4-21 朝靄の来訪者Ⅱ 『後編』
リザの眼前に人の頭部程の太さの金棒が迫る。彼女は横にわずかにずれる事で攻撃を躱した。そのまま、足に向けて軌道を変えた一撃を、体を捻って飛び越える。俊敏な彼女ならではの回避方法だった。
彼女はレイのようにレッサーデーモンとは打ち合わない。正確に言えば、打ち合うことが出来ない。
レッサーデーモンと打ち合うなんて離れ業は、レイの能力値とファルシオンという武器の特性が組み合わせる事でどうにか可能な行為。リザのロングソードでは触れた瞬間、楊枝のようにぽきりと折れる。
《形態変化》によって剣の形を変える事で、一合二合と打ち合えるかもしれない。しかし、物体変化系の魔法は変化中ずっと精神力を消費し続ける。精神力の少ないリザは長時間の魔法の使用は出来ない。
すでに《風牙》を一発放っているため、それほど精神力は残っていない。攻撃する際に精神力をロングソードに纏わせることで攻撃力を上げているため、魔法を放つ余裕は無い。
それに加えてもう一つ問題がある。背後に控えているレティの存在が彼女の足を引っ張る。
本来、リザが強敵と正面切って戦う時のやり方は、高速移動からのヒット&アウェイ。相手の攻撃を速度で躱し、手数で相手を打倒する。
しかし、レティが背後に居るため、彼女の前から離れる事は出来ない。レッサーデーモンの意識が今はリザに向いているため、レティの安全が保たれている。下手に動き回れば、それもどうなるか分からないのだ。
好転しない状況に焦る。まるで泥の沼に体が沈むかのような息苦しさをリザは感じていた。
前回の時間軸ではレイがいる事で、どうにか膠着状態は保たれていた。しかし、彼はまだ目覚めていない。仮にリザ達が死ぬと《トライ&エラー》が発動するかどうかも分からない。
頼みの綱はシアラの魔法だった。
その時、まるで前回の焼き直しのように、シアラが颯爽と姿を現す。手に『氷の涙』を握り、屋根の上で詠唱を歌い上げる。
その音色に、リザとレティは勝利を確信した。
「《いま一度、この地に再臨―――》ッ!!」
だが、轟音が勝利を掻き消す。レッサーデーモンは屋根の上に姿を現したシアラに向けて金棒を放り投げた。砲弾のように放たれた金棒は屋根の一部を貫いて、シアラに迫った。
咄嗟に、少女は身を捩って躱した。しかし、それは屋根の上からの転落を意味する。受け身も取れず頭から地面に滑り落ちたシアラは鈍い音を立てた。そして、そのまま動かないでいた。
ぎくり、と。リザとレティは動きを止める。柔らかい地面とは言え、頭から落ちれば死ぬかもしれない。仮に、シアラが死んだ場合、戦奴隷の対等契約に従ってレイが。そしてリザ達が死ぬ。いつもならレイが死ぬタイミングで《トライ&エラー》が発動するが、レイ本人が意識を取り戻せてない以上、正常に発動するかどうかわからない。
二人は訪れるかもしれない死に身を固くする。だが、数秒経っても、一向に死が訪れる気配はない。硬直からすぐに行動に移ったのはレティだった。
姉の背中から飛び出すと、一直線にシアラに駆け寄った。今までは、レッサーデーモンが金棒を持っていたため、迂闊に動けなかったが、金棒が無くなった事で自由に動ける。飛び出しに反応してレッサーデーモンが素手のままレティの方に向かうのをリザが止めに入る。
無事にシアラに辿りついた彼女は呼びかける。
「シアラお姉さん!! 大丈夫!?」
シアラは呼びかけに応じる事は出来なかった。瞼は固く閉じられ、唇から呻き声が漏れる。逆に言うと、生きてはいた。レティは頭部を中心に《回復》の魔法を掛ける。
それで意識を取り戻すかどうかは分からない。しかし、シアラが目覚めない事には厳しい現状は変わらない。
レティは魔法を掛けながら、横目でリザの方を向いた。そこには息を呑むような光景が広がっていた。
「メェェェエエエエエ!!」
裂帛の気合の声を上げたレッサーデーモンが丸太のような腕を上げ、削った岩石のような拳を振る。
その速度はまさに暴風の如く。
その威力はまさに一撃必殺。
触れれば骨が折れ、内臓は破れ、即死しかねない一撃が、二つの拳から放たれ続ける。
リザは巧みなスッテプワークで攻撃を回避し続けた。後ろに庇う存在が居なくなった少女は檻から出た鳥のように自由自在に飛び回る―――なんてことは無かった。
金棒からの素手の攻撃の変化はリザにとって歓迎できない変化だ。
レッサーデーモンといえど、金棒を振り回すのは並大抵では無く、一撃一撃の威力の高さに比例して速度は遅かった。
しかし、素手の攻撃はリザにとって不利だ。攻撃の速度が一気に上がったのだ。リザは避けるのに専念しないといけなくなった。
確かに、金棒に比べれば間合いが狭まった。だけど、リザから攻撃できない以上、レッサーデーモンは防御をする必要が無い。無尽蔵なスタミナを使い、攻め続ける。
確かに、金棒に比べれば威力は弱まった。だけど、リザからすれば、一撃が致命傷になりかねないのは変わらない。
状況はこれっぽっちも好転していない。
