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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第1章 始まりの街
20/781

1-20 黒衣の悪魔

※7/25 空行と一部訂正。

 疲れ果てた僕はギルド3階の簡易ベッドに倒れこんだ。泥のような疲れから、眠りにつきたかったが、ここは堪える。


 目が覚めてから、ファルナが抱きついたり、オルドが掴みかかったり、『紅蓮の旅団』のメンバーと食事をしたり、アイナさんを泣かせたり、前回と同じように行われた。その間、ずっと混乱を隠すのに必死だったがなんとか切り抜けた。


 《トライ&エラー》で戻ってしまった僕は混乱の中に居た。突然の異常事態に光明すら見いだせずに無為に時間を費やす。


 時刻はすでに11時を指す。前回の時間軸で僕はここで寝て、そして死んだんだ。


 とにかく状況を整理しよう。

 これから起きる殺人事件を、被害者になる予定の人間が犯人を想像するのは何ともおかしな話だ。


 まず、第一に、僕は死んだ。これは確実だ。

 《トライ&エラー》が発動したという確固たる証拠がある。


 ではどうやって殺されたかだ。例えば刺殺や絞殺なら、たとえ眠っていても、殺される時に目が覚める。毒殺だとしても同じことだ。

 苦しみが来てから、解放されるように死が訪れる。何度も死んだ経験を持つ僕だから分かる。たとえ眠っていても、殺される時は意識が目覚める。


 つまり、僕は自分が死んだ瞬間を自覚しないで殺されたことになる。問題はそこだ。

 レベルも19に上がり、それに伴い上昇した能力値パラメーターを考えると、痛みを感じさせずに一撃で僕を殺すとなると、非常に難しいと思う。


 逆に言うと、それを可能にする怪物に殺されたことになる。


(笑えないな。そんな奴がこの街のどこかに潜んでいるなんて)


 月明かりの差し込む窓を見た。開け放たれた窓から夜の街の声が入り込む。


 では次に、いつ殺されたかだ。

 《トライ&エラー》の発動条件に午前0時に戻るか目が覚めた時点に戻る、とある。だとすると僕が殺されたのは今から一時間以内となる。


 仮に午前0時を過ぎていたなら、午前0時に戻るはずだ。現実は迷宮から脱出した後、宿屋で目覚めているから、一時間以内と予測する。


 場所は、この部屋だ。

 もっとも、犯人がこの部屋に侵入して僕だけを殺したのか、あるいはこの建物ごと吹き飛ばしたのか分からない。


 そして一番、不明な点がある。


 動機だ。

 犯人はなぜ、僕を殺したのか。あるいは僕は別の標的を狙った所を巻き込まれたのかもしれない。とにかく犯人の目的についてヒントすらない。


(整理すると、少なくとも僕を一撃で殺せる怪物が此処に一時間以内に現れる。その目的は不明と)


 整理してみたが、まずいな、と思う。

 どう考えてもそんな怪物を僕一人で倒せるとは思えない。


 それに問題はもう一つある。

 復活時のイタミだ。


 今回のイタミは耐え難いほどの苦痛だった。おそらく次はなんとか生き返るだろう。でも、その次は力尽きる。確実に心が壊れる。それだけは実感として理解している。あの地獄から何度も帰って来れる自信は僕にない。


 つまり、僕に残されたチャンスは今回を含めて、あと2回だ。

 何とも絶望的な状況だ。笑えてくる。


「とにかく、犯人が誰なのか知らないと。じゃないと手の打ちようが無い」


 方針は決まった。僕は鞄を部屋に置いて、屋上へと足を向けた。

 青い月が夜空に輝く。屋上に人気は無かった。昼に伸びていた紐は無く、机と椅子が整列しているだけだ。人がいないのは都合が良い。


 落下防止用の柵にもたれながら時間を確認する。とにかく欲しい情報は3つ。犯人の情報と出現する時間、それと犯人の目的だ。屋上に来たのは僕個人が狙われたのか、ギルドに居たから巻き込まれたのかを判断するためだ。


 それと、ここなら、街で何か起きてもすぐに確認ができる。ここより高い建物は公衆浴場ぐらい。他に背の高い建物が無いため街を上から見渡せる。耳を澄ますと、オルゴン亭の喧騒が聞こえてくる。酔っぱらったオルドの大声が聞こえてくる。どうやら、まだ打ち上げは続いているようだ。


 屋上なら最悪の手段を直ぐに取れると考えた。もしも、0時までに何も起きなかったら、すぐに死ねるようにダガーを抜く。街中で剣を抜くと重罪なのは知っているが、ここなら誰かに見られる心配もない。夕方に戻るのと0時に戻るのでは、まだ前者の方が手を打つ可能性がある。


