4-38 神々の遊技場 『後編』
「アルトヴィヒシ、スパンダルマド、フシャスラ、アマレタ、ウオフマナフ、ハウルヴァタット」
クロノスは歌うように読み上げる。
「この六体は既に千二百九十五年の間に打ち倒された『七帝』です。貴方と同じ、貴方よりも前に呼び出された十二人の『招かれた者』が打ち倒したこともあれば、エルドラド人によって倒されたのもいます」
「それじゃ、この世界の滅びは回避されたんじゃないんですか」
レイはある種、縋るような思いで口を開いた。だけど、クロノスは頭を振って否定した。
「一体、また一体と倒していくと、まるで転生するかのように新しい『七帝』が目覚めるのです。歯の欠けた櫛にあたらしい歯が生えてくるかのように、空いた席を誰かが埋める。それまで普通の魂だった者がある日突然肥大化するのです」
クロノスは嘆息すると、レイを真っ直ぐ見据えた。夜空を閉じ込めたかのような漆黒の瞳には諦念の色が濃く現れている。
「13神は……『招かれた者』たちは敗北したのです。誰かが言っていました。エルドラドは滅びたがっていると。すでに13神の半数はこの遊戯から興味を無くし、エルドラドの救済すら諦めています」
「そんな。……貴方たちが諦めたら、この世界はどうなるんですか!? リザは、レティは、シアラは、エトネは。彼女たちはどうなるんですか」
クロノスに詰め寄るレイの脳裏に、このエルドラドで関わった幾人もの顔が浮かぶ。ファルナ、アイナ、オルド、ロータス、オイジン、ホラス、マクベ、ニコラス。他にも名前は知らず、言葉を交わしたことの無い、すれ違っただけの人々も。
手を伸ばしても実像は掴めず、すり抜けるだけだが、それでもレイは手を伸ばそうとする。そんなレイを憐れんでクロノスは自分の両手でレイの手を覆った。それが意味のない行為だと分かっていても彼女はそうした。
「私を除く、13神の多くは既にこの世界に見切りを付けています。エルドラドに七番目の魂が現れる前に、神の手で世界を滅ぼそうとしています。文明を無かったことにして、新しい文明を生み出そうとします。そのタイムリミットが―――」
「―――五年後ですか。……でも、それっておかしくないですか」
「何がですか?」
クロノスはレイの言葉に小首を傾げた。
「千三百年という膨大な時間を撒き戻したとしても、歴史は同じ筋道を辿るとは限りませんよね。それなのに、13神は七番目の魂が目覚めると踏まえた上で行動している」
それはもっともな疑問である。レイの言う通り、一週目の歴史と、それを無かったことにして新しく始めた二週目の歴史は全くの別物だ。大きな違いでは国の数や名前、それに大陸の形。小さな違いは人の名前、年齢、種族、顔立ち。何もかもバラバラだ。それこそ、一週目と二週目のエルドラドは容器は同じなだけで中身は全く違う飲料水のような物だ。
こうまで違う結果になったのは幾つもの要因があったが、一番は『招かれた者』にある。一週目の他の世界の神々が連れてきた異世界人。彼らはエルドラドの歴史に多大な影響を与えた。それが無くなれば歴史は全く違った展開をする。
レイの考えをクロノスは肯定した。
「玲様の仰る通り、歴史は大きく変わりました。一週目で起きた事件や戦争、技術の誕生と発展。幾つもの違いが一週目と二週目には存在します。ですが、歴史にはいくつか変える事の出来ない収束されるポイントがあります。どんなルートを選んでいても結局そこを通らないといけないトンネルのようなポイントが。大きく食い違う一週目と二週目にも、数カ所だけ、まったく同じ出来事がありました。おそらく、七番目の魂が目覚める事も収束されるポイントだと私達は考えています」
「それは、考えているだけで証拠がある訳じゃないんですね! だったら―――」
「―――だったら、崩壊するまで待って見るべきだ、と」
言葉を取られたレイは頷くことしかできない。だがクロノスは頭を振ってレイを否定した。
「それは危うい賭けです。時を戻すことでさえ、ギリギリの綱渡り。もう一度やれと言われても不可能です。世界が崩壊するという事は神の観測所も崩壊します。その混乱の最中に文明を終らせることが果たして可能なのかどうか……ですから他の13神は余裕を持って文明を終らせようとします」
「神が文明を終らせるって、そうなったら、どうなるんですか?」
