閑話・受付嬢の出立Ⅰ
これまでのあらすじ。
ネーデの街の受付嬢アイナは、六将軍第二席ゲオルギウスを退けた事で注目される。ひっきりなしにやって来る冒険者からのアプローチに辟易し、何故か赤龍討伐者のリストに名前が載っているレイの安否に煩悶し、手作り弁当を同僚に拒絶されて落胆していた。そんな彼女の元に、謎の男たちが現れて……。
エルドラドを震撼させた、古代種の龍達の暴走。そして、赤龍の討滅が報告された日。いまだ、正確な被害者数すら不明な状況で、世界中から様々な情報がひっきりなしにあつまるギルドの建物に神官たちが姿を見せた。
揃いの法衣に身を包み、尊大な態度を隠さない先頭の青白い男はアイナを呼びつけると、有無を言わせない圧力を持って告げた。
「我らは法王庁調査部所属、異端審問官なり。魔人種アイナ殿。エルドラドにて起きている異変について幾つか審議したい事がある。……なお、これは法王の御意志であり、略式ではあるが異端審問でもある。偽証は許されぬと知れ」
異端審問と聞いて、喧しかったギルドの中は水を打ったかのように静かになる。誰もが驚きを隠せず、アイナと異端審問官を遠巻きで見つめていた。
そもそも、法王庁と言うのは無神時代における唯一の宗教団体だ。
無神時代より前、13神が身近に感じられた時代に、それこそ星の数ほど宗教団体は存在した。何しろ、神に祈れば、神が返事をする時代。神々の中に主神が居ない事もあって、13神のどの神をどのように信奉するのかは個人の自由だった。その分、信奉する神が違う事や、教義が違う事でいがみ合う事は多かった。
しかし、数多あった宗教団体の全ては、無神時代の始まりと共に混乱と暴動によって消滅していき、13神を崇拝するという概念は民衆から消えかけていた。
それに歯止めをかけたのが、冒険王のパーティーにして、法王庁の教祖と呼ばれた女性だ。彼女は冒険王と共に旅をし、幾つもの伝説を成し遂げると、残った半生を費やして13神への信仰を説いて回った。
神に祈る事を忘れた民衆に、神に祈ることの素晴らしさを訴えた。
冒険王も彼女の活動を後押しするために、法王庁の元となる教団を設立。諸外国にも、支援金を出すように働きかけた。当時、冒険王は既に富と名声を手中に収めていたこともあり、各国の指導者は教団に対して支援せざるを得なかった。
いつしか、説法して回る彼女の前に人々は足を止めるようになる。日を追うごとに、彼女の信仰に共感した者は増えていき、彼女と志を同じくすると、13神への信仰を説いて回るようになった。神に対して祈るという事から遠ざかっていた民衆にとって、彼女の言葉は新鮮な物として広まり、神に祈りを捧げるようになった。
無神時代が始まってから、四百年ぶりに宗教が復活したのだ。
教団はその後、法王庁と名乗るようになり、エルドラド中に教会を設立。その信者の数は数えきれないほどになっていた。どの国、どの地域、どの種族にも、13神を信奉する者はおり、法王庁の教えは浸透していた。彼らが信徒を扇動すれば、国は乱れ、小国なら簡単に滅んでしまう。
そのため、各国に対する影響力も強く、法王庁は影で宗教国家と揶揄されるほどの存在となった。
そんな彼らの役割は13神に対する信仰を説くこと以外にも、いくつか重要なことがある。その一つに13神に代わって世界の安定を維持し、それを乱す神敵を神の代理として打ち滅ぼす事だ。
エルドラドの平穏が13神によって保たれていたのなら、今度は我らが世界を守る。それが彼らの理念だった。
人龍戦役や人魔戦役において、『龍王』や『魔王』を神敵と定め、人間たちによる連合軍を設立させたのは彼らの手腕だ。
その後に起きた人間戦役においても、いがみ合う各国間の交渉をまとめ上げ、戦争の鎮静を図ったのも彼らの手腕だ。
