1-19 非日常から日常へ
※7/25 空行と一部訂正。
音も無く修復されていく迷宮。激闘の爪跡を消すように瓦礫を飲み込み天井から石柱が降りてくる。ようやく終わったのだと実感する。
突然、隣に立つファルナが膝をついた。
「ファルナ! どこか、痛めた?」
青ざめた彼女の表情から、嫌な予感がした。
「ごめん……ちょっと……精神力が……切れた。……ちょっと……寝る」
途切れ途切れに言うと、瞼が降りて体から力が抜けた様に倒れこむ。うつぶせの彼女を抱き起すと、顔色が悪いだけで、穏やかな寝息を立てている。本当に寝ているだけだった。
安心して、ため息を吐く。
「さて。どうやって地上まで帰るとするか」
眠りだしたファルナを置いて地上へは帰れない。かといって重傷を負っている僕が彼女を抱えて地上へとは行けない。
まずはファルナが目覚めるまでセーフティーゾーンで休む。その間に他の冒険者から回復薬を買うか、治療を依頼する。その上で目覚めた彼女と相談する必要があるが、他のパーティーと共に地上へと帰るのがベストだろう。
「おい」
そもそも《トライ&エラー》はまだ使えないのか。使用可能に戻ってるなら、安全に地上まで戻れるまでやり直せるのに。
希望を抱いて、ステータス画面を開く。ボス戦の結果を受けてレベルが3つ上がっている。ほとんどダメージを与えていないのに経験値が入った事を考えると、やはり双頭のバジリスクはレベルが高かったのだろう。
一方、技能を開いたがやはり、使用不可のままだった。
(このまま使用不可ならまずいな。どうやったら解除できるんだろう)
「おい」
「って、さっきから誰だよ」
呼び声に振り返ると羽の生えた卵型の生物がこちらを見下ろしている。火の精霊が空中に浮かんでいた。
「まだ居たの?」
「……随分な言い草だな。なに、召喚者が込めた精神力がまだ残っているのでな。このまま還ると消化に悪いから、少しばかり還元してやろうと思ってな」
口が無いのに、迷宮に精霊の声が響く。いや、響くと言うより、頭の中に直接言葉を伝えていると言うのが正確か。
「還元って?」
「動くな。《イヤシノヒ》」
精霊が詠唱すると、薄い色の火の粉が波のように僕とファルナの肌を撫でた。一瞬の出来事に身動きが取れないでいたが、火の粉が消えると体の内側を苦しめていた痛みが薄れていく。
鱗による刺傷も無くなっている。
完治とはいかないが瀕死の状態を免れた。
「助かったよ。ありがとう」
礼を言いながら、ファルナの様子を見る。彼女の小麦色の肌についていた傷も癒えているが、まだ目覚める気配は無い。
「ファルナが、彼女がどうなったか分かる?」
精霊が1つしかない目でファルナの様子を診る。
「ふん。召喚者の状態は単なる精神力切れによる反動だ。眠れば回復する。ほっとけば良いだろう」
僕は精霊の見立てを信じる。
だとしたら、急いで地上へ抜ける必要も無い。ファルナが目覚めるのを待ってから、地上を目指そう。
すると、精霊の目がこちらを射抜く。
「それよりも、人間。目を見せろ」
「え?」
僕の目線の高さまで降りた火の精霊が僕の目を覗く。前にネーデの街に最初に訪れた時、審判官に目を覗きこまれた時に近い感覚を味わう。
まるで、心の内、いや、魂を覗かれている気分だ。
「成程。主は招かれた者だったか」
「―――なんでそれを」
始めは何を言われたのか分からなかった。聞き覚えのある名称だった。
突如、頭の中で言われた事と名称が音を立てて繋がる。その名称はステータス画面のある項目で見た。
「……なんで、その称号を知っているんだ。それもセットしていない物を」
