4-52 慌ただしい出立
「スヴェン! 警邏に出たお前が、民衆の面前で何をやっているんだ!」
レイピアをスヴェンの首筋に当てた青年は語気も荒げ、氷のような視線を送る。スヴェンはバツの悪そうな顔を浮かべた。戦闘が中断されると、龍刀は仕事が終わったと言わんばかりに炎を消した。その際に、刃こぼれした箇所を炎で洗い流すと、元の状態へと復元させた。
突如現れた青年の存在に、レイもスヴェンも、見守っていた群衆や、兵士たちも意識が集中した。その中で最初に動いたのはシアラだった。彼女は群衆から飛び出すと、呆けたままのレイの手を取った。
「逃げるわよ! 主様!!」
「え? ええっと」
「いいから、早く! リザ、道を作って!」
「了解です!」
シアラはリザに指示を飛ばすと、もう片方の手でレティを。そしてレティはエトネの手を掴んだ。人垣の中を割るように進むリザの後を全員は続く。
「君たち、待ちたまえ!」
突如現れた青年が逃走を図るレイ達に気づいたのは、彼らが人垣の外へ出た後だった。遅れて、兵士たちも動き出した。誰かが笛を鳴らした。
「追え! 追って捕まえるのだ!!」「王子に剣を向けた狼藉者だ、捕まえろ!」「逃がすんじゃないぞ!!」
逃げたレイを追おうとして、兵士達が群衆を突き飛ばすと、今度は群衆の中の血気盛んな者達が手を出してしまった。そうなれば、今度は兵士たちが応戦する番だ。
あっという間に大混乱が起きてしまう。このままでは怪我人や死人が出るかもしれない。その時、レイピアを手にしたままの青年が技能を発動させた。
「《天網に伝われ、我が威光に頭を垂れよ》!」
小さくとも威厳のある声は群衆に響き渡る。すると、変化は劇的に起こった。暴動へと発展しかけていた民衆や、殺気立っていた兵士たちが動きを止め、その場に膝をついたのだ。《王者ノ権威》Ⅲ。対人に特化した、精神系の技能である。
混乱の治まった群衆に向けて青年は頭を下げた。
「皆のもの。我が愚弟、スヴェンの王族らしからぬ振る舞い。どうか、許されよ。この騒ぎの責は私、スクリロ・ヴィーランドが負う!」
シュウ王国第一王子自らが頭を下げた事で、民衆の顔から兵士たちへの不満が治まっていく。自然と、集まった人の輪は無くなっていった。同時に、レイを追いかけようと何人かの兵士が走り出した。
場が落ち着くと、スヴェンは頭を上げて自分を睨むスクリロから顔を背けた。
「スヴェン! 何か申し開きがあるのなら、説明しろ」
「悪かったって、兄上」
「説明になっていないだろ。だいたい、先程の少年たちは何者だ。見た所、年若の冒険者に見えたのだが……いや、それにしては見事な武器を持っていたな」
「あれが冒険者のレイだよ」
スクリロは整った眉を上げて、納得したように頷いた。ちらりとしか見えなかったが、レイが手にした、尋常ならざる武器がテオドールの打ちし刀だと分かり納得した。
「大方。父上が最近打ったという刀の性能を見たくなったのか。ついでにそれを振るう噂の少年も見てみたかったと。その年になっても、いまだに喧嘩癖は治らないな」
「……む」
弟の振る舞いを窘める兄に対して、スヴェンは再びバツの悪そうな顔をした。流石に敬愛する兄の前で、幼女絡みのもめ事でしたと告げる勇気は無かった。
それ以前に、もう一つ彼がこのような行為に及んだ理由はあった。しかし、それを告げるつもりは無かった。
だが。
「……もしくは、このような愚かな振る舞いを民衆の前ですることによって自分の株を下げ、仲裁に入った兄の株を上げようとする腹積もりだったか」
「な、何でその事を!」
スヴェンは驚きのあまり、逸らしていたスクリロへと視線を向けた。すると、彼の穏やかな視線とぶつかった。
「でなければ、お前が私を呼んだ理由に説明がつかん。あの少年の実力を見たいだけなら、城に呼ぶなりして、正式な場所でやればよかろう。それをこんな所でやり始め、私を呼ぶのは道理に合わない」
スクリロの読みは正しかった。現在、王位継承の順番ではスクリロの方が上ではあるが、民衆の人気はスヴェンの方が上である。