法王庁は自らをエルドラドの番人と言ってはばからない。それを否定することは誰にもできなかった。
そんな彼らの異端審問を受け、神敵と見做されれば、それは死刑宣告を意味する。アイナの同僚たちは心配そうに彼女を見つめていた。
すると、ギルド長であるハクシがアイナを押しのけると、彼女に代わって神官たちの前に立った。
隻眼の老人は異端審問官の爬虫類のような目を向けられても、怯むことは無かった。身長差から、見上げるようになった異端審問官は口を開いた。
「……あなた、何者ですか?」
「失礼。私はこのネーデの街長にしてギルド長、ハクシです」
「おっと、これは失礼。法王庁調査部所属、一等異端審問官オーバート・グリーフ。以後、お見知りおきを」
自分の官職まで述べると、オーバートは優雅に一礼した。礼儀を弁えた態度のように見えるが、傍に居るアイナは頭を下げた男が、酷薄な笑みを浮かべていたのを見逃さなかった。
「それで、街長殿。申し訳ありませんが、事は一刻を争う事態。無関係の方は、お引き取り願いませんか」
ネーデは都市国家の枠組みに入る。つまり、街長は国王と同義。そのような人物に対して、オーバートは言外に、お前には用は無いから引っ込んでいろ、と告げたのだ。法王庁の神官風情が一国の代表を無碍に扱った。そして、ハクシは自分がそんな扱いを受けたというのに、怒りの声を上げることが出来なかった。
それだけの力が法王庁にはあるのだ。
ハクシは不快感をおくびも出さずに、冷静に対応した。
「残念ながら無関係では無い。此処はギルド。私は街長としてでは無く、職員たちを取りまとめるギルド長としております。職員になにかするなら、まずは私を通してほしいのです。異端審問官殿」
「……理解できませんかね、ご老人。貴方に用は無いと言っているのですが」
「……だから、言っているだろ、若造。ここは私のギルドで、コイツは私の部下だ。貴様らが好き勝手していい道理は無いんだ」
二人とも慇懃な態度を止めて睨みあうと、途端に、刺々しい殺意がぶつかり、カウンターの周りが火薬庫のような危険な場所へと早変わりした。
不穏な気配に反応して、オーバートの背後に控える武装神官たちは手にした武器を固く握りしめる。
事の行方を見守っていたギルド職員たちも隠し持っている武器に手を添えて、立ち上がる。
正に一触即発の空気に当てられ、ギルドに集まった冒険者たちや一般人たちも固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
ハクシとオーバートは殆ど同時に動き出した。互いに相手を叩きのめそうと殺意を滾らせ、武器に手を伸ばそうとして―――。
「はい、そこまでにして下さい」
二人は上から投げられた声に身を強張らせる。見上げれば、いつの間にかカウンターの上に乗ったアイナが投げナイフを抜いていた。不用意に動けば、二人ともナイフの餌食となる。
「ギルド長。お気遣い、ありがとうございます。でも、私なら大丈夫ですから」
「……アイナ」
「異端審問官殿も。いくらなんでも、ネーデと敵対する許可は上に貰ってないはずです。ここは穏便に行きましょう」
「……私の方はそれで。元から、そのつもりでしたから」
オーバートが殺気を消すと、ハクシも同じように殺気を消した。あわや戦場になりかけたギルドは平穏な空気へと戻った。
「話を戻しましょう。魔人種アイナ殿。先にも言った通り、エルドラド各地で起きている異変について審議したい事柄があります。それと……貴方に『魔王』及び、六将軍等と協力関係にあるとの疑惑が浮上しています」
「はぁ? いや、いや。ありえません。そちらだって知っていますよね。私がゲオルギウスと戦った事は」
カウンターから降りたアイナは首を大仰に振って否定するも、オーバートは取り付く島もない。彼女の言い分を無視して話を進める。