言葉にならない驚きを飲み込みつつ精霊に尋ねた。
「これでもかつては13神の方々の眷属としてお仕えした身。主の魂がエルドラドと違うのぐらい見ればわかる」
精霊は何でもない様に言った。エルドラドと。
「それじゃ、ここはエルドラドなんだな!!」
立ち上がり、精霊に掴みかかるような勢いで問いただす。ファルナが床に落ちたが気にする余裕は無かった。
「お、おお。エルドラド。別称『神々の遊技場』と呼ばれた世界だが……主はどの神に呼ばれたのだ」
「時の神。クロノスって名乗ってた」
「ふむ。あのお方か」
納得したように呟く。思いがけずに手に入れた確信により僕は腰が抜け、へたり込んだ。
やっと、この世界がエルドラドだと言う証言を手に入れて安堵した。
そんな僕の様子を不思議そうに見つめながら精霊は口を開く。
「まったく。此度の救世主候補がこのような者とは。あの方は本気で世界を救う意思がおありなのか」
ぼやく様に言った。
「―――いま、なんて言った」
「む。失言だったな。許されよ、救世主候補よ」
「違う。いや、違わない。救世主候補ってなんだ? 世界を救うって何の話だ!?」
混乱して取り乱す僕。それをじっと見つめてくる火の精霊。顔を持たないがおそらく驚いているのだろう。
しばらくしてから、探るように存在しない口を開いた。
「……主は、なにも聞いていないのか」
僕は頷くしかなかった。
「……むう。そうか、知らぬか」
「答えてくれ、火の精霊。僕はこの世界で5年間過ごせば元の世界に帰れると言われた。それ以外は何も聞かされてない」
僕の中で嫌な予感だけが膨れ上がる。僕はあの神に騙されたのか。
どろりと粘着質な疑念だけが僕の心で渦を巻く。不安で押しつぶされそうになる。
「この世界で何が起きてるんだ。僕は何を期待されているんだ!!」
精霊は黙っている。僕の叫びを聞きながら、何かを考えているようだ。
「……私の口からは言えん。それが神の御意志だ」
「―――なんだよ。それで答えたつもりか!!」
「聞け!! 人間よ!!」
取り乱す僕を上回る声量がボスの間に響く。
「『聖域』を目指せ」
「聖域?」
「そうだ。そこは神の恩恵が無くなったこの時代において、唯一、神と対話できる場所だ。そこで全てを聞くのだ」
精霊の体から火の粉が散っていく。火で構築された体を保てなくなっているようだ。瞬く間に虫食いのような穴が体に生まれる。
「むう。時間切れか。いいか人間。神の方々はなぜだか主に真実を隠している。この身にはあの方たちの深遠なる叡智は分からぬ。だが、神の方々を信じるのだ。さすれば主にも救いは訪れるだろう」
精霊は言うだけ言うと、瞬く間に火の粉を散して消え去った。
混乱する僕を置いて。
「どこに在るんだよ! その聖域は!! 答えてくれ、精霊!!」
僕は狂ったように叫ぶ。
だがその声は誰にも届かない。元通りに再生したボスの間に虚しく響くだけだった。
怒りに任せて床を拳で叩く。こぶし大の穴ができるだけだったが何かに怒りをぶつけないと気が済まない。
拳を何度も叩きつける音が響いた。どれだけの時間が過ぎたのだろうか。ようやく落ち着きを取り戻す頃には右手の手甲がひび割れていた。
(くそっ。何が何だか分からないけど、思考を切り替えろ。今はとにかくファルナを連れて脱出することだ)
大きく息を吸い、吐き出す。
まだ、混乱してはいるが、方針は決まった。
脱出すると決めたからには、まず宝箱を見つける必要がある。門が開かない所を見ると、やはりあの宝箱を開けるのがトリガーなのだろう。
ボスの間を見渡すと、元の姿を取り戻した部屋の中央に宝箱が出現している。
