閑話・受付嬢の出立Ⅲ
「そう言う訳にもいきません。これでも、ギルド職員。そしてここがギルドである以上、その辺りの線引きは、ハッキリとさせないといけません。ファルナ様」
「まったく。固いなー、アイナさんは」
唇を尖らせたファルナの仕草は、先程まで醸し出していた大人びた雰囲気を打ち消し、年相応の幼さとなる。それが妙に面白くて、くすりとアイナは笑ってしまう。
すると、アイスブルーの瞳を細めたファルナに睨まれてしまう。アイナはわざとらしく咳払いして誤魔化していると、ファルナの背後から複数の人影がギルドに入って来るのに気づいた。
人数は十人程だろうか。全員ファルナよりは年上だが、総じて若い。二十を超えるか、超えないかぐらいの、男女混合の集団。一番年上なのは最後に入ってきた男だ。
狼人族のカーティスだ。二十代後半の彼がこの集団で一番年上だった。そのカーティスはファルナに向けて小声で囁いた。
「話し中、すいやせん。お嬢。依頼人を待たせてます。急ぎましょう」
「あっと。そうだったね。ちょっとゴメン」
アイナに断りを入れるとファルナは首を左右に振った。誰かを探している様だ。しかし、彼女の探し人は見つからなかった。肩を落としたファルナはアイナに尋ねた。
「あのさ、アイナさん。実はこのギルドで法王庁の神官と待ち合わせしているんだけど、見かけてない? もしかしたら、二階にいるのかもしれないけど。……まさか、帰っちゃったとか!?」
不安そうなファルナに対して、アイナは驚いた。そしてそのまま、視線を後ろへと向けた。つられてファルナたちの視線もそちらへ向き―――固まった。
「……どうも」
神官服に身を包んだルリジオンが柱の影から会釈した。年若い冒険者の集団だが、それなりに場数を踏んでいる。そんな彼らにすら気づかれずに隠れられるのは一種の才能かもしれない。
「……アンタ。いつから、そこに居たのさ」
「貴女たちが入ってくる前からです。……お待ちしておりました、『紅蓮の旅団』の皆さん」
ぺこり、と。頭を下げたルリジオンに遅れる形でファルナも頭を下げた。
「『紅蓮の旅団』ファルナ班、班長のファルナ……です。……えっと、法王庁異端審問官のオーバートさん……様で宜しいんでありますか?」
先程の溌剌さはどこへ消えたのか。ファルナはらしくないほど緊張して、使い慣れない敬語に四苦八苦してしまう。自分の言葉遣いの不自然さに気づき、髪色と同じくらい耳を赤くした。
一方で、ルリジオンは無表情を崩さず対応する。
「いえ。私はオーバートの部下のルリジオンと申します。あいにく上司のオーバートは別件が立て込んでおりまして、こちらに来ることは叶いませんでした」
「えっと。それじゃ、アタシらは依頼人が来るまで、この街で待機って事になんの……ですか」
「それには及びません。上司より、依頼に関する指示を受けております。遠い所を来てもらって早々ですが、依頼についての話し合いを行いたいのですが、宜しいですか?」
ファルナは一瞬、後ろに控えていたカーティスを見た。彼は好きにしろと言わんばかりの態度で返した。一見すると、冷たい対応かもしれないが、この班の長はファルナなのだ。彼女の判断が班の総意となる。
「分かった、りました。アタシ……いや、ワタシの方はそれで良いです。このギルドは上が談話室みたいになっているから、そこでしますか?」
ルリジオンはちらりと上を見上げた。二階の手すりから下を眺めている冒険者たちを見て、首を横に振った。
「今回の依頼は機密性が重要です。どこか別の場所……アイナ殿、ギルド長の執務室を使いたいです。許可を頂けませんか?」
「えっと。……ちょっと確認をとってみますね」
「お願いします。それと、ギルド長にも同席してもらいたいです」
「分かりました」
