4-33 ミラースライムⅡ
コロシアムを円形に囲う建物の一角。
レイとミラースライムの戦闘の結果、大きな穴が開いた。元々二階建ての建造物は、二階部分の外壁が砕け、床もレイが落ちた衝撃で全面が抜け落ちた。
もくもくと上がっていた粉塵は散り、上から見れば瓦礫の小山が積もっている。
がさり、と。
山の頂点部分が崩れると、合わせて雪崩のように瓦礫が崩れていく。中からもがくように両腕が突き出され、瓦礫を掻き分けた。
「死ぬかと思った!!」
絶叫と共に這い出したレイは、まるで水面から飛び出したかのように荒い呼吸を何度も繰り返した。顔や腕に青々とした痣を作っている。
あれだけ一方的にやられた割に、重傷を負った様子は無かった。自分の姿を模ったミラースライムが手加減をした訳ではない。ミラースライムがコピーしたのがレイの能力値だったのが幸いした。
彼の能力値を一言で表すと、やたら硬いのだ。
もちろん、枕に『このレベルにしては』が付くが、レイの耐久力は攻撃力を上回っている。それに加えてエトネとの戦闘の経験が生きた。素手の敵を相手にして、微妙に芯を避けようと体が反応していた。
それでも数を受けた為、痛みはあり、二階から落ちれば衝撃で気も失う、ミラースライムとの戦闘が終わってから三十分程経ってから意識を取り戻した。すでに近辺にミラースライムの姿は無かった。
瓦礫の山から脱出したレイは自分の体の状況を確認した。全身隈なく痛みと熱を発しているが、骨折などの動くのに支障が出るような傷は無かった。だが、問題もあった。
「あーあー。べっこりとまあ、へこんでやがるよ」
ニコラス作の胸甲がミラースライムの最後の一撃をもろにくらった影響で、こぶし大の大きさに陥没していた。裏側から叩いて出っ張りを潰すことで面を元に戻せたが、この修行を終えたら一度修理に出す必要がある。
レイは他の装備品の破損具合などを一通り確認すると、周囲の状況を確認する。レイが落ちたのはコロシアムを形成する、建造物の二段目の上からだった。ぽっかりと空いた穴から光が注がれることでスポットライト当てられたかのように明るかった。
しかし、前後左右の小部屋は反比例するかのように暗く、静かだった。レイは落ちた時の状況から、周囲の小部屋の正体を推察した。
(すり鉢状に建物が並んでいる。僕が落ちたのが二階建ての建造物。外側に広がっていけば、三階建て四階建てが。逆に内側に向かえば一階建ての建物のはず)
ちらり、と視線を前面に滑らせば、暗闇の小部屋の向こう側にぽっかりと光の穴が開いている。穴の向こうにミラースライムと遭遇した円形のリングがある。
(つまり、あっちが内側で、左右の小部屋は此処と同じ二階建ての建造物。そして後ろが三階建ての建造物か)
レイは前と左右を見てから、否定するかのように首を振った。
(移動するにしても、前は無いな。手も足も出なかったミラースライムに無策で挑めば、今度こそ死ぬかもしれない。かといって左右に行くのも気が進まない。少なくともアイツは二階建ての建造物の上まで来ることが出来た。コロシアムに着いた時もアイツは建物の中から姿を現した。だとしたら……ここはやっぱり)
レイは嘆息すると、瓦礫の山を降りて後ろの小部屋の方に近づいた。何処までも暗い深淵が広がっている。一度目を瞑る事で闇に慣れてから慎重な足取り進む。
片手は埃を吸い上げないように手と鼻を覆い、空いた片方の手は闇の中を掻き分ける杖の代わりだ。壁伝いに半周する頃になってようやくレイは目的の物を見つけた。
それは階段だった。先程の天井の穴が開いた小部屋にも階段はあったため、あると踏んでいた。
レイは手すりに従って階段を上り、三階建ての建造物の二階部分に辿りついた。
暗闇の小部屋はぽっかりと空いた穴から差し込む光がやけに輝いて見えた。レイは光に吸い寄せられる虫のように穴に近づいた。そこは穴では無く、隣接する部屋同士を繋げる境目だった。
だったと過去形なのは、その隣接する部屋が無くなり、床が抜け落ちていからだ。レイは先程自分が開けた穴を今度は上から見下ろしていた。
「まったく。僕の戦技をあんな風に使うなんて。思いもしなかったよ」
《心ノ誘導》と《砕拳》の合わせ技にレイは脱帽していた。足場を崩すと言う発想が無かった。落下現場を上から覗くのを止めて振り返った。窓よりも広い穴のお蔭で平屋の中がある程度把握できた。
平屋の中は空っぽだった。むき出しの床板に、厚く積もった埃がへばり付いている。レイが踏み荒らした足跡だけがくっきりと残っている。
上下階に続く階段しか無い。生活感どころか、生き物がいる形跡すら無かった。
(アイツはこの辺りを根城にしている訳じゃないのか?)