近づき、中を覗く。今回も2つのアイテムが入っていた。
1つは弓。僕の背丈を越える大きさのシンプルなデザインの弓だ。だが、手に持つと、重く。力強さを感じる。
もう1つは杖だ。本体は木で構成され、先端に青い宝石が嵌っている。
両方を掴むと、門が開く音が響く。僕は武器を手にしたままファルナの方へと駆け寄る。
まだ眠っている彼女を引きずってでもセーフティーゾーンに連れていくために、彼女の傍で膝をついた。
その時、声がした。
「ファルナ!! 無事か!! 無事と言ってくれ!!」
密室のボスの間に木霊する。発生源を見ると、開けきってない門を這うようにくぐり、オルドが入ってきた。その後ろから冒険者たちの姿もある。
先頭のオルドと眼があった時、僕は思わず身構えてしまう。なにせ男の表情は鬼気迫り、目が血走り、まさに鬼の形相だった。そんな彼の視線が僕からファルナへと移った。
「ああ。良かった。敵じゃなかった」
ほっとして構えを解いた僕に罵声が飛ぶ。
「ファルナに何をしようとしてんだ、てめえええ!!」
「―――え?」
気が付くと、大男はその巨体にそぐわない神速で僕の顎に向かいアッパーを繰り出していた。
「ぐおおお!!」
正直、双頭のバジリスクのどの攻撃よりも響く一撃だった。
空中に打ち上げられ、天井が近づいてくのを見ながら僕の意識は落ちた。
これで死んだら、笑い話にしかならない。
目が覚めると、知らない天井だった。
窓から差し込む光で時刻が夕刻だと知らせてくれる。迷宮の中では無い。だけどギルドの3階でもない。見慣れない個室だ。ベッドも薄くなく、どこか高級感を漂わせている。体を起こしてみた。
疲労は残っているが傷などは完璧に癒えている。だけど、一体だれが。
ぼんやりとしか動かない頭で部屋を見渡すと、見覚えのある赤い色を見つけた。ベッドの中腹に頭を乗せているファルナが居た。
膝をつき、頭をベッドに乗せてうつぶせに眠る彼女の横顔は、迷宮で見せたどの表情よりも穏やかだ。何となく、それを眺めていたが、我に返る。寝顔をさらしている女の子を黙って見ているなんて、何をやっているんだ、僕は。
「おーい。生きてるかー?」
血色のよくなった彼女を揺すると、バネのように飛びあがった。突然動き題したのを見て驚く僕の肩を彼女は掴む。
「レイ! 起きたのか!」
「おはよう。それでここはむぎゅ」
「そうか、そうか。心配かけやがって、この野郎!」
首に飛びついて来た彼女を引っぺがそうとするが能力値の差かびくともしない。ちょうど頸動脈を抑えられている為、意識がまた、遠のいていく。
遠くでドアが開く音がした。
「騒がしいぞ、ファルナ。目が覚めたのおおお!! な、なにしとんだお前ら!?」
現れたオルドの動揺した叫び声で我に返ったファルナは瞬時に離れた。顔を赤らめた彼女は聞き取れない声量で口ごもると部屋を飛び出していく。
生き残ったと思った。しかし、それはつかの間の夢だ。広くもない部屋にオルドの殺気が充満していく。
不機嫌そうな筋肉達磨が椅子に座ると、ミシリと嫌な音を立てる。
天井を仰ぎ見て、押し黙るオルドに僕は声をかけれない。重苦しい空気が僕らの間に漂う。迂闊に動くと殺される。
口火を切ったのはオルドだった。
「ありがとうな」
ぽつり、と。唐突に言われたために、何を言われたのか分からなかった。オルドは頭をかきながら顔をこちらに向ける。
「娘から聞いた。ボスの亜種についてな。娘を守ってくれた礼を言う。『紅蓮の旅団』団長として、父親として、ありがとう」
深々と頭を下げられた。僕は慌てて手を横に振る。