「ついては此方で用意した審判官の前で、事の真偽を確かめたい。なお、貴殿には拒否権は無い。ハクシ殿。どこか、人目のつかない部屋を用意してもらいたいのですが」
アイナがあらぬ疑いを掛けられたことに憤慨し、顔を真っ赤にするハクシは口を開かず、顎だけでギルドの一角を示した。そこはギルド長の執務室だ。
「結構。それではしばらくお借りします」
オーバートは言うと、背後に控えていた武装神官たちに目線を送る。武装神官たちはカウンターを回って、アイナの両側に立つと、彼女の両腕を掴む。これでは、逃亡しようとする犯罪者を連行するような図だ。
「離しなさい! 無実の私が逃げるわけないじゃない!!」
アイナは眉を吊り上げ叫ぶと、拘束を振り切り肩を怒らせて執務室へと向かった。その際、後ろから追いかけて来た武装神官が武器の提出を求めたので、衣服に仕込んでいた投げナイフを全て差し出した。
オーバートは彼女よりも先に執務室へと入り、室内を検分していた。彼に続いて複数の神官たちが中に入っていく。その中には目を布で覆った者も居た。審判官とはある特定の技能を生まれつき持っている集団だ。法王庁に所属していることもあれば、ギルドや、司法機関などにも一定すう在籍している。
アイナが執務室へと入ろうとすると、後ろで何か揉めている声が聞こえた。振り返ると、ハクシと武装神官が言い争っていた。
「私も立ち会わせろ! 私はアイツの保護者だぞ!」
「なりません。略式ですが、れっきとした異端審問の場。神官以外の立ち入りは許可できません!!」
「ええい! そこを退け!!」
ギルド長のハクシにとって、アイナは単なる部下では無い。自分が子供の頃からの長い付き合いがある。それこそ、古女房よりも付き合いは古い。それだけに、アイナが『魔王』たちと繋がっているわけがないと確信し、無実の罪で異端審問に掛けられるのは我慢できない。元凄腕冒険者のハクシは今にも止めに入る神官を投げ飛ばしかねない剣幕だった。アイナはため息を吐くと、ハクシに向けて言う。
「大丈夫ですよ、ギルド長。ちゃちゃっと済ませてきますから。どうせ無実なんですから」
「だが、アイナ!」
「まったく。ギルド長なんですから、落ち着いて構えていてくださいよ」
相手を不安にさせないように、努めて明るく振る舞う。そして、心配そうにしている同僚のクレアとカトリーヌにも笑みを見せた。
「ちょっと行ってくるから、後の仕事、任せても良い?」
「そんな事の心配している場合!? もっと自分の事を心配しなさいよ」「一度、神敵と認定されれば、決して覆りません。気を付けてください!!」
気楽に行こうとするアイナに反して、二人は心底、心配そうに言う。彼女たちだけじゃない。他のギルド職員も、顔なじみの冒険者たちも街の人々も心配そうに声を掛けてくれた。長年、ネーデの街で過ごしてきたアイナはいつの間にか、大勢に慕われる存在となっていた。
アイナは彼らに向けて頭を下げると、一歩執務室へと足を踏み入れた。
そこは既に敵地だった。
薄いベールで顔を隠した神官たちは壁際に並んでいる。薄布だが、その向こう側から疑いの視線が突き刺さる。執務室にはテーブルを挟んで、応接用のソファーが二つ、向かい合って並べてある。机の上には聞き取りようの資料が山のように積まれ、片方のソファに審判官が手ぐすねを引いて待っている。そして、執務室の最奥。ハクシが座るべき席にオーバートは腰を下ろしていた。深く座り、爬虫類のような目つきをしたオーバートは口を開いた。
「どうぞ、アイナ殿。審判官の前に」
アイナは表情を引き締めると、勢いよく、審判官の前の空席に座った。どしん、という音がソファを揺らす。
「さて。……これより、異端諮問を開始する」
