4-35 ミラースライムⅣ
「そう言えば。今日で五日目ですな」
ふと、ブーリンが呟くと、里長の執務室に集まったロテュスとサファが何のことかと怪訝な表情を浮かべ、しばらくしてから得心したかのように頷いた。
「あの童の事か。すっかり忘れていた」
「あきれた。修練所に送り込んだのを忘れたなんて」
咎めるような口調にサファは口をへの字にして言い返した。
「俺から言い出した事ではない。あの童が勝手に言い出した事だ。弟子にして下さい、と」
「非礼を詫びに来るかと思えば、よもや鍛錬に興味が移るとは。これは予想すらしていませんでした。……そしてまさか、ミラースライムと戦う事になるとは」
エルフの隠れ里に居る者なら、ミラースライムの強さや厄介さは十分に知っている。そしてその攻略法も。
「あの者はどんな方法でアレを倒すか。賭けませんか?」
「どんなて、真っ当な方法か、裏を掻いた方法のどちらを選んだかって事?」
ブーリンはロテュスに頷くと、口を開いた。
「真っ当に、実力を積み上げて正面から打破するか。《水面ノ月》が発動される前に武器や防具を全て脱ぎ、改めて装備。裸の自分と戦う方法を取ったのか。果たしてどちらになるのか」
ブーリンが口にした後者のやり方はミラースライムと単独で遭遇した際の緊急避難的なやり方だ。ミラースライムは対象の姿形を真似る。そのため、その時点で着ている衣服、武器、防具や道具をもコピーしている。
しかし一度コピーすると、戦闘が終わるまではコピーを解くことは無いし、更新することも無い。そのため、武器や防具を外した状態でコピーされ、戦う際にそれらを身に付ければ、無手のミラースライムと戦える。
無論、徒手空拳が主体の場合は上手く行かないが、それでも武器を持つ敵と持たない敵なら後者の方が組みやすい。
だけど。
「賭けるのはいいけど、坊やが後者を選んだ場合、里長の貴方はどう評価するのかしら?」
「それはもちろん。その程度の男だったと判断を下します」
レイは少しでも強くなると意気込んで修練所に飛び込んだ。その気概はブーリンの中では好ましい部類に入る。強くなりたい、強くありたいという意思は気高くあるべきだ。
それなのに、裏技めいたやり方を選んだ時点で、彼の審査から落ちたと同然だ。
「ふーん。それでサファ殿はどうなのよ。貴方はどっちを期待しているの?」
問われたサファはしばし瞑想するかのように目を瞑る。そして、そのまま呟くように返した。
「元より、あの童に期待などしていません。そもそも、今日出てくるとは限りません」
「まあ、それもそうね」
「初日は無理としても、才ある者なら二日目に。才無き者でも三日目には。愚鈍な物でも四日目までにはミラースライムを倒すことは可能。それが五日もかかるとなれば……大方、当に諦め、倒せずに今日まで来てしまい、バツが悪くなっているのでしょう」
サファの冷たい物言いに二人は揃って同意してしまう。なるほど、確かにその可能性が一番高いかもしれないと囁き合った。
しかし、サファは更に低く小さな声で呟いた。
「もっとも、五日目まで掛かったのが別の理由なら……いや、まさかな」
修練所の天井に生えた水晶は外の時間と連動しているのか、時間経過と共に光量が変化する。漆黒の闇を端から切り裂くように光が生まるのを朝。それが次第に全体へと行き渡ると輝きが増していく。まるで夏の日差しのような目もくらむ明るさの頃を昼。次第に眩い光が黄昏色に染まりゆくのを夕。そして漆黒の闇が天を覆った時を夜とレイは仮定していた。
今の時刻は朝と昼の間。五日目の夕刻には帰って来いとサファに言われていたので、タイムリミットを昼過ぎに決めていた。
それまでに、ミラースライムから完全勝利をもぎ取る。それがレイの今の目標だった。
もっとも、それが一番の難題だった。
轟ッ、と。
