閑話・戦奴隷たちの修業 シアラ編 『前編』
静謐が空間を支配する。
拡張された室内は際限が存在しないかのように広く、所々に掲げてある案内図が無ければ、迷子になってしまう。火気厳禁のため、光る鉱石がランプ代わりに照らしているここはエルフの知が集積されている学舎。
シアラは木々のように直立する本棚の間を歩いていた。エルフの隠れ里に来て三日目。目当ての本棚の場所はすでに頭に叩き込んでいる。足取りに迷いは無かった。
学舎は古今東西の寓話や童話から、かつて存在した英雄たちの一生をしるした英雄譚や、戦史や戦術、政治や法律などの実用的な学術書、そして世界各地のレシピが収められた料理本や特産品を紹介する本など多岐に渡って蔵書されていた。
エルフが古来より使っている文字で書かれている本もあれば、エルドラド共通言語で書かれている本もある。
外界との繋がりを極力断っているエルフがこれだけの本を所有しているのかとシアラは驚いた。案内をしてくれたクリュネに言わせれば、逆に外界との交流を断っているからこそ、どんな些細な情報でも何かの役に立つからと集めているそうだ。
これ等の本を買い集めているのは、外に出たエルフたちの役目だ。
エトネの母親のように追放されたのではなく、外に派遣されるエルフは時折いるそうだ。役目としては各地に散らばった他のエルフたちとの交流や、各国の政治情勢の推移を調べたりと多岐に渡る。その中の一つに、書物を集めるのも重要な役目である。
クライノートの森に居を構えて九百年近く。集まった本や巻物の数は膨大で、僅かな滞在期間の間で全てが読み終えるとはシアラは思っていなかった。
だから彼女は最初から目当てのジャンルを絞っていた。
一つは魔法。特にエルフが独自に進化させた魔法陣に関する知識。
そしてもう一つは。
「……これなんか良さそうかしら」
シアラは本棚の前に立つと、背表紙にかかれたタイトルを指でなぞった。薄く積もっていた埃は指の腹に溜まり、綺麗になった背表紙には「人類史における暗黒期が生み出した功罪」と書かれていた。
彼女のもう一つの目的。それは自分が氷漬けになっていた間の歴史だ。
人龍戦役、人魔戦役、人間戦役。どの戦役も、死者の数は膨大で、滅んだ国の数も部族の数も、けた外れに多かった。そんな規格外の戦役が三つも続けて起きたことから、誰もがこの時代を暗黒期と呼んで憚らなかった。
シアラは暗黒期が始まる頃に生まれたハーフの魔人種。父親が人族で、母親が魔人種だった。
純種の魔人種なら、成長する速度は人間種の十年が一年分なのだが、雑種のシアラは五年で一年分だった。
人間種で言う所の十歳になる頃には五十年の月日が流れていた。世の親にとって、成人した子供を見るのは楽しみだったろうが、人族だった父は死んだ。
その父親の意向によって、シアラは戦争とは無関係の場所に匿われていた。そこはどの大陸からも距離が離れ、忘れられた小島。ちっぽけな古びた城と城下町があり、戦役から逃れた人間種や獣人種、そして魔人種たちが手を取り合って暮らす小さな島。
島に集まったのは戦争に異を唱えていた父の友人たちや、その思想に感化された同志たちだった。戦争と言う怪物に飲み込まれた人々は正常な判断を失い、瞬く間に戦火は燃え広がった。どれだけ声高に非戦を訴えても、聞く耳は持ってもらえなかった。
父の同志たちは外で流れていく血から目を逸らし、世界の端っこで自分たちだけの平和な楽園を作り、ワタシをその象徴として崇め奉った。
人と魔人。
いがみ合う両種族の血を引くワタシと言う存在は彼らの理想の象徴として都合が良かった。
シアラ自身、父を亡くし、母とは決別した以上、行く当ても無かったこともあり、彼らと行動を共にした。誰もが辛い現実を忘れて、小さな箱庭の中に閉じこもっていた。
少なくとも、あの島で過ごした最初の数年間は平和だった。
―――アイツがやってくるまでは。
流れるような黒髪は、邪悪さを凝縮させたかのように闇の中でも黒々としていた。両肩に植えつけた口が唱える合成魔法は、ちっぽけな城壁を板切れのように粉砕する。幼いワタシを守ろうとした者を無慈悲に貫いた槍は、赤と青の血が混ざりあっていた。
六将軍第二席ゲオルギウス。魔人種を統べる『魔王』の片腕にして、最強戦力と呼ばれた男だ。
奴は城下町を、城を、全てを薙ぎ払うと、ワタシに言った。
「これは罰である」
玉座の裏の空洞。有事の際に脱出路となる抜け道で、シアラとゲオルギウスは対峙していた。
玉座との出入り口は開けられたまま、火に焼かれ、雷に打たれ、槍に突かれた者達の怨嗟の声が空洞の中で反響する。
「お前が悪いのではない。お前の母親が我らを裏切った罪に対する罰である。あの女狐にはいずれ、己の仕出かした事の報いを受けてもらうが、その前に娘である貴様にも責の一端を受けてもらう」