しかし、早合点は禁物である。ネーデやアマツマラの迷宮でレイは幾度もスライム系のモンスターとは戦った。彼らの特徴の一つに、粘着質な体があげられる。
じわじわと染み出すような体液で体をどんな場所にでもくっつけることが出来る。人の死角になる天井付近に待ち構えるのもザラである。
探索し甲斐の無い空っぽの部屋を後にして三階へと向かった。そして、小さな窓から差し込む光を頼りにさらに上に向かう手段を探した。
レイは見つけた梯子を上って木蓋を押しあげて三階建ての建物の屋上へと上がった。
新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだレイは上からコロシアムを一望する。円形のリングは先程の戦闘なんて無かったかのように静かだった。目を皿のようにしてミラースライムの痕跡をレイは探した。
(切り落とした腕は……無いな。回収したのか?)
三階の屋上部分を渡り歩きながら、角度を変えて目を眇めて丹念に探した。遠くからでははっきりとは分からなかったが、やはり右手首とファルシオンは姿も無かった。
「あのスライムは体の結合が出来るのか。……でも、僕のステータスをコピーした状態だと失った右手は再生しなかった」
屋上の端に腰を掛けると、先程の戦いを振り返りつつ、分かった情報を覚えるために意識的に声を出した。そうする事でより深く刻み込める。
「コピーしたのは姿形だけじゃなくて、レベルを始めとしたステータス全般。戦技や技能も使った所を見れば、たぶん《生死ノ境》や……まさか《トライ&エラー》もコピーしているのか?」
想像したくない可能性に行きついて、レイは顔を青くさせた。
「……どっちにしろ、致命傷どころか、かすり傷も付けられない現状でこの二つを考慮する必要は無いな。ステータスをコピーする一方で、技量は向うの方が上だ。剣の振り方、足捌き、咄嗟の時の動きや判断。全部で上を行かれてるな」
レイはファルシオンを抜くと、何もない空間を薙ぐように振った。重量のある剣だからか、その軌跡は緩く鈍い。それゆえレイは重さを利用した振り下ろしを多用していた。しかし、敵は同じステータスに同じ武器でありながら、一振り一振りが的確で鋭い。そのわずかな差が積もり積もってレイは追い詰められて、《生死ノ境》が発動した。
「確かに、今の自分よりも確実に強い相手を倒せるようになれば、確実に強くなったと言えるよな」
サファの言葉の意味をレイはおぼろげに理解し始めた。
「こうなったら、何度も挑んでアイツを超えないとな。セーブポイントも出来た事だし、死んでもやり直せ―――」
硬直。
口にしてからレイはばたりと倒れこんだ。
しばらく呆けたかのように動かないでいると、自分の額に向けて拳を振り下ろした。一度、二度、三度と。手甲を嵌めた拳は額の皮を破り、血が滲んでいた。
「なにを言ってるんだ、僕は。……死んでも戻れることに慣れきってんじゃねえよ」
低い声で自分を諫めた。
「赤龍戦からこっち、如何も麻痺してたな。くっそたれ」
《トライ&エラー》。死んでも巻き戻せる力。
確かに便利な力だ。死ねば何もかもリセットされる。
それに甘えていた。心の底で、死ねば戻れると常に考えてしまい、安易な行動に出てしまっている。それがブーリンに向かって飛びかかるなんて後先考えない事に繋がったのだ。
「これは一度、性根を据えて向き合うべきだな」
レイは覚悟を決めた様に呟いた。そして、大音声で叫んだ。
「僕はお前を倒すのに! 絶対に《トライ&エラー》を使わない!! たとえ何度負けても、どれだけ大怪我をしても、絶対にやり直さない!!!」
無人の街にレイの声が幾重にも重なるように響いた。これはレイ自身の宣言だった。
むくり、と起き上がったレイはふと見下ろした円形のリングに銀色の光が蠢いているのを発見した。咄嗟に、上体を捻って屋上に腹這いに寝そべった。
「アイツだ! 叫び声に反応したのか?」
レイは身を低くしてスライムの動向を探る。あからさまな目や耳を持たないスライムがどうやって獲物の存在を知覚しているのか不明な以上、警戒しすぎに越したことはない。
