4-23 意外な人物
治療も終わってエトネが起きた後、朝食を食べ終えたレイたちは村を後にする。前回と同じように、詫び賃とメモを残し、向かう先はエルフの剣士が待ち構えている処刑場だ。
前回と打って変わって足取りは重く、彼らを取り巻く空気は鉛のように重たかった。
重傷者一名と軽傷者二名を抱えた状況で森を脱出するのは危険である。しかし、それを軽く上回る、より危険な存在と遭遇しに行くというプレッシャーが足を重くする。
いくらシアラがエルフの隠れ里が剣士の……彼女の言葉を借りるなら『守護者』の向こう側にあると言われても、不安ばかりがレイの胸中で泡のようにはじける。
(どうやって交渉しようか。……シアラの言葉通りなら、武器を持たないで相対した方がいいだろうけど、それでも上手く行くかどうか分からない)
レイは頭の中で『守護者』との対峙した時のシミュレーションを繰り返す。しかし、どうやっても殺される未来しか見えてこない。
武器を抜いていたから殺された、と説明されたが、それで納得できる話では無い。
どれだけ考えても、人をモンスターと区別なく処理できる人間がいる事がレイには想像できない。エルドラドに来て、善人とも悪人とも出会った。人を虫けらのように殺せるゲオルギウス。目的の為なら誘拐も辞さない頭領と呼ばれた老人。
どちらも極悪人と呼ぶにふさわしい人物だ。
それでも、彼らには彼らなりの信念に近い物があったように感じられた。譲れない一線のような、明確に言葉に出来ないけど、確かな物を彼らは持っていたはずだ。
それは『岩壁』のオルドも、『銀狼』のテオドールも、アイナも、出会ってきた様々な人たちはみんな似たような物を胸の内に抱いている。
なのに。
あのエルフの剣士からそれらを一切感じなかった。
あまりにも短い接触だったが、それでも何一つアレを理解できなかった。
言うなれば、機械と遭遇したのだ。ボタン一つで決められた命令をこなす、意思無き存在。ゆえに、モンスターも人も区別することなく殺した。
反射で人を殺せる存在。
(そんな奴と果たして本当に会話が出来るのだろうか。……ああ、くそ。考えれば考えるほど、不安が増すよ)
胸中に溜まった澱のような不安をため息と共に吐き出すと、先導役を務めていたエトネが止まった。
鼻をひくつかせると、すぐさま摘まんだ。そして眉を顰めて嫌そうに告げた。
「くさい」
続けて、一言。
「ちなまぐさい」
その言葉に、エトネを除いた四人に緊張が走った。咄嗟に武器を抜きたくなる衝動に駆られるも、シアラの言葉を思い出して手を止める。
「……エトネ。その匂いは近いのか?」
務めて、レイは優しく問いかける。返事は知っているが、心を落ち着かせるためにも、あえて同じ質問を投げかけた。
エトネは前回と同じく、首を縦に振った。
「……そっちからレッサーデーモンの匂いがするのか?」
これまた同じ質問を投げかけて、同じ返事をレイは貰った。すると、レイは前回に無かった質問を投げかける。
「この道を真っ直ぐ行けば、辿りつけるんだよね」
リザ達は不思議そうにレイを見つめる。なぜ、そんな分かり切った事を尋ねているのかと視線には込められている。事実、エトネが指し示した方向を真っ直ぐ行けば、目的地に着くことはレイも知っているはずだった。
何も知らないエトネは三度頷いた。
レイは一度、大きく深呼吸をすると、鞘に仕舞ったファルシオンを鞘ごと引き抜いた。
「……ご主人様?」
「預かっていてくれ」
訝しげるリザに向かってファルシオンを預けたレイは、そのまま鎧の留め具を外す。あっという間に、黒のインナーにズボンという簡素な出で立ちに戻った。
ニコラス製の鎧も、炎鉄の手甲も全て外した少年は告げる。
「この先は僕一人で行く」
「ご主人様!?」「ちょ、ちょっと待って!?」「……」
リザとレティが勢いよくレイの手を掴んだ。二人とも驚愕して、口が開いている。エトネも驚きのあまり何も言えずに居た。しかし、シアラだけがレイの行動の意味を理解して呟いた。
「死ぬのは一人で良いって意味?」
その言葉の真意を正確に理解するのに、リザとレティは数秒を要した。そして、理解するなり、形の良い眉が吊り上がり、目つきが険しくなる。
レイの狙いは単純である。死亡時のリスクを最小限に留めようとしていた。
一度に四人を殺せた『守護者』。