「……それなら、それなら、ワタシだけを狙えば良かったでしょ! なんで、皆を、町の皆を殺したのよ!!」
幼くとも、担ぎ上げられたにすぎなくても、シアラは彼らを導く者だった。それなのに、彼らがボロ布のように殺されていく様を黙ってみていた。無力な自分に対する苛立ちをゲオルギウスにぶつけた。
シアラの怒りを平然と受け止めたゲオルギウスは端的に答えた。
「そんなもの……戯れに決まっていよう」
瞬間、絶対に勝てないと絶叫する理性を振り切って、シアラは杖を引き抜いた。自衛のためにと数種類の魔法を習得していたシアラはその中でも素早く放てる魔法を選んだ。
だが。
「遅い。《アンダンテ・フィールド》!」
両肩の口に詠唱を行わせていたゲオルギウスの方が何手も早かった。放たれた光球がシアラの足に触れると、氷漬けとなる。ところが、拘束された両足は冷たくなく、次第に足首から腿へと伸びていっても、凍えるような冷たさは無い。あったのは不気味な氷に対する恐怖だけだ。
「な、何をしたの!?」
「あの女の犯した罪は、貴様の命を貰った所で釣り合わない。ゆえに、貴様には死に勝る苦痛を与えよう。《アンダンテ・フィールド》。この魔法は掛けた対象を氷漬けにし、内部の空間の時間を引き延ばす」
ゲオルギウスの口が三日月を描き、残忍な笑い声が両肩から発せられる。
「……時間を……引き延ばす?」
「ああ。いつまでたっても終わりの来ない牢獄。手も足も、それこそ瞼も動かせない氷の中、意識だけはハッキリと残る。そこで、闇を眺めつづけていろ。……気が向けば、戻してやろう」
そう言ってゲオルギウスはシアラの前から姿を消した。去りゆく背中にあらん限りの罵声を浴びせていたが。冷たくない氷は直ぐにシアラの全てを覆い尽くした。そして、玉座との出入り口は閉ざされ、シアラは闇の中で独りぼっちとなった。
そこから先の記憶は曖昧だった。ただ、地獄だったのは覚えている。
氷の中で視た世界は闇に覆われ、何一つ分からなかった。しばらくの間は、岩壁を伝って、城や城下町の住人達の苦しむ声が、響いていたのだけは覚えている。だけど、それもいつの間にか止んでいた。彼らが直ぐに楽になったのだと信じたかったが、氷の中に居たシアラには判断できなかった。
動けない氷の中でシアラの四肢はゆっくりとだが成長していき、それがシアラの生きている証だった。
その氷から出されたのが今から数か月前。島を訪れた商人との交渉によって奴隷の烙印を押され、流されるようにここまで来た。
外では三百年の時間が経過していたが、《アンダンテ・フィールド》によって氷漬けにされていたシアラは二十年の時しか過ぎていなかった。何もできないまま、二十年が過ぎていた。
島を出て、ある国でハインツに売られ、東方大陸へと向かう道中、他の奴隷たちから氷漬けになっている間の歴史や世界の動向を訪ねていたが、彼女の知りたがっていた情報に関しては何も分からなかった。
シアラは歴史が記された書物を机に積み上げると、端から読んでいく。昼食も休憩も取らないで書物に没頭する姿は鬼気迫るものがある。
しかし、最後の一冊を読み終えても彼女の求める情報は無かった。小さな肩がガクリ、と落ちた。
「人魔戦役後の六将軍の行方はどれも不明。……生きているのか、死んでいるのか。それさえも不明……か。あー、もう!」
シアラは苛立ちまじりに紫がかった黒髪を掻き乱した。すると、自分を見つめる小さな瞳に気づいた。数は複数だ。学舎の一角。年少の、それこそエトネと同年代と思しきエルフたちがじいとシアラを見つめていた。
ここが学舎と呼ばれるのは、実はここの一角がエルフたちの学校として使われているからだ。防音結界を張った一角は、成人する前のエルフたちの教室として使われている。今は休み時間なのか、教師が居らず、皆自由に過ごしていた。
シアラは完璧な笑みを浮かべて、見つめてくる子供のエルフたちに笑いかけた。
(こっちに来るな、こっちに来るな、こっちに来るな、こっちに来るな、こっちに来るな)
仮面の裏では一心に祈っていた。昨日は子供のエルフが珍しくて声を掛けてしまったら、彼らに捕まってしまい本を読むどころでは無かったのだ。シアラの祈りが通じたのか、子供のエルフたちはシアラに声を掛けず、休憩時間が終わり教鞭をとるエルフが姿を見せるとそちらへと顔を向けた。
ほっと胸をなで下ろしたシアラは、大量に本を読んだ疲れからか、思考を空っぽにして呆けていた。視線はそのままエルフの学校へと向けており、黒板に書かれていく文字を見て、シアラは授業内容に察しがついた。
いつもの授業はエルフ文字とよばれる、エルドラド共通文字とは違う言語を使っているので理解できなかったが、今だけはシアラの知っている言語を使っているので、すぐに分かった。黒板に書かれていたのは魔法言語だった。
シアラは積み重なった本の中から、ある本を引っ張り出した。
