閑話・戦奴隷たちの修業 最終日
あっという間に、約束の五日目がやって来た。
クライノートの隠れ里を出る日。
リザ達はこの日を最初から休みと決めていた。鍛錬や勉強を切り上げて、いつでも出発できるように準備を進める。そもそも、森を抜けるためには、ボロボロの体のままでは危険だ。
そのため、レティは昨晩の内に、ボロボロのリザと目が充血しているシアラの二人を纏めて風呂に叩き込み、ゆっくりと睡眠をとらせた。そのお蔭か、二人の目覚めはとても穏やかで、肌艶も良くなっていた。口数も増えていたのは、精神的に張りつめていた物が解けた反動だろうか。
特にリザは暇さえあれば、手合わせをしたロテュスとの戦いを繰り返し話題に出す。彼女がどれほど強く、どれ程素晴らしい剣士なのかをあらん限りの言葉を尽くして語る。
繰り返し同じ話をするので、シアラは最初の二回目で飽き、レティは三回目の途中からは耳を通り抜けるようになった。辛抱強いエトネは六回目の今も律儀に付き合って、客人用の小屋の隅で話に相槌を打っている。
「ねえ。あれ止めなくていいの?」
「いいよ、ほっとけば。お腹がすいたら、話をするのも止めるでしょ」
シアラが荷物のチェックをするレティに尋ねるも、妹は姉の行動に対して素っ気無い対応を見せた。その理由はリザの全身にあった。
熱っぽく話をするリザの全身は青あざだらけ。中には薬液を吸わせた布で傷口を抑えている。痛々しい姿だが、これでも大分マシになった方だ。
ポーションや、ヒーラーであるアリテュスの回復魔法によって、負傷箇所はある程度までは治療で来た。しかし、これ以上の治療は逆に、本人の自然治癒力を損ねる可能性があるからと断念したのだ。
連日、体を酷使してはアリテュスの世話になったツケが回ってきた。
「アンタ、まだ怒ってるのね」
「はぁ? 怒ってませんよ!!」
誰が見ても、レティは怒っていた。心配性な妹と、わが身を省みる事のない猪突猛進な姉。妹の気苦労は絶えない。
「大体! シアラお姉ちゃんもシアラお姉ちゃんだよ! お風呂で沈んじゃうほど、根を詰めるんだから!」
「おっと。矛先がワタシに来たぞ」
レティが言っているのは、風呂での失態だ。シアラはこの数日間、風呂に入っていなかった。時間さえあれば本と向き合っており、久方ぶりに入浴した際に湯の柔らかさと温度によって眠気に囚われてしまい、湯の中で寝てしまったのだ。
危うく死にかけた。
全身がボロボロのリザと共に入っていたのだが、その時彼女は彼女で、全身の筋肉が断裂するかのような痛みと向き合っており、気づくのが遅れた。いつまでも入っている二人を心配したレティとエトネによってシアラは救助された。
シアラはバツが悪そうに頬を掻いていると、レティは小さな手を固く握りしめて、机を叩いた。
だん、と。机の上の湯飲みが揺れた。
「ちゃんと聞いているの!?」
「き、聞いてるわよ、もちろん!」
「反省してるの!?」
「反省してます!!」
「なら、良っし!」
レティは腕組みをして薄い胸を張ってふんぞり返った。その姿にシアラは内心で、
(ワタシなんかより、よっぽどしっかりしてるじゃない)
と、呟いた。
そんなしっかり者のレティは荷物を広げ、足りない物資を確認している。食料や、比較的簡単に用意できる消耗品などはクリュネに頼んで売ってもらう事になっている。
すると、扉がノックされた。作業の手を止めたレティやシアラ、話を続けていたリザとエトネも音に反応して扉を見つめた。
そして、扉がゆっくりと開かれ―――クリュネが現れた。
「「「「はぁー」」」」
「ため息!? 身共、何か仕出かしました!?」
自分の顔を見て、一斉にため息を吐かれた事にクリュネは激しく傷ついた。シアラが違うの、と前置きしてから弁明する。
「てっきり、主様かと思ってね」
「……ああ。成程、そう言う事ですか」
シアラの説明にクリュネは室内に掲げられた時計を見た。時刻はあと一時間ほどで正午を回ろうとしていた。
里長のブーリンと約束した時刻だ。
その時刻を過ぎれば、例えレイが帰ってきていなくとも、リザ達は退去しなければならない。昨晩の内に改めて言われた内容だった。
「やっぱり、心配?」
「ええ。ですが、私達がこうして生きている以上、あの方が生きているのは明白です。ですから、私達に出来るのは待つことだけです」
「そうね。里を追い出されたら、おちびが使っていた木の下に行けば、数日は暮らせるわよ」
リザとシアラは明るく告げた。その自然な振る舞いから、二人ともレイが帰って来ると心から信じていた。
