4-50 紳士という名の
鮮烈な紅色の炎は、網膜を焼く。
大男はコウエンを忌々しげ睨むと、吐き捨てるように呟いた。
「くそったれ! そっちのも魔剣かよ!」
正確に言えば、精霊刀とでも呼ぶべき代物ではあるが、レイは訂正するつもりは無かった。龍刀を両手で軽く握る。
ゴロツキの頭目は抜かれただけの刀を見て、それが途轍もない武器だと一目で見抜いていた。自分が手にした人の背丈を超える大剣がちっぽけなナイフに感じていた。
だが、退くつもりは無かった。
(ここで退いたら、何のために時間稼ぎをしてたか、分かんねえだろ!)
覚悟を決めた大男は声高に詠唱する。
「《此の身は、尽きる事のない蔵となる》!」
技能が発動すると、大男に変化が起きた。衣類や防具に隠れていない皮膚が瞬く間に赤黒く変色しだす。大男の技能、《呼気ノ暴走》Ⅲである。肺や心臓などが強靭となり、一定時間、スタミナを倍増させる。
大剣に精神力を纏わせ、技能を発動させた大男はレイへと吶喊する。レイはそれを受け止めるように龍刀を構えた。両者の距離が瞬く間に零となり―――互いの武器が高らかに打ち合う。
ガッガッガッ、と巨体に見合わない俊敏な動きによる三連撃が繰り出られる。レイはその攻撃を一つずつ撃ち落した。しかし、大男の攻撃は止まる事を知らない。今度は四連撃、五連撃と数を増していく。
スタミナの消費が抑えられるという事は、一度に繰り出せる攻撃の数も、速度も上昇する。手打ちでは無く、腰を落とした本気の連撃を前に、レイは防御を強いられる。
「ガッハッハ! さっきまでの威勢はどこに行った! 防いでいるだけじゃ勝てっこねえぞ!! そら、そら、そら!!」
一転して優勢になると、大男は饒舌になった。その間も攻撃の手を緩める事は無く、レイを追い詰めようとする。
だが。
「……これぐらいで、十分かな」
剣戟に紛れて埋もれそうなくらい小さなレイの呟きを大男は聞くと、背筋にうすら寒い物を感じた。
同時に、レイが動き出す。
ガキン、と。一際大きな音がして、大男の大剣が横へと弾き飛ばされそうになる。レイの龍刀と交差した瞬間、強く弾かれた。
「うぉっと!」
大男は大剣を離すまいと強く掴んだ。必然的に、態勢は崩され、隙を生んでいた。すかさず、レイの龍刀が大男を目がけて振り下ろされた。
「ちくしょう!!」
再び、鋼と鋼がぶつかる音が広がった。大男は咄嗟の判断で、手に嵌めている手甲で龍刀を防いだのだ。大男の手首が手甲ごと切り下ろされなかったのは、レイの技量が低いのではなく、単に峰の方でレイが振り下ろしたからだ。
「クソガキ、なめやが……何だこりゃ!?」
情けを掛けられたことに怒りを覚えた大男だったが、手甲に起きている変化に気づき、驚いてしまう。上質な鋼で作られた手甲が、溶けているのだ。峰に触れている部分から煙が上がり、煮えた鋼が地面へと落ちる。当然、隙間から手甲の内部にも鋼は落ち、男の肌を焼いた。
「グギャアア! ショ、《超短文・中級・暴風》!!」
「うわぁ!」
皮膚を食い破る鋼は耐え難い痛みを大男に与えた。彼は咄嗟に新式魔法を発動した。暴風が大男を中心に荒れ狂い、レイだけでなく、露店も吹き飛ばす。
暴風の中心にいた大男は慌てて手甲を脱いだ。そして、自分の右手首を見て絶句した。焼けた鋼が肉を食い破っている。浸食は皮膚や肉で収まらず、骨まで到達しかけている。腰に提げているポーチからポーションを取り出すと急いで傷口に振りかけた。
「ぐうううう!」
まるで獣の唸り声のような悲鳴が大男から上がった。ポーションの効果によって傷口はある程度回復したが、それでも重傷だ。右手は神経が傷ついたのか、筋肉が千切れたのか、碌に動けない。これでは大剣を握る事すらできない。
「くそ、くそ、くそぉぉぉ!! なんで、なんで、何でおれがこんな目に合わなきゃいけないんだよ!!」
「そりゃ、アンタが追いはぎなんかしてるからに決まってんだろ」
喚き散らす大男に向けてレイは淡々と返した。そして、それはある意味正しかった。レベルが60を超えているはずの頭目だったが、力量はレベルに見合っていなかった。命を削るようなやり取りから離れ、格下の相手を集団で取り囲むぬるま湯に浸かり、頭目を含めたゴロツキ達の力量は落ちていた。
現に、頭目はスタミナを上昇させているのに、上擦ったような呼吸を繰り返し、滝のような汗を流していた。一方でレイは地面を転がった時の擦り傷ぐらいしかダメージは無い。レイは龍刀を構えると、大男に向けて走り出した。
恐怖に引きつった大男に逃げるという発想は無かった。利き手が使えなくなったため、左手一本でレイと打ち合う。
一合、三合、七合、十合と打ち合うにつれ、大男は戦慄した。
(こいつ、動きが良くなってきていないか!?)