ルリジオンの頼みを聞いたアイナは小走りでカウンターの内側に戻ると、そのままギルド長の元へと駆け寄った。不機嫌そうな縦皺が走る老人に対して、執務室の使用許可と同席して欲しい旨を伝えた。
「……ふん。まあ、いいぞ。……ところで、あの嬢ちゃん。確かオルドの娘だったよな」
遠目でも、ファルナの赤髪は目立つ。オルドと面識のあるハクシは、その関係でファルナの事を知っていた。
「ええ、そうですよ」
「ふーん。親父は来てないのか? 彼らだけなのか?」
二人は揃ってギルド入り口に固まっている『紅蓮の旅団』のメンバーを見たが、その中にはオルドの姿は無い。禿頭の巨漢は目立つため、居れば一目で分かる。
ハクシはオルドの性格をよく知っていた。彼が子煩悩で、それこそ娘を目に入れても痛くないと言ってはばからないぐらいの親バカだと。そんな男が娘と共に行動していないのが不可解に思えた。オルドだけでは無い。『紅蓮の旅団』において名を馳せている冒険者たちの多くがそこには居なかった。唯一、傍に居るのは『拳士』カーティスのみ。その彼も立場としてはクランの中で三番目だが、実力では五指に入らない程度。娘思いのオルドが護衛として付けるには力も数も足りていない。
そんな若手の冒険者を法王庁の異端審問官が呼んだというのが、ハクシには奇妙に映る。
アイナは小走りでルリジオンの元に戻ると許可が取れた事を告げた。
「お手数おかけしました、アイナ殿。それでは行きましょう」
「え? もしかして、私も同席するんですか?」
ルリジオンに誘われるとは思っていなかったアイナは素っ頓狂な声を出してしまう。
「はい。彼女らに来てもらったのは、他でもありません。貴女の案件に関する事です」
執務室に入ったのは全部で五名。部屋の主のハクシに、アイナにルリジオン。『紅蓮の旅団』側からファルナとカーティスの二人。残りの冒険者たちは二階の談話スペースで彼女らの帰りを待っている。
向かい合うソファに座ったルリジオンは神官服の袖から、丸めた羊皮紙を取り出すと、ソファの間に置かれた机に広げた。一同の視線が羊皮紙へと注がれる。古ぼけた羊皮紙には楕円形の大陸が記されていた。中央には丸い湾があり、北には天を支えていると言われる山岳がそびえ立つ。
これは中央大陸の地図だ。
「まず、ファルナ殿。……貴女は今回のクエストをどのように聞いていますか?」
「どのようにって……そりゃ、おや、団長から、法王庁から若手主体で構成されたパーティー向きの重要なクエストがある。それを引き受ける気は無いかって聞かれたんだよ……ました」
「ファルナ殿。敬語が使い難ければ、何時もの話し方で結構です。御覧の通り、私と年も近いようです。ここには堅苦しい上司も居ません。気楽にしてください」
慎重に言葉を選んでいたファルナは喜色を浮かべた。心なしか、肩の力みも取れたのか、彼女の口は軽快に回る。
「そりゃ、助かるよ。アタシが親父から聞いたのは、この街にいる神官と共に、何かを運べって言う内容さ。それ以外は何にも聞いてないよ。親父もそれ以上の事は教えてくれなかったしね」
「それで、よく引き受ける気になりましたね」
目的地も、運ぶ荷の正体も、危険性も分からない怪しいクエストを引き受けたファルナをアイナは奇異の目で見てしまう。冒険者にとって、危険は避けて通れない物だが、それでも余計な危険を背負うのは出来る限り避けるべきだ。指摘されるとファルナは恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。
「いやー。なにしろ、初めて正式な班を持てた上に、すぐにアタシら向きのクエストが舞い込んできちまってさ。気が付けば、アマツマラを飛び出してたよ」
五人の中で唯一腰を下ろさず、ソファの後ろで立っているカーティスはファルナに見えない所で、苦笑を浮かべていた。