一方で、レティはちらちらとエトネの様子を盗み見る。あと少しで里を出るという事は、エトネが今後どうするのかを決断するという事だ。
この数日間、塞ぎこんだように悩んでいたエトネだったが、昨日から様子が変わったのをレティは気づいていた。おそらく、今後の身の振り方を決めたのだと察していた。
それがどのような選択肢なのか、聞きたくて、聞きたくてうずうずしていた。何度も声を掛けようとしては姉たちの視線に負けて言い出せないでいた。
実は、リザとシアラからこの件に関して釘を刺されていたのだ。
「いいですか? 私達はご主人様の奴隷。つまり、旅の決定権はご主人様が握っています。レティが、エトネの事が気になるからと言って、不用意に聞きだそうとしてはいけません」
「そうね。下手に聞いて、一緒に行きたいって言ったとしても、それを決めるのはワタシたちじゃない。主様よ」
二人の言いたいことは幼いレティも十分理解している。それでも、エトネがこの先どうしたいのか、早く知りたいのも事実だった。彼女は内心、早く帰ってきて、と祈っていた。
すると。
そんな祈りが通じたのか、外から足音が聞こえて来た。室内の四人も、扉の前に立つクリュネも驚き、外へと飛び出すと―――今度はサファだった。
「「「「「なーんだ」」」」」
「あ? 何だ、貴様等。喧嘩売ってるのか?」
一斉に肩を落とした女性陣に対してサファは威嚇するように返したが、気落ちした彼女らはサファを相手にせず、小屋の中に戻っていた。
「それで、サファ殿。ここに何用なのでしょうか?」
扉を閉めようとしたクリュネが思い出したかのように付け加えた。そのお座なりな態度にサファは長年感じた事のない居心地の悪さを感じつつ、口を開いた。
「あ、ああ。童が帰って来た事と―――」
「「「「帰って来たの!!」」」」
サファの声は四人の少女の声にかき消された。その上、洞窟内と言う事もあって、彼女らの声は反響して広がった。サファは不快そうに耳を抑えつつ、言葉を継ぐ。
「……そうだ。帰ってきて、ある場所に行かせた。エルフの秘事ともいえる場所にな。……いつ戻って来るか分からん。だから、里長には許可を取った。もう一晩だけ、滞在を許可する」
それだけを一方的に言うと、サファは背中を見せて去ろうとする。その背中をシアラが引き留める。
「ちょっと待って! 分からん、ってどういう意味よ。……どれくらい待たされるのよ?」
「ふむ。運が良ければ瞬きする程の時間や、あるいは湯が湧く程度の時間で済む。しかし運が悪ければ……一日、あるいは十日、いや、もしかすると一月か。はたまた一年になるか。それは俺にも分からん。それこそ、神のみぞ知る、だ」
今度こそ、サファは歩みを止めることなく、洞窟を出て行った。全員の視線が里に住むクリュネに注がれた。
「どういう事でしょうか、クリュネ様。サファ様の言葉の意味は一体?」
「み、身共にも分かりかねます。時の流れが違う場所なんて……聞いたことがありません」
困惑からか、言いよどむクリュネを前にして、黒い霧のように澱んだ不安が四人の胸中に蔓延した。
客人用の小屋の中、ちくたくと針が軋む音だけが響く。
時刻はもうじき夜中に差し掛かろうとしている。元から暗い洞窟内では時刻の変化は分かりにくいが、洞窟の外では燦々と降り注いでいた光の雨は姿を消している。
リザ達は机の周りに陣取って、沈黙していた。あの後、クリュネに足りない物資の補給を頼んだ後、リザ達は小屋の中でずっと待っていた。何時レイが帰ってきても、すぐに迎えられるようにと、食事もとらず待っていた。
見かねたクリュネたちが差し入れを持ってきてくれたが、銀の蓋に覆われたままだった。レイが来たら食べようと、声に出さなくても全員は思いを一つにしていた。
だけど、うつらうつら、とレティとエトネの頭が揺れ始めた。もう夜も遅い時間、何時もなら寝ている時刻だ。幼い二人は眠気に負けそうになっていた。
「アンタたち。眠いなら横になってもいいのよ」
シアラが言うと、二人は揃って首を振った。そして、互いに自分の頬を引っ張り出す。
「……何をしてるの、レティ」
「眠気覚まし!」「……ねむけざまし」
幼い二人は涙目になりつつも、必死に眠気と戦っていた。しかし、数分後、燃料が切れたかのようにこてん、と倒れてしまった。重なるように横になった二人は穏やかな寝息を立てていた。
「このままだと、風邪をひくわよ。何か、掛けてあげないと」