様々な要因があって一概には断じれないが、一番の理由はスタンピードにある。両者とも、自分たちの治めている領地から軍を派遣したのだが、アマツマラから遠かったスヴェンが先に救援に来たのが大きい。
それも、いまにも外城壁が破られるという時に、彼は来たのだ。まさに救世主といって過言では無い。
その光景を目撃した兵士や予備兵役、それに冒険者たちが酒の場で口々に話すものだから、民衆のスヴェンの人気は非常に高い。
一方でスクリロは肝心な時に遅れてしまった事で、少々目立たなくなっていた。
テオドールは今回の騒動の責をとって、ある程度復興に目途が立てば、王の座から退くつもりだった。もちろん、王位を継がせる相手はスクリロなのだが、民衆の人気と、スヴェンを支持する武官たちがこのまま認めるとは思えなかった。
スヴェンは王になる事より、大事な事があると言って王位を断り続けてきた。それが一転して、王になるかもしれないというのは御免だった。
そのため、一計を案じた。
第二王子スヴェンはくだらない事で喧嘩する、狼藉者。翻って第一王子スクリロは文武に秀で、そんな弟の手綱を取れる、有能な者、という構図を作ろうとしたのだ。
レイはそんな相手としてうってつけだった。第一に流れ者の冒険者である点。下手に手を出しても遺恨が残らない。
第二に彼もまた、アマツマラの民の間では注目されている人物である点。赤龍退治の功労者に手を出したというのは非常に大きなマイナスポイントとなる。
そんな理由で的にされたレイにしてみると溜まったものじゃないが、他に手ごろな相手がいないため、スヴェンはレイを的に絞っていた。ギルド長のヤルマルから森から帰還したとの知らせを聞いた彼は警邏に行くとかこつけて、レイ達を遠くから尾行していた。
彼が巾着を盗まれ、ゴロツキ達に囲まれた時は接触するチャンスだと喜んだ。その間にスクリロを呼びに兵を向かわせた。
後はどのような因縁を付けて決闘に持ち込もうかと考え、レイが幼女二人を侍らしているのを見て、咄嗟に怒った振りをしたのだ。女絡みの醜聞となれば、より人気は落ちる。
「お前と言う奴は……本当に開いた口が塞がらないぞ。なぜ、こんな芝居じみた事をする前に私に一言相談をしなかった」
「いやー、兄上に言えば、止められると思って」
「当たり前だ! しかも、貴様! 最後の一撃は本気だったな! 殺す気か!?」
スヴェンは兄の指摘に獰猛な獣のように笑ってみせた。
「いや、炎を纏わせた刀をみて、ちょっとばかし本気になってしまったんだ。まあ、兄上が近づいてきたのは肌で感じていたからな。実際、問題は無かっただろ?」
悪びれない弟にスクリロは盛大な溜息を吐いた。
「さあ、父上の所に行って、詫びをするぞ。それに巻き込んでしまったあの少年にもだ」
スクリロは指示を待っている兵士に向かって、レイを穏便に連れてくるように指示を出した。ところが、それをスヴェンが遮った。
「待った、待った。あの坊主は、今日にも街を出ようとしている。下手に呼び止めるよりも、行かせた方がいいと思うぜ。それに下手に捕まえようとすれば、兵士があの魔剣の餌食になっちまう」
レイ達がアマツマラを出ようとしているのは尾行していた間に、長旅の支度をしていたのを見ていたから知っていた。スヴェンは兵士たちにレイが街を離れたら、追わなくていいと兵士に命じた。
「これで後は、俺が父上の怒りに触れて追放されたと噂を流して、オウリョウに帰還すれば、仕上げは終わりだ」
「お前は……ああ、くそ! どうして父上といい、お前といい、ヴィーランド王家はぶっ飛んだ事をしたがる奴らばかりなんだ」
王でありながら赤龍に挑み、王子でありながら民衆の前で決闘。スクリロが嘆きたくなるのも無理は無かった。
スヴェンは短い頭髪を掻きながら、ふと呟いた。
「そういや、アイツ。南に向かうとか仲間と話していたな。だとすれば、オウリョウにも寄るのか? なら、その時にでも謝るとするか」