「分かりました。では、ここから先の話は極秘事項です。行動を共にする以上、同じパーティーの方には説明しても良いですが、くれぐれも他の方に口外しないでください」
冒険者二人は表情を引き締めると、こくりと頷いた。
ルリジオンは淡々と、これまでの状況を説明した。
六将軍第二席ゲオルギウスの襲来と撃破。昨今のエルドラドにおける異変の影に魔人種の影がある事。そして、アイナが『魔王』たちとの繋がりがあるという疑いの元、異端審問に掛けられた事を顔色一つ変えずに言う。
おかしなことに、説明を聞いている側は顔色を変えた。六将軍の件は当事者だけに、既知の出来事なので何の反応も見せなかったが、アイナが異端審問に掛けられたと聞くや否や、ファルナの顔色が変わった。目つきは鋭くなり、憮然とした態度を隠さなくなった。本来なら、依頼人にする態度では無い。補佐役のカーティスが窘めるかと思いきや、カーティスもまた、似たり寄ったり。ファルナほどではないが、眉を顰めていた。
『紅蓮の旅団』にとって、アイナは大げさな言い方をすれば命の恩人だった。彼女の魔法が無ければ、オルドはゲオルギウスに殺されていたか、勝っていたとしても無事では済まなかったはず。オルドを失えば、大黒柱を失う事になる。『紅蓮の旅団』は空中分解していた。そんな恩人を捕まえて、異端審問したと聞けば、法王庁の態度に不快感を示すのも仕方なかった。もっとも、彼らの前に居る法王庁の代表は、場の空気を読もうとしないタイプの人間だった。ファルナ側が不機嫌な態度をとっても全く動じる様子は無い。
「話は大体わかったよ。異端じゃないと判断されたアイナさんだけど、今後『魔王』たちに狙われるかもしれない。それを逆手にとって、奴らに打撃を与える。そのためにアイナさんを囮にするのがアンタらの言い分だね」
ファルナの言葉尻に隠す事のない嫌悪感が滲んでいた。
「はい、その通りです」
一方で、アイナを囮にするという非人道的な作戦に対し、微塵も揺らがないルリジオン。その態度にファルナはますます不機嫌さを増してしまう。いまでは眦はつり上がり、髪色と同じ真っ赤な蒸気が上がっているかのように錯覚してしまう。
「……気に入らないねぇ」
「……何が、でしょうか?」
ファルナの呟きにルリジオンは首を傾げた。
「アイナさんを囮にするっていう作戦の前提からして気に入らないけど……一番気にくわないのが、何でそんな重大な作戦にアタシらのような若手の冒険者が必要なんだい。聞けば、六将軍が自ら動いているんでしょ。言いたかないけど、アタシらが束になって掛かったとしても、三十秒もしないうちに全滅だよ。仮に、六将軍が出張ってこなかったとして、普通の魔人種が相手でも太刀打ちできるかどうか分かんないよ」
ファルナの物言いは刺々しいが、言っている内容に間違いはない。それだけの実力差が揺るぎない事実として存在する。すると、ルリジオンは頭を振って否定した。
「いいえ。貴女方にやってほしいのは六将軍や魔人種の相手ではありません。先にでたように荷物の運搬です」
「荷物の……運搬?」
「ええ。もっとも、この場合の荷物はアイナ殿で、正確には護衛任務ですが」
ルリジオンは自分の横に座るアイナの方に手を向けると、告げた。
「貴女方、『紅蓮の旅団』にお願いしたいのは、魔人種アイナ殿を陸路で聖都までお連れすることです」
一瞬、奇妙な静寂が執務室に広がった。ある程度事前に話を聞いていたアイナを除いた三人は思考停止に陥った。
その中で最初に動いたのは、執務室の最奥の椅子に座るハクシだった。彼は拳を握ると重厚な机を叩き割るかのような勢いで振り下ろした。
「ふざけんなぁ!!」
恫喝は執務室を震わす。重厚な木目調の机に、蜘蛛の巣のような皹が走る。
「お前さん。自分が何を言ってんのか、分かってんのか?」
「もちろんです」
「ここから陸路で聖都に向かうって事は……イプテンを通るって事だろ!? 正気か!!」
