた光景でした。……奴隷商人の護衛として傍に使えていた頃に、幾度も見て来た家族との別れです」
レイは自分でも形容しがたい声が口から出てしまったのを止められなかった。リザはそんなレイを乾いた笑みで見つめ返した。
「……レティが居て、シアラが居て、エトネが居て。そして何よりご主人様が居て、私は幸せな時間を過ごしていました。温かくて、陽だまりのようで、まるで春の日差しを浴びているかのような日々です。それゆえ、クロトの元に居た頃の記憶に蓋をして思い出さないようにしていました。……ほんの数か月前の事なのに、頭の中から綺麗に忘れてしまっていました」
クロトとはリザとレティの前の主だ。ギルドに所属しない闇ギルドの奴隷商人。レイは死体となった彼しか知らない。
「クロトの元にはよく、あのような子供が流れてきました。理由は様々です。貧困からの口減らしや、部族同士の争いに負けた一族。……身寄りのない子供ほど、ある種の覚悟を抱いています。ここ以外に行き場がないと知っているからでしょう。でも、親に売られる子供はそうは行きません。頭では理解できても、心が追いつかないのです。遠ざかる親を何度も呼んでいました」
リザはどこか自嘲めいた笑みを浮かべる。まるで、そうすることで自分を罰するかのような態度にレイは言葉を失っていた。
「私は愚か者です。あの場で、私は気づくことが出来たはずなんです。止める事が出来たはずなんです。なのに、私は彼らを黙って見送ってしまったのです」
「……リザ。それは……」
涙を流さず、それでも細い肩は気落ちしたかのように下がり、表情はますます精彩を欠いた。慰めの言葉が出ず、レイの呼びかけは宙を舞って千切れる。
息をするのもはばかられる静寂を破ったのはリザだった。
「もし。イヴァン様が、アマツマラでは無く、ダラズの市場で彼女を売ろうとしたら。折角、売らなくても済む様になったというのに、売ってしまわれたらと思うと体が震えるのです」
「それは大丈夫だよ。テオドール王が手を回してくれると確約してくれた。心配な――――」
「―――それはアマツマラでの取引、です。ご主人様も御覧になったでしょう。ダラズは王の威光が届かない暗黒街へと変貌していました。闇ギルドの奴隷商人が堂々と売買していてもおかしくはありません」
リザの言う通り、ダラズの退廃的な雰囲気は、少なくとも正常な司法が働いているとはいい難い。アマツマラの闇市にだって、違法取引を行う露天はあったのだ。リザの推測を否定できない。
「一度行われた売買の取り消しは出来ません。買い戻すには向こうが提示した金額を支払うしかありません。……その時はおそらく、足元を見られるでしょう。望外な値段を突きつけられるかもしれません。……あの時、私は彼女が奴隷として売られていくのだと気づいていたのに、言い出せなかったのです。あの場でご主人様にその事を伝えれば、彼らを見送らずに止める事も出来たはずです……もし彼女が売られたら、それは私の責任です。……残された家族に、ステルマ様にどう償えばいいのでしょうか」
止めれたはずの悲劇を、止められなかった事の自己嫌悪がリザの胸に圧し掛かっている。痛々しいほどの刺を生やし、それが彼女の内側を削り、涙のような血を流させる。
(君のせいじゃない。なんてことを言ったとしても、リザは納得しない)
エリザベートと云う少女は、そういう少女だ。少々暴走するきらいはあるが、責任感が強く、芯のある少女。そんな彼女が自分を罰するかのように頭を垂れてしまっている。
レイはどういえばいいのか迷っていると、床が軋む音がした。
二人は揃って視線を闇の中へと向けた。
「失礼。驚かせてしまいましたね」
闇から投げかけられたのは、管楽器を奏でたような艶やかな声色だった。蝋燭の明かりの前に姿を現したのはナリンザだった。
顔を覆っていたベールは取り外され、ダリーシャスと同じ褐色の肌が露わになる。年齢は二十代後半と言った所だろう。美しく整った素顔に、灰色の頭髪が掛かる。どこかエキゾチックな風情を漂わせている妙齢な美女は、レイに目線を一つ送ると、断わりも無く空いた席に座る。
正方形の机の内、一辺は窓に張り付くように塞がっているので、三人がそれぞれ空いた辺に座っている。
ナリンザの琥珀色の目がリザを射抜いた。
「確か……エリザベート、と言いましたね」
既に自己紹介は済ませてある。記憶の中から思い出したナリンザに向かってリザは肯定で返す。
「では、エリザベート。失礼ながら、貴方達の話はいくらか聞かせてもらいました。何分、狭い家。どこに居ても、声を潜めていようと耳は聞こえてしまうのです」
