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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第4章 エルフの隠れ里
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4-34 ミラースライムⅢ

 嗚咽はいつの間にか止んでいた。涙は枯れ果て、レイの目は虚ろの闇を孕んでいた。もう、夜も遅いはずなのにレイは寝れないでいた。いや、眠りたくなかったのだ。先程の夢をもう一度見るのではないかと恐れていた。


 レイは立ち上がると傍に置いておいたファルシオンを抜いた。刀身に今日の打ち合いの傷が残っている。重さを確かめるように何度か振ると、レイは剣を振り始めた。せめて泥のように眠れれば、夢を見る余地も無いと縋る思いだった。


 振り下ろし、振り上げ、突き、薙ぎ、大きく踏み込んで袈裟切り、反対に下がりながらの逆袈裟。


 どれもこれも素人剣術の域を出ないのはレイ自身、自覚のある点だ。


 モンスター相手にはこれで通用していたのには理由がある。それはモンスターが生まれながらの戦士なのに、戦闘経験が少ない点だ。


 迷宮によって生み出されるモンスターは生まれた時点で戦闘の仕方を、それも自分に合った適切なやり方を本能として刻み込まれる。人で言う所の歩き方に近い。教わらなくても、自然と出来る動作。


 だが、戦闘の仕方を本能で知っていても知らないこともある。それは痛みだ。彼らは痛みに無知なまま冒険者と戦いを繰り広げる。冒険者の振るう刃や、魔法や、戦技の鋭さは頭で分かっていても実感としては知らない。


 だから大抵のモンスターは冒険者と戦う時に初めて痛みを覚え、動きを鈍くさせてしまう。そのまま殺されてしまう事も多い。レイが戦ってきたモンスターの多くは、迷宮生まれの初戦闘が多かった。ネーデの迷宮は初心者向きといわれ、常時冒険者が入り浸っている場所。アマツマラの迷宮は事前にオルドたちが敵を掃討した結果、新しく生まれたばかりのモンスターと戦っていた。


 逆に痛みを知るモンスターはしぶとく、強くなる。迷宮の外でコロニーを形成し、勝ったり負けたりを繰り返したモンスターは迷宮よりも強くなりやすい。


 レイは幸運にも素人剣術が通用する相手とばかり戦っていたのだった。しかし、それの限界にも気づいていた。エトネ、そしてミラースライムが生み出した自分を相手にして余計に痛感していた。


「アイツは、確か、こうやって、こうだな」


 レイは瞼を瞑り、自分の姿を模ったミラースライムの立ち姿を思い出した。腕の握り、角度、足幅と向き。《トライ&エラー》の際、持ち越せるのが記憶だけの為、彼は見た光景を細かくインプットする癖がついていた。


 それをいまはアウトプットしている。


 立ち姿を真似すれば、次は振る姿を真似する。何も無い空間に幻影の敵を見出すと、一閃した。


 ぶんっ、と。


 鋭い音を立ててファルシオンは空間を切り裂いた。


「……なんだ、今の?」


 今までになかった手応えに、レイは驚きのあまり姿勢を崩した。そのままの状態で同じように振るが、先程のような鋭い振りは起きなかった。


 レイはもう一度、ミラースライムのものまねをした。


 ものまねのものまねである。


 コピーのコピーである。


 奇妙な話になったが、レイは気にした様子を見せず、無心で剣を振るい続けた。


 体が動かなくなるまで、独りぼっちの稽古は続いた。


 翌朝。さび付いた機械のような体を動かして湖の畔に辿りついたレイは顔を洗う。湖面に浮かんだ自分の顔をまじまじと見つめて苦笑してしまう。目は涙で腫れ、その下にはくっきりと隈が浮かんでいた。


「さてと。頑張るとしますか!」


 自らに気合を入れ直すとレイはミラースライムに挑む。






 修練所に入って四日目・・・


 レイの姿はコロシアムの中にあった。初日と変わらずにミラースライム相手にファルシオンを振るう。鎧は何カ所もへこみや破損が目立ち、ファルシオンの刀身にも細かな刃こぼれが増えていた。服も斬られたような筋がいくつも入り、撒かれた包帯に血が滲んでいる。