(どうせ、次も同じ奴に殺されたら、次の生き返りがラストチャンスになる。それだったら自殺のペナルティを受けるのも一緒だ。それに自殺のペナルティは解除ができる。まだ、そのやり方は分からないけど、十分、勝率のある方法だ)


 ある意味自棄になっていると自分でも自覚はしている。


 実は今までの死亡で、イタミに関する共通点を見出している。

 あのイタミは僕を殺した者とその時の僕との力量差に比例してイタミの深さを増している。


 恥ずかしい話だが、ネーデの迷宮をソロで潜っているときに僕はスライムに殺された。レベルは12だった。落ちた穴にひしめき合ったスライム達の沼に浸かり、生きたままじっくりと溶かされた。


 その時の復活時のイタミは最初の森でのスライムに殺された後の復活時のイタミと比べると非常に緩かった。

 その経験からすると、これから現れる相手は現時点の僕では歯が立たない相手になる。ここはやはり、オルドに協力を求めるべきか。


(でも、どうやってこの事を説明すればいいのやら。うーん)


 柵から離れて、屋上をうろつく。いい考えは思いつかない。

 頭を抱えて空を見上げた。星が輝き、月が空に君臨する。


 ―――瞬間。


 世界が静止した。


 空気が凍る。


 息をするのさえ躊躇った。


 最初に感じたのは匂い。あまりにも濃い、血の匂いが鼻をつく。


 次に感じたのは音。荒い呼吸音が僕の耳にやけに響く。


 次に感じたのは肌。夜の涼しい風を押しのけるように、熱気のような風が吹く。


 最後に感じたのは目だった。凍り付いていた僕は粘つくような恐怖に反応して振り返ってしまう。


 そこに死が形を持って柵の上に立っていた。

 ボロのマントを身に纏い、足元まで伸びた艶のない黒髪が風に煽られる。そのさい前髪もめくれ上がり、死の素顔をさらけ出す。男の僕でも見惚れるほどに美しく整っている、氷のような美貌だ。


 ただし、目だけは違った。

 怒りの炎を宿した、金色の瞳が僕に恐怖を与える。


 二メートル近い巨体がゆっくりと足を振り上げた。それだけで暴風が起きた。柵は壊れ、机や椅子が吹き飛ばされる。正直、その風に乗ってこの場を離れたかった。


「ふふふ、はっはっはっ!」


 人の型に死という名の液体を流し込んで焼成したような存在は顔に手を当てゆっくりと僕に分かる言語で笑い始めた。徐々に笑い声が大きくなる。


「やってくれたな、聖女! この代償、高くつくぞ!!」


 独り言のように叫ぶ。その叫びは狂おしいほどの怒りが込められ、呪詛の様に響く。

 まるでこの場に居ない誰かに向けて宣言するようだった。


 死はひとしきり笑うと、両手を下ろして表情を元に戻した。

 それから、下を視線を向けた。視線の先には大通りがある。


「ふん。人間どもの街か。……汚いな」


 声色が低く、心の底から侮蔑しているように聞こえた。


「……手慰みに滅ぼすか」


 ポツリと呟いた死に、僕は反射的に駆け出していた。よりにもよって、死の方へと、ダガーを逆手に持ち、飛ぶ。狙いは背中を見せている後頭部。


 だが、あっけなく撃ち落された。

 視界に突然現れた槍の石突きが鳩尾に深々と入る。肺から酸素が漏れる。自分の体重を一点で支える様に持ち上げられ、ゴミの様に吹き飛ばされた。

 なんとか机にぶつかり屋上から落ちるのだけは防げた。


 その間、死はこちらを見てもいなかった。それなのに突撃した僕を精確に撃ち落す。まるで後ろに目があるような的確な動きだった。


「勇ましいな、人間の童。力量を弁えて、銅像の様に立ちすくむなら見逃してやったのに」


 街を見下ろしている男は右手に持った槍を回す。

 突然現れた槍は、長さが二メートル以上の細身の槍だ。だけど、禍々しい意匠もさることながら、圧倒的なまでの威圧感を槍から感じる。手にしたダガーやバスタードソードがおもちゃの短剣のように頼りなく思う。