むしろどんどん不利になっていく。回避に専念するといっても、限度がある。
左右の拳をまるで風に吹かれる木の葉のようにひらひらと躱す。しかし、徐々にではあるが、拳とリザの距離が縮まっていく。
また一つ。寸での一撃を躱したリザは宙を舞った。
その時。逆さまの視界でレッサーデーモンが嗤ったのをリザの青い瞳は捉えていた。同時に自分の勘が叫んだ。
―――失敗した、と。
証明するかのような一撃がレッサーデーモンの足から繰り出される。丸太を超えて石柱のような太い脚がリザに襲い掛かる。宙にて逆さに舞っていたリザは咄嗟に、精神力を左腕に全て注いで衝撃に備えた。
「―――ッ!!」
リザの視界に火花が散った。振りぬかれた一撃をまともにくらった少女の体は大地を跳ね、建物の壁を突き破った。そこは井戸近くの家畜小屋で、地面にひかれていた藁束にぶつかる事でリザは止まった。
衝撃で頭が揺れる中、リザはダメージを受けた箇所を診る。
「……ああ。やっぱり」
諦念した声と共に、遅れてやってきた痛みが左腕の状態を告げた。あらぬ方向に曲がった左腕は折れている。
じわじわと、熱と共にやって来る痛みが、意識を覚醒させる。
レッサーデーモンは家畜小屋に吹き飛ばされたリザと、家屋の間で治療を続けるレティの二人を交互に見据えた。そして、しばしの間を開けて動き出す。
より脅威となる方。レティとシアラの方へ。
レティは《回復》を打ち切ると《盾》を複数枚展開する。《半球ノ盾》を使わなかったのは精神力の関係だ。
どちらを使ってもすぐさま壊されるため、せめて数を展開できる《盾》を選んだ。
レティの予測通り、レッサーデーモンは《盾》をまるでカーテンを払うかのような動作で次々と壊していく。
しかし、その足取りは重い。脇腹を片手で押さえ、表情は歪んでいる。まるで痛みに喘ぐかのように息も荒かった。
その姿を見て、レティはレッサーデーモンの抱えている弱点を思い出した。
閉じた傷口。
内臓だけを損傷させて、傷口は何もなかったかのようにひっついている。どう考えても致命傷なのに、気にした素振りも見せずに戦っていたためすっかり失念していた。
レッサーデーモンにしても、素手の戦いは厳しかったのか、傷口の付近を手で押さえている。
だけど。
(弱点が分かっても、あたしには戦う術は無い!)
自分の不甲斐なさに歯噛みする。それでも死は歩みを止めず、近づいてくる。
レイも、リザも、シアラも。誰も止める事は出来ない。死が確定しようとしていた。
―――その時だった。
「《願い奉る》」
レティの背後で声が響いた。幼い声だ。しかし、強い意志を感じさせる、ハッキリとした声だった。
「《この身に祝福を》」
詠唱が紡がれる。レッサーデーモンはぎくり、とあからさまに動きを止めた。レティの方に向いていた視線をさらに遠くへと向ける。
「《出でよ、『カテギダ』》!」
瞬間。
村に莫大な魔力が吹き荒れる。背中越しにレティは理解した。背後で、誰が精霊を召喚したのかを。彼女の傍を風が吹いた。
それはエトネだった。
拳を握りしめた少女は萌黄色の瞳に恐怖を宿しながらも、真っ直ぐにレッサーデーモンへと迫る。
一撃、二撃。少女の拳はレッサーデーモンの体を殴打する。かつてレイに放った軽い打撃では無い。足を止め、体重を掛けた、渾身の一撃である。体格に似合わない、重い打撃はレッサーデーモンの肉に多少なりとダメージを与えた。
一歩後ろへと怯んだレッサーデーモンは、足を止めて攻撃するエトネに向けて拳を振り下ろした。しかし、岩石のような拳は何もない空間を貫いて終わる。
「おそい、よ!」
エトネはレッサーデーモンの背後に素早く回ると、背中を駆け上がり、後頭部に向けて足刀を叩きこんだ。ぐらり、と巨体が揺らめいた。
風の低級精霊『カテギダ』を体に降ろしたエトネの速度は格段に引き上がっている。特筆すべきなのは、停止状態からの最高速度への到達速度である。刹那の時間で最高速度に到達できるエトネの移動はまるで瞬間移動のようだった。
どれだけレッサーデーモンが拳を、脚を、その体を振り回しても追いつけない。
まるで陽炎のように姿が消えたり、現れたりしていた。
しかし、それでも状況は苦しかった。
エトネの《憑依》Ⅰは時間制限が当然のようにある。莫大な魔力が移動するたびに霧散していく。終わりの時間は近かった。
それまでにけりをつけたいと焦るエトネの耳に、叫び声が届いた。
「右の脇腹です!」
それはリザの声だった。エトネに振り返る余裕は無い。右の脇腹に何があるのかなんて分からない。それでも死力を振り絞って一撃を叩きこんだ。
ぐちゅり、と。
拳越しにも分かった。鋼鉄のような肉体なのに、この箇所だけひどく柔らかい。外皮の固い果実の中身が腐っているかのような気持ちの悪さを感じた。
効果は絶大だった。
「メェッッエ!!」
短い悲鳴と共に、レッサーデーモンの口から逆流した血が滝のように溢れる。加えて、エトネの一撃がきっかけで傷口の一部が開きだしている。
(なにがなんだかわからないけど、チャンス!!)