ミラースライムのファルシオンが唸りを上げて迫りくる。レイはその一撃を自らのファルシオンで無理やり弾き返した。金属と金属が噛みあう音がコロシアムに響く。一合、二合、五合と激しくなる打ち合いは終わりを見せない。互いの斬撃を撃ち落す。
次第に剣の回転が増していくと、場の流れがミラースライムへと流れていく。
このままでは押し切られると判断したレイはワザと力を抜いた。
一際大きなと共に、レイのファルシオンが弾かれる。辛うじて柄には指が掛かっているため、武器を飛ばされることは無かったが、右腕が大きく上に持ち上がった。
ミラースライムはその隙を逃さない。一気に踏み込み、これまでにない程早い踏み込みを持ってレイに迫ると横に一閃した。
だが。
ガツン、と。
鋼と鋼の打ち合う音に交じり、レイの呟きが埋もれた。
「《砕拳》」
がら空きになった右脇腹に叩き込まれたミラースライムの剣は、待ち構えていたレイの左拳によって砕かれた。ワザと隙を作る事で相手の行動を誘発させたのだ。
そしてレイは上に持ち上がったファルシオンを下ろす。
瞬間。
その軌道に対して滑らかにして最少の動きで、ミラースライムは避けようとした。《生死ノ境》だ。時の遅くなった世界でミラースライムは活路を見出そうとする。
「させるか! 《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」
すかさずレイは《心ノ誘導》を発動して、逃げようとするミラースライムを絡めとった。
動きを止めたミラースライムは頭から振り下ろされる一撃をくらい、縦に両断された。魔石もまた二つに割れた。ミラースライムに勝利したのだ。
だが。レイの胸中に勝利に沸く余裕は無い。歯を喰いしばって、この後に起きる事に備えた。
ぐにゃり、と。
世界が形を保てなくなり、渦を描いて混じり合う。
そして、唐突な痛みと共に世界は元に戻った。首が焼けた様に熱い。
レイの視界が横にずれる。彼の視界は地面に向かって落ちて……そこで途切れた。
★
「―――っ!」
《トライ&エラー》史上最少のイタミに目が覚める。皮膚の下を這いずり回るイタミの不快感は変わらない。だけど、決して耐えられないイタミでは無い。
問題は。
「ぅぅぅぅうううううう! ぐうううぅぅぅ! があああ!!」
まさに獣のような唸り声を上げてレイはのたうち回る。視界が激痛に合わせて明滅し、血圧と脈拍が上がり、心臓が不規則なリズムを取る。勝利したはずの記憶が千切れ、敗北した記憶が空白地帯を侵食する。
三十九戦六勝三十九敗。
勝敗を足せば戦闘回数を超えるという矛盾。勝利したという証拠はどこにもなく、レイの記憶の中でもおぼろげにしか残っていない。それでも、レイはミラースライムに対して六勝した。
《トライ&エラー》を使う事によってミラースライムは更に進化した。レイに敗北することで、死に戻り、レイを改めて倒す。この段階でミラースライムの技量はレイの一段上を行くようになった。
そのミラースライムと戦い、敗北したレイの記憶と共に戦闘経験も強化されたミラースライムとの戦闘が残る。次に戦う時にミラースライムはその戦闘経験を自分の物としてしまう。
「……堂々巡りだな、くそったれ」
荒げた呼吸と共にレイの弱音が零れる。
強化されたとはいえ、その段差を超える程度の素質は今のレイの中にある。一戦、二戦と戦いを重ねればすぐに追いつき、ミラースライムを倒す。
そしてミラースライムの《トライ&エラー》によって勝利は書き換えられる。
終わりの見えない袋小路だった。
レイは敗北を押し付けられる時以外、《トライ&エラー》を使わずに居た。
すでに誓いは破られている。開き直って使うという合理的な判断を下しても問題は無いはずだった。いや、合理的な判断というなら、ミラースライムと戦う理由自体、もう無いはずだ。元々の強くなりたいという目的はある程度達成されている。そしてミラースライムを倒すのは不可能に近いと自身で理解できているはずだった。