クロノスは表情を曇らせたまま、先程と同じ瓶を用意した。その中には人の魂代わりの玉が詰まっている。彼女は一度、魂である玉を外に放り出した。雨が屋根を叩くような音が響く。
「世界の中身を空っぽにして、魂の情報を消去して、再び魂をこの中に詰め直します。……世界を新しくするんです。……そこには貴方の知る人物は居ません。魂は同じだけれど、新しく生まれる世界に前の世界の記憶は一切引き継がれません」
それは―――無慈悲な処刑宣告だった。
「彼女たちを殺すんですか!?」
「殺しはしません。ただ、記憶と感情を消し、肉体を捨てさせ、新しい御霊の輪を巡ってもらうだけです」
レイの剣幕に物おじせず言い返すクロノスだが、自分が詭弁を弄しているのに自覚があるのだろう。視線はあらぬ方向を向けている。
例え魂が同じでも、記憶も感情も肉体もなくなれば、それは死んだこと同じである。
(この世界に生きている人たちは五年後に皆消えてなくなるのかよ。……いや、もしかしたら、大地も海も空も、新しくやり直すからきれいさっぱり無くなるのか)
レイはあまりにも残酷な現実にうなだれてしまう。クロノスはそんなレイを見かねて手を伸ばそうとして―――しかし、そのたおやかな指先は何も触れずに擦りぬける。
二人はこんなにも近いのに、途方も無く遠かった。
「……どうして」
しばらく沈黙していたレイが虚ろな声を発した。
「どうして、今すぐ世界を作り直さないんですか? 僕が居るからですか?」
クロノスは返答に窮したように視線を伏せるも、すぐに何かを決意したかのように口を開いた。
「それもあります。ですが、それ以外にも理由があります。……実は、玲様以外にも救世主候補はまだ居るんです」
その言葉にレイの伏せた頭がピクリと反応した。
「遊戯の掟によって、それが誰で、どこに居て、何をしているのかは説明できません。ですが、その者が存在する限り、世界の再生は行われていませんでした。そして、いま。貴方が居ることでも世界の再生は行われません。それもまた、遊戯の掟なのです。ですから、玲様!」
今までにない声量を出してクロノスはレイに詰め寄る。レイは驚いて顔を上げると、視界一杯に広がった女神の美貌に圧倒された。
「何が何でも、五年間。生き延びてください」
今更なにを言っているんだ、と不振がるレイに構わずクロノスは言葉を続けた。
「身を隠し、危険から遠ざかる事で五年生き延びれば、貴方の肉体は元通りに修復されます。そうなれば、貴方の魂を回収して元の世界に戻すことが出来ます」
「でも、それじゃダメなんだろ。リザ達が……皆が死んでしま―――」
「―――それがどうしたんですか!!」
クロノスがレイの言葉を掻き消した。彼女は瞳から宝石のように大きな涙を幾つも零している。
「この世界は貴方の世界じゃないんです! ……本当は貴方をもっと安全な場所に送るつもりだったんです。そこなら、安全に苦しい思いをせずに五年という月日を過ごすことが出来たんです。なのに、あの時。なぜか転移地点がずれ、あの森にあなたを送り込んだ時から全てが狂いました」
二人の脳裏に、同じ場所が浮かんだ。ネーデの森の奥深く。ぽっかりと空いた場所にレイは降り立った。
「玲様は十分頑張りました。六将軍、スタンピード、赤龍。貴方が出来る範囲で貴方は全力を尽くしました。それなのに、貴方は苦しんでいる。……私が招いた事故から玲様をエルドラドに送る事となったあの時、申し訳ない事をしたと思うと同時にこうも思いました。消える世界を誰かに覚えて欲しい。エルドラドという美しい世界があった事を誰かに知っていてほしい、と。なのに、貴方はどんどん傷ついていく。……もう、見ていられません」
クロノスは遂に声を上げて泣き出した。レイは手を伸ばすが、やはり彼女に触れる事は出来ない。涙を拭う事も出来なかった。
まるで子供のように泣いているクロノスに対してレイはいつしか神として敬う気持ちが薄れていた。
「でもさ、その。……ほら、僕が何もしなかったら、君は主神に成れないんだろ? それは君にも都合が悪いんだろ」
呼び方が貴女から君へと変わっている事に無自覚だった。クロノスも気づかず、袖口で涙を拭うと応えた。
「……私は、エルドラドの再生を見届けたら、神の座から降りるつもりです」
「……な、何で? そしたら君は、世界の狭間に追いやられるんじゃないのか?」