大男の見立て通り、レイの動きは見違えるように良くなっていた。大男との戦い初めのように龍刀の重みに振らされているような無様な姿は無くなっている。大男が片腕になったことで相対的に上がったのではない。
元々、龍刀コウエンを手に入れて初めての戦闘。レイはまず、龍刀に慣れるところから始めた。大男の嵐のような連撃を撃ち落す過程で、龍刀とファルシオンの違いを確かめていた。重心、刀身、重量。鉈に近いファルシオンと日本刀のコウエンでは違う点が多々ある。
その違いを把握したのが、先程の呟きだった。
もっとも違いを把握した程度。使いこなすにはまだ時間が必要である。レイの戦闘技術はまだ、テオドールやオルドは愚か、オイジンの領域にすら達していないのだ。だが、それでも駆け出しの領域から一歩踏み出していた。
打ち合いはすでに二十を超える。その頃になると、大男はある異変に気付いていた。
(なんだ、なんでこんなに熱いんだ)
最初は《肺ノ暴走》Ⅲによる高回転戦闘によって体温が上昇したのかと考えていた。だが、尋常じゃない熱を感じて、違うと悟った。
ガキリ、と。互いの武器が交錯し合い、鍔迫り合いが起きると、大男は熱源に気づく。レイの持つ龍刀……では無い。自分の持つ、大剣が原因だった。
「なんじゃ……こりゃ」
「なんだ、気づいてなかったんだ」
いつの間にか起きていた大剣の異変に、大男は目を向く。一方でレイは静かに呆れていた。
大男の大剣は至る所が刃こぼれしていた。いや、刃こぼれと言うよりも、溶けたような跡を残していたのだ。同時に、大剣の温度が上昇していた。
原因はもちろん、レイの龍刀にある。
龍刀コウエンはレイに使われている喜びから、徐々に体温を上げていた。紅色の炎を出さず、表面上は何の変化も見せず、戦いが長引くにつれ、熱量は上がる。その熱をレイは刀と大剣が交錯する僅かな面積に集中させていた。一点に集中された熱は鋼を溶かすほどに上昇していた。
交錯する瞬間、龍刀は大剣を削る。刹那に近い時間しか触れ合っていないのに、大剣の刃を溶かしていた。次第に龍刀の熱が大剣に移っていき、熱さを大男は感じていた。
当然、レイの手も熱を浴びていた。刀身程の高熱では無いが、それでも、低度の火傷が掌に刻まれる。
大剣を片腕で振るう大男と、龍刀を両手で握るレイの鍔迫り合いはレイに軍配が上がる。
ただし、筋力の差では無い。
ずぶり、と。
レイの龍刀が大剣を切り裂き始めたのだ。刹那に近い瞬間しか触れ合わなくても、鋼を溶かす熱だ。鍔迫り合いのように肌と肌を重ねれば、ゆっくりと分厚い鋼を切り裂くのも容易い。まるでバターを斬るように大剣は両断されていく。
「ひぃ、ひいいい!!」
遂に大男は恥も外聞もかなぐり捨てて、絶叫した。龍刀が大剣を切り裂くのと、大男が距離を取って土下座をするのは同時だった。
「お、俺が悪かった! 金は返す! もう、勘弁してくれ!! この通りだ!!」
大地で額を擦りつけた大男を見て、レイは内心でホッとしていた。彼は誰も殺したくなかった。
自分を殺そうとしてきた奴を見逃すような博愛主義者でも無い。単に、人を殺した感触が嫌いだった。ウージアで殺してしまった誘拐犯たちの事を思い出してしまう。
そのため、全員を殺さずに無力化するのを狙っていた。結果として、五人は気絶し、ゴロツキの頭目はレイの前で土下座をしている。レイの望みどおりになった。
「……金を返してもらうのはもちろんですけど、兵士に突き出させてもらいますからね」
殺さないと決めてはいたが、見逃すつもりも無かった。ここで見逃せば、新しい被害者が生まれるかもしれないし、何よりゴロツキたちの手際から、初犯ではないとレイは睨んでいた。
龍刀を突き付けると、大男は観念したように頷いた。そして、顔を上げると―――にやり、と笑った。
まるで勝ち誇ったような笑みだった。
―――瞬間。世界が速度を失う。
レイは迫りくる何かに気づき、首を横に向けた。そこには視界外から放たれた矢があった。よりにもよって、風を纏う、戦技である。狙いは頭部。躱せなかったら、即死だ。
だが、運命はレイをあざ笑う。スローモーションの世界で緩やかに動こうとするレイは、自分に向けて放たれていた三本の矢に気づいた。
《生死ノ境》が発動したのは頭部に向けての戦技だが、残りの三方向から放たれた矢も十分脅威である。即死には至らなくても喉や太腿などを狙う矢は致命傷になりかねない。
(……万事休すかよ!)