アイナはハクシの剣幕から目を逸らすと、机の上に置かれたままの古地図へと視線を落とした。楕円形の中心に空洞がある中央大陸。その北側。大陸の東西を分断する三つの関所の一つ、イプテン山脈。そこを超えなければ法王庁の本拠地、聖都にはたどり着けない。
中央大陸は人魔戦役の前では、単なる楕円形の大陸だった。それが、人魔戦役の最終局面。『魔王』と『勇者』が激突した結果、大陸の中央部が吹き飛び、内陸に湾が出来てしまった。それから三百年、大陸の東西は簡単に行き来できなくなった。人の往来には三つの関所が邪魔をする。
南から順に、カプリコル、内陸湾、イプテン山脈の三つが越えられない関所として君臨している。
カプリコルは獣人種の国だ。中央大陸の南に位置し、陸路からの入国を禁じている。隣国との境界線に沿って、蛇のようにうねった城壁が築かれ、外敵の侵入を防いでいる。
内陸湾は、沿岸部は比較的穏やかな海で漁村も多く存在している。一見すると、平和な海に見えてしまう。しかし、一度中心部に近づけば、そこは既に魔窟。超級モンスターが跋扈する世界有数の危険地帯だ。『魔王』と『勇者』の激突によって海中での魔力が大きく乱れ、迷宮が複数生まれたのが原因ではないかと言われているが、真実は不明だ。
そして、最後に残ったのが北の難所、イプテン山脈だ。四季がハッキリしている中央大陸において、一年を通して雪が降り続けるという異常気象。人の住めない、高く険しい山々。モンスターも多く生息し、自分の縄張りを守る為に血で血を洗う戦いを繰り返している。生きては帰って来れない場所だ。
聖都はネーデの街から北北西の方角にある。仮に、聖都に向かうのなら、内陸湾の沿岸部のみを走る定期船に乗るのが最良だ。時間はかかるが、安全なルート。法王庁の武装神官たちによる護衛や、軍船を出せるなら、危険ではあるが、内陸湾を突っ切るという手も無い訳では無い。更に安全性を高めるなら法王庁が保有する最強戦力、『聖騎士』を呼ぶという手もある。
だが、ルリジオンは陸路を使うと言ったのだ。
「アタシも、同じ事を聞きたいね。いくらなんでもイプテンを超えるのは自殺行為だよ。あの山は昔、どっかの国が奇襲に使えると思って、軍団に山越えさせて隣国攻めをさせようとして、逆に一人も帰ってこなかったていう死の山。どれだけの人数で行くのか知らないけど、上手くいくとは思えないよ」
カーティスも表情を厳しくして頷いた。しかし、ルリジオンはまったく表情を変えずにファルナの刃のような視線も、ハクシの燃えるような怒りも受け止めていた。
「……誤解を招いたのなら、申し訳ありません。陸路を使うと言いましたが、山越えをする訳ではありません」
ルリジオンの言葉に首を傾げる三人。彼らの前でルリジオンは古地図のある個所を指した。
「ここから先が一番の極秘事項です。くれぐれも情報の取り扱いにはお気をつけください。……イプテン山脈。大陸の北側を塞ぐ雄大な山々の地下に、法王庁は坑道を作りました」
「……逃走用か」
ハクシが唸るような声を上げた。ルリジオンは肯定するように頷く。聖都があるのはイプテン山脈の麓。地図ではイプテン山脈の西側に聖都が描かれている。後背に越えられない山があるというのは、守るには便利ではあるが、何かあった時に容易に逃げる事は出来ない。城壁に囲まれた都市に有事の際に秘密の抜け道があるのは常識だが、山脈一つ分の抜け道は誰も聞いたことが無かったし、想像すらしていない。ある意味盲点だった。
「この坑道を使って、アイナ殿を聖都に引き入れ、そこで六将軍らを迎え撃ちます」
「なるほど。それが事実なら、俺らだけでも陸路で聖都に向かえるってことか」
カーティスの呟きを補強するかのようにルリジオンは説明を付け加える。