 満身創痍。万全とは言えない姿だ。


 しかし、その眼は反比例するかのように爛々と輝いていた。剣を振るう姿に躍動感すらあった。


 二日目、三日目、そして四日目と日が重ねるごとに、戦いを重ねる度に打ち合いは激しさを増していた。


 二十七戦二十七敗。


 見事に負けっぱなしである。


 しかし、そのかいはある。


 《トライ&エラー》を使わないで勝つと決めた以上、今までにない程慎重に戦っていた。


 この四日間でレイはミラースライムの習性と特徴をある程度理解した。最初に把握したのは活動範囲。ミラースライムはコロシアムの外に出ようとはしない。それどころか、リングを囲うように円形に並ぶ平屋にも積極的には近づかない。


 戦闘中にレイが不利を悟り平屋に飛び込むと、極端に追いかけるスピードが遅くなる。建物二つ分離れるとあっさりと追いかけるのを止めた。初戦でレイの足を止めるために技能スキルを使ったのは、直接追いかけられないからだった。自らか定めた縄張りに入った侵入者が外に出ると途端に興味を失うのだ。


 二つ目が異常にタフな点だ。


 冒険王が残した『冒険の書:修練所版』に書かれていたミラースライムの攻略法の一つを試した。小動物などを獲る罠を平屋の中に幾つも仕掛けていた。


 木を削ったボウトラップ。暗闇の小部屋。視界が悪い為、レイ自身が引っ掛からないように雑な仕掛けではあった。


 レイが用意した矢は先端が鋭く、太さも十分ある。人が突き刺さればあっという間に出血死か、ショック死を起こしかねない。なのにミラースライムはそんな矢を三本も受けても痛みを感じる様子は無かった。


 恐らく、ミラースライムがレイの形を真似ているのが外面だけに留まっているからだろう。見てくれはレイそっくりだが、内部はミラースライムのまま。おそらく首を切り落としても胴体を両断しても、致命傷にはならない。魔石を壊さないと死なないとレイは推測した。


 三つ目はミラースライムは群れない。


『冒険の書:修練所版』にミラースライムのコピー能力の解説が載っていた。《水面ノ月》。ミラースライムが決めた領域に入った者の姿形を写し取り、敵を退治する技能スキル。一見すると無茶苦茶な力に見えるが、実の所、この技能スキルのせいで仲間と共に居られないのだ。


 コピーする際に間合いに仲間が居れば仲間の姿を模ってしまう。ミラースライムが持っている力は《水面ノ月》のみ。そのためミラースライムが二体居れば無限にコピーし合うというジレンマに陥り、戦いどころでは無くなるらしい。


 そのため、ミラースライムの倒し方の一つにミラースライム同士を出くわさせると言うのがあると書いてあった。もっとも、修練所に居るのは一体だけなので、その戦法は使えない。


『冒険の書:修練所版』はこの四日間レイの助けになった。


 修練所で獲れる魚や果実、きのこ類が図入りで記され、調理方法なども載っていた。


 何よりレイの身を助けたのは、手製の回復薬ポーションの作成方法が記されていた点だ。流石に市販のよりも格段に性能は落ちるが、それでも何もないよりはましだった。


 そして、何よりミラースライムの攻略法が書いてあった。


『冒険の書:修練所版』に載っていたミラースライムの攻略法は大まかに言って二つ。一つは他者と協力するやり方。レイは一人なので、罠を代用してみたが、早々に諦める結果になった。罠に怯えたり、警戒したりせず、コロシアムに入ったレイを追いかけてくるのだ。意味がない。


 もう一つが単純にして一番難しいやり方だ。


 技量で上回る相手に、一戦の間で追いつき、追い抜く。


 これ以外、倒す方法は無い。


 レイの一日の始まりは、昼の弁当を朝と一緒に作り、手製の回復薬ポーションを複数作り、体が動けなくなるまでミラースライムと……自分と戦っていた


 ミラースライムが生み出すレイは、本物のよりも容赦はない。ファルシオンに拘らず、時には打撃を、時には足刀を、時には組技を、時には鞘すら武器としていた。


 どの攻撃も、明確な目的が込められている。戦いの流れを自分に引き寄せようとしている。


 初めの頃のレイはミラースライムにしがみ付くように戦うしかできなかった。ファルシオンを振るっても数合で軽くあしらわれ、一撃を食らわせる機会といえば《生死ノ境》が発動した時の刹那の時のみ。