そんな危険な相手にのこのこと全員で会いに行く必要はない。仮に知り合いの可能性があるシアラだけを単独で行かせた場合。成功に終わればいいが、失敗に終わった場合がレイにとって厄介だ。
能力値の低下に加え、二度目の死に戻りのイタミにシアラが耐えられるかどうか分からない。
しかし、レイ一人が死んだ場合。
デメリットを上回って、メリットの方が大きいのだ。死に戻りのイタミの減少である。今回、意識が戻らなかった原因が、四人同時で死亡したのが原因なら、一人で死亡すればイタミの度合いは低くなるかもしれない。
そうなれば、レッサーデーモン戦にレイも参加できる。
そうなれば、全員の負傷や疲労を回避できるかもしれない。
危険な賭けではあるが、死に戻りという特性を最大限使った策ともいえた。
シアラはそこまでレイの思考を読んだうえで、レイに問いただした。
レイが観念したふうに頷くと、彼女は大きなため息を吐いた。
「主様の考えは分からなくも無いけど、それでも危険な事には変わりないわよ」
「……それぐらい、分かってるよ」
金色黒色の瞳がじい、とレイを見据える。頭一つ分小さいシアラの上目遣いはレイにプレッシャーを与える。事情を知らないエトネは二人の間でオロオロとしていた。
しばらくして、シアラが折れた。
「説得は無理そうね」
「シアラ!?」「シアラお姉さん!?」
リザとレティは抗議するような声を上げる。しかし、シアラは淡々と告げた。
「二人とも。離してあげなさい。……大丈夫。死の影は見えてこない。対処方法を間違えなければ、主様は死なないわよ」
《ラプラス・オンブル》で見た内容を告げられると、二人はしぶしぶ掴んでいた手を放した。それでも一人で行こうとする主に向かって言葉を送った。
「お気をつけてください。相手は千の時を生き抜いた存在。……赤龍以上の存在と思い、接してみた方が宜しいかもしれません」
「……絶対、帰ってきてよね」
次いで、エトネがレイの服の裾を引っ張った。
「ほんとうに、いくの?」
レイが頷くと、エトネは言葉を続ける。
「でも、すっごく、すっごく、きけんだよ」
「……うん、そうだね。でも、この先にエルフの隠れ里があるかもしれないんだ。だから、怖くても行くしかない」
それでも不安そうな少女に向けて、レイは小指を差し出した。
不思議そうに小首を傾げる少女に苦笑を浮かべてしまう。死に戻った事で、あの時の出来事は無くなった。だけど、一方的だったが、結んだ約束はレイの中には確かに存在している。
「指切りをしよう。これは僕の国での約束を守る簡単な契約だよ。同じようにしてくれるかな?」
エトネはおずおずと、小さな指を立てた。レイは自分の小指と絡ませると告げた。
「絶対に、僕は戻って来るよ」
(そして、絶対に守る)
「ゆーびきーりげんまーん。嘘ついたら針千本のーます。指きった」
言葉の内容に面喰ったように萌黄色の瞳が見開かれる。やや、躊躇った後にエトネは繰り返した。
「……ゆーびきーりげんまーん。うそついたら針千本のーます。指きった?」
「うん。これで約束だ」
指を放すと、レイはリザ達に視線を送る。彼女らは頷くと、森の奥へと進むレイを黙って見送る。
重苦しい威圧感が四肢を絡めとる。不可視の鎖で縛られているかのように重く、体がこの先を進むのを嫌がる。
それを捻じ伏せて、レイは一歩前へと進む。
喉が渇く。頬を伝う汗が冷たい。視界が歪む。
命の危機に対して体が様々なシグナルを発信するも、全て無視する。
そして、ついに辿りついた。
圧倒的なまでの鉄錆び臭い血。
緑を塗り替える大量の赤い血。
屍となって転がる怪物達の血。
血、血、血、血、血、血、血。
視界に飛び込んだ、極彩色に脳が痺れる。一度見た光景でありながら、嫌悪感が胃の中を掻き乱す。息をすると、空気に交じった血の匂いが肺に飛び込む。気持ちの悪さで臓腑がひっくり返りそうになる。
しかし、ここで気圧されるわけには行かない。後ろへと下がりそうになった足を強引に前に持っていく。顎を上げて、前を見据えた。
屍の絨毯の上に居る男へと視線を向けた。
まるで枯れ木のような体に、着流しのような服を身に纏い、固く目を瞑り、生きているのかどうか、判別できないぐらい存在は希薄だ。
なのに。
視線は吸い寄せられるように、男から逸らす事は出来ない。佇むだけで、この空間を掌握していた。