レイは迫りくる脅威を前にして歯噛みした。
そして世界は速度を取り戻した。
轟ッ、と。
爆音じみた炎が龍刀から巻き起こると、レイの体を包み込む。紅色の炎は戦技も矢も全て飲み込んだ。現れた時とは打って変わって、炎は静かに散る。
「ちぃ! なんつう出鱈目な魔剣なんだ!!」
勝ち誇った笑みを浮かべていた大男は、レイの無事を吐き捨てるように呪った。そして、レイから、というよりも龍刀から一刻も早くに逃げるように距離を取った。代わりに姿を見せたのは十人以上のゴロツキたちだった。
レイを取り囲むように円を描き、徐々に距離を詰めていく。
「妙に芝居がかっていたと思ったら、増援待ちだったのかよ」
レイの推測は正しかった。そもそも、ゴロツキたちは闇市の中で、網を張っていた。黙認されている闇市とはいえ、王国も犯罪行為の取り締まりを行う。そのため、カモとなる人間を襲う時に、兵士が近くに居れば捕まるリスクがある。
そこで、罠に誘い込む場所を複数用意し、その時々に合わせて兵士が居ない場所へと誘導させていた。この増援は他の場所で待ち構えていた者達だった。騒ぎを聞きつけてやってきた。
「形勢逆転だな、小僧!」
レイを逃がすまいとする包囲の外から大男は嫌らしく笑った。その笑みを腹立たしく思うが、レイも内心では同意していた。
レイが先程まで有利に事を運べていたのは、遠距離武器を持った者が居なかった事が要因である。視覚外から攻撃される配がないから、一対一に全力を尽くせた。
厄介な事に、先程の戦技を放ったと思わしき弓使いは包囲に加わらず、外側からレイを狙っている。排除するにしても、包囲を崩す必要がある。
「全員、気を付けろ! コイツの持ってる剣はとんでもない魔剣だ。触れれば、鋼もああなるぞ」
大男は地面に落ちている自分の大剣を指差した。それに加えて、地面に倒れている仲間を見て、包囲を狭めるゴロツキたちは油断を消した。付け入る隙が無くなってしまった。
(打つ手無し……か。どうしたもんかな、こりゃ)
頭の中で技能や戦技を使って状況を打開できないかとレイは考え込んだ。押し黙る少年を見て、大男はとうとう勝利したと勘違いした。
「いまさら、降参しても容赦しねえからな! てめぇは半殺し、いや、俺の右手と同じに、焼けた鋼で四肢を千切ってやるからな!!」
大男は喋れば喋る程激昂する。殺される寸前まで追い詰められていたことが、よほど屈辱だったのだろう。口汚くレイを罵りつづけ、息を乱した。すでに皮膚の変色は治まり、技能は切れていた。
「ぜぇ、はぁ。……そうだ、良い事を思いついたぜ。聞けば、お前、年は若いが別嬪の奴隷を連れてんだろ」
「……あ?」
リザ達の事を言われ、レイは無意識に殺気を飛ばした。だが、勝ち誇っている大男は気づくことは無かった。
「ロリコンの趣味は無いが、お前の前で抱いてやるのもいいかもな! 俺達の仲間は何十人といる。何人目でてめぇの奴隷は正気を失うかな!! ぎゃははは!!」
例え想像とは言え、リザ達がゴロツキ達になぶりものにされると聞いたレイは、怒りを抱いた。殺意の炎を燃え上がらせると、呼応するように龍刀から大炎が吹きあがった。
「うぉっと! 落ち着け、コウエン」
まるで、レイの精神状態を反映したかのような炎は地面を焼く。大男はその炎を見て、顔を青ざめた。
そして告げる。レイを殺せ、と。
「アイツを今すぐ殺しちま―――へぶっ!」
だが、大男の命令は最後まで告げられなかった。何故なら、ゴロツキの頭目は横合いから現れた男に顔面を殴られたのだ。
ざわり、と。包囲を続けるゴロツキ達は騒ぐ。目標がレイから、突如現れた男へと切り替わった。
頭目を殴り倒した男は、十人以上のゴロツキから殺気をぶつけられているのに、全く動じる気配を見せない。それどころか、ゴロツキ達を前にして笑みを浮かべた。歯をむき出しにした笑みはさながら肉食獣のそれである。ゴロツキ達は気圧された様に一歩引いた。
「《疾風》!」