「そうね」
リザは小屋の襖を開けて中から薄布を二枚取り出す。それを重なるように眠っている二人にそれぞれ掛けてやった。
再び所定の位置に座ったリザに、シアラがお茶を差し出した。リザは礼を言って一口すする。
「主様の事だから、普通には帰ってこないと思っていたら、案の定というか、何と言うか」
「相変わらず、先の読めないお方です。まさか、年単位で遅刻する可能性があるとは」
長命であるハーフエルフのエトネやシアラにしてみれば、一年と言うのは長い寿命の中だと、それほど長く感じない。しかし人族であるリザとレティにしてみたら、やはり一年は長い。一年前の自分が今の自分の状況を予想できないのと同じで、果たして一年後、無事に再会できるかどうか分からない。言葉に出来ない不安が喉を塞ぎ、リザは息苦しさを感じていた。
不安は如実に表れる。
端正な指先が、湯呑の縁を落ち着きなく、何度も叩いていた。
「リザ。ちょっとは落ち着き―――」
「―――申し訳ありません。少し、外で体を動かしてきます。……動いている方が、気が紛れそうです」
「……あっそ。好きにしたら。二人の面倒はワタシが見ておくから」
落ち着きのない様子で、リザは足早に外へ出て行く。少しして、外からリザが体を動かしている音がする。この洞窟の中は全て客人用の小屋しか無い。当然、無人だ。気兼ねなく、体を動かしているのだろう。音からシアラはそう察した。
シアラもレティたちのように床に寝そべった。長い紫がかった黒髪が広がり、背中と床の間に挟まった。
「……はぁー。早く帰って来なさいよ、馬鹿主様」
彼女もまた、リザと同様に不安を抱えていた。確かに長命種にとってみれば一年はそれほど長く感じないが、一年もの間、レティとエトネを抱えて四人で生活するのは厳しい物がある。
主が傍に居ない奴隷が街に戻れば、逃亡奴隷とみなされる場合もある。
頼るアテも無く、行く場所も住む場所も無いという現実がシアラを襲っていた。
「あはは。……やばいわね。思っていたよりも、けっこう、あの主様に寄りかかってたんだ、ワタシ」
この四人はレイが居なければ出会う事も、一緒に過ごすことも無かった。それだけにレイの不在というのが、ぽっかり空いた穴のように底なしの闇を覗かせていた。埋めがたい寂寥感に全身が冷たくなっていく。
いつしか、シアラは瞼を瞑っていた。せめて夢で会えたらいいなと、彼女らしからぬ、未練たらしい事を願った。
―――そして、眼球が燃え上がるかのような熱を感じた。
がばり、と。跳ね上がって起きたシアラは、自分が二種類の光景を見ていることに気づいた。
左目は正面にある机を。
右目は全く別の光景を。
シアラの特殊技能、《ラプラス・オンブル》が発動したのだ。
金色の右目はこれから起きる光景を彼女に強制的に見せる。かつては父の死や、赤龍の襲来などをこの目は見せた。
例え、彼女にとって最悪な未来だったとしても、残酷な未来たとしても強制的に見せる。
―――逆に言えば、最高の未来を見せる事もある。
つぅ、と。シアラの右目から涙が足跡を残して流れた。
「なによ。……こんだけ人をハラハラさせといて、さっさと帰って来るんじゃないわよ」
まだ現実になっていない光景に対してシアラは憎まれ口を言う。しかし、その表情は紛れも無く笑顔だった。
そして。
彼女たちの待ち望んでいた人物がやって来た。
「リザ? こんな所で寝ていると風邪をひくよ」
途端に。重なり合うように眠っていたレティとエトネが跳ね起きた。二人は眠気眼のまま、小屋の中を見渡し、声の主を探した。シアラは涙を拭うと、扉の外を指差した。
それだけ全てを理解した二人は花がほころぶような笑みを浮かべると、二人そろって、扉へと突撃した。シアラも遅れまいと、扉へと駆け寄った。
扉を弾き飛ばすかのように開けると、そこにはシアラが見た未来があった。
少し伸びて来た黒髪の一部は白く変色し、穏やかな顔にはどこか泣きそうな笑みが浮かんでいた。鎧は激闘の証のように痛み、ボロボロの体。それでも五体満足のままだ。
少女たちの待ち人―――レイがそこに居た。
外に飛び出した三人は口々におかえり、と告げた。
レイはそんな彼女らに向けて言った。
ただいま、と。
こうして、少年少女たちの五日間の修業は幕を閉じたのだった。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回からネーデの街の受付嬢、アイナ編です。更新は水曜日頃を予定しております。