銀色のスライムはリングの中央まで這うように進むと告げた。
「《■■■■、■■■■■■》!」
レイは身を固くした。スライムの触手から放たれた光の環がコピーの前触れだと知っていたからだ。円形のリング一杯に広がった輪は、幸運にもレイの居る場所までは届かなかったようだった。
十秒、二十秒と時間が過ぎてもスライムに変化は無かった。
銀色のスライムは納得したのか、リングを横切って建物の中へと消えていった。レイは強張っていた筋肉をほぐす様にため息を吐いた。
どうやら、あの光の輪の有効範囲はリングの内側で限界の様だった。
レイはごろりと仰向けになると今後の方針を決めようとして、ある事に気づいた。曲面の天井にびっしりと生えた水晶の輝きが先程に比べて薄くなっていくでは無いか。
慌てて起き出したレイは周囲を見回して嫌な予想を呟いた。
「もしかして、この迷宮の中にも昼夜があるのか? このままだと夜に突入するんじゃないだろうな!?」
果たして、それが正解なのかどうかをレイが確認する余裕は無かった。なにしろ、食料や道具を持ち込めずに修練所に来てしまったのだ。どれぐらい明るさが落ちるか分からないが、夜になってからそれらの準備をするのは難しい。
レイはコロシアムの切れ間の傍の建物まで走り、大急ぎで梯子と階段を駆け下りた。武器の茨道へと飛び込むと、一度コロシアムのリングに振り返った。両側の建造物で遮られたリングの向こうでぎらり、と銀色の輝きが見えたような気がした。
「絶対に、《トライ&エラー》無しでお前に勝ってやるからな」
呟いた挑戦状を受け取ったように、ミラースライムは体を蠢かした。
レイは大急ぎで森を突っ切り湖の方へと出た。修練所に向かう前にサファの、必要な物資は現地で手に入る、との言葉を思い返していた。
現地で手に入ると、断言していた以上、その場所は一目見て分かりやすい場所のはず。少なくとも、同じような平屋で構成された、迷宮のような街や鬱蒼と生えている森の中には無いと判断した。
高台から見た光景から推測すると最大の後方は修練所の半分を占める湖の傍だ。レイは湖の方を探索する。
果たしてその場所はすぐに見つかった。
湖の傍にポツンと掘っ立て小屋が立っている。傍には桟橋があり、小舟が打ち上がっている。
レイが小屋の中に入ると、入れ違うように大小さまざまな虫が外を目指して逃げ出した。虫の川が通り過ぎてから中を覗くと、予想とは違った内観に驚いた。
掘っ立て小屋の中は取り立てておかしなものは無かった。フラスコや砥石などが無造作に置かれた作業机に、壁には工具などがつるされ、空いたスペースを埋めるように戸棚が置かれている。
驚いたのは中が綺麗に掃除されていた点だ。多少の埃などはあるが、無人の街とは違い確実に人の手が入っている。
「さっきの虫たちが掃除していた、という訳じゃ無ければ、人の出入りが行われている場所だ。もしかしたら、使える物資があるかもしれない」
レイの読みは当たっていた。
戸棚の引き出しを開ければ、武器の手入れ用の油や布。釣竿と疑似餌のセット。火おこしの道具と調理器具として鍋やナイフに、塩を始めとした調味料が置かれていた。どれも使用には問題ない。
「やっぱりこの修練所はエルフの食糧庫的な扱いも受けているのかな……何だこれ?」
他に使えそうな物が無いかと探していたレイは、作業台の引き出しから一冊の本を見つけた。表紙も何もない、手製の本だ。
何気なくページを捲り―――絶句した。
本を落とさない程度の冷静さがあった事を自分で褒めてやりたいほどだった。
そこにはコロシアムに居たモンスターの名称や特性などが大雑把に書いてある。それ以外にも、この地で取れる食用の果実や魚。小動物などを捕まえる罠の作り方。更には森に生えている薬草からポーションを作るやり方が図入りで記されていた。
―――全て日本語で。
レイは全部で二十ページしかない本を震える指で捲り、最後に書かれた一文を声に出した。
「『この地を訪れた後輩に、ここでの過ごし方の一端を伝える。これを読める後輩に幸あれ。追記。エルフにアオザイはマジでくるよな。安城琢磨』……アンタの趣味なんかどうでもいいんだよ!」