「そんな。むしろソロで挑もうとした彼女の邪魔を僕がしてしまったんです。それにボスを倒したのはファルナの精霊のおかげです」
「だが、その精霊を呼ぶ時間を稼いでくれたのはお前なんだろ。やっぱり礼を言わせてくれ」
真剣な表情で言われて、僕はしぶしぶ礼を受け取る。
「……ところでだ。話は変わるんだが」
突然、オルドは言い難い話を切り出すように、歯切れが悪くなった。
「おまえ。うちの娘と、どーいう関係だ」
「……は?」
今度こそ、何を言われたのか分からなかった。
「あいつは、まあなんだ。妻の忘れ形見ってこともあり甘やかしてしまい、男親だったのが災いしたのか男勝りな性格に育っちまった。そんなあいつが、お前が目覚めるまで看病するって頑固になって。さっきは抱き着いてやがって、てめぇ! 娘に何をしやがった!!」
「いや、あの。近い、近い。顔を近づけるな。暑苦しい! 筋肉が迫ってくる!!」
徐々にヒートアップしながら近づくオルド。興奮しているせいか目は血走り、鼻息が荒い。身の危険を感じて押しのけようとするが岩のような体躯を押しとどめる事はできない。
「ちょ、誰か! 助けて!」
救いの手は現れた。ガチャリとドアがあき、エルフの美女が入ってきた。たしかオルゴン亭の女将さんが副団長と説明していた知的な雰囲気を持った女の人だ。年のころは見た感じでは二十代前半に見えるが、物語でエルフと言えば長寿の類。アイナさんの例もあり見た目からでは正確な年齢は分からない。
「団長。打ち上げの支度が終わりました。少年の容体は……」
メガネをかけた美女は部屋の惨状を見るなり、言葉を失った。表情は青ざめ、目に涙が溜まる。
「なんだ、ロータス。今取り込み中で……ロータス?」
「団長の……団長の……」
美女のただならぬ様子に違和感を抱いたオルドが振り返ると、美女の顔が歪んだ。
「ショタホモ野郎!!」
「誤解にも程がある!!」
「ショタって僕の事!?」
3人の叫びが部屋に響く。
泣き崩れたエルフを他の団員が引き取り、冷静になったオルドが椅子に座りなおす。僕は迷宮であったことを話し、ファルナに手を出していないことを強調する。
不機嫌そうに聞いていたオルドだったが、娘の活躍を第三者から聞いているうちに機嫌が良くなる。
「そーか。そーか。流石、俺の娘だな」
「痛いから肩を叩くな」
上機嫌になった彼はしきりに僕の肩を叩く。一発一発ごとに僕の生命力を減らしている気がする。
「それで、ここはどこですか」
「ネーデの街の宿屋だ。俺たちが貸切にしている宿でな。治療の為にここに連れてきた」
ようやく落ち着いて話ができるようになった。オルドの話をまとめるとこうだ。
午前中に娘が夜の内に街を抜け出し、迷宮に向かったと知った。最初は静観するつもりだったがギルドに帰還した冒険者から迷宮での異常事態を聞き、出発したのが昼前だった。ボスの間に着いた時にはすでに娘の姿は無く、ボードに名前が残るだけ。慌てた彼は門が開くと同時に駆け込み、僕をぶん殴った。
何でも娘に手を出そうとしているように見えたそうだ。
その後は気絶した僕らを連れて迷宮を抜けて、自分たちの取っている宿に放り込み、ギルドに連絡して迷宮を立ち入り禁止にしたそうだ。
「それで、異常事態の原因は分かったんですか」
一番気になった点を聞いた。
もしも、その原因に僕が絡んでいたらと思うと憂鬱になる。そんな僕の心を読んだのかオルドは口を開く。
「お前のせいじゃねえよ」
力強く断言した。
「聞いたぞ。自分がソロでクリアした後から迷宮が変になった。もし自分のせいなら責任を取る必要がある……だったか」
恐らくファルナから聞いたのだろう。オルドは続けた。