オーバートが厳かに宣言すると、執務室の空気が一変した。かつて、冒険者として旅をした迷宮とは毛色の違う重圧が両肩に圧し掛かる。息苦しさを感じる中、アイナは一人、背筋を伸ばして迎え撃つ。
執務室の前には武装神官が門番のように立っていた。部屋に近づこうとする者には容赦なく厳しい視線を放つ。
アイナとオーバートを含めた神官たちが執務室に消えてから既に八時間は経過した。外は日が沈み、ギルドは昼のごったがえした様な賑わいとは打って変わって静かになった。
二階に置いてある大時計が鳴らす鐘の音が、ギルドに響く。どこか沈痛な音色に聞こえてしまう。
ギルド職員たちは全員揃っていた。昼勤務の者は夜勤務の者が出勤しても帰ろうとはしなかった。事情を聞いた夜勤務の職員は仕事に身が入らず、細かなミスを繰り返す。それだけ彼らはアイナの事が心配だった。
執務室は特別な防音設備や結界などは仕込んでいないのに、物音一つ聞こえてこない。その中で何が起きているのか情報が全く伝わってこない。
不吉なまでの静寂が、余計に彼らの不安を掻きたてた。
すると。
がちゃり、と。扉のドアノブが回った。
音に反応して、全員の視線が執務室へと注がれる。扉の影から出てきたのは紛れも無く、アイナだった。表情は疲れ切っており、精彩を欠いていた。心労からか、足取りは覚束なくて、今にも倒れそうだった。
クレアとカトリーヌは慌ててアイナに駆け寄ると、彼女は二人にしがみ付いて、なんとか倒れるのを回避した。
「「アイナ」さん!!」
倒れそうになったアイナを見て、ギルド職員たちに動揺が走った。二人はアイナを手近な椅子まで運ぶと、彼女を取り囲むように全員が集まる。アイナは周囲に顔を上げる事も出来ない程消耗しているのか、顔を伏せたまま、肩で息をしている。衣服の下の様子は分からないが、向き合出しの顔や首を見る限り、何か肉体を損傷するような行為をさてはいない。
気を利かせた職員はコップに水を入れて、アイナの傍に差し出すと、彼女は大急ぎで水を飲み込んだ。慌てていたからか、唇の端から水滴が流れ落ちる。喉が音を立てて、水を流し込んだ。
「ごくごく。ぷっはぁ! ……生き返ったー」
生き返ったとは言うが、それでも疲労の色は濃い。
「アイナさん。大丈夫なのですか?」
「何があったのよ、そんなに憔悴しきってさ」
二人はアイナと執務室を交互に見比べた。アイナが覚束ない足取りで退出した後、執務室は慌ただしく神官が出入りするも、肝心のオーバートが出てくる様子は無かった。厄介な存在が居ない隙に何が起きたのか聞こうとした。アイナは少し億劫そうに口を開いた。
「……ずっと、質問攻めよ。言葉尻を変えて、表現を変えて、微細を漏らさないように……慎重に同じ意味の質問を繰り返すんだもの。本当に疲れた」
普通、審判官とは一人で会うのが原則だ。審判官の瞳は嘘を見逃さない。対象に質問をぶつけ、心の中の真実を浮き彫りにする。
そのため、個人の知られたくない秘密すら見抜いてしまうため、原則として従事している職務の規定以外の質問をしてはならないという掟が彼らにはある。それを破らないように己に対して契約を結ぶ。
しかし、異端審問の際には第三者が質問を投げかけ、その真偽を審判官が見極めることで、ありとあらゆる情報を引き出すことが出来る。その際に、口にした内容に偽りがあれば、即座に神敵と認定されてしまうのだ。神敵を回避するためにアイナは細心の注意を払って答え続けていたため、精神をすり減らしていた。
「おい。それで結果はどうなんだ?」
ハクシが尋ねると、アイナは笑みを浮かべた。
「異端では無い、って認定されました」
「そうか! そうか、そうか! まあ、皆そうだと分かっていたがな!!」
アイナの言葉にハクシだけでなく、ギルド職員全員がわっと喜んだ。上がった歓声はギルドの建物を揺らした。誰も彼もが喜びあっている中、執務室から出てきた人影に全員が凍り付いたように動きを止めた。