思わず破り捨てたくなるのを必死にこらえた。何度か荒い息を吐いてから、本を作業台に置いた。
「この本は『冒険の書:修練所版』って訳かよ。……それにしても、これで確定だな。エルフと安城琢磨……いや、冒険王エイリークは繋がってる。……問題は彼の事を異世界人だと知っているかだよな」
レイはしばらく頭をひねってみたが、判断材料が無い為結論は出せなかった。それよりも窓の外の明かりが落ちていくのを見て、慌てて外へ飛び出した。
それから三時間。魚釣りと果物採集と薬草採集と火おこしと調理を一人で済ませたレイは、疲労から地面にへたり込んでいた。
「う、動けん」
思い返せば、今日一日は様々な事があった。レッサーデーモンとの二度の戦い。サファと出会い一度は殺され、ようやくエルフの里に辿りついた。かと思えばブーリンからエトネを里に置いておけないと言われ逆上。あまつさえ戦技を発動しかけてしまう。そしてエルフの文化の端々に感じる日本人の影にサファへの弟子入り。そちらは断われたが修練所に送られ、ミラースライムとの戦闘に負けて、今ここに居る。
何とも濃い一日だった。
特にブーリンに向かって飛びかかったのは思い出すだけで赤面する。レイは自分の幼稚さに身もだえした。
あの時。
レイはブーリンを殺す気でいた。
どうしてそこまでの殺意を持ってしまったのか。こうやって暗くなり、水晶が生み出す偽の夜空を見ているうちに考え込んでいた。
「そりゃ、確かにブーリンさんの態度に腹は立ったよ。あの年頃の子供が、あんな危険な森で必死に生きて来たんだ。温かく迎え入れてくれない事に腹が立つのは……まあ、当然と言えば当然だよな」
だが、それでもあれだけの激情に至るはずが無い。
レイの中にエトネに対して憐憫の情を感じる事はあっても共感を抱くことは無い。記憶の中の両親は健在で、御厨玲は天涯孤独というわけでは無い。
なのに。どうしてあれほどの怒りを抱いたのか。
「わかん……ない……な……」
次第にレイの意識は微睡み始める。日中の疲労から体が休息を求めていた。
レイは抗う事もできずに眠りについた。
―――すぐにここが夢だと分かった。
何故なら。
「グルウウウウウ!! ガアアアアアア!!」
赤龍が咆哮を空に向けて放っているからだ。
レイの意識は夜のアマツマラに居た。街の中腹から赤龍を見上げるように立っている。両側の建物が業火に飲まれるのに、肌は一切熱くなかった。
業火に向けて手を伸ばすが火に触れる事も出来ない。やはり夢だ。
レイは伸ばした手をそのまま下ろそうとして―――。
―――がしり、と。
強く握りしめられた。
「……え?」
万力のような力で掴まれたレイは呆けた様に自分を捕まえた手を見つめていた。業火の中から伸ばされた手は、元の皮膚の色が分からない程焼け爛れ、炭化していた。性別も年齢も種族も分からない。辛うじて人の形をした手だった。
「……許せない」
掴む手を払いのける事も出来ないでいたレイに向けて、地獄の向こうから響く様な声がぶつけられた。顔を上げると、業火を掻き分けるように人が現れた。腕と同じで全身を火に食い破られ、辛うじて人の形をしたそれは、再び怨嗟の声を上げた。
「許せない」
がしり、と。
再びレイの腕が別の手に掴まれた。あっという間にレイの腕は業火の中から伸びる腕に絡めとられる。いや、すでに腕だけでは無い。いつの間にか囲うように広がった業火の中ら幾本の腕が伸び、レイの四肢を掴んで離さなかった。
「許せない「許せない「許せない「許せない」」」」
怨嗟の声は山彦のように反響して何度も繰り返される。業火の向こう側に影法師のような人影が蠢いている。
「何が……何を許せないんだ、アンタらは」
レイは際限なく繰り返される声に対して叫んだ。すると、怨嗟の声はピタリと止んだ。代わりに、どこからか、くぐもった声が放たれた。
「お前が生き残った事が許せない」
「それは! ……それは」
何も言い返せないレイは力なく言葉に窮した。再びくぐもった声はレイを糾弾する。
「お前が見捨てた事が許せない」
「お前が救えなかった事が許せない」
「お前が何もしなかったのが許せない」