「自惚れんな」
どすん、と突き刺さるような重たい言葉が飛ばされた。衝撃で身じろぎ一つ出来ない。
「お前なんか下っ端の行動で迷宮がおかしくなるなんて考えは思い上がりもいいとこだ。だいだい、責任ってなんだ? 迷宮を元に戻す? はっ」
鼻で笑うとオルドは言葉を継ぐ。
「迷宮は生きているが意志があるわけじゃ無い。たとえソロでクリアされたから、そっぽを向くような事はしない」
「でも」
「でもも、くそも無い。気にすんな。この件は今潜ってる奴らが帰還すれば幾らか分かる。それよりも、こいつをどうする?」
言うとオルドはテーブルに置かれた包みを取り出す。中を開けると、弓と杖が現れた。迷宮で手に入れた武器だ。
「ファルナはお前と半分に分けると決め、お前に選ぶ権利を与えた。好きな方を取りな」
オルドに促される。
正直、どちらも手に余る。なにせ弓を扱う技術は無く、杖を持っても魔法が使えない。かといっていらないと言うのはファルナの好意を断る事になる。ここは後で、高値で売れそうな杖を選ぶ。
「よし。弓はファルナに渡しておく。あとは、この鞄だな」
ボスの間で下ろした鞄が手元に帰ってきた。中を開けて確認する。特に問題は無い。閉める時に鞄の口に杖をさしておく。
「これで全部だな。体の方はどうだ? 立てるか」
言われて、ベッドの上から下りてみる。大丈夫そうだ。
「大丈夫そうだな。これからオルゴン亭で打ち上げをするんだがお前も来るか?」
オルゴン亭の名前に反応して、腹が鳴った。
「いい返事だ。来な」
「お、レイ。こっちに座んなよ」
夜のオルゴン亭の賑やかな喧騒に負けない大声でファルナが僕を呼ぶ。隣のオルドからの視線がきつくなる。
「お前、本当に娘と何にもないんだよな」
「ありませんよ。マジで」
首根っこを掴まれながら言い訳する。そんな僕らを不思議に思ったファルナが立ち上がり僕らの傍に来て、僕の手を掴んだ。
一段とオルドの殺気が鋭くなる。
「ほら、行くぞ。まだ本調子じゃないんだろ」
心配そうにこちらを伺う彼女の姿が、以前向けられたどの姿とも一致しない。どうも好感度があがったようだが、何をした、僕は。
流されるままファルナの隣に座り、オルドは空いていた上座へと座った。
着席したのを確認すると団長の右手に座るエルフの美女がグラスを持ち上げて音頭を取る。
「それでは、ファルナとレイさんの無事を祝って、乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」
ロータスの音頭に合わせてテーブルに着く10人足らずの冒険者たちが声を揃えてグラスを上げる。僕もそれに習う。
見計らったように女将が料理を次々と運び込む。手伝いとしてリラちゃんが取り分け用の皿を運ぶので僕が受け取る。
「ありがとう、リラちゃん」
つい、礼を言ったが少女は目をぱちくりとするとそそくさと立ち去ってしまう。
しまった。
この時間軸で僕とリラちゃんは会話をしていない。あの井戸での出会いは無かったことになっているんだ。
(気をつけないとな。これも《トライ&エラー》の弊害か)
心の中に刻んでおく。
その間も宴は進む。
様々な料理がテーブルを占拠しているが、食欲旺盛な冒険者たちの手でどんどん空になる。彼らの凄まじさは食欲だけでなく、アルコールでも凄まじい。瞬く間にボトルを空にして積み上げていく。僕とファルナだけはアルコールに手をつけてはいない。
ファルナがボスといかに戦い、倒したのか語ると、冒険者だけでなく店の客までこぞって耳を傾ける。