 しかも、そこから畳みかける事すらできず、方々の態で逃げる始末だ。みっともない姿を晒していた。


 だけど。


 レイはこの状況を楽しんでいた(・・・・・・)


 一戦重ねるごとに、ミラースライムに近づいていく事が。


 夜、ひたすらに昼の戦いを思い出してはファルシオンを振るう事が。


 エルドラドに来てから、強くなるという目的にだけ集中できる事が。


 強くなっていくことに、夢中となっていた。その間だけはスタンピードを忘れられるのが余計にレイを突き動かしていた。


 これまでのレイは、元の世界に戻ると言う大前提の元、幾つもの事件に遭遇していた。ファルナの救出。ゲオルギウスとの遭遇。リザとレティとの出会いと誘拐と決闘。そして赤龍との決戦。


 それらを達成するたびに喜びと共に精神をすり減らしていた。その度に《トライ&エラー》を使い死に戻ってきた。達成感が無い訳では無い。だけど、それを上回るほど憔悴していたのは事実だった。


 ではミラースライムとの戦いはどうなのか。


 何も背負わず、何も守らず、ひたすらに剣を振るい、自分を高めるという行為は奇妙な話だが爽やかな高揚感をレイに与えていた。スポーツに熱中するという経験は無いのだが、部活動で汗を流す体育会系の気持ちを僅かに理解した。


 その上、《トライ&エラー》を使わないと決めたことも、ある種の手助けをしていた。


 死ねば戻れるというセーフティーを無くすと、今までにない程丁寧に戦いを重ねていた。そうすると、見えてこなかった事や気づけなかった事を知る。取りこぼしてきた基礎的な知識を得ていた。不自由な状況に自らを追い込む事でより戦いへの理解を深めていた。


 要するに、レベルアップ以外で自分が成長していく事を実感できて、喜びを覚えていた。


 それらが加速度的にレイの技量を上げる。


 一戦目よりも二戦目。二戦目よりも三戦目。十戦目よりも十一戦目。二十六戦目よりも二十七戦目。


 合わせるようにミラースライムも技量を上げていく。何しろ戦いが始まる度に最新のレイにコピーしているのだ。


 だけど。


 二十七戦目まえよりも二十八戦目(いま)。遂にレイはミラースライムに追いつこうとしていた。






 別段、この加速度的な成長はレイの中に隠されていた力が発動した、なんておとぎ話ではない。


 これは単に、初日の時点のレイがあまりにも素人(・・)すぎたことに原因がある。


 一言に剣を振るうにしても、重要な要素は幾つもある。


 立ち方。構え。足さばき。重心。握り。呼吸。読み。踏み込み。残心。


 上げればきりが無い。


 世の冒険者はこれ等一通りを様々な方法で学ぶ。誰かに師事し、誰かの模倣をし、時には誰にも頼らずに独自に編み出すこともある。


 だが、大抵の冒険者は戦う事を通じて学んできた基礎の上に更に経験を積みあげ、確固たる技量を手に入れる。そして年月を重ねるごとに円熟味を増していき、停滞したり、更なる成長を目指したりする。それを階段で例えるなら、最初の段差はそれこそ簡単に駆けあがり、しだいに高く昇るほど段差が上がっていくようなもの。


 それはレイにとっても同様である。


 彼は今、急速な勢いで階段を蹴とばしていた。……割と最初の方を。


 それはサファやテオドールやオルドのような超人にとってははるか昔の場所で。ロータスなどの達人にとっては懐かしい場所で。リザやファルナやホラスにとっても通り過ぎた場所だ。


 ミラースライムはコピーした存在の技量を上回る。達人や超人にすれば、自分にとっても越えられない高い段差の一つ上を行かれるため、下手をしなくとも負ける恐れのある強敵だ。


 しかし、レイの前に居るミラースライムは素人(レイ)を模倣している。


 一段上を行かれた所で、その段差を跨ぐのはさほど難しくは無い。


 そもそもミラースライムがエルフの修練所の第一階層という浅い階層に居る理由がそれだ。ミラースライムは冒険者がふいに遭遇すれば強敵だ。だけど、最初からどんなモンスターが居て、どんな能力を持っており、どうすれば勝てるのか攻略方法があればさほど脅威では無い。


