5-6 双頭の槍
「はぁっ!!」
苛烈な気合と共に、リザのロングソードが白刃を煌めかせる。剣を振るう姿は水を得た魚のように生き生きとしている。彼女の持つ《戦乙女》Ⅱの効果は多数の敵に囲まれるほど能力値が上昇する対多数用の技能。ある意味この状況は彼女の独壇場である。
剣が振るわれるたびにクロッドウルフの体は地面へと落ちていく。リザ本人の技量に、技能による強化。そしてなにより、アマツマラで購入したばかりのロングソードの切れ味の前ではクロッドウルフは路傍の石と言えた。
しかし。リザの華麗な戦いとは裏腹に、戦局は芳しくなかった。
いまも、刹那の間に三体のクロッドウルフを倒したというのに、表情は優れなかった。
原因は分かっている。
「グルウウ」「グゥウウ」「ガウゥアゥアウ!」「ヴァウ!!」
地面が泡立ったかと思えば、次の瞬間四体のクロッドウルフが土から誕生した。差し引きすれば、一体増えたことになる。
「またですか。……ご主人さま、何体倒しましたか」
リザは背中を預けているレイに向けて尋ねた。レイもまたファルシオンを振るい、クロッドウルフの胴体を両断してから、リザの質問に答えた。
「二十より先は数えてない。数えるだけ無駄だからね。そっちは?」
「同じですね。つまり、合計すれば少なくとも四十は倒しているんですよね。私達」
レイ達がクロッドウルフたちに囲まれてから五分と経っていない。二人合わせて四十体も倒したのは驚異的な早さとは言えない。何しろ相手は低級モンスター。レベル五十前後に到達しているレイとリザの前では鎧袖一触。落ち着いて戦えば瞬殺すら簡単な相手だ。
それなのに、二人の戦闘によって辺り一面は土が撒いてあるかのように茶色く濁っていた。その土から、いまもクロッドウルフが生まれていく。いつまで経っても終わる気配はない。
「私の目が間違っていなければ、まだ三十体は居ませんか。このモンスターたち」
「奇遇だね。僕の目にも同じように映っているよ」
レイとリザを囲む茶色の狼たちの数は膨れ上がっている。今では茶色の沼地に引きずり込まれかのような錯覚をレイは味わっていた。
クロッドウルフの使う《土人形》の魔法。自分と瓜二つの偽物を生み出す魔法。材料となる土さえ大量にあれば、魔力が尽きるまでいくらでも生み出せる。厄介なのは偽物が生み出される速度ではない。
一度生成された偽物に使われた土に秘密があった。
レイやリザが攻撃し、形を保てなくなった偽物は土に戻る。しかし、そこに込められていた魔力は消えない。土に残り続けるのだ。
そして、クロッドウルフ本体が《土人形》の魔法を唱える度に、新しい偽物と共に復活してしまう。流石に、二度も三度も復活すれば魔力が無くなるが、魔力が土に残り続ける限り、リサイクルされる。
単体にして群体と呼ばれるクロッドウルフの真骨頂は、長期戦になればなるほど、同胞を生み出しやすくなることにある。
(さて、どうしようかな)
一度は半分まで減らしたのに、むしろそれを待っていたかのようにクロッドウルフは数を爆発的に増やす。低級モンスターといえど、こうも数が際限なく増えていくのはレイとリザでも手こずっていた。終わりの見えない戦いは二人の気力を削いでいく。
レイはファルシオンを威嚇するようにクロッドウルフの鼻先に突きつける。実力差を理解しているクロッドウルフたちはあからさまに飛び込んでは来なくなった。
その代り、レイ達を逃がすまいと囲いを乱す事はしない。少女を連れて離脱した馬車や、怪我人を抱えている槍の男の方にも向かわず、レイ達を最大限警戒している。
(少なくとも、今すぐ負ける事だけは無い。でもこのままズルズルと戦い続ければ、体力や気力が消耗していくだけだ。切り札としてはコウエンが残っているけど……今は使えないんだよな、コイツ)
レイは腰に提げているコウエンに触れた。スヴェンとの決闘の際、一度は言う事を聞いた魔刀は、あれ以来うんともすんとも言わなくなった。抜いたところで炎も出せなくなっているし、今も戦闘中なのに自己主張を潜めている。ただの刀の振りをしていた。
魔人種であるシアラに鑑定してもらった所、
「これは、あれよ。へそを曲げたわね。主様の言う事を素直に聞いちゃった自分に腹を立てて、拗ねてんのよ」
と、言われてしまった。
武器なのに、随分と感情豊かな奴だと苦笑したが、今となってはもっと話を聞いていれば良かったと後悔している。