「作戦はそれだけではありません。念には念を入れます。私の上司がここから一番近い、内陸湾の港町にて軍船を用意しております。私たちは一度その街に行き、軍船に乗船する振りをして、陸路を進みます。一方で船は各地の港を順に周り、周囲の目を引きつけつつ聖都へと向かいます。つまり―――」
「―――アタシらのための囮をするんだね。道中、『魔王』達の攻撃を受けないように」
ファルナはルリジオンの言葉を引き継いだ。例え依頼人が気にくわなくても、内容が常識外れでも、一度引き受けたクエストをきっちりとこなそうとする姿勢は忘れない。
「その通りです。貴女方のような若手主体の冒険者を依頼の条件としたのは、陸路組をあまり目立たない顔ぶれにして、注目を浴びないようにするためです。これなら、アイナ殿の提案した、『ネーデを戦場にしたくない』という内容とも合致します」
「あ、こら、ルリジオン! それは言わない約束でしょ!!」
慌ててルリジオンの口を塞ぐアイナだったが手遅れだった。ハクシが目を丸くして、尋ねた。
「お前……それが条件なのか? この街を戦場にしたくないってのが……そんなのを理由に囮を引き受けたのか?」
「……だって、この街は私の故郷なんです。……嫌な言い方ですけど、囮の役目を断れないなら、せめてこの街以外の場所で、って思ったんです」
ハクシは鉛を飲み込んだかのように、胸の奥が苦しくなった。街長として、彼女には感謝するべきだ。もし、再びゲオルギウスや、彼と同列の六将軍が来れば、甚大な被害が出る。それを回避するためにはアイナに出て行ってもらうしかないのは分かっていた事だ。しかし、それを口に出せず、今日まで過ごしてきた結果、彼女から進んで街を離れると言わせてしまった事が深く胸に圧し掛かっていた。
一方で、ファルナは故郷という言葉にピンと来ていなかった。物心ついたころから、各地を転々とする日々。長期滞在することはあっても、そこを故郷と呼ぶことは無かった。彼女にあったのは『紅蓮の旅団』という家族だけだった。それだけに、故郷を巻き込みたくないという理由で、六将軍に対する囮役を買って出たアイナを逆に尊敬していた。
「分かった。アタシらの役目は聖都までの道中、アイナさんを護衛する事でいいんだね?」
「はい。依頼の詳細は港町で待っている上司のオーバートから説明があります。私が受けた指令は皆さんを連れて、港町までご案内する事です」
ルリジオンは机の上の地図を丸めると、思い出しかのように付け足した。
「出発は明々後日。三日後を予定しております。それまでの間、こちらでの滞在するための宿は押さえてあります」
「そいつは助かるよ。なにしろ、アマツマラから強行軍でここまで来たからね。全員クタクタなんだよ」
ルリジオンは懐から取り出した別の羊皮紙をファルナに渡した。宿屋の予約証だ。人数はパーティー全員分がきっちり記されている。
「それでは私は一度上司に報告するので、これで失礼させていただきます」
そのまま立ち上がったルリジオンは執務室の扉に手を掛けて、再び思い出したかのように付け加えた。振り返ったルリジオンはどこか茶目っ気のある仕草を見せつつ、
「アイナ殿。今晩の夕食は煮魚です。遅くならない内に帰ってきてください」
と、言った。あっけに取られたファルナらを置いて、彼女は出て行った。
ルリジオンが去った執務室に冷たい沈黙が降り立った。気まずそうに誰もが視線を逸らす中、ファルナだけは勇気を振り絞って尋ねた。
「……なんだい、アンタら。女同士でそういう関係なのかい?」
「誤解です! 彼女とは淫らな関係じゃありません。彼女は私の護衛兼監視役で、一緒に暮らしているだけです」
「つまり……同棲中?」
「違います!!」
アイナの白い肌が羞恥から赤く染まった。身を乗り出して、潔白を繰り返す彼女に、ファルナは分かった、と何度も繰り返した。