「お前が英雄と呼ばれていることが許せない」
放たれる糾弾の刃は的確にレイの心を貫いていく。彼は耳を塞ぎたかったが、四肢を掴まれているので叶わない。せめてこの夢を見たくないと思い目を瞑った。
だけど。
「見ろ」
言葉と共にレイの瞼は後ろから伸ばされた手によって開かれた。彼の目が業火の中で苦しむ人たちの顔を捉えてしまう。
「あれはお前が救えなかった、救わなかった、見捨てた命だ。《トライ&エラー》という過ぎた力を持っていながら、助けなかった命だ」
「そんな事! 言われなくたって分かってる!!」
後ろから聞こえるくぐもった声にレイは叫び返した。だけど、くぐもった声はなおも続けた。
「そして、アレもお前の救えなかった命だ」
声が告げると、目の前を覆うかのような業火が消え、場面が切り替わった。鬱蒼と茂る森の中。そこには何故かエトネが居た。そして、エトネを護ろうとする人影が居た。
「あれは……まさか」
「あれも、お前が助けられなかった命だ」
レイの目の前で人影はモンスターたちによって殺されてしまう。同時に森も業火も腕も消えた。レイの周りは光を通さない深淵が広がっていた。がくり、と膝をついたレイは徐々に自分の意識が落ちていくのを感じていた。目覚めの時が近い。
せめて後ろの存在の顔を見ようとして振り向き、絶句した。
そこに居たのは自分の影だった。ミラースライムのような銀色はしておらず、黒い塊がふんぞり返っている。
それが意味することを理解しながら、レイの意識は落ちた。
「――――っううう!」
レイは飛び起きた。口からは嗚咽が零れ、両目の端から涙がとめどなくこぼれ落ちる。心臓が壊れるのではないかと思うほど、激しく鼓動する。
「そうかよ……そういうことかよ!!」
嗚咽まじりにレイは呟いた。
夢の中で聞こえた声は、紛れも無く自分の声だった。レイが目を反らしていた罪悪感を影は指摘していたのだ。
レイの罪悪感。それはスタンピードという災害を前にして何もできなかった事だ。たしかに、彼は赤龍を退治するのに一役買った。だけど、それが何になる。それまでに失われた命の数は膨大で、取り返しのつかない事だ。
もし、もしも。レイが《トライ&エラー》の存在をテオドールやオルドに知らせていれば。シアラの《ラプラス・オンブル》で見た未来を伝えていれば。赤龍の被害を減らせたのではないか。それどころか、もっと違った形でスタンピードを終らせられたのではないか。
レイは赤龍戦が終わってからその事から意識を逸らしていた。その証拠が『薬草採集』のクエストを受けた事だ。何故、退院してすぐに街を離れるクエストを受けたのか。それは見たくなかったからだ。
街の至る所に残る、戦火の傷跡から視線を逸らしたかった。人々の傷ついた顔を見たくなかった。アマツマラから一刻も早く逃げたかった。リザ達に尤もらしい理由を告げて、自分すら欺いてアマツマラを出た。
そして、彼はエトネと出会ってしまった。
親を亡くしたハーフエルフの少女。彼女もまたスタンピードの被害者だった。レイがエトネに付き従ってエルフの隠れ里を探そうと尽力した理由はまさにこれだった。
「もしかしたら。……あの時、何かをしていれば、スタンピードの結末はもっと変わっていたかもしれない。森に敗残兵が逃げ込むことも無く、全滅したかもしれないんだ」
エトネの境遇を聞くうちに、レイは無意識でその事に気づいてしまった。だからこそ、今度は彼女を助けたいと強く願っていた。
なのに。
ブーリンが、エルフという種族が生き残った彼女に救いの手を差し伸べないと告げたあの時。自分の無力さを思い知ったのだ。《トライ&エラー》ですら覆せない現実に打ちのめされ、それに怒りを、殺意を抱いた。そして怒りの矛先を、現実を象徴するブーリンに向けていた。
これが、ブーリンに対して抱いた感情の正体だった。
「何のことは無い。……僕はまだ、赤龍やスタンピードの事を引きずっていたのかよ」
サバイバーズ・ギルト。
大規模な災害や凶悪な事件などを経験し、生き残った生存者が抱く罪悪感。
レイの心に残った爪跡は、深く、鋭く、いまだに血を流す。
読んで下さって、ありがとうございます。