すると、男に向けて戦技が放たれる。先程、レイを殺そうとした矢だ。風を纏った矢は文字通り疾風のように男へ迫る。男に躱す暇はない。
なのに。
「邪魔だ」
男は放たれた戦技を掴んで見せた。男の手の中で矢に巻き付いた風は握りつぶされてしまった。
(うわぁ。格が違うよ)
ゴロツキ達とも自分とも違う格の違う強さを目の当たりにしたレイは、龍刀がいつの間にか大炎を吐き出さなくなったのに気付いた。
そして、男は掴んだ矢を捨てると、叫んだ。
「首都警備部隊である! てめえらの悪事は全てお見通しだ!!」
男の声は晴れた青空に吸い込まれそうなほど、遠くへと響く。それが合図だったのか、どこかから鎧を着た者達が現る。揃いの鎧にはシュウ王国の紋章が刻まれている。
ゴロツキたちは顔を青ざめた。今度は自分たちが囲まれる番だ。
「神妙に縛につけぇ!!」
「「「うぉおおおお!!」」」
男の叫びに合わせて兵士たちが一斉にゴロツキ達へと殺到した。突如始まった捕物劇はものの数分で終わった。数で上回れ、頭目が潰された事で、ゴロツキ達の多くは抵抗を諦めたのだ。武器を捨て、大人しく捕まる。
安全になった事を確認したレイは龍刀を仕舞った。そして自分の掌を見て顔を顰めた。掌は水ぶくれが出来ており、赤く腫れていた。
「こりゃ、何かしらの熱対策をしないと、握る事も出来ないぞ」
呟いたレイに対して声が掛けられた。
「無事だったか、坊主?」
声を掛けたのは指揮を執っていた男だった。三十かそこらの青年は銀色の髪を短く刈り込んでいる。屈強な体格と相まって、人を威圧させかねない風貌だが、どこか気品のある佇まいが上手く中和させる。
青年は何故かレイの巾着を握っていた。
「コイツは坊主の物だろ」
「そうですけど……どうして、知っているんですか」
助けてもらった礼を言うよりも前に、レイは青年に対して不審を抱いた。
「それなら単純だ。しばらく、坊主とアイツらのやり取りを見ていたからな」
「……はぁ?」
青年は悪びれもせずに、説明を続ける。
「アイツらの手口ややり方は調べがついていた。闇市のあちこちに、手下を配置させ、獲物を誘導させる。下手に手を出せば、残りは捕まった仲間を置いて逃げかねなかった。どうやって全員を一カ所に集めようかと悩んでいたら、坊主がこいつらを集めてくれたんだ。お蔭で一網打尽にできたぞ。……ちなみに、アイツの言っていた何十人という仲間は出鱈目だ。ここに居るので全員だ」
「……それで、兵士たちが都合よく現れた訳なのか」
「そーいう事だ。ほれ、巾着と剣だ。受け取れ……っと。酷い火傷だな。少し待て」
レイの掌を見るなり、青年はポーションを取り出してレイの掌に掛けた。どうやら市販の物よりも効果が高いのか、火傷はあっという間に治る。
「火傷を治してくださった事だけは、礼を言わせてもらいます。ありがとうございます」
「なに、気にするな」
青年から巾着とファルシオンを受け取ったレイは頭を下げると、リザ達の元に戻ろうとする。
しかし。
「あの……どうしてついてくるんですか?」
「なに、気にするな」
「気にするでしょ!!」
なぜか、青年はレイの後を付いてくるのだった。ゴロツキ達の連行や後始末は兵士に放り投げていた。引き留めようとした兵士に何かを指示すると、レイの後をニヤニヤと笑いながら付けてくる。
「お、大将じゃないか! 今日も見回りかい?」「大将、この前はありがとうね」「あ! 大将のおじちゃん! 一緒に遊ぼうよ」
レイの数歩後ろを付いてくる青年は闇市を行きかう人々から慕われている。老若男女、彼を知る人はみな笑顔で声を掛ける。大将と呼ばれる男はそれらに笑みを浮かべつつも断りを入れていた。
「大将さん。仕事があるんじゃないんですか?」
「これも仕事さ。囮に使ってしまった冒険者が仲間の所へ安全に帰れるように取り計らっているんだぞ」
嘯く青年にレイは嘆息する。ちらり、と後ろを振り返れば、青年の目はレイでは無くレイの持つ龍刀へと注がれていた。
(僕の戦いを見ていたって事は……狙いはコウエンか。だったら!)