その間もオルドはじっと僕を睨む。そのオルドを青ざめた表情でロータスが見つめている。僕はオルドの視線を無視しながら食事を続ける。時折、他の『紅蓮の旅団』や冒険者たちから亜種の事を問われれば答えてはいた。
楽しい時間は矢のように過ぎた。
テーブルの皿が何度目かの交換で運ばれていく中、僕は椅子に座りながらふらりと体が倒れそうになる。咄嗟にファルナが止めてくれなかったら床に倒れこんでいただろう。
「おい、大丈夫か? アルコールでも飲んだか?」
「いや、ちょっと疲れたかな。僕は上がるね」
心配そうに見つめるファルナに言う。続いて、オルドに向かい口を開いた。
「打ち上げ。楽しかったです。ありがとうございました」
アルコールが回って赤くなったオルドは、それでも意識がハッキリしているのか黙って頷いて答えた。他の団員にも頭を、下げ礼を言う。
「こちらこそ、ありがとうね。レイさん」
副団長のロータスが立ちあるとそう言った。
「私達の仲間を助けてくれて本当にありがとう。何かあったら私達『紅蓮の旅団』に言って。力になります」
穏やかな美貌の美女がアルコールで上気した頬で笑みをつくる。エルフの美しさに耳が赤くなるのを感じる。
「えっと、その時はよろしくお願いしま、痛い! 何すんだよ、ファルナ」
「別に」
足元をファルナに踏まれた。そっぽを向く彼女のようすにロータスさんがクスクスと笑う。
耳が笑いに合わせてピコピコと上下に動いた。動くのか、あの耳。
驚きながら荷物を持って出口へと向かう。何故だかファルナも後ろについてくる。
「お前、今どこに宿をとってんだ?」
「ギルドの3階」
「ふーん。……うちらの宿に来るか。部屋も余ってるし」
「いや、そこまでお世話になるわけにはいかないよ。誘ってくれてありがと。お休み、ファルナ」
「ああ、お休み、レイ」
ファルナに見送られてオルゴン亭を出た。向かう先はギルドだ。
今日の内に謝らないといけない人が居る。
ギルドの扉の前で深呼吸をして、心を落ち着かせる。
覚悟を決めてドアを開けて、夜中のギルドに入った。
「レイ君!!」
ギルドに一歩入った途端に僕を呼ぶ声に反応して体が止まる。カウンターの方へ向くとアイナさんがこちらを見ていた。顔色は白く、血の気が無いように見える。
(やっぱり、心配をかけたな)
謝るつもりで近づくと、彼女の方からカウンターを飛び出した。アイナさんが抱きついてくる。花のような香りが鼻をくすぐる。彼女の柔らかい体が僕の肌を温める。
「ちょ、アイナさん!?」
「……心配したんだから。あんな……一言で……行っちゃうんだから」
嗚咽まじりの彼女を如何したらいいのか分からずにいると、カウンターから職員が2人出てきた。
「新入り君。その子を2階に連れってくれない?」
「今日は使い物にならなかったから、アイナさんは有給扱いですわ。気にしないでお連れになって」
促されて、アイナさんを2階に連れていく。
その間も泣かれてしまい、対応に困った。
椅子に座らせ、背中を撫でる。徐々に落ち着いてきたのか泣き止み、落ち着きを見せた。
「ギルドに居たら、迷宮で異常事態が発生したって情報が入ったの」
ポツポツと語り始めたアイナさんに相槌を打つ。
「それもレイ君が行った後に。だからわたし、気が動転して、レイ君が死んだらどうしようって」
「本当にすいませんでした」
「無事に帰還したことは『紅蓮の旅団』から聞いていたのに、君を見た瞬間。なんだか感情が爆発しちゃって。ごめんね、みっともない所を見せちゃって。年上なのに」
耳を赤くして照れているアイナさん。正直この人を年上のように思ったことはあんまり無い。
咳払いをして居住まいを正したアイナさんが僕をまっすぐに見た。