「聞いているのか、スヴェン!!」
とうとう激昂する兄に対して、弟は苦笑いを浮かべた。
「はぁ!? あの人、この国の王子なの!?」
「周りの人が言うにはね! 有名人らしいわよ!」
群衆から逃げ出したレイ達は一路、キュイを停めてある駐車場へと走り出した。目的はアマツマラからの脱出だ。
シアラから自分が相手した変態が、第二王子だと知ったレイは顔を青ざめた。例え向こうから吹っ掛けた決闘であっても、王子に対して刀を向けたのだ。殺されても文句は言えない。テオドールに取り成してもらうにしても、その前に末端の兵士たちに殺されてしまう。ここは一度、アマツマラを脱出して安全を確保してから弁明するしかない。
「これも、《トライ&エラー》の副次効果かよ」
「そんなの知るわけないでしょ! エトネ、方角はこっちであってんの!?」
「……うん。キュイ、あっち」
シアラがエトネに尋ねると、エトネは自慢の鼻を鳴らし、進行方向を指示した。彼女のお蔭で、レイ達は迷うことなく駐車場への道程を進む。
だが、行く手を阻む者は現れる。
「いたぞ、アイツらだ!」
先程まで群衆の中に居た兵士たちが数人、曲がり角から姿を見せた。人込みを掻き分けるレイ達と、土地勘があり抜け道を知っている兵士達では、彼らに軍配が上がる。
「回りこまれたわ! 迂回しましょう!」
「いえ、私が道を開きます! 続いてください!」
シアラの提案を却下したリザが速度を速めた。まさか、正面から向かってくるとは思っていなかった兵士たちは対応に遅れる。
「リザ、武器は使うなよ!」
下手に刃傷沙汰になれば、申し開きが立たないと考えたレイはリザに言う。彼女もそれを理解してなのか、ロングソードを抜かなかった。
まず、一人目の開いた手を取ると、リザは自分の方へと引き寄せた。兵士は掴まれた手を振りほどこうとして、抵抗する。その抵抗に逆らわずリザは兵士の体を掴んだ手首だけで、コントロールする。体が流れた次の瞬間、兵士の体はくるりと回り、側面から地面に落ちた。なんと、リザは兵士の体を手首の関節を捻って投げたのだ。
一人目がやられた事に驚いた二人目は反射的にリザへとつかみ掛った。するとリザは相手の伸ばした腕を掴むと、ぐるりと背中を向けた。そして、相手を背負い込む様にして投げた。二人目もあっという間に地面に倒れた。
「……やりますか?」
リザが静かに問いかけると、残った兵士は首を横に振った。リザは頷くと、踵を返して、レイ達に合流する。
「リザ、やるじゃない!」「お姉ちゃん、すごーい!」「ぱちぱちぱち」
三者三様に称賛すると、リザは照れたように目を伏せた。レイはというと、彼女の繰り出した技を見て驚いていた。
「……リ、リザ。今の投げ技は一体?」
「エルフの方々から習いました。何でも、冒険王が使っていた無手の技の一つだそうです」
リザが繰り出したのは素人のレイでも漫画やテレビで見たことがある。一本背負いや小手返しといわれる、柔道や合気道の技だ。なぜ、エルドラド人であるリザが使えたのか謎だったが、安城琢磨ならエルフに教えていても不思議では無い。
兵士を無事に無力化出来て胸をなで下ろしたレイだったが、途端に息が苦しくなった。考えてみれば、ゴロツキを追いかけ、戦闘となり、その後スヴェンを撒こうとして闇市を駆けずり、更には強敵との決闘をしたばかり。体力が回復しきっていない。
息が乱れ始めたレイを見て、レティが革鞄から袋を取り出した。中には様々な色の丸薬が詰まっていた。
「ご主人さま、これ飲んで!」
走りながら渡された丸薬は毒々しい緑色をしていた。一瞬躊躇するも、レティの視線に負けてレイは飲み込んだ。
効果は瞬く間に起きた。
レイの肺が軽くなり、心臓の鼓動が和らいできたのだ。息苦しさが無くなり、四肢に酸素が十分に行き渡る。その効果に驚いていたレイに、レティが得意げに告げた。
「エルフ直伝の強壮薬だよ。効きが早い分、効果は短いけど、駐車場まであと少し、頑張ろう!」
「ああ、そうだな!」