レイもリザも、これぐらいの危機は経験している。
バジリスク亜種、ゲオルギウス、ハーピーの群れ、スタンピード、赤龍、ゴブリンにレッサーデーモン。どれも、クロッドウルフよりも強敵である。
クロッドウルフを相手にして、簡単に負ける気はしない。
しかし、このまま長引けば、相手ばかりが得する状況だ。下手に手を出しても、モンスターの数はますます増えていき、かといって膠着状態が長引けば、本物のクロッドウルフの魔力が回復してしまう。
いまはクロッドウルフたちの意識は自分たちに向いているが、いつ、レティや横転した馬車の方に向くかも分からない。その時、クロッドウルフの足を止める事が果たしてできるかどうか。
(解決策は単純なんだよな。人手が足りないだけだ)
詰まる所、問題はレイ達がクロッドウルフを倒す速度よりも、増殖する速度の方が早い事に尽きる。
レイやリザが一体、倒すごとに、相手は二体三体と数を増やす。相手の増殖速度を超えるには人手を増やすか、範囲攻撃で一気に片を付けるしかない。
レイの持つ戦技は単体に対しては有効だが、集団に対して効果は薄い。リザの戦技なら、複数を一度に倒すこともできるが、彼女の少ない精神力では二発が限度だ。その二発で、運よくクロッドウルフの本体を倒せたらいいが失敗すれば目も当てられない。
こういった場合、一番役に立つのは魔法だ。シアラの魔法なら、一気に殲滅できるのだが、生憎と彼女はこの場に居ない。
レイは馬車が消えた方角を見つめた。丘の向こうからキュイが帰ってくる気配はない。
(シアラが付いている以上、おかしな事にはなっていなはずだけど、帰って来ないのはなんでだ)
「……遅いですね」
まるでレイの心を読んだかのようにリザが呟いた。彼女もまた、この状況を打破できるのがシアラだと気づいていた。
「三体程度、向うに逃がしてしまったけど、あれぐらいなら彼女たちでも問題なく片付けているはずだよな」
「ええ。……ですが、ない物ねだりをしている場合ではありません。現状、私達だけでどうにかしないといけません」
「そうだね。問題はどうやるかだけど」
クロッドウルフの黄ばんだ瞳がランタンのように揺れる。唸り声は低く、獣臭は一段と濃くなる。直に襲いかかってくるのは明白だった。考える猶予を与えるつもりは無いようだ。
レイは祈るような思いでコウエンの柄に手を掛け―――
「そこまでだ、獣共! 俺が相手しよう!!」
―――素っ頓狂な台詞に手が滑った。背中合わせに立つリザも力が抜けたのか、膝をついた。
二人は、いや、横転した馬車に隠れている二人も、三十を超えるクロッドウルフも全員、声のした方を見た。
一頭の馬が丘を駆け下りる。風の如き疾走である。遠目からでもよく鍛えられた馬だと分かった。その馬上に人が二人、跨っている。一人はマントに身を包み、ベールで顔を隠している。問題はその後ろで、馬の尻に足を乗せ、器用な身体バランスで立ち上がっている男だ。
かき上げたオレンジがかった金髪が風に揺れる。褐色の肌は日差しに映え、吼えるような大音声が戦場に響き渡る。
「この俺、ダリーシャス・オードヴァーンの刃は遍く敵を打ち倒し、害悪を打ち払う。まさに英傑の姿成り!!」
「王子。口を閉じないと舌を噛みますよ」
「祖は正に……いま、良い所なんだから、少し黙っていてくれないか、ナリンザ」
何処までも冷徹な女は、前口上に浸る男に苦言を呈した。あからさまに邪魔をされて機嫌を害した男は唇を尖らせた。その間も馬は四肢で大地を蹴り上げ、丘を駆け下りた。クロッドウルフが威嚇のために吠えたてる。
「ふふん。卑しきモンスターとて、我が威光に気づく程度の知能はあるか。どれ、俺が一つ相手してやろ―――」
「―――申し訳ありませんが、手綱を握っていただけますか」
馬の背で仁王立ちする男に対して、前に座る女は手綱を持ち上げた。男が反射的に手綱を握ったのを確認すると、女はなんと、高速で流れる大地に向けて足を下ろした。馬と並走するように走る女は馬に括ってある長物を掴む。
「おい、ナリンザ。貴様、まさか俺を置いていく気か? 正気か、貴様!?」
「この状況下で、貴方を連れてモンスターの群れに突っ込ませる方が正気とは思えません。馬の面倒、よろしくお願いします」
「ま、待ってくれ、ナリンザ! 俺の見せ場を盗るなぁ!!」