《トライ&エラー》を攻略するには二つのやり方がある。一つは石化や麻痺などの状態異常を引き起こす。もう一つは自殺させる事だ。
前者はバジリスクのダガーを持っていれば可能だったが、今は無い。後者はどのようにすればいいのか見当もつかなかった。
闇雲に戦闘を重ねた所で勝てるはずが無い。
だけど、レイは逃げたくなかったのだ。
《トライ&エラー》という力を振るう、自分自身から。
別段、ミラースライムを倒したからといってレイの心が一気に変わるはずは無い。モンスターを倒した程度で劇的には変化しない。
「それでも、僕が前に進むにはアイツを、超えないといけないんだ」
記憶の浸食から立ち直ったレイはどうにか朝食などを準備し、胃に押し込むとコロシアムへと歩き出した。
レイの中でミラースライムは彼自身の弱さの象徴だった。《トライ&エラー》という過ぎた力を持ちながら、ただ翻弄されるばかりの自分。それを本当の意味で倒すことで前に進めると縋るような気持ちでいた。
そして、彼の足はコロシアムへと辿りついた。
既に慣れ親しんだ光の輪がレイの体を通過すると、ミラースライムは姿を変える。そして、ぶるりと体を震わした。
ちょうど、四十戦目の幕が切って落とされた。
四十戦目の幕開けは拳の交換で始まった。互いの右拳が相手を狙い放たれた。
「《砕拳》!」
「《サイケン》!」
リング中央でぶつかった両者は戦技の威力によって吹き飛ばされあう。もっとも地べたを転がったのはレイ一人。ミラースライムは読んでいたかのうに着地すると、すぐにファルシオンを抜いて飛びかかる。いまだ剣を抜けていないレイは振り下ろされた剣に対して地面を転がって回避した。
ミラースライムのファルシオンがレイを追いかけるように振り上げられる。剣先はレイの首筋近くを通り過ぎた。その冷たい感触に冷汗をかいたレイは直ぐに立ち上がり、剣を抜く。そして両者は渾身の力を込めて武器を振るい合う。
鋼が鋼を喰う様な音が響く。そのままつばぜり合いが起きた。
手を伸ばせば触れられる距離にミラースライムの感情の無い顔があった。自分と全く同じ造形の顔に不気味さをレイは感じていた。そして同時に、憎くもあった。
「どうして、どうして僕はこうなんだ!」
ファルシオン同士がせめぎ合う中、レイはこの五日間、胸の内に溜まっていた思いを吐き出した。
「行き当たりばったりで、意気地がなくて、そのくせ直ぐに悩んだり後悔したり! ちっとも前に進めない!」
ミラースライムは当然のように変化は無かった。モンスターの中にあるのはただ一つ。自分のテリトリーに入った獲物の排除だ。
「なにが《トライ&エラー》だ! なにが死に戻りだ! 中途半端にしか使えない人間には過ぎたオモチャじゃないか!!」
レイは叫ぶと同時に、体を僅かに引いた。途端につっかえを無くしたかのようにミラースライムは前へと倒れ込みそうになる。レイはすかさずファルシオンを振るう。その一撃は残念ながら《耐久》の加護に阻まれる。剣が見えない壁に阻まれている間にミラースライムは態勢を立て直した。だが。そのミラースライムの頭部にレイの足刀が叩き込まれた。
レイは最初から、ミラースライムに向けて剣を振ったのではない。地面に向けて剣を突き刺す過程で鎧にぶつかったのだ。彼は剣を地面に突き刺すと、それを支えに体を持ち上げ、頭部目がけて蹴りを放った。
頭部に一撃を貰ったミラースライムは後ろへと弾き飛ばされる。だが、ただでは転ばなかった。がしり、と空いた手でレイの足を掴んだのだ。後ろへと倒れこむミラースライムに引きずられるようにレイも地面へと落ちた。
「ぐうっ!」
地面に落ちた衝撃で肺の空気が強制的に吐き出される。レイは素早くミラースライムの手を振りほどくと地面に突き刺さったままの自分の剣へと走る。
だが。
「《トドメヨ、ワガミニゾウオノシセンヲ》!」