「でもね、本当に無茶な事はしちゃだめだよ。誰かの命を守るときはまず自分の命を守る事だよ」
「分かりました。肝に銘じときます」
「うん。よろしい」
やっと笑ってくれたアイナさんだったが、急に思い出したように、からかう様な笑みを浮かべた。
「ところでレイ君」
何となく嫌な予感が背筋を過る。
「聞くところによれば、君。女の子を助けに迷宮に向かったそうだけど、本当なの?」
「えっと、まあ。それはそうですね」
本当はボスに挑むファルナを止めるために迷宮に向かったのだが、転んだせいでボスと戦う羽目になったとは言えない。
曖昧な僕の態度を見て、アイナさんは目を細めた。
「それも、『紅蓮の旅団』のファルナさんを助けに行ったと」
「結果的にはそうですけど……どうしたんですか、アイナさん?」
「んふふふ。普段はいがみ合う男女。だけど、女の子のピンチに颯爽と駆けつけたヒーロー。言葉も無く背中で語る。君を助けに来たと。くー、カッコいいね、レイ君」
楽しそうなアイナさんに頭が痛くなる。
「すいません。アイナさん。その空想話はどこから聞いたんですか?」
「え、『紅蓮の旅団』の副団長。報告書にそう書いてあったよ」
(あのエルフ、何をしてんだ!)
頭の中で綺麗な美女というイメージが音を立てて崩れていく。疲れ果てて机に突っ伏してしまう。
「それでも。無事に帰ってきたね。レイ君。おかえりなさい」
「ただいま、アイナさん」
そこでやっと無事に帰れたと実感した。
疲れただろうと気をつかってくれたアイナさんと別れて3階へ向かう。
もう11時を指している。音を立ててベッドに倒れこむ。隣のベッドには誰も居ない。ふと思い出してステータス画面を開く。《トライ&エラー》が復活しているか確認しておく。
僕の願いが通じたのか、大きなバツが消えて、復活していた。
(んー。解除の条件が時間なのか、別の要因なのか分からないな)
どうして復活したのか不明だったが、良かったと思いながら、眠りについた。
★
空中で全身を槍で串刺しにされる。裂けた穴から血が溢れる。破けた皮袋から臓物が落ちる。地面を四つん這いで進む亡者たちが血を啜り、臓物を食う様を見た。奴らは、まだ食い足りないのか槍で落ちないように支えている僕の体に目をつけた。槍を揺らし、細かな肉片に切り分ける。食べやすくなって落ちた僕を奴らは貪る。
僕はそれを唯一残った眼を通して見ていた。生きながら地獄を見せつけられた。亡者が啜り、咀嚼し、貪る様を。目を閉じたくても、瞼の無いむき出しの眼球は見たくも無い光景を永遠と捉える。
永遠とも思える時間の間、地獄を見ていた。
★
「うわああああああ!!」
恐怖から飛び起きた。今まで一番苦しいイタミが全身を襲う。心臓はありえない程の脈を打ち軋む。全身の血管は冷たく、血が流れるたびに氷を流しているかのように感じる。脳は先程までの光景を記憶に焼き付ける。
飛び起きた僕に反応してファルナがバネのように飛んだ。
「おい、レイ! しっかりしろ。ここは大丈夫だ。迷宮じゃない」
「はぁ……はぁ……はぁ。ファルナ?」
「ああ、そうだよ。ちょっと待ってな、いま誰か呼ぶから」
彼女は言うなり扉を開けて走り出した。後に残された僕は部屋を見渡した。ここはギルドの3階では無い。
『紅蓮の旅団』が借りている宿だ。
しかも時間が巻き戻っている。
窓から覗く光は夕暮れだ。
つまり、これは。
(《トライ&エラー》が発動したのか? でもなんで? いつ?)
混乱する頭で必死に考える。
一体、僕は誰に殺されたんだ?
読んで下さって、ありがとうございます。