レイは自らに残った勇気を振り絞って叫んだ。
「僕の名前はレイ! 冒険者です! 貴方はエルフですか!?」
木々を震わす大音声は男の所まで届いたはず。レイは相手の反応を確かめるべく、眼を皿のようにして見つめた。
だけど。
一分経ち。五分経ち。十分経っても何の動きも無かった。
赤い森はどこまでも静かだった。異界とかした空間に小動物は居らず、風すら立ち入るのを躊躇う。生きているのはレイと男だけで、レイの耳はがなり立てる自分の鼓動で塞がっている。
―――その時。どこかから、場違いな音が聞こえてきた。
鼓動に掻き消されるほどか細い音だった。聞こえたのが偶然と思えるほど、小さく、弱々しい。
レイはその音に耳を澄ました。
すぅ、すぅ、と。
規則正しい寝息が男の方から聞こえてきた。
「……」
レイは呆気にとられ、次第に状況をおぼろげながらに理解すると、屍の絨毯を突き進む。ブーツにモンスターの肉片や血液がこびり付くのもお構いなしに渡り、男の前に立つ。
「すぅ……すぅ……すぅ……」
男は寝ていた。それはもう、見事なまでに完璧なほど熟睡している。空間に漂っている威圧感は聊かの衰えも無い所からすると、眠りながら警戒態勢に入っていると、レイは戦慄と共に理解した。
しばし迷った末、起こすことに決めた。おっかなびっくり、男の細い肩に向けて手を伸ばす。
「……冷たい」
男の体は信じられないほど冷たかった。氷のような肌では無くて、本当に凍っているのではないかと疑うほどに冷たかった。
躊躇いながらも、レイは男の肩を揺すった。すると、やっと男の方に動きが現れた。石像が動き出しかのような音が関節からすると、男の顔が上を向き、萌黄色の寝ぼけ眼がレイを収める。
「……うーん? ……誰?」
もっともな質問である。レイは自分の胸に手を当て答える。
「冒険者のレイと言います。……貴方はエルフの『守護者』でよろしッ!!」
言葉は最後まで告げられなかった。
それはまるで、闘気の暴風だった。
枯れた木のような細身の男のどこに隠し持っていたのか見当もつかない程の威圧感がレイを襲う。今度はレイが石像になる番だった。
(う、動いたら死ぬ!!)
理屈も無く、直感で理解した。そしてそれは恐らく正しかったのだろう。男は不満げな表情を浮かべて、呟く。
「確かにエルフの『守護者』は俺の事だが……初対面の人間に言われる所以は無いな。……どうやってここまで来たのか知らんが、去ね」
男は一方的に告げると、柳のように細い手をレイの胸に当てた。そして、とん、と。軽く押した。
途端。
「くぅううう!!」
レイの体はあっという間に押し出された。まるで砲弾のように弾き飛ばされると、屍の絨毯を転がった。
(な、なにが起きたんだよ!)
軽く触れられた程度だったのに、体が後ろへと弾かれるのを堪えられなかった。幸運にも、どこも怪我せずに済んだレイは立ち上がる。だが、男は用が済んだとばかりに又しても瞼を瞑ろうとする。
「エルフを保護しました! あ、いや、ハーフエルフを保護しました!」
帰れと言われて帰る訳にもいかず、レイはとにかく口を開く。興味を引いたのか、男の瞼は寸前で止まった。
「彼女はエルフの隠れ里に行きたがっています。……貴方は里の位置を御存じでしょうか?」
「……知っているとも」
「なら―――」
「―――だが、教える気にはならない」
男の口調は重々しく、鋼鉄のような響きを持っていた。男は膝の位置を変えると、その上に肘を置いて頬杖をついた。
「童。お前が何者だろうと、ハーフエルフを見つけたと宣おうと、俺には興味が無い。俺の役目はエルフという種族の守護だ。……それ、さっさと去ね」
「帰りません!!」
レイは叫ぶと、一気に足を進める。足元で何かを蹴とばすが、構う余裕は彼に無かった。再び男の面前に立つと言う。
「その子は、まだ幼い少女です。父母を亡くし、行く当てもなく森で泣いていました。……彼女の縋れる場所は隠れ里しかありません。場所を教えて下さい」
「……童。これが最後だ。……早う、去ね」
「嫌だ!!」
―――瞬間。世界が速度を失う。
男の全身から放たれる高濃度な殺意の奔流だけでショック死しかねない。だが、レイとて、それぐらいの殺意は何度も浴びてきた。ゲオルギウス、赤龍。彼らと比肩しても見劣りしない殺意の前に微動だにしなかったのは、称賛に値する。