背後から発動された《心ノ誘導》によって足を止められる。それどころか、強制的に後ろへと振り返ってしまった。すでにミラースライムも態勢を立て直し、レイを追いかけてファルシオンを振るう。無手のレイはその連撃を両手の籠手で凌いでいく。
「お前には、覚悟が足りないんだ!」
彼は不利な状況でも叫ぶことだけは止めなかった。いや、これはミラースライムに向かって言っているのではない。自分に向けて言っているのだ。
「恵まれた力を持っているなら、それをもっと有効に使えばいいんだ! そうすれば、少なくともエトネの母親は救えたかもしれないだろ!」
それは結果論に過ぎない。例えレイがオルドやテオドールに《トライ&エラー》を打ち明けていたところで、スタンピードは回避できなかっただろうし、赤龍は猛威を振るっただろうし、エトネの母は死んでいただろう。それを嘆くのはレイの思い上がりに似た自己満足に過ぎない。
だが、それでも彼は彼自身を許せないでいた。
誰よりも、自分を許せないでいた。だから、自分を模るミラースライムを避ける事が出来ないでいた。ファルシオンの連撃を後退しながら凌ぐレイの拳が熱を持ったかのように熱くなっていく。
「僕は変わりたい! 変わらなくちゃいけないんだ! 彼女たちの為にも、少しでも強くなりたい! だから!」
彼はファルシオンまで近づくと後ろ回りの要領で地面を転がる。そして立ち上がると同時に、ファルシオンを握った。瞬間、レイの右手に溜まっていた熱がファルシオンの刀身に伝わり始める。今までにない変化にミラースライムは怯んだように動きを止め、気づかないレイは躊躇う事なく距離を詰めた。
「だから! 僕はお前なんかには負けない! 弱い自分にだけは絶対に負けたくないんだ! 《崩剣》!」
レイの右手に溜まっていた精神力が一つの戦技へと昇華される。レイのファルシオンはミラースライムの剣も、鎧も体も何の抵抗も無く通り過ぎた。剣の作る断面はまるで砂のように脆く変質していた。
その途中にあった魔石もまた、同様に斬られていた。
レイに勝利に浸る余裕は無い。次の瞬間にでも勝利は奪われ、敗北に書き換えられる。
(ここまで来たら、何度だって繰り返してやる。弱い自分になんか絶対に負けてたまるか!!)
胸中でミラースライムに挑戦状を押し付けると、時間軸が書き換わるのを身構えていた。
しかし。
一秒経っても。三秒経っても。十秒経っても。何の変化も起きなかった。
レイは不思議そうに眉を顰めると。
どろり、と。
ミラースライムの体が崩れたのだ。元の粘液に。
銀色のスライムはグズグズに溶けていく。二つに分かれたレイの姿は次第に地面に溶け込む様に蒸発していく。両断された魔石が地面に音を立てて落ちた。
スライム種のよくある死に姿だ。
「今度こそ、勝ったのか。……でも何で急に? ―――っ!?」
レイは最初呆けた様に呟き、目の前で起きている不可思議に首をひねり、最後には言葉にならない衝撃を味わった。
顔面は一気に蒼白となり、唇から引き攣った声が漏れた。その衝撃から冷めやらぬまま彼は呟いた。
「《トライ&エラー》の死に戻りに……耐えられなくなったのかよ」
ミラースライム側でどのような処理が起きたのか。それはレイには分からない。
だけど、四十戦目の今。レイは新たな戦技に辿りついた。何度も挑むことでたどり着いた新たな境地。諦めると言う事を選択しなかった結果、戦闘中に編み出した技。
それをミラースライムは手に入れる事は出来ない。コピーすることは出来ない。
たとえ何度死に戻った所で、ミラースライムのレイは成長することはできないのだ。結果、ミラースライムはレイの知らない時間軸を何度も繰り返し、その度に敗北した。
そして。遂にそのイタミに、死に戻りの時に見る地獄に屈した。
死に戻れなくなった者の末路がどうなるのか。今までレイが折に触れて気にしていた疑問の答えが目の前にあった。
苦悶の表情を浮かべつつも、どこか心安らいでいるようにも見えるミラースライムの……自分の死に顔がレイの目に焼き付いてしまった。