 詰まる所、修練所のミラースライムは初心者・・・の教本に過ぎない。エルフの戦士がある程度の基礎知識を習った後に、最初に戦うモンスターだ。戦いを通して、現段階の自分の理想的な動きを見て学び、同行者の戦いから自分の弱点を学ぶ。


(振り下ろしからの薙ぎが来るな)


 レイの読み通りミラースライムはファルシオンを縦に振り下ろしつつ、途中で軌道を変えた。レイはそれを手甲で受け止めると滑らかな動きで刃を払う。それは初日からでは想像できない動きだった。がら空きになった脇に目がけて振るったレイのファルシオンは相手の柄尻によって受け止められてしまう。両者は態勢を立て直す意味を込めて一度距離を取った。それでも一足で間合いを詰める距離。


 まるで鏡で合わせた様に両者の構えは同じだった。


 膠着状態にレイは内心で舌打ちした。《心ノ誘導》も互いに近距離で発動し合い、同時に攻撃を誘発させ、それを《耐久》で受け止めた結果、砕けた。《砕拳》を発動できる精神力はもう無い。それはミラースライムの方も同じだった。


 冒険者レイとして互いに持つカードをそれぞれ使い潰した形となる。


 彼の脳裏に懸念が二つあった。


 一つは魔石の位置。モンスターの定義からいえば、体の中央付近にあるはず。しかし、ミラースライムがレイの形を真似しているため、果たして胸部がミラースライムの中央でいいのかが不明だった。


 もう一つはコピーされた《生死ノ境》の存在。魔石を狙った一撃を放てば確実に発動され、カウンターの一撃が放たれる。


 冷汗が頬を伝う。手負いのミラースライムが底なし沼の上で手招いているように錯覚してしまう。ここで修業を切り上げると言うのも選択肢の一つでもある。サファも言っていた。帰還用の魔方陣はモンスターとは無関係だと。


 だけど。


「……逃げたくはないよな」


 自然と、本音が口を突いた。


 レイは戦いを重ねるごとにミラースライムが模る自分を、弱い自分と重ねていた。隙あらば、夜毎に自分を詰る『黒い影』。生き残ってしまった事への罪悪感。向き合うべき自分の弱さ。


 それを超えてこそ、修行の意味はある。そうでなければブーリンに頭を下げるよりも前にここに来た意味がない。


 レイはファルシオンを水平に構えると、精神力を纏わせる。そして、体ごとぶつかるかのような鋭い踏み込みをして、レイはファルシオンを突き出した。


 瞬間。


 それは不自然な動作のように起きた。


 ミラースライムは滑らかに、まるで滑るようにするり、と刺突を躱した。《生死ノ境》が発動したのだとレイは直感した。


 事実。それは正しい。ミラースライムは速度を失った世界でレイの刺突を躱し、躊躇なく踏み込み返した。刺突からの薙ぎ払いでは追いきれない、より内側に踏み込むと、下げていた剣先を持ち上げた。


 狙いはレイの太もも。移動速度を落とすのが狙いだった。レイの戦闘を真似する以上、即死に至る攻撃は避けられるのはミラースライムも読んでいた。


 だけど。


「僕がそうするのは、分かってるよ!」


 レイは叫ぶなり、即座に動いた。刺突の態勢のまま、片手を鞘へと伸ばした。腰に差した鉄製の鞘でミラースライムの一撃を防いだ。


 片手のまま普通に振ればミラースライムには防がれてしまう。そう考えたレイはミラースライムに背中を見せて回転をした。剣の重みによって片手でありながらも十分な威力を有した一撃が、ミラースライムに襲い掛かる。


 ざしゅっ、と。ファルシオンは銀色のレイの頭部を両断した。


 頭の上半分を斬られたミラースライムはぬるりとした断裂面を晒す。レイは自分の頭部が上半分を無くした姿に生理的な嫌悪感を抱きつつも、頭部に魔石が無い事を確認すると再び刺突を繰り出した。