男の悲痛な悲鳴が上がるも、女は一顧だにせず、布に巻かれた長物を馬から外すと、地面を駆ける。その際に、馬の尻を叩いて向きを変えさせた。その場を直角に曲がる馬に振り落とされまいと男は馬の首にしがみ付き、結果としてクロッドウルフの群れから離れていく。
それをベールの隙間から見送った女は一気に駆けだした。数体のクロッドウルフが弾かれたように飛びかかる。涎を垂らした牙が迫るも、女は慌てることなく行動する。
飛びかかるクロッドウルフに対して、足を振り上げると、なんとクロッドウルフの頭を足場にして高く飛んだ。茶色の沼地を飛び越えて、レイ達の傍に降り立つなり、マントを引き剥がした。厚ぼったいマントの下から、必要最小限の鎧とそれを取り巻く薄い長布が蛇のように絡まっているのが露わになる。
ロテュスのように豊満とは言えないが、成熟した女性特有の体がしなやかに揺れ、琥珀を焦がした様な肌が太陽を浴びる。顔を覆うベールと相まって、何とも蠱惑的な情感を抱かせる。
突然の闖入者に視線を奪われたレイは、リザの絶対零度の視線に気づいて身を震わせた。晴れた青空を思わせる青の瞳に、輝きが無くなり、深海に続く暗闇が広がる。
「そうですか。またですか。また大きいのが現れるんですか。そうですか。この世はなんと脂肪に優しい世界となっているのでしょうか。そんなに大きいのが尊ばれる文化ですか」
「リザさーん。言ってることが支離滅裂になってる上、目に光が消えて怖いよー。それに、今は戦闘中。帰ってきてくれませんか」
レイがリザの肩を揺するも、彼女は正気に戻らない。その間、闖入者は長物に巻いていた布を解いていた。布が風に乗って空に舞い上がると、秘していた武器が姿を晒す。
それは不思議な形をした槍だ。全長が一メートル半程度と割と短めな事もあるが、それよりも穂先の反対側。本来なら石突きがある部分に、もう一つの穂先があるのだ。いうなれば双頭の槍。
エルドラドに来てから、槍使いは何人か見ていたが、そのどれとも違う槍使いにレイは声を掛けた。
「どなたか存じませんが、増援と思っていいんですね」
「そうとらえてもらって結構です。先の空気を読めない男の護衛、ナリンザと申します。主人の命に従い、助太刀に参りました」
「そいつは助かります。こいつらは、クロッドウルフ。一体を除いた他の奴は全て―――」
「―――魔法で生み出した偽物。倒した所で、復活する厄介な存在ですね」
ナリンザはレイの言葉の先を言う。どうやら、この謎の助っ人はクロッドウルフについて知識を持っているようだ。いまだにブツブツと呪いの言葉を告げるリザを無理やり敵と向かい合わせて、背中を守るように立つ。クロッドウルフたちはナリンザに警戒を向けている。いつでも飛びかかれるように四肢に力が漲っていく。戦闘の再開まで時間が無い。
「どうやって本体を見分ければいいんですか」
茶色の沼地に潜む本体を探そうとレイの視線は彷徨う。しかし、ナリンザは首を振ってレイの努力を否定する。
「残念ながら、姿形で本体を判別するのは不可能です。範囲攻撃系魔法を使えないのなら、やる事は一つしかありません」
「それって、一体ずつ倒していくっていう、力技ですか」
「それ以外、何ありますか?」
レイは口元に笑みを浮かべた。あれこれ考えていた割に、出た結論がシンプルすぎて下らなかった。その分、分かりやすい。背中越しにリザの名前を何度も呼ぶ。
「であるからして、貧乳には貧乳なりの希少価値が……はっ! ……お呼びですか、ご主人様」
澄ました声色で尋ねられると、先程までの醜態を追及する気が失せた。レイはリザに単純な指示を出す。
「リザ。目の前の敵を全て薙ぎ払え」
「……随分と、あっさりした命令ですね」
「嫌いかい?」
「いいえ。……それでは、エリザベート、参ります!!」
リザの鋭い踏み込みは地面を高らかと打ち鳴らし、戦闘の再開を告げる鐘となった。
クロッドウルフたちのボルテージも最高潮に達していた。モンスターは津波のようにレイ達三人に襲い掛かる。
レイはファルシオンを振るい、目の前の一体を両断する。頭から尻で縦に切れたクロッドウルフは血を撒き散らすことなく土に還った。すかさず、次の一体に対して、ファルシオンを横に薙ぐ。同時に、足元に向けて牙を立てようとする個体を、逆に脚甲で踏みつぶした。
足元で硬い骨が砕けた感触が一瞬にして柔らかい土に変わる。
レイはそのまま、クロッドウルフの群れに飛び込んだ。四方八方、全てが敵だ。何処に剣を振っても、拳を叩きこんでも、必ず何かしらに当たる。