 机の残骸に寝そべりながら、僕は悟った。


 こいつが僕を殺した、殺人犯だ。


 そしてもう一つ分かった。

 こいつには勝てない。

 僕では駄目だ。


 ともかくこの場を離れるために、手に握ったままのダガーの刃を自分の首に差し込もうと振り下ろした。

 こいつに殺されくらいなら、自殺をした方がましに思えた。


 だけど。


「潔いな、人間。しかし、矮小な自分の命とはいえ、自ら手を下すことは無いぞ」


 目の前に現れた死に、右手首を握りつぶされ、阻まれた。声色は恐怖を覚えるほど優しいくせに、躊躇いも無く潰す。

 割れた水風船のように手首から血が溢れる。音を立てて、握りしめたダガーごと手が落ちた。


「―――っぁあああ!!」


 痛みよりも、恐怖が全身を襲う。激痛を感じるよりも、人間の手首を簡単に握りつぶした存在に恐怖した。


「良き悲鳴だ」


 僕の悲鳴を聞き、陶酔する様に目を瞑る。まるで極上の音楽を聴いているようだ。


「それだけでお前の価値は果たしたと言える。私の傷ついた心を癒す、楽器としてな」


 表情を酷薄に歪め、心底楽しんでいるように死は言った。


 僕は傷つきながら、とにかく逃げる事を決めた。みっともなく這うように進む。

 だが、死は逃亡を許さなかった。


「おやおや。楽しませるために道化のふりをするとは! しかし、まだまだ修練が足りんな」


 死は芋虫の様に逃げる僕の首を掴み持ち上げる。万力のごとき力の前に脱出は不可能だ。死の金色の目と視線が合う。


「眼が死んでいるぞ! 先程の蛮勇はどこに行った? 少しは抗ってみたらどうだ」


「うる……せ……え」


 喉を絞められながら、口で抗う。どこか遠くから囁くような話し声が聞こえてくる。


「まだ、息はあるな。ならこれでやる気になるだろう。これを見ろ」


 ボロのようなマントの前をはだけた。黒光りする、悪魔的な意匠の甲冑が姿を現す。その甲冑の胸辺りに大きな刺傷があった。まるで大剣に貫かれたような傷口は、驚くことにまだ塞がっていない。目の前の怪物は体に穴を開けてなお、平然としているのだ。