 もう《生死ノ境》を発動する事は出来ない。


 レイのファルシオンは深々と胴体に食い込み。剣先に魔石が突き刺さっていた。確かな勝利の手ごたえを得てレイは笑みを浮かべようとして―――。


 ―――ぐにゃり。


 世界が歪んだ。文字通り周りの世界が潰れたかのように歪む。ミラースライムもコロシアムも、何より自分自身さえも歪み、姿がかき混ぜられた。


 そして、唐突な痛みと共に世界は元に戻った。


 ぐさり、と。


「―――え?」


 レイは自分の腹部を貫くファルシオンを呆然と見下ろした。ニコラスの胸甲を貫き、心臓を串刺しにした刃に血が幾筋も伝う。


 視線を上げればそこには頭部を両断されず、自分にファルシオンを突き刺したミラースライムが居た。


 その口元がニヤリと笑ったのを見て。レイの意識は闇に落ちて行った。


 ★


 目がくらむような白い光が全方位から投射される。全身をあらゆる角度から照らす光によって、地面に幾つもの影法師が並ぶ。


 その内の一体がむくり、と起き上がった。身構えようとすると、後ろから別の影法師が体を拘束する。あっという間に周りを影法師に取り囲まれると、彼らは一斉に攻撃を仕掛けた。


 全身を殴打されるにつれて光はますます強くなり、同時に影も濃くなっていく。輪郭がはっきりし、細部が形成されていく。


 それはまさしく自分だった。


 自分は自分に何度も何度も殴られ蹴られる。いつしか、自分が殴打されているのか、殴打しているのか。そんな境界すら曖昧になってしまった。


 ★


「―――っう!」


 レイはイタミで目を覚ました。見上げれば修練所を照らす水晶の山が飛び込んでくる。皮膚の下がイタミを訴えるかのように熱くなると、体に掛けていたコートを剥がす。


 すぐ傍の湖に飛び込むのを堪えたのは、持ってきた衣服が他にない事を覚える程度の理性が働いたからでは無い。


 イタミを上回る衝撃に身悶えしていた。


「―――アアアアア!」


 両腕で頭を抱える。まるで、脳味噌を擦り下ろされるかのような痛みが絶え間なく襲う。


 芋虫のように体をくねらせれば、激痛から逃れるのではないかという涙ぐましい努力だった。それをあざ笑うかのようにレイは嘔吐してしまう。朝食前だったため、胃液しか出なかった。


「……なんだ? ……なにが起きてるんだ!?」


 口の端から泡を吹きだしながらレイは頭の中に送り込まれる、いや、増える記憶・・・・・に翻弄される。


 レイの脳内では今、二つの記憶が同時に再生されていた。その記憶は初めこそ似たような物だったが、途中からおかしくなり、最後の結末がまるで違っている。


 一つはミラースライムにファルシオンを突き刺し、魔石を砕いた勝利の結末。


 一つはミラースライムのファルシオンに突き刺され、死んでしまう敗北の結末。


 脳の中で二つの記憶が同時に再生され、割れんばかりの激痛をレイに与えている。そんな中、レイは一つだけ確信していた。この痛みは死に戻りのイタミとは種類が違っている、と。


 経験則からいえば同レベルの存在に殺されれば、死に戻りの際のイタミは最小限になるはずだ。実際、目が覚めた時のイタミは今までの中で一番軽かった。


 しばらくして、やっとレイは芋虫の如き動きを止めた。息は荒く、口の端から涎が流れ落ち、目はどこか焦点が合っていない虚ろな姿だった。


「……つまり、これは……ミラースライムの《トライ&エラー》が発動した結果かよ」


 どこかで切ったのか、唇が動くと血が垂れた。レイはそれらを拭うと、記憶を整理させるかのように目を瞑った。


 レイの二つの記憶はどちらも実際に起きた事だった。


 ミラースライムは死んだことで《トライ&エラー》を発動させ、ある地点まで巻き戻すと、レイと勝負を繰り返し、今度は勝利の結末を引き寄せた。


 レイは勝利を奪われ、敗北を与えられた。その過程を余すことなく保存された記憶も押し付けられた。そして、彼は四日目の朝に戻ってきた。つまり、レイの勝利した時間軸を書き換えられたのだ。