レイは急に立ち止まった。すると、青年も不思議そうに思いつつも立ち止まる。
その瞬間をレイは狙った。背後の足音が止まった瞬間を見計らい、一気に走りだした。人ごみをすり抜けるように走り出す。
角を幾つ曲がったのか。通りを幾つ過ぎたのか。数える暇も無かった。
しばらくして、レイは息を整えるために立ち止まった。
「はぁ、はぁ、はぁ。これぐらい、走れば、撒けたよな」
浮かんだ汗を拭って周囲を見渡すと、
「よう。随分と走ったな。意外と足早いんだな、坊主」
と。まったく息を乱さず、レイの正面に青年は立っていた。
「でもな、この闇市で俺を撒こうとするのは無理ってもんだ」
「……どうやら、そのようですね」
レイは両手を上げて降参を示した。青年はその態度に満足したのか上機嫌に告げた。
「それで? 仲間とはどこで待ち合わせしてんだ? 案内してやるよ」
この変人を連れてリザ達の元に行く危険性にレイは頭を悩ませたが、結局引き剥がせない以上は体力と時間の無駄だと判断した。
レイは馬具を取り扱う露天と告げた。
「なら、近い所はこっちだな。付いてきな」
青年は言うなり歩き出した。レイよりも随分と背の高い青年の歩調は広く、レイは小走りで追いかけた。
十分も経たない内に、リザ達が待つ露天の元に帰って来た。
「ご主人さまだ!」
待ちくたびれたのか、地面を蹴っていたレティがレイを見つけるなり飛び出した。続いてエトネも走り出した。
幼女二人はレイに向かって飛び込んでくる。レイは二人を受け止めると、衝撃でエトネのフードが外れた。
―――背筋を死神に掴まれたような悍ましさをレイは感じた。周囲を見回しても不穏な人物は居ない。
「遅いわよ。なんかあったの?」
遅れてやってきたシアラが文句を投げつけるも、顔には不安そうな影が差していた。レイはそれに曖昧に笑うと、同じくやってきたリザに巾着を渡した。
彼女は受け取ると、中から硬貨を取り出して店主に支払う。そしてニチョウ用の道具を数点受け取った。
「これで必要な物は揃ったかな」
「そうですね。後は馬車に戻るだけですが……所で、ご主人様。あそこで跪いている方はお知り合いでしょうか?」
リザの晴れた空を思わせる瞳が躊躇いがちに向けられた。レイは振り返ると、そこには先程の青年が膝をついて両手を大地に付けていた。いわゆる、四つん這いの姿勢だ。
「なんてこった! 王道を思わせる栗毛色の幼女にご主人様と呼ばせるとは!! しかも、それよりも幼いロリエルフだとぅ!! 完璧だ! 完璧すぎて逆に怒りがこみあげてくるぜ!!」
「……いや、知らない人だな。うん。まったく知らない変質者だ。さあ! アマツマラを出よう、すぐ出よう、今すぐ逃げよう!!」
青年の周囲の空気が淀み、耳を塞ぎたくなる怨念が聞こえてくると、レイは出発を声高に告げた。だけど、それを引き留める声が掛かった。
「待った!!」
無論、地に顔を向けている青年だった。彼はゆらりと立ち上がるとレイを睨む。双眸からは血のような涙が流れて行く。
「全ての同士が泣いて羨ましがる環境。断じて許せん! たとえ、13神が許したとしても、このスヴェン・ヴィーランドが許さん」
青年―――シュウ王国第二王子は言うなり背負った大剣を抜いた。輝きからしてゴロツキの頭目が振るった大剣とは雲泥の差である。それも当然だ。この大剣レムナントもまた、鍛冶王の作りし名剣の一つ。龍刀コウエンとは兄弟剣にあたる。
「坊主! 貴様に決闘を申し込む!!」
「嫌だ! 変態の相手なんかしてられるか!!」
読んで下さって、ありがとうございます。
4章終了まであとちょっと。土日も更新します。