レティの言う通り、キュイが停めてある駐車場はもう目の前だった。しかし、後方から兵士たちの集団が怒声を上げて追いかけてくる。今度は数人では無い。十人以上はいる。
「振り返るな! 走れ!!」
レイが叫ぶと全員が最後のスパートと言わんばかりに駆けだした。並んでいる馬車の群れから、自分たちの馬車を探し出した。
「キュ、キュイ?」
繋がれたままのキュイが不機嫌そうに首を傾げたが、構っている暇はない。手荷物を全て馬車の中に投げ入れると、出発の準備を始める。車輪止めを外し、レイは先に中に入ったリザに叫んだ。
「水とか食料とか荷物は運び終わってる!?」
「購入した物は全て中に積まれています!」
返事を聞いたレイは馬車の中に飛び込み、全員が乗っているかどうかを確認する。すでにリザとエトネは馬車の中に。レティも手綱をとって御者台に居た。しかし、シアラだけが居なかった。彼女の姿は馬車の外にあった。
「そこで何をしてるんだ、シアラ!」
レイが叫ぶも、シアラは返事をしない。杖を抜いて、先端を使って地面に魔方陣を刻み込んでいる。彼女の向こう側から兵士たちが雪崩れ込む様に走って来る。
「シアラ、急げ!」
「ちょっと待ってて! あと少し!!」
「ご主人さま、出すよ!」
レティはレイの返事を聞かずにキュイに指示を出した。それも仕方ない、馬車は速度を上げようとしても直ぐには出ない。兵士たちから逃げるためには一秒でも早く出発させた方がいいのだ。
シアラが魔方陣を完成させるのと、馬車が動き出したのはほぼ同時だった。レイは後部から身を乗り出すと、精一杯手を伸ばした。
「捕まれ、シアラ!!」
レイの伸ばした手が、シアラの伸ばした手を掴んだ。強く握れば折れてしまいそうな小さな手を引っ張り、彼女を馬車の中へと引きずり込んだ。
衝撃でもつれ合うが、とにかくシアラを中に引き入れるのは成功した。レイの上に圧し掛かるシアラに対してレイは声を荒げた。
「シアラ! 何をやっていたんだ! 危うく、置いていきそうになったぞ!」
「怒らないでよ。追っ手を撒くための仕掛けをしたのよ」
言うなり後方で、ボンと軽い音がした。先に立ち上がったシアラはレイを引っ張ると、後方の景色を見せる。止まっている馬車が作る道に白い煙が立ち上っていた。一際強い風が吹くと、煙はあっという間に掻き消え、そこには十人以上の兵士たちが倒れていた。
「まさか……殺してないよな?」
「それこそまさかよ。あれは眠りの魔法陣。それも低級よ。ほら、多少なりとも耐性がある奴はもう立ち上がってるわよ」
シアラの言う通り、一人二人ばかり、倒れている兵士たちの中から立ち上がった者が居る。まだ速度の出ていない馬車はあのまま走ってこられたら追いつかれる可能性もあったが、これだけ距離が開けばその可能性も無くなる。
強壮薬の効果が切れたのか、疲労が波のように押し寄せ、レイは馬車の床へと腰を下ろした。背中には積まれた食料などの備蓄が入った木箱が当たる。リザ達は主と違い、いまだ周囲を警戒しつつ、アマツマラを離れるように舵を切った。
「まったく……なんていう慌ただしい出立なんだよ……これも、因果を重ねた結果なんですか、クロノス」
ポツリと呟いた言葉は誰も拾わなかった。レイも返事が聞きたかったわけでは無い。
後方の幌の切れ間から、アマツマラの城壁が見える。それは次第に加速していく馬車に合わせて、どんどんと離れて行く。
レイは胸中で、アマツマラで過ごした日々を思い出していた。リザとレティのちゃんとした主となり、シアラと出会い、ホラスに絡まれ、楽しみにしていた精霊祭はスタンピードに塗りつぶされ、赤龍と戦った。
がくり、と馬車が南西に進路を変えた。すると、遠くに緑色の塊が見えた。クライノートの森だ。エトネと出会い、サファと遭遇し、ミラースライムと修業し、クロノスと再会した。
実に濃い日々だった。
「……というか……あれ? ちょっと待ってくれよ」
レイは記憶の再生を止め、ある事に気づいた。アマツマラから脱出した事に一息ついたリザ達は、訝しげにレイを振り返った。