オーバートだ。
彼は真っ直ぐ、アイナとハクシの元に近づいた。
「ギルド長殿。そのご様子ですと、異端審問の結果はお聞きになったようですね」
「ああ。当たり前の結果が当たり前のように出たようだな。これも13神の思し召しと言うやつだな」
ハクシは唇を吊り上げ、挑発するかのようにふんぞり返った。オーバートが顔を歪めるところを引き出そうとしたのだが、彼の予想に反し、爬虫類のような目つきの男は淡々と表情を変えなかった。内心で如何思っているのか不明だが、少なくとも彼にとって愉快な展開では無いはずなのに、それを全く見せないのが逆に不気味だ。
「確かに、彼女は『魔王』とも六将軍とも繋がりはありませんでした。……今は、ですが」
「……どういう意味だ、おい」
低く唸るようなハクシの問いかけに、再びギルド職員の中に不安の影が忍び寄る。
「その言い方だと、まるでアイナがこの先、アイツらと手を結ぶって言っているようなもんじゃないか!」
「……それは誤解だ。私は、この先、彼女の力を手に入れんと、『魔王』達が接触するのではないかと危惧しているだけだ」
「そりゃ一体、どういう意味だ」
アイナを除いたギルド職員たちは首を傾げた。オーバートは面倒だと思いつつも、律儀に答える。
「ご存知の通り、人魔戦役の最中に魔界は形成されました。あの忌々しいオーロラが世界を隔て、魔人種は向う側へと逃げ、三百年間姿を見せないでいた。それが、今回起きた騒動の影に六将軍が関わっている事が判明したのは、あなた方も既に知っているはず」
オーバートは言葉を区切ると、全員の反応を確かめるようにぐるりと見回した。確かに、古代種の龍の暴走に六将軍らが関わっているのは、シュウ王国を始めとした被害国からの情報によって伝わっていた。しかし、あまりにも突拍子もない内容だけに、一般に公開していない秘匿事項。それを人気の少ない時間帯とはいえ、このような場所で法王庁の神官が公言したことに、ハクシを始めとしたギルド職員は驚愕した。最初に驚愕から回復したハクシが、唸るように尋ねた。
「……法王庁は古代種の龍の暴走に、本気で六将軍が、魔人種が絡んでいると思っているのか?」
「思っている? 確信しているのですよ。曖昧な証拠ではなく、確固たる証拠を持って我らは動いています。……話を戻します。六将軍自ら動いているという現状からすると、向こうの戦力は激減している可能性があるという事。だとすれば、第二席に手傷を負わせた同族は喉から手が出るほど欲しいはず。彼らが迎えに来る可能性は十分存在する」
「む。……それは、六将軍が関与していたらという前提だろ」
頑なに六将軍の関与を認めないハクシに、オーバートは、頑固者め、と呟いた。
「分かりました。ここは貴方のギルドにして、貴方の街。ここは貴方の言い方に合わせます。……六将軍が此度の変事に関わっていると前提して、自ら動いているのは向うの戦力が低下していることに他ならない。ついては戦力増強のためにアイナ殿を狙うかもしれない、と。これなら、納得できますか?」
「む……確かに、否定できんが。だとしたら、如何するというのだ? まさか、アイナを殺す気じゃないだろうな!?」
再びハクシの体から濃厚な殺気が漏れ出した。元冒険者なだけに、殺気の質は重苦しい。それを正面で受け止めながら平然としているオーバートは、やはり単なる神官では無い。
「まさか。現時点で神敵でない者を、将来神敵になるかもしれないからと言って殺すほど我らは浅慮ではありません。……その代り、彼女を囮にするつもりです」
「「「囮!?」」」
オーバートの言葉にギルド職員たちは皆、驚きの声を上げた。特にハクシはつかみ掛らんばかりに激昂した。ギルド職員たちが直ぐに察して後ろから羽交い締めしなければ、この老人は突撃しただろう。