本の背表紙はエルフ文字で書かれているため、タイトルは分からないが、この本には幾万もの魔法言語が記されている。
そもそも、魔法という神秘の力がどうやって見つかって、人々の間に伝わったのか。
今の文明よりも前にあった、いわゆる古代文明の頃にはすでに旧式魔法の原理は発見されていたと考古学者は言う。世界各地に残っている遺跡から、魔法がどのように伝わったかの伝承が残っているのだ。
地域差はあるものの、判明している伝承は次のような話だ。
元々、魔法が使えたのは精霊だけだった。人に理解できない、発するだけで力を持つ言葉を重ねる事によって、森羅万象を操り、奇跡の業、つまり魔法を行っていた。人々に出来た事は、精霊に祈りを捧げ、奇跡の業を使ってもらえるように頼み込む事だけだった。そのためには生贄すら捧げていたそうだ。
ある時、精霊が捨て子を拾ったという。昔のエルドラドは今よりも高密度な魔力が大地を走っていたこともあり、精霊は呼ばれなくても、気まぐれに実体化が出来た。
捨て子を拾ったのも精霊の気まぐれだったのかどうかは不明だが、精霊は赤ん坊だった捨て子に獣の乳を与え、貢物の麦を与え、そして精霊の文字を与えた。
人と精霊のあり方が、それこそ人と神のように遠く離れていた時代。精霊は人の言葉を学ぼうとはしなかった。だが、捨て子に世界を教えるのに、文字は必要不可欠だった。そのために、精霊は、自分たちにしか伝わらない言葉を文字にして教えたのだった。
精霊によって育てられ捨て子はある時、精霊の元を離れ、人の群れに戻る事になった。しかし、言葉が通じず、使う文字も違う捨て子は中々人の群れに馴染む事は出来なかった。だが、捨て子は必死になって人の文字と言葉を学び、自在に操れるようになった。
そして、大きく成長した捨て子は、かつて教わった精霊の文字を人の言葉に翻訳し始める。それこそが精霊と人の距離を縮める事だと信じて挑戦したのだった。
その思想に賛同した者達が、彼の死後もその意思を引き継いで翻訳を続け、結果として精霊の文字が魔法言語とよばれるようになったと伝承では言われている。地域差では、その精霊が複数だったり、捨て子の性別が違ったりとしているが概ねこのような伝承だ。
旧式魔法の詠唱は、精霊の詠唱を魔法言語に変換し、人の発する言葉に翻訳したものである。新式魔法や魔法工学、魔法陣などは、精霊の詠唱を魔法言語に変換して、そのまま刻む事で詠唱を完了させて効果を発動させる。
つまり魔法言語を大量に学べば、それだけ自由自在に魔法を使えるという事になるのだ。
エルフたちの滅んだ国では精霊が勝手に実体化できた事もあってか、世に知られていないような複雑な魔法言語が山のように蓄積されている。シアラが視線を落としている本もその山の一端である。
(魔法使いの役目は様々な魔法を放つ事。それが最低限の条件。主様が何度も繰り返す力を持っている以上、状況を打開する際の手段は多種多様に渡っていた方が都合がいいはず。だから、ワタシは少しでも多くの魔法を身に付けるべき。旧式魔法も魔法陣も、覚えるだけ覚えて見せるわ!)
シアラは一度思考を切り替えると、再び本へと没頭した。
それこそ時間が経つのを忘れるほどだった。
がたり、と。
椅子を引く音がシアラの没頭を中断させる。シアラが顔を本へと向けたまま、音のした方へと上目遣いを送ると、体が強張ってしまった。
なぜなら、彼女の対面に座ったのはサファだったのだ。
シアラは緊張した面持ちで、顔を目の間に座る男へと向けた。その際に、視線を周囲に向けると、学舎の一角に居た子供のエルフ達が居なくなっているのに気づいた。いや、彼らだけでは無い。ちらほらと視界の端々に居たエルフたちまで全員居なくなっていた。まるで、世界にシアラとサファしか存在しないような張りつめた静寂が立ち込める。
「人払いをさせてもらった。そうすれば、貴様も話がしやすくなるだろと思ってな」
不吉な予感がシアラの唇を渇かせる。舌で乾いた唇を舐めると、少女は平然を装った。
「……何のことでしょうか? あいにくとワタシは戦奴隷。貴方様とお話しすることは無いと思われま―――」
「―――年齢が」
サファはシアラの言葉を掻き消すと、そのまま言葉を継いだ。
「最初は年齢が合わないと思い……その可能性を捨てた。最後に見たのは三百年前。純粋な魔人種でさえ、成熟しきる程の時間だ。雑種なら言わんがな。だが、見れば見るほど、あの時の娘と酷似した。そして、いま、確信した」
サファは机の上に詰み上がった書籍のタイトルを目で撫でて、断言した。
「貴様、六将軍第三席カタリナの娘だろ」
記憶の奥底に沈めた忌まわしい名前が、シアラの首筋を掴んだ。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は火曜日頃を予定しております。