確かに、静かな夜の村で二人の話声は聞こえるかもしれないが、エルドラドの一般家庭の中でも割と広めのこの家を狭いと表現したことにレイは軽く驚く。
だが、彼女は王子に使える従者。価値観も一般人とは違うのかもしれない。
「その上で、一言、貴女に申し上げたいのですが、宜しいですか?」
「……私は構いません」
ナリンザはリザに礼を述べると、一言。
「すべては本人の運次第です」
と、短く、断言するように言い切った。
レイは思わず呆気にとられた。
「あの娘がどうなるのかは、本人の選択が左右します。もしかすると、売られた先で善き主と出会うかもしれません。もしかすると、秘めていた才能が開花し一角の人物になるかもしれません。もしかすると、劣悪な環境で働き命を短くするかもしれません。どのような未来になるのかは全て彼女自身が決める事です。そこに貴女の責任はありません」
リザもまたナリンザの話にあっけに取られてしまい、言葉を無くしていた。
「確かに、売られずに済む所が、売られてしまい家族と離れる事は不幸なのかもしれません。本人にとっても、家族にとっても。ですが、まだ売られたとは決まっていません。確定していない未来に対して責任を負うのは他人である貴女のすべきことではありません」
諭すような言葉はまだ続く。
「それでも、何かしらの責任を取りたいと考えるのなら、別の形で返すと良いかもしれません。例え、本人に返せなくても、その周りを助ける事で、間接的に彼女を助ける事になれば。違いますか?」
ナリンザの問いかけに、リザは沈黙で返した。一階に置かれた時計の長針が進む中、遂にリザの顔が上がった。どこか迷いを振り切った少女の横顔は、死者めいた観相は消えていた。
「……確かに、そうなのかもしれませんね」
リザは一度言葉を区切ると、レイの方をちらりと向いた。
「どうやら、ご主人様の何でも助けたい病がうつってしまったようですね」
「おいおい、僕のせいかよ」
「ええ。ご主人様の背中を見ているうちに、私にも似たような感情が生まれたのかもしれませんね」
どこか悪戯めいた感情を見せるリザ。彼女は自分の胸に手を当て、
「ご主人様。もし、あの娘が売られてしまったら、私はあの父親に何をして差し上げればいいのでしょうか? この身はご主人様の物。差し出せる物は一体何があると言うのでしょうか」
真剣な問いかけにレイはしばしの沈黙を返した。そして、言葉を選ぶように慎重に答えた。
「ごめん。今の僕にはその答えが出ない。でも……君の主が僕である以上、君の責任は僕の責任でもある。だから、一緒に考えるよ」
「……ありがとうございます。そして、申し訳ありません」
「謝らないでよ。僕の何でも救いたい病がうつっただけなんだから」
レイがからかうように言うとリザは小さく笑みを浮かべた。そして、その桜色の唇から、小さな欠伸が漏れ出した。思わず手で押さえたが、レイにもナリンザにもバッチリとみられていた。
リザは耳まで赤くして恥ずかしがる。
「良いよ。疲れただろ。寝ておいで」
「いえ、そう言う訳にもいきません。ご主人様一人を残して寝る訳には―――」
「―――大丈夫だよ。何か起きたら、すぐに皆を呼ぶからさ」
リザは承服しかねる態度だったが、それを見かねたナリンザが助け舟を出した。
「でしたら、私が代わりましょう」
「貴女が?」
「ええ。しばらくは私とレイ殿。そして、次に私と主の二人が見張りをします。そうすれば、一人では無いでしょう」
レイは名案とばかりに頷いたが、リザはますます表情を強張らせていた。だが、最終的には折れる形で、二階へと上がっていた。道中、何度もレイに対して釘を刺すような視線を送るのを忘れなかった。
「すいませんね。リザの代わりに残ってもらってしまって」
「構いません。夜には慣れています」
リザの座っていた席にナリンザは座ると、リザが消えた階段へと視線を送る。
「随分と仲の良い主従関係のようですね。結構な事です」
「……そう言うそちらは随分と力関係が逆転しているようにお見受けできますよね」
何処か探るような言葉をレイは投げかけた。すると、ナリンザは艶やかな笑みを口元に浮かべていた。
「あれは我が主、ダリーシャス様のご意向に沿っているに過ぎません。デゼルト国の王子が全てそうではありませんよ」
「……へーえ。そうなんですか」
レイはごく自然な態度を崩さない。だが、内心では上手く行ったと拳を高々と上げていた。
だけど。
琥珀色の瞳がレイを鋭く射抜く。
「それで? 戦奴隷に席を外させてまで聞きたいことは、それだけなのですか」
ナリンザの質問にレイの体は硬直する。
読んで下さって、ありがとうございます。