「僕、ろくに観光してないな!!」
思い返せば、ウージアでも、アマツマラでもエルフの隠れ里でも、どれも長くて一日程度しかゆっくりとした時間は過ごせていない。何処に行っても血腥い騒動に巻き込まれていた。
「……今更、何を言っているのでしょうか?」
「さあ? 主様の考えてる事なんか、よく分かんないわよ」
リザとシアラは驚愕の事実に落ち込むレイを見て首を傾げた。
「ご主人さま! よく分かんないけど、落ち込まないでよ!」
「キュー、キュイ!」
御者台から動けないレティは言葉だけでも送り、キュイは何処かあざ笑うかのように鳴いた。
「……がんばろ」
エトネは落ち込むレイに対して、背中を撫でて慰めた。レイは心から落胆すると、一つの誓いを立てる。
「決めた! 次の街じゃ、ゆっくりと過ごす! これまでのゴタゴタから区切りをつける意味を籠めて、一日のんびりと過ごしてやる! 遊び倒してやるからな!!」
「その意気だよ、ご主人さま」「げんきでたね、おにいちゃん」
幼女二人は意気を荒げるレイに向けて、安心したように頷いた。そしてレイはリザへと尋ねた。
「それで、トトスの港町に行く前に、立ち寄ろうと決めていた街の名前はなんだっけ?」
「それを忘れて、次の街でゆっくりと過ごすって言ったの?」
呆れかえるシアラを無視したレイはリザへと視線を送る。全員の視線を集めたリザは咳払いをすると次の目的地を告げた。
「道中で幾つか村がありますが、寄るかどうかは旅の速度や、食料や物資の減り方で決めます。ともかく、私達が向かうのはシュウ王国南部における最大の街、オウリョウです」
「よし。それじゃ、オウリョウに向けて、出発だ!」
「「「「オー!!」」」」「キュイー!!」
こうして、五人と一匹は一路、シュウ王国のオウリョウへと進む。
―――その背後から迫る一頭の馬に気づかないでいた。
「本気で追いかけるのですか? 王子」
「無論、本気である」
手綱を握るのはベールで顔を隠した女。その女の背後に捕まっているのは褐色の肌の青年だった。先程、闇市での決闘を見ていた二人組だ。
「其方も見たであろう。あの武器の凄まじさを。あれは世にいう名剣の類と見た。それを持つ冒険者こそ、我の護衛に相応しい」
「……私の見た所、振り回されているように見えましたが」
女の苦言は青年には届かなかった。彼はばっと手をはなすと、声高に叫んだ。まるで、舞台上に立つ主役のような振る舞いだ。
「あの者こそ、デゼルト国の王子、このダリーシャス・オードヴァーンの護衛に相応しい! きっと、13神の方々が、苦境にあえぐ我の為に遣わせてくれた、御使いに違いない! いや、そうに違いない、はっはっはっ、はぁ!?」
高らかに笑うダリーシャスだったが、馬の不自然な揺れを受けて尻が持ち上がった。気づいた時には彼は馬から転落していた。
「ああ、これは失礼。しかし、王子も揺れる馬上で手をはなすのは如何と思いますよ」
女は手綱を操り、馬上から声を掛けた。決して降りようとはせず、冷淡な眼差しを主へと送った。しかし、それに慣れているのか、ダリーシャスは立ち上がると、身軽な身のこなしで馬上へと戻った。
「確かにな。俺の失敗だ。反省しようぞ」
そして、ふと周囲を見回して呟いた。
「はて? あの者らは一体どこへと消えたのだ?」
いつの間にかレイ達の馬車が見当たらなくなっていた。アマツマラから全速力で逃げ出す彼らの姿は煙のように消えていた。
不思議がる主に向けて、従者は淡々と返した。
「さあ?」
ダリーシャスは顎に手を当てて、しばし瞑想するように目をつぶる。考えが纏まったのか、厳粛な雰囲気で告げた。
「うむ。南に向かってみようぞ!」
「……その心は?」
レイ達の行き先に心当たりがあるのかと不思議がった従者だが、ダリーシャスはカラッとした笑みを浮かべて、
「勘だ!」
とだけ言う。
従者は心の中で言いたいことを山のようにため込み、厳重に封をした。あらゆる感情を削ぎ落した彼女はただ一言、消え入りそうな声で言う。