「アイナを囮に、六将軍をおびき寄せる気か!? そんなの私は認めんぞ!!」
「認めなくとも結構。既に本部との連絡は済み、承認は頂きました。……何より、本人の承諾を頂いた」
「な……アイナ!!」
全員の視線がアイナに集中した。誰もが信じられないといった表情を浮かべていた。そんな彼らに向けてアイナは首を縦に振った。
「彼女にはある条件と引き換えに、危険な役目を請け負ってもらう事になった」
「じょ、条件って何だ!?」
「作戦の機密にあたるため、今は申せません」
オーバートはそれっきり、騒ぎ立てるハクシを取り合わず、アイナに向けて口を開いた。
「本部と協議した結果、貴殿の申し出を受け入れるにあたって、しばらく時間が欲しい。ついては、それまでの間、貴殿の安全を確保するために、神官を一人、貴殿に付ける事を了承されたい」
「安全確保? 私が逃げ出すかどうかの見張りの間違いでしょ?」
アイナの皮肉にオーバートは苦笑を浮かべた。身も蓋もない言い方だが、彼女の言う通り、護衛兼監視役だ。
オーバートは後ろに控えている神官の中で、一際小さい神官を手招きした。
一歩前に出た神官に対して、ベールを取るように命じた。神官は小さく頷くと、顔を覆っていたベールを上に持ち上げた。
神官の正体は若い女性だった。年のころは16ぐらいの人族。それほど背の高くないアイナよりも低く、神官服の袖が手首を超えている。どこか高貴な雰囲気を纏うが、感情が無いかのような無機質な顔はまるで仮面を張り付けているかのようだ。男衆は横暴な法王庁に対する怒りを一瞬忘れ、女神官に見惚れてしまう。
「これは二等異端審問官のルリジオンだ。この年で二等異端審問官は優秀だという証明だ。監視役としても、護衛役としても秀でている。見ての通り、女性だ。だから、こちらの準備が終わるまで、共に生活して欲しい」
「共にって、私が暮らしているのはギルドの寮ですけど」
「構いませんな、ギルド長」
そこでようやくオーバートはハクシを振り返り、目を見開いた。何しろハクシの姿は異様だった。数人のギルド職員がハクシの四肢を抱きかかえるように掴んでいた。そうでもしなければ、ハクシはオーバートを殴っていたかもしれない。自分を置いて進んでいく話に不機嫌そうに、ふんと鼻を鳴らしたが、却下しなかった。それだけで十分だった。
「宜しい。後の仔細はルリジオンに任せてある。私達は一度街を離れ、貴殿の条件の準備をする。それまではルリジオンの指示に従って暮らしてほしい」
「……はぁ。まあ、条件はこっちから言い出した事だから、受け入れますよ」
椅子に座ったままのアイナは何処か投げやりに言うと、視線をオーバートからルリジオンに移した。当の神官はいまだに口を開くどころか、感情の欠片すら感じさせない。アイナは一瞬、死んでいるのではないかと疑ったが、藍色の瞳が動いたのを見て、胸をなで下ろした。
「よろしくね、ルリジオン」
「…………どうも」
長い沈黙の後。ルリジオンはそれだけ言うと、役目は果たしたと言わんばかりに押し黙ってしまった。目線も逸らし、どこか陰鬱な雰囲気を醸し出している。心なしか、彼女の周りの空気が濁っていくようにアイナには見えた。助けを求めるように周囲を見渡したが、誰もアイナと視線を合わしてくれなかった。それどころか、一歩、後ろへと下がってしまう。
(これからどうなっちゃうのよ、私は?)
自分の未来に広がりつつある暗雲にアイナは肩を落としてしまった。
こうして、苦労人受付嬢アイナとストーカー神官ルリジオンとの奇妙な同居生活は始まった。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回更新は金曜日頃を予定しております。