だけど、内心は死を覚悟していた。
殺意だけで《生死ノ境》Ⅰが発動するわけが無い。前回の時間軸と同じ、スローモーションの世界でも見えない攻撃が放たれたとレイは考えていた。同時にここで死ぬと理解した。
せめて最後の一瞬まで、目の前の石頭を睨むように瞼を見開いていた。
すると。
がきぃぃぃぃん、と。
鋭く、重く、鮮烈な金属音が耳朶を震わせる。
レイの視界は突如現れた、金色に覆われる。そして、世界が速度を取り戻すのと同時に、彼の体はまたしても後方に吹き飛ばされた。
しかし、今度は一人では無かった。金色の何かと共に弾き飛ばされる。屍の絨毯をもみ合うようにごろごろと回って、止まった。
(……生きてるし、……なんか柔らかいぞ)
視界は暗く、何か顔面に柔らかい物をレイは感じていた。思わず手でどかそうと掴むと、むにゅ、と。形が変形した。
「あぁん。おいたが過ぎるわよ。生き延びた途端に、人の胸を鷲掴みにするなんて、ね」
瞬間。
投げかけられた言葉に反射的に飛び起きた。すると、自分の下に横になっている妙齢の女性と目線があった。
まるで金を溶かしてから、一本ずつ形を作り直した絹糸のような金髪。切れ長の萌黄色の瞳の中に間抜け面の自分が見つめ返している。自分の手は豊満といえる胸元を押しつぶし、形を変えさせている。
顔も、これまたとても美しく、見た者の魂すら蕩けさせるほどだった。妖艶な笑みが口元に浮かんでいた。
レイの体はまるで凍り付いたかのように動きを止めてしまう。指先一本動かす事すらできずにいた。
すると、藪を掻き分ける足音が聞こえてきた。方角はレイが来た方向だ。それが意味する事を理解すると、足音が死刑宣告のように聞こえてくる。
「ご主人様! ご無事でッ!?」「ご主人さ……ま?」
最初に飛び出したのはリザとレティだった。シアラの言葉を受けて武器は抜かず、しかし鬼気迫る剣幕だった。だけどレイの姿を見つけると二人とも言葉を失った。
「……ふーん、へー」
遅れてやって来たシアラは金色黒色の瞳を細めると、何の感情も篭らない感嘆詞を言う。そして最後尾に現れたエトネの両目を塞いだ。
「なんで目をふさぐの?」
「ばっちぃ人が居るからよ。見たら目が腐るわよ」
「くさるの?」
「ええ、腐るわよ」
言うと、シアラは汚物を見たかのように視線を切った。すると今度はリザが硬直から解ける。冷え冷えとする口調でレイに問いかけた。
「……ご主人様は、一体、何を、なさっているのでしょうか? このような、場所で、女性を、押し倒す、とは」
言葉を区切る事で怒りの感情がありありと伝わってくる。
問われてレイは自分の状態に気づく。なるほど、確かに傍から見れば自分が女子を押し倒しているように見える、と。
身の危険を感じてばね仕掛けのように飛び上がり、女性から距離をとった。指が胸から離れた時に女性は名残惜しそうにため息を吐いたのが、余計にリザの怒りに拍車を掛ける。リザの額から何かが切れるような音が響く。
「いや、ちが、誤解で」
今日ほど口が回らない事は無い。レイは内心で大いに嘆いていた。
(なんで、死ぬか生きるかの瀬戸際でこんな浮気現場を見つかった夫のような心境に陥ってんだよ、僕は!?)
ある意味八つ当たり気味に倒れている女性を睨む。すると、あれと首を傾げた。
金色の髪に、萌黄色の瞳。アオザイに似たスタイルを強調させる服に長耳。パーツだけを拾っていくと、レイには飛び込んできた女性に心当たりがあった。
(ロータスさん? ……いや、でも違う?)
最初に浮かんだ女性の顔と目の前の女性は似ている。だけど、細部が違う。腰に挿してある双剣。顔にはメガネを掛けておらず、何より醸し出される雰囲気が決定的に違う。こんな異界でも妙齢の女性は何とも蠱惑的な雰囲気を放っている。彼女は笑みをたたえたまま、立ち上がると、髪に着いた肉片や血を手で拭う。
すると、リザが驚いたように声を上げた。
「貴女は……ロテュス様!?」
リザの言葉に記憶の蓋が開いた。精霊祭初日。今は瓦礫と化したアマツマラのギルド前に集まったA級冒険者の一人と姿が重なった。そして、ロータスと似ていて当然だった。彼女はロータスの母親だ。
「……A級冒険者。『双姫』のロテュス? なんで、そんな人が此処に?」
レイの呟きに、ロテュスは何も言わず、ただ妖しく微笑む。
読んで下さってありがとうございます。