「御意のままに、我が主」
そして、二人は一路、南へと進路をとった。彼らがレイに追いつけるかどうかは、まさに神のみぞ知る。
「かくして、御厨玲は仲間を引き連れ、鍛冶の街を離れる。向かう先は大陸の南西。そして、目指すは灼熱の大陸、と」
星々が覆い尽くす、半円状のドームの下。円形のテーブルに着席した男が目の前に開いてある窓を除きこみながら呟いた。男の名は、サートゥルヌス。エルドラド13神の一柱にして魂を司る神だ。
尋常ならざる空間の中で、男は一人きりだった。円形のテーブルに並べられた席は全部で十三。男の座る席以外、全て空席だった。
一人、神の観測所からサートゥルヌスはレイ達の逃避行を眺めていた。青い前髪が目元を隠し、男の顔を伺う事は出来ない。ただ、唯一露わになっている口角が吊り上がっていることから、笑っている事だけは分かる。
すると、かつん、かつん、と。男しか無い空間に音が鳴り響く。サートゥルヌスがそちらを見ると、光を司る神、ヘリオスが姿を見せていた。
神に年齢は無いが、顔に刻まれたしわが男の頑固さを表しているかのようだった。どうして、このような頭の固そうな神から、世界救済を目的とした遊戯が提案されたのかサートゥルヌスにとって不思議でしょうがなかった。
「遊戯の監視、御苦労」
ヘリオスから威厳ある声が響く。サートゥルヌスは肩をすくめて答えた。
「いえいえ。私の駒はとうの昔に盤を降りましたから。暇なのですよ」
席に着いたヘリオスは窓を開くと、眼光鋭く、これまでの流れを確認する。特にレイとクロノスとの対峙の場面は特に注意深く見つめていた。彼女が情に流され、遊戯の掟を逸脱していないかチェックしているのだ。
それも一通り終えると、ヘリオスは空席の一つを見た。そこには本来クロノスが座っているはずだった。
「妹なら、自分の領域で落ち込んでいますよ。また、御厨玲を連れて来た事を嘆いてました」
「くだらぬ」
ヘリオスは重苦しい口調で、断じた。
「一度始まった事を今更嘆いてどうなる。経緯はどうあれ、『招かれた者』を送り出した以上、後は見守るだけというのに……クロノスにしろ、アヤツにしろ、覚悟が足りん」
サートゥルヌスは一瞬誰の事を指しているのか首を傾げつつも、すぐに思い立った。
現在、『招かれた者』として存命しているのは二名。レイの他にはもう一人しかいない。そのもう一人を送り込んだ神は、ある時を境に神の観測所に姿を見せなくなった。
「それも仕方ありません。なにしろ、自分の送り出した『招かれた者』が、よりにもよって『七帝』と成り果ててしまったのですから。あの者の歩んだ道程を思えば、悲嘆にくれるのも無理はありません」
サートゥルヌスのフォローをヘリオスは不機嫌そうな態度で返した。
サートゥルヌスはやれやれ、と肩を竦めると、幾つか開いた窓の内の一つに気を取られた。
「これは、これは。噂をすればなんとやら、ですな」
「……なにか、面白い展開になったのか?」
サートゥルヌスは開いてある窓をヘリオスの方へと滑らした。
それはエルドラドの概略図のような物だった。大まかな地形が描かれており、時折移動するアイコンは『招かれた者』を指している。南西へと移動しているのはレイのアイコンだ。
その進行方向に、同じ種類のアイコンが点滅している。
二つのアイコンは遠からず、ぶつかる事を予期させる。
「ふむ。……これは面白い展開になるやもしれんな」
「ええ。この時代に残りし、最後の『招かれた者』同士の激突が、こうも早く見られるとは。これだから、『遊戯』は面白い」
神の観測所。荘厳な星々が輝く夜空の下。
娯楽に飢えた神々が怪しく笑った。
ここまで読んで下さって、本当にありがとうございます。
これにて4章は終了です。今後の投稿ですが、閑話を数本投稿しようと思っています。その後は4章終了時のステータスや登場人物などを投稿しようと予定しています。
詳しくは活動報告に載せますので、ご確認して頂けると幸いです。