クロノスはこくりと頷いた。その表情は何処か達観したようにレイには写った。
「魂の肥大化は予見できない事でした。ですが、私達がもっとしっかりと世界を管理していたら、回避できたかもしれません。それを見過ごして、遊戯の進行にかかりきりになって世界を崩壊させかけた罪は大きいです。そのような者がいつまでも神の座に居るべきではありません。……私達は神として相応しくないです」
彼女の言葉は固い意思その物だ。どこか遠くを見つめる眼差しも相まって、重たい覚悟がレイにも伝わっていた。
「だから、私は『招かれた者』を呼ぶつもりはありませんでした。これ以上、私達のミスに誰も巻き込みたくなかったんです。……だけど、神として存在できる間に羽目を外そうとしたら、貴方を巻き込んでしまったのです。私の願いはただ一つ。貴方に平穏に生きて、元の世界に帰ってほしいのです」
クロノスは居住まいを正すと頭を深々と下げた。伏せたまま、彼女は懇願する。
「ですから、どうか今の『七帝』と関わらないでください。どうか危険な事に関わらないでください。そして何より、これ以上《トライ&エラー》を使わないでください」
三つ目の言葉に、レイは眉を顰めた。なぜ、ここで《トライ&エラー》の事が出てくるのかが分からなかった。すると、クロノスは顔を伏せたままの姿勢で言葉を続けた。
「《トライ&エラー》には恐るべき副次効果があります。……不思議に思った事はありませんか? どうして自分の旅の行く先にはいつも強敵が待ち構えているのか?」
それは確かに不思議な事ではあった。敵対したゲオルギウスや頭領、それに赤龍。味方ではオルドにテオドール、そして一応サファ。たった一月半でこれほどまでの強者に立て続けに遭遇するのはおかしい。
クロノスはその不可解な遭遇に答えを示した。
「《トライ&エラー》を繰り返し使うという事は、何度も時を撒き戻している事です。一度や二度なら、問題は有りません。ですが、それが何度も繰り返すうちに、まるで糸を織るように厚みを増します。それは、因果を重ねる行為です。貴方も既にご存知のはずです」
言われて、レイは思い出した。称号の一つ、『因果を重ねる者』を。
「時を撒き戻すのは犯してはならない禁忌。それが何度も繰り返されることで、エルドラドという世界その物が貴方を排除しようとします。……その結果、貴方の赴く場所は惨劇の只中となるんです」
がつん、と。頭を殴られた衝撃を味わっていた。スタンピードを防げないどころか、起きた原因も自分にあるかもしれないと言われレイは眩暈してしまう。
スタンピードだけでない。ウージアでの誘拐騒動も。リザ達の前の主が死んだことも。ゲオルギウスがネーデに転移したことさえも、自分という異端者を排除しようとした世界の意思なのかもしれない。
「ですから、貴方はもう戦わなくても良いんです。どうか、心穏やかな生活を送ってください」
その言葉はレイの胸の中に甘美な幸福を齎す。それに縋りつきたいと思ってしまう。
だけど。
「それは……できないよ、クロノス」
「……玲様?」
レイは何も握っていない、空っぽの手の平を見つめた。何も掴めないような、小さな手だった。指の隙間から救えたかもしれない命がいくつも零していた。
もう、あんな思いは味わいたくなかった。
戦わないという選択肢を御厨玲は選ぶつもりは無かった。
「僕は弱いです。心も体も、両方とも弱いです。……《トライ&エラー》という力を使いこなす知恵も度胸もありません。……でも、何もしないなんて選択肢だけは選びたくない」
「……玲、様」
「僕に何ができるかなんて分からない。もしかしたら、道半ばで野垂れ死にするかもしれない。でも、このまま何もしないで、僕だけ元の世界に戻るなんて事は出来ない。リザ達を見捨てて帰る事なんてできない!」
対等契約を結んだからでは無い。スタンピードの被害者だからでは無い。ただ単に彼女たちが死ぬという未来をレイは望んでいなかった。
「何も知らないままは嫌だ。クロノス。教えてくれ。今の『七帝』が誰なのか。どこに居て、何をしているのか」
「……知ってどうするのですか? まさか、倒すと言うのですか? 貴方が?」
クロノスは何処か無機質めいた声色を出した。それは傍から見ると詰っているようにさえ見える。だけど、レイはその無機質な仮面の向こうでクロノスが心配している姿が見えていた。