しばらくの問答のあと、やっとアイナは落ち着きを取り戻した。そして、ハクシの方へと歩み寄ると、古馴染の前に立った。彼女の横顔は何処か落ち着きが無かった。まるで、親に隠し事がばれた子供のように居心地が悪そうにしている。
「……まあ、そう言う事なんで」
「省略しすぎだろ。それじゃ、何の説明になっていないぞ」
ハクシが呆れたように首を振った。アイナは一瞬、言葉に詰まると、何度か深呼吸を繰り返して、言うべきことを言う勇気を振り絞った。
―――別れの言葉を口にする勇気を。
「この街を……出る事にしました」
口に出すと、胸の内に塞ぎ難い大穴が開いたようにアイナは感じた。この執務室で異端審問官のオーバートから囮役を持ちかけられたとき、最初に抱いたのはこの街を戦場にしたくないという気持ちだった。
両親を亡くし、弟を亡くし、当時の仲間達を亡くして以降、アイナはネーデにずっと籠っていた。寮と職場を往復する毎日。その間一度も街の外に出ていなかった。それなのに、アイナは真っ先に、この街を出なくてはいけないと決めたのだ。ここを戦場にしたくないと思ったから、故郷を出る覚悟を固めた。
囮役を引き受けるのにあたって、彼女はオーバート達に戦場をこの街以外の場所にしてほしいと条件を付けた。
予想外な事に、オーバートはその条件をあっさりと飲んだ。何処を戦場にするかはその時知らされていなかったが、どこか遠くの場所になるとだけ聞かされていた。それと、法王庁側の準備ができ次第、出発するから、その準備を済ませておくようにと言われていた。あれから一月半以上、同僚や友人たちに、別れを言えずにズルズルと過ごしてきてしまった。その付けを払う時が来た。
「すいません。こんな急に言うなんて」
「全くだ。常識のある人間なら、前もって言っておくべき事だ。仕事の事や、寮の事とかどうする気だ?」
ハクシの言葉が刃のようにアイナの胸の内を抉る。ハクシの言う事は正しい。人一人が居なくなるということは、簡単に片付く問題では無い。
仕事の引き継ぎ、住んでいる寮の始末などで周りに迷惑を掛けてしまう。自分で決めた事だけに、周りに迷惑を掛けるのが申し訳なかった。
「なにより、お前は一番大事な事を忘れているぞ」
「……何のことでしょうか?」
心当たりがあり過ぎるアイナは不思議そうに首を傾げた。
すると、ハクシはいたずらっ子のように頬を吊り上げた。
「お前の送別会だ。明々後日が出発なら、明後日でいいだろ?」
何処か飄々とした態度に、アイナは呆気にとられる。そこで気づいた。目の前の男は、陸路で聖都に行く事は驚いても、自分が街を離れる事には驚いていない事に。アイナの胸中でまさかという言葉が躍る。
「もしかして……ギルド長、ご存知でしたか。その……私が街を―――」
「―――お前が街を離れる事か? それなら気づいていたぞ」
アイナは驚愕のあまり、口をあんぐりと開けてしまう。彼女はもちろん、ルリジオンにも口止めをしていたのに。ハクシに気づかれた理由が分からず、思考がグルグルと空回りする。
答えはハクシが述べた。
「ここ二週間ほど寮の荷物を引き払っていただろ? 同僚や、友人たちに家具を譲ったり、処分したり。それを見れば、お前が街を離れるのは関単に想像できたぞ。多分だが、クレアたちも気づいてると思うぞ」
「……バレバレでしたか」
アイナはこの一月半、いつ言うべきかと悩んでいた事を走馬灯のように思い出していた。あれだけ悩んでいたのに、いつのまにか全員にばれていたと思うと、顔から火が出るほど恥ずかしかった
「当たり前だ。……まあ、聖都に向かう事になるとは思わなかったがな。それも陸路とは。お前はどこまで聞いていたんだ?」
「聖都に行くことまでは聞いていました。けど、てっきり海路で行くとばかり。まさか陸路で行くなんてこれっぽっちも想像してませんでした」
ハクシは蜘蛛の巣状の皹が走る机の上で両肘を置き、重ねたての上で顎を乗せた。真剣な表情でアイナに問いかける。