「私は手負いだ。どうだ? 少しは希望が見えたのではないか?」


 目の前の死は完全に僕を舐めきっている。自分が不利になる情報を伝えても、自分の優位が崩されると微塵も思っていない。


 そしてそれは正しい傲慢だ。

 僕にはこいつの牙城を崩す手は無い。


 せめて気持ちで負けない様に口を開く。


「いいから……おろ……せよ。……くさいん……だよ……あんた」


「……下ろしてほしいのか? ならいいぞ、そら、舌を噛むなよ」


 首を掴んでいる手を勢いよく振り下ろした。頭から屋上へと叩きつけられた僕は砲弾のように木造のギルドを貫通していく。


 屋上から1階へと穴を開けて落ちていった。

 カウンターの内側。職員たちの机の上に僕は墜落した。


 轟音と共に落ちた僕の周りに職員たちが何事かと思い遠巻きに集まる。途切れる意識を保ちながら僕はギャラリーの中にアイナさんを見つけてしまう。

 当然、アイナさんも僕に気づいた。


「ちょっとレイ君! 何があったの?」


 アイナさんが僕に近づこうとするのを左手で止める。口から、血が溢れるが構わずに言う。


「こっちに、来ないで。ゴホッ! 逃げて」


 だが、遅かった。

 僕が開けた穴を通って、死が降りてきた。


 死は空中に浮かびながら、職員を見下ろす。舞い降りた異常者に多くの職員は向けられた視線だけで動きを止める中、アイナさんが動いた。


 死の背中側に回ったアイナさんは袖口から投げナイフのような物を2つ取り出すと死に向かい投擲した。

 奇襲は成功した。


 投げナイフは死の背中に当り、音を立てて弾かれた。甲冑に阻まれた。

 結果に表情を険しくしたアイナさんだったが、先に動いたのは死だった。振り返り、弾かれたナイフを空中で掴んだ。


 そのナイフをアイナさんに向けて投げ返した。高速で放たれたナイフは、アイナさんの柔肌を裂く。倒れこんだ彼女を見て死はほう、と驚いた様子だった。


「まさか。同族だとはな」


 独り言のように呟きながら、右手の槍を構えた。顔に笑みを浮かべている。楽しくて仕方がないという風だ。

 その動作から見えてしまう未来に恐怖した。


「やめろ……逃げて、アイナさん!」


 叫んだが手遅れだった。


「だが、私に歯向かった罰は受けるべきだ。疾くと死ね」


 奴が槍を滑るように投げた。黒い槍はあっけなくアイナさんの体を貫く。


 こぼり、と。彼女の口から血が溢れた。

 血で化粧された唇が動く。


「逃げて」


 と。


 そのまま、アイナさんは動かなくなった。だらりと下がった腕。どこを見ているわけでもない光を失った瞳。彼女は死んでしまった。

 右手を失った痛みを忘れるほどの怒りが僕を突き動かす。


 僕は無事な左手でバスタードソードを抜いて敵に躍りかかった。

 空中に浮かぶ男は右手をわずかに動かすと、触れずに槍を引き寄せる。アイナさんの体から血が溢れる。


 彼女の血に濡れた槍をくるりと回す。それだけで僕の左腕は肩ごと切り落とされた。


「―――それがどうした!!」


 痛みはとうに感じていない。あと数秒もしないうちに冷たくなってきた体は命を停止するだろう。いまさら両腕を切り落とされたくらいで僕は止まらない。

 飛んだ勢いをそのままに、奴の首元に歯を立てる。噛み千切る覚悟でいた。


 だが、奴は槍を下から回し、僕の顎を石突きでかち上げる。そのまま奴よりも高く飛びそうになる所を、今度は下に落とされた。床に叩きつけられた僕の体を奴は木片が刺さった足で押さえつける。


「十分に楽しませてもらったぞ、人間。傷ついた心は貴様の無様な姿で慰めを得た」


 大仰な身ぶり手ぶりをして、まるで舞台に上がった役者気取りだった。


「だからこれは、その礼だ。受け取れ」


 男はボロのマントを払うと、悪魔的な意匠の甲冑を晒した。槍と同じ漆黒の甲冑は全身に傷を帯びており、誰かとの激闘を雄弁に物語る。だが、僕の視線は甲冑の別の場所にくぎつけになっていた。


 甲冑の両肩部分はむき出しになっており、両方にが張り付いていた。

 そして、その口たちは囁く様に詠唱をしていた。


「《我の呼びかけに答え、狂飆を齎せ》」「《出でよ、全てを薙ぎ払う爆炎》」


 先程、遠くから聞こえていた囁く会話の正体はこれだった。


「まだ死ぬなよ。ご覧あれ! 世にも珍しき合成魔法の完成だ!」


「《サンダーストーム》!」「《インフェルノ》!」


 瞬間。


 二重に発動された旧式魔法が混じり合い、ギルドを吹き飛ばす。炎と雷が混ざり合い、暴風がそれを拡散する。火災旋風のように上空へと延び火柱の中に人影のような物が影の様に見えては消えていく。僕と奴はちょうど台風の目のように被害を免れた。


 下から見ていて理解した。僕を殺した手段はこれだ。人を一瞬で灰も残さずに殺す魔法。きっと、旋風の向こう側も同じように飲み込む地獄の篝火はファルナやオルドも飲み込んでいるはず。


「絶対に、お前を殺す」


 僕は声に全ての怒りを込めてぶつける。


 奴の暴虐に対する怒りを。

 自分の無力さに対する怒りを。

 せめて言葉に込めた。


 死は笑って、


「そいつは楽しみだ」


 僕を踏みつぶした。



 ★



 空中で全身を槍で串刺しにされる。裂けた穴から血が溢れる。破けた皮袋から臓物が落ちる。地面を四つん這いで進む亡者たちが血を啜り、臓物を食う様を見た。奴らは、まだ食い足りないのか槍で落ちないように支えている僕の体に目をつけた。槍を揺らし、細かな肉片に切り分ける。食べやすくなって落ちた僕を奴らは貪る。


 僕はそれを唯一残った眼を通して見ていた。生きながら地獄を見せつけられた。亡者が啜り、咀嚼し、貪る様を。目を閉じたくても、瞼の無いむき出しの眼球は見たくも無い光景を永遠と捉える。


   永遠とも思える時間の間、地獄を見ていた。



 ★



 3度目の天井だ。


 ゆっくりとイタミに震える体を起こす。両手が無事なのを確認してほっとする。


(なんだ、あの怪物!)


 イタミよりも恐ろしい、死の嵐のような男を思い出す。あれが槍を振るうだけで街が、人が死んでいく。

 あんな怪物とは戦わずに逃げるべきだと僕の理性が叫ぶ。


 だけど。


「あいつを倒さないとみんなが死んでしまう」


 横顔を夕暮れの日差しで赤く染められるファルナ。

 僕を助けようとして虫けらのように無慈悲に殺されたアイナさん。

 そして、この街で会ったオルドやロータス。オルゴン亭の女将さんにリラちゃん。防具屋のワルグに武器屋のフリオ。

 それだけじゃない。会ったことの無い、この街に暮らす人々があいつに殺されてしまう。


「それだけは、絶対に、許さない」


 僕はラストチャンスに掛ける事にした。

 あの怪物と立ち向かうことを決めた。


読んで下さって、ありがとうございます。


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