「倒す、なんて威勢のいいことは言えないよ。世界を救うなんて、そんな御大層な事も誓えない。でも、隠れて五年を過ごすんじゃなくて、何かをしたいんだ。……これ以上、後悔だけはしたくない」
クロノスは何度か言葉を発しようと口を開く。だけど、レイの穏やかな表情を見てしまい何も言葉が出なかった。少年の意思は決まってしまった。彼は残りの時間を安寧と過ごす未来を捨てたのだ。それを止める権利は彼女に無かった。
すると、クロノスの写し身の端から淡い光が立ち上っていくでは無いか。次第に彼女の体が崩れていく。
「時間が来ましたか」
驚くレイに反して、クロノスは何処か冷静だった。彼女は徐々に消えていく自分を見下ろして、一度固く目を瞑った。
そしてゆっくりと開くころには、固い意思が瞳に宿っていた。
「玲様。時間がありませんし、何より『七帝』の詳しい情報は遊戯の掟に反し言えません。瀕死の貴方を送る事さえ、本来なら掟すれすれの行為でした。ですから、今の『七帝』達の二つ名を教えます」
レイは一言一句聞き逃さないように集中した。
「『龍王』、『勇者』、『魔王』、『守護者』、『機械乙女』、『魔術師』。そして五年後に目覚める七番目の魂。私達はそれをこう名付けました。『正体不明』、と」
既に消失は胴体まで及び、残すは宙に残った頭部だけだった。クロノスはそれでもかまわずに言葉を続ける。
「私は貴方に世界を救ってもらおうなんて思っていません。貴方は逃げてもいいんです。それを咎める権利は誰にもありませ―――」
クロノスは最後まで言い切る事なく、光の粒となって消えた。
途端に。狭い室内に広がっていた圧倒的な圧力は霧散した。ここにはもう、神は居ない。レイは先程までクロノスの居た場所に向けて呟いた。
「彼女たちを見捨てて逃げたら、誰よりも僕自身が一番許せないよ」
何処かから見ているクロノスに向けて呟いた。
どれ程時間が経ったのか。レイには見当もつかなかった。神の立ち去った聖域で彼は先程まで聞いていた話を反芻していた。
エルドラドに残された寿命。回避するために倒さなければいけない存在。『招かれた者』達の役割。自分よりも前に呼び出された十二人の行方。そしてこの世界のどこかに居る他の『招かれた者』の存在。考える事は山のようにある。
自分一人で処理するにはあまりにも問題が大きすぎた。かと言ってこれをリザ達に話していいのかレイは悩んでいた。
いきなり、エルドラドは五年後に滅びます。回避するためには『七帝』と呼ばれる存在を倒さないといけません。異世界から来た人はそれを倒して世界を救済する役目を持っています。実は自分もその一人でした。
「そんな事、言えるかよ!」
相談を持ちかけられたところで、リザ達の手に余るだろう。しかし、彼らなら違うかもしれない。
「まずはテオドールやオルドたちに話してみるか。……むしろ、話さないといけないよな」
片や一国の王。片や世界でも上位に位置する強者。この二人なら自分よりも『七帝』に近いはずだ。
レイはようやく立ち上がり、来た道を引き返す。通路の両側にて輝く青い炎も順番に消えていく。背後に闇が迫りつつあるも、レイはそのまま鉄の扉まで戻ってきた。
入った時とは違い、今度は、簡単に扉は開いた。
外との気圧差からか、風が吹いた。レイが目を眇めると、扉の前で誰かが待っているのに気付いた。
柳のように細く、しかし理不尽なまでに強いエルフの護り手がそこに居た。
「よう、童。随分と遅かったな」
「……サファさん」
レイは彼の名前を不審そうに呼んだ。里の警備という役割を担う彼が、何故ここで自分を待っているのか。そもそも、なぜ彼は自分をここに導いたのか。幾つも疑問が生まれ、レイはそれを聞きたくて仕方なかった。だけど、それを制するようにサファが口を開いた。
「改めて、貴様に名乗ろう」
その仕草はどこか芝居がかっていて、現実感が乏しかった。
「神々が定めし世界を滅ぼす担い手、『七帝』が一体、『守護者』サファ!」
空気を震わす大音声にレイの頭は真っ白となった。彼の言葉は聞こえるのに、意味だけが分からなかった。
「……何を言っているんだよ、アンタ」
思わず、震える声でそれしか言えなかった。サファは薄く笑うと、からかう様に告げた。
「どうした、『招かれた者』。お前が倒すべき敵がここに居るぞ」
読んで下さって、ありがとうございます。