ミラースライムの壮絶な死にざまを見てからしばらくした後、レイは修練所のある場所に居た。そこはコロシアム近くのある平屋だった。
あの後。ミラースライムの死を見届けたレイは、これ以上ここに居る意味は無いと考えて帰還用の魔法陣を探すことになった。
サファが言っていた通り、ミラースライムの死は帰還用の魔法陣とは何の関係が無いらしく、死んだからといって場所を指し示す手がかりが出てくることは無かった。
代わりに手掛かりは別の場所に書いてあった。『冒険の書:修練所版』の中だ。
無人の街の一角に隠れるように帰還用の魔法陣は刻まれていた。書物には魔法陣の起動させる術が書いてあった。といっても僅か一言告げればいいのだが。
レイの姿は来た時と同じ格好である。コートは無事だが、鎧も武器も衣服もどれもこれもボロボロだった。
『冒険の書:修練所版』はおいていく事にした。この先、自分以外の日本人が此処を訪れた時に役立ててほしいからだ。
レイが魔法陣の中心に立つと、魔法陣が呼吸するように点滅を繰り返す。書物に遭った言葉を告げた。
「えっと……《ワープ》!」
何ともひねりの無いパスワードだった。
しかし、魔法陣はパスワードを受けると点滅を激しくさせる。あっという間に目も明けられない光がレイを包む。
―――そして。
一瞬の浮遊感と共に、レイの姿は修練所から消えた。
彼はサファの生み出した裂け目を落ちる。
浮遊感が終わり、瞼を閉じても灼けるような光が消えると、レイは恐る恐る眼を開けた。そこは埃っぽい平屋の中では無く、洞窟の中だった。
「……なんとか帰ってこれたか」
「ほう。何だ、帰って来たのか?」
安心した様に呟くと、下から声を掛けられた。レイが魔法陣の刻まれている高台から顔を覗かせると、そこには柳のような男、サファが居た。
「サファさん!」
「ふむ。随分と手厳しくやられたようだな」
サファは階段を上がると、レイの姿を上から下まで眺めると何やら納得したかのように頷いた。
「どうやら、真っ当な手段の方でミラースライムを倒したようだな」
「えっと……そうです」
内心、真っ当じゃない方法って何だよ、と思うがレイはおくびも出さずに堪えていた。そしてサファは顎に手を当てたまま、何気ない風を装って、切り込んだ。
「それで……冒険の書は役に立ったか、日本人」
まるで刃に貫かれたかのようにレイは動きを止めてしまう。その反応に満足そうにサファは笑った。
「ツメが甘いぞ、童。お前が使った帰還用の魔法陣。あれは日本人とそれ以外を見極めるための仕掛けだ。正式な帰還用の魔法陣は別にある」
確信めいた言葉にレイは観念したように頷いた。
「……はい。黙っていてすいません。……僕は日本という国から来た異世界人で、ってどうしたんですか!?」
レイはサファに抗議の声を上げた。彼はレイの言葉を最後まで聞かずに少年の腕を掴んだのだ。
「まったく、『招かれた者』なら先にそう言え! 余計な手間をかけさせる」
「待ってください! どうしてあなたがその称号を!?」
サファの口から出た称号にレイは驚いてしまう。だが、サファはレイに構うことなく洞窟の外へと歩み、坂道を下り始めた。脳裏にクリュネの説明が蘇る。下に行けば行くほどエルフにとって重要な場所だと。
その途中でレイとサファはブーリンとすれ違った。レイの姿を見たブーリンは一瞬、嬉しげに崩れ、しかし直ぐに表情を引き締めた。
「ふむ。その姿を見る限り、どうやらミラースライムという難敵を正面から打ち倒したようだ、ってサファ殿!?」
「ブーリンさん! 今更ですがあの時は本当にすみませんでした!! 貴方に飛びかかるなんて、ってサファさん、謝らせてくださいよ!!」
二人の叫びを無視してサファは突き進む。慌ててブーリンが来た道を戻り並走する。
「サファ殿! この先にはアレしかありませんぞ! この者を連れて一体何をするおつもりですか!?」