エトネはそう判断すると、最も自信のある踵落としを繰り出そうと飛ぶ。
―――だけど。相手は超級モンスター。
レッサーデーモンの濁った瞳がエトネを射抜く。同時に少女の上げた片足を掴む。
「っううう!」
そのまま振り上げられると、少女は地面へと叩きつけられそうになった。反射的に体を丸め、レッサーデーモンの腕にしがみ付くことで回避した。
しかし、万力のような手に握られていくと、エトネの足から異音がし始める。握られた足首に激痛が走る。
その間も、脇腹の傷口は広がり始め、中身が泥のようにあふれ出す。死が目前に迫っても、レッサーデーモンは攻撃の手を止めようとはしない。
振り回される中、エトネは死を覚悟した。だけど、後悔はそれほどしていない。
(勇気を……だして……良かった。これで……おとうさん、おかあさんに……むねをはって会える)
引き剥がそうと振り回される中でエトネは思わず笑みを零した。自分は逃げなかった、と。勇敢に戦えたと言えば、向うで父母に褒めてもらえると、子供ながらに思ってしまった。
「《器を満たせ》!」
苛立った声がエトネの思考を掻き乱した。
「なに、満足そうにしてんのよ、おちび!!《ファイアバレット》!!」
額から血を流し、四つん這いの状態でもシアラは起き上がる。詠唱を省略した彼女の杖から、炎の弾丸が放たれた。狙いはレッサーデーモンの顔面だった。
例え低級程度の威力の魔法でも、顔面に当たれば多少なりとも効く。レッサーデーモンは顔に纏わりついた炎を拭おうと両手を持ち上げる。必然、エトネは放り出された。地面を勢いよく転がるがダメージは軽傷だった。
レッサーデーモンは纏わりつく炎を自分の手の平で消火する。じゅう、と肉が焼ける音がするが鋼鉄のような肌はその程度ビクともしない。
顔から手を放したレッサーデーモンは、ぶすり、と。一撃を浴びた。見下ろせば、いつの間にか近づいたリザが、動く右腕だけを駆使してレッサーデーモンにロングソードを突き刺していた。
彼女が狙った場所は、右の脇腹。エトネが開いた傷口に向けて刃を滑らす。だけど、そこは既に内臓がぐちゃぐちゃになっている。痛覚も壊れているため、レッサーデーモンにとってダメージとはならない。
モンスターは無慈悲な一撃を放とうと拳を振り上げる。
だけど。
「《風牙》!!」
リザの攻撃の方が早かった。籠められた精神力が風へと変質する。ロングソードを取り囲むように風の刃が展開されると、リザは迷うことなく、解放した。
レッサーデーモンの体内で竜巻が吹き溢れた。出口を求めて風の刃が斬り進む。鋼鉄のような肉体は、内部までは鋼鉄では無かった。行き場を無くした風の刃は眼球などの柔らかい場所から飛び出した。
まるで洞窟から吹いてくる突風のように、レッサーデーモンのあちこちから《風牙》は飛び出していく。
途端。
リザは押し出されたように尻餅を突いた。二発の《風牙》と戦闘中の武器の強化によって精神力は底を付く寸前。精神力切れを起こしかけた彼女に立ち上がる気力は無かった。
「メ、メェエエ!!」
しかし、レッサーデーモンは最後の力を振り絞り、リザへと拳を振り下ろそうとする。
「お姉ちゃん!」「リザ!!」
レティとシアラは同時に駆けだそうとした。だけど、遠い。僅か数メートル足らずの距離が二人には果てしない距離に思えた。
「《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!!」
轟音が鳴り響いた。拳はリザに落ちずに終わる。
レッサーデーモンの拳が不自然な軌道を描いたのだ。リザに振り下ろされるはずの拳はあらぬ方向を向いて、大地に蜘蛛の巣のようなひびを走らせる。
リザ達が振り返れば、そこにはレイが居た。顔を青ざめ、汗を流し、家屋の壁に寄りかかる事でしか立てない程消耗しきった少年。
だけど、レイは目を覚まし、状況が分からないまま、技能を発動させた。
結果、拳はリザを逸れ、そしてレッサーデーモンは力尽きたかのように崩れ落ち、動きを止めたのだった。
読んで下さって、ありがとうございます。