「そうだよな。《心ノ誘導》や《生死ノ境》が発動するなら、《トライ&エラー》が発動してもおかしくは無いよな」


 レイは使われる側に立って、初めて時間が書き替えられた瞬間を味わった。レイが書き換えられる前の記憶を保持している理由は不明だが、《トライ&エラー》という特殊ユニーク技能スキルが互いに影響しているのかもしれない。


 現に、レイの中の記憶は次第に勝利した記憶が消えていく。新しい二十八戦目の記憶が鮮明になっていく。


 レイがコロシアムに姿を見せるとミラースライムは《水面ノ月》を発動させた。無機質な銀色の自分は、突然ぶるりと姿を震わせた。記憶の中のレイはそれを警戒してはいたが、深く考えずにいた。


 今なら分かる。あの瞬間。レイのステータスをコピーした瞬間に合わせるように戻ってきたのだ、と。


 戦闘が始まれば状況は一変した。レイが勝利した二十八戦目は一方的とまでは行かないが、互角に戦えていた。だけど、レイが敗北した二十八戦目は逆だった。


 記憶の中のミラースライムは記憶の中のレイを完璧に上回っている。死に戻る事で戦いの流れを知っているからなのか、終始攻め続け、レイは成すすべなくファルシオンの刃に貫かれた。


「勝ったら敗北するなんて、どんなムリゲーだよ!!」


 心の中で一方的に誓った《トライ&エラー》の封印を破らされたことに腹を立てていた。彼はやおら立ち上がると、苛立ちを晴らすように手近な木を殴りつける。二度三度と揺れ、果実が頭を直撃するとようやく動きを止めた。


 痛む頭で如何するべきかと迷っていた。


「一応、ミラースライムは倒したことには変わりない。自分の戦闘技術も上がった。最終日を前にして帰ろうと思えば帰れる……だけど」


 レイの心の中ではしこりの様に何かがレイの心に抗っていた。


 何とも形容しがたい感情が帰ろうとする理性を押しとどめる。


「ああ、くそ! こんなもやもやした状況で帰れるかよ!!」


 レイはミラースライムが模る自分の姿を、弱い自分と見做していた。弱い自分を倒すことで心身ともに強くなろうと目標を定めていた。


 それをこのような形で終わらせていいのか、と。


 しかし、勝った瞬間に敗北が決まってしまう相手にどうやって戦えばいいのか、レイは答えを出せずにいた。何かヒントになる物は無いかと、負けた二十八戦目を繰り返し思い出して―――一つ、気づいたことがあった。


 ミラースライムの動きが良くなっていた。


 戦闘の流れが変わったからだけじゃない。あからさまに動きに冴えが増しているのだ。レイがようやくたどり着いた階段を更に一段、上をいかれた。


「《トライ&エラー》で死に戻った事で、アイツも動きが良くなっているのか?」


 言ってしまえば、記憶の中のミラースライムは敗北から学び、成長したのだ。レイは頭を掻きむしると手早く朝食と弁当を作り、身支度をしてコロシアムへと急いだ。


 内心では自分の行動に呆れかえってもいた。例えやり直されたとはいえ一度は勝ったのに、もう一度戦うのか、と。『黒い影』が囁く。


「……強くなったミラースライムを倒せないでこのまま帰った所で、強くなったとは胸を張れないよ」


『黒い影』に呟き返すと、レイはコロシアムへと舞い戻った。そこにはまるでレイを待っていたかのようにミラースライムが居た。


 足を踏み入れた瞬間、《水面ノ月》が発動し、ミラースライムの体が変化した。すると突然、銀色のレイは体をぶるりと震わせた。その姿を見てレイは、ミラースライムが死に戻ってきたと悟った。レイの中ではすでにぼやけてしか思い出せない勝利した時間軸から来たミラースライムだ。


 いま、レイの居る時間軸は死に戻ったミラースライムに殺されて終わる時間軸である。そのため、日を跨ぐ前に両者が出会えば、記憶を引き継いでいるミラースライムが出てくるのは当然である。


 ミラースライムはレイに敗北した記憶を持ち。


 レイはミラースライムに敗北した記憶を持つ。


 故に互いに言葉は無く、駆けだした両者はリングの中央でファルシオンを鋭くぶつけ合った。



読んで下さって、ありがとうございます。

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