「お前。この意味、ちゃんと分かってるよな。魔人種であるお前が、法王庁の本部に行くって事の意味がどういう意味なのか」
アイナはハクシの言葉に、ぐっと背筋を伸ばした。
法王庁は人魔戦役において、『魔王』を神敵と定めた。種族そのものを神敵としたわけではないが、『魔王』に率いられて、世界と敵対した魔人種に対して、好ましい感情は抱いていないはず。
ルリジオンはともかく、オーバートはその傾向が強かったのは誰が見ても明白だ。執務室で異端審問を受けている最中、爬虫類のような気味の悪い目に写ったのは紛れも無く侮蔑の感情だったのをアイナは忘れていない。
「はい、覚悟しています。……敵から身を守るのに、敵地みたいなところに行くってのは中々皮肉が効いてますよね」
「皮肉が効きすぎだ、まったく」
二人は共に苦笑を浮かべて笑い合った。胸中を押しつぶさんとする寂寥感に負けないようにとした空元気のような笑いだ。
そして、アイナは表情を改めると、ウェストコートの内側にしまい込んでいた羊皮紙を差し出した。
ハクシは隻眼の瞳で羊皮紙を撫でる。
「何だ? これは」
「退職願です。この囮の役目がいつまでかかるか分かりませんから、ちゃんとケジメを付けようと思いまして。それに……」
アイナは喉がつっかえたかのように黙ってしまった。ハクシが探るような視線を向ける。
「それに……何だよ。言いたいことがあるなら、ハッキリと言え」
「……すいません。言ってしまえば、本当になりそうなんで止めときます」
―――それに、帰ってこれるかどうか、分かりませんから。
アイナは最後にそう付け加えそうになったのを飲み込んだ。オーバートは六将軍を過小評価しているのか、あるいは何かしらの切り札を用意しているのか、囮作戦が成功すると確信していた。
しかし、ほんの数分程度戦ったアイナは理解していた。ゲオルギウスの圧倒的な実力を。あれは小細工か何かを弄した程度では絶対に勝てない。
アレを超えるには、何かしらの犠牲を払う必要がある。
それこそ誰かの命を賭け金として乗せなくては、勝利は掴めない。
ハクシは無言のまま、羊皮紙を受け取った。すると、おずおずと言った具合にファルナが声を掛けて来た。
「……それじゃ、アタシらもお暇させてもらうよ」
「ん? 何だ、まだ居たのか」
ハクシの隻眼が意外そうにファルナらを見つめた。
「出て行こうとしたら、アンタらがしんみりした空気を出し始めたから出る頃合いを逃したんだよ」
ファルナはカーティスと共に執務室の扉へと歩いていく。すると、アイナはその背中に向けて、待ってと声を掛けた。呼び止められたファルナが意外そうな顔をして振り向いた。
「アイナさん? なんか、アタシに用があんのかい?」
「は、はい。ちょっとお聞きしたいことがあるんです。この後、時間はありますか?」
「んー。アタシだけ? なら、ちょっと待ってて」
アイナの誘いにファルナはカーティスと二三言葉を交わし、指示を出した。頷いたカーティスは一人、執務室から出て行った。
「うちの連中には先に宿屋に行かせて、昼飯を食べるように言ったよ。今すぐなら時間はあるよ」
「え? えっと、どうしましょう。まだ仕事中ですから」
慌てて時間とこの後の予定を見比べているアイナ。あたふたした彼女を見かねたハクシがため息とともに告げた。
「アイナ。お前、ちょっと時間が早いが、昼休憩に入れ。クレアたちには俺から説明する。……ギルドを、街を離れる事は帰ってから自分の口で言えよ」
「……ギルド長。ありがとうございます!」
アイナが深々と頭を下げると、ハクシは少し照れくさそうに鼻を掻いた。そして、さっさと出て行けと言わんばかりに手を振った。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回更新は火曜日ごろを予定しております。