牙が、爪が、皮膚を裂いていくのも構わなかった。受けた攻撃を上回る勢いでレイはクロッドウルフたちを打ち倒していく。かつてのように出鱈目に剣を振り回していない。ちゃんとした剣術とは言い難いが、それでもそれなりに型が出来つつあった。
言うなれば、戦闘という環境の中で磨かれていくレイのスタイルが血肉を帯びてきたという所か。
ミラースライムという、自分の先を行く存在を追いつけ追い越せと努力した結果がレイを一つ上のステージに押し上げていた。
一方でリザもクロッドウルフたちを駆逐していく。レイとは違い、白磁のような肌に傷は毛一筋も付いていない。レイのように、足や拳を織り交ぜた、喧嘩のような野蛮な戦い方ではない。ロングソードを振るう静かな剣術だ。
余りにも無駄のない動作の連続は、クロッドウルフがリザの剣の軌道に飛び込んでいるのではないかと錯覚してしまう。
しかし。
その二人を上回るペースでナリンザはクロッドウルフを打ち倒す。
クロッドウルフの中で舞うようにたたかう彼女の姿は、まるで神に奉納する儀式のようだ。一種の荘厳さすらある。双頭の槍が複雑な軌道を描いていくと、クロッドウルフの体は切り刻まれていく。遂には再生途中のクロッドウルフの頭を槍で打ち払い始めた。
レイとリザがクロッドウルフの群れに飛び込んでいられるのも、彼女が群れの大半を引き受けているから出来た。
ナリンザが参戦してからわずか三分で決着は付いた。空を飛ぶ鳥が下を眺めれば、草原の一部が茶色く濁っているのがありありと見えるはず。
レイはファルシオンに付いた土を拭いながら、首を傾げる。
「おかしい。クロッドウルフの本体が居ないぞ」
その言葉に二人も辺りを見回した。レイの言う通り、茶色の土の中に、クロッドウルフの遺体は無い。それはつまり、
「グォォォン!!」
本体の生存を意味する。
本物のクロッドウルフは三人の戦う姿に恐れを抱いて距離を取っていたのだ。横転した馬車からも離れ、魔法の効果範囲ギリギリの位置で《土魔法》の詠唱を始める。
レイ達の周りに散らばる残骸を修復するつもりだ。
「させるか、リザ!」
「了解です。《この身は、一陣の風と為る》!」
リザは技能を発動させると、両足に暴風の塊を宿らせる。そして、僅かな助走を付けると、右足の風を解放させた。
風の後押しを受けて、リザの体は宙を舞った。まるでロケットのような挙動だとレイは空を舞うリザを見送る。
クロッドウルフは視界から消えたリザに対して、咄嗟に横に滑るように駆けだした。彼女の姿がどこに居るか分からず、とにかく逃げようと本能が働いたのだ。
しかし、その動きは宙を舞うリザには一目瞭然だ。
「逃がしません! 《超短文・低級・形状変化》!」
リザは態勢を入れ替えながら、ロングソードを前に突き出して魔法を詠唱した。すると、細身の剣が、分厚い刃へと変化した。同時に剣の重量も増した。そして、彼女は左足に残してある暴風を解放した。
轟音が晴天の空を震わせる。
解放された暴風の後押しを受け、リザはそれこそ一個の砲弾のように逃げるクロッドウルフに迫った。リザの接近に気づいた時は既に手遅れだ。大剣とかしたロングソードは大地を抉るかのような破壊力をクロッドウルフの体に叩きつけた。
遠くで見ていたレイには、衝撃で舞った土のせいで、地面が捲れ上がったように映った。落下エネルギーと加速、重量が増した剣などが合わさって、尋常じゃない破壊力を生み出した。
「……オーバーキルすぎないか、ありゃ」
もくもくと上がる土煙を見て、レイは呆然と呟いた。その土煙から吐き出されるようにリザが出てくる。どこも怪我をしておらず、手には頭だけになったクロッドウルフを掲げている。首から下がどうなったかは考えるまでも無い。
小走りでレイの元に辿りついたリザは、沈痛な表情を浮かべた。
「リザ? もしかして、どこか痛めたか?」
「違います。実は胴体が、攻撃が当たった瞬間に千切れてしまい、魔石も砕けちってしまいました。……申し訳ありません」
しゅんと落ち込んだリザ。その背後ではまだ土煙が天に向かって伸びている。威力の凄まじさを物語っていた。
「気にしなくていいよ。それよりも、ご苦労様。これで戦闘は終わったね」
レイが労わると、リザはやっと笑みを浮かべた。
読んで下さって、ありがとうございます。