ブーリンが耳元で叫ぶと、ようやくサファは反応した。ただし、それでもレイを引きずる歩みは止まらなかったが。
「コイツは『招かれた者』だ」
その短い回答でブーリンは何かを理解したのか、歩みを止めた。そして、彼は恭しくサファに向かって頭を下げる。
「……分かり申した。それでは貴方のご随意のままに」
二人の過剰ともいえる反応にレイは混乱するばかりだった。そして二人は坂道の終点。光の雨すら届かない深い場所へと辿りついた。
漆黒を固めたような扉の前で足を止めたサファは、扉を開けるとレイをその中に放り込んだ。
「ちょ、ちょっと!」
「悪いな、童。お前が『招かれた者』だと分かった以上、こうするように俺は頼まれたんだ」
慌てて閉まりゆく扉に縋るレイだが、無情にもサファは扉を閉めた。世界その物が寸断されたかのような音を立てて扉は閉まると、内側からはビクともしなくなった。
「開けてください! サファさん! 頼まれたって誰にですか!? 何か知っているなら教えて下さい!!」
何度も扉を叩くも、外の世界の音は何一つ聞こえてこなかった。暗闇の世界でレイは孤独を感じていた。
―――すると。声がした。
「どうぞ、こちらへ」
まるでガラスのベルのような透明感を放つ、この世のものとは思えない声だった。聞いた瞬間、レイの体は稲妻がはしったかのような衝撃を味わった。
振り返れば、そこには一面の闇しかない。終わりのないような闇の奥をレイが睨むと、急に青白い炎が生まれた。通路の両側を青い炎が道を示すように並ぶ。
「どうぞ、こちらへ」
再び、同じ言葉が投げかけられると、又しても痺れるような感覚を味わった。レイは興奮のあまり、自分の心臓が痛いほど高鳴っているのを感じていた。
(僕は……僕はこの声を―――知っているぞ)
レイはふらり、と立ち上がると。青い炎に導かれるように通路を進む。
「どうぞ、こちらへ」
呼びかける声が上ずっていないか、心配してしまう。
髪が乱れてないか急に気になりだして、手櫛で何度も撫でつける。
もうじき彼が此処にやって来る。あと数十秒もしない内に辿りつく。
この時を待っていた。
この時を恐れていた。
彼がこのエルドラドに来てからの全てを私は見ていた。夜の森を一人で抜けた時を。フュージョンスライムに襲われた時を。初めての迷宮を突破した時を。ゲオルギウスと戦い、撃退に協力した時を。命の恩人を助けた時を。スタンピードに巻き込まれながらも懸命に戦い抜いた時を。恐怖を覚えながらも赤龍と渡り合った時を。そして、強くなりたいと願い、ミラースライムを撃破した時を。
全て見ていた。
この二月近く、ずっと見守っていた。
こんな事になるなんて。こんな事になるとは思っていなかった。どれだけ謝罪の言葉を尽くしても、許してもらえるとは思っていない。
だけど、それでも私は貴方の前に出なくてはいけない。
私が貴方をこの世界に招いたのだから。
それでも。臆病な私は貴方の顔を見る勇気は無い。
ああ、足音がもう聞こえる。
もう、すぐ傍まで来ている。
貴方は私を見た時、どんな感情を見せるのでしょうか?
嫌悪、憎悪、憤怒、それとも殺意。
この身がこちら側にあれば全てを受け止めることが出来る。でも、この身はこの世界には来られない。写し身しか送れないのが恨めしい。
せめて、私の気持ちを込めた態度で全てを示す。
それは奇しくも、初めて会った日の焼き直しに近かった。膝を揃え、額を床に擦りつけた。そして同時に、扉の空く音がした。
伏せた頭の上でさび付いた声が聞こえた。
「……アンタは……神様か?」
私―――クロノスは伏した顔を上げて、彼の方を見た。
呆然と、まさに幽霊を見たかのように驚いている彼に向けて告げた。
「お久しぶりですね―――御厨玲様」
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は3月7日を予定しております。




