4-20 朝靄の来訪者Ⅱ 『前編』
ぐらり、と。視界が切り替わった。
途端。
全身をイタミの奔流が駆け巡る。意識を必死に繋ぎとめようとするも、それさえも食いちぎる獣のようにリザの体をイタミが襲う。
視界がちかちかと点滅する中、視線を彼方此方に飛ばす。自分が居る場所を、時刻を確認する。
ここは朝方に出発した家屋。目の前には調理中の野菜がまな板の上に並んでいた。つまり、朝の時点に戻されたのだと頭の隅で把握した。
《トライ&エラー》によって巻き戻ったのだ。
おそらく、レイの起床した時間だろうとリザは推測した。
「でも……戻ったのは、分かったけど、どうして、戻ったの?」
イタミに喘ぎながらも、リザは記憶を辿る。死に戻りの最中に見る、地獄を通り過ぎて、最後に見た光景を引きずり出す。
赤い森に迷い込んだ。
何処に視線を向けても、鮮血が飛び散り、空気すらも赤い空間。あそこはモンスターの処刑場だった。それも、上級どころか超級モンスターの死体がごろごろと積み上がり、まるで赤い絨毯がひいてあるかのようだった。
その屍の絨毯の上で座る、処刑人を見た瞬間。記憶は途切れる。
「あれは……あれが私たちを殺したの?」
信じられないといった風にリザはポツリと呟いた。
どれだけ記憶を辿っても、殺される瞬間だけが思い出せなかった。胸元に鋭い一撃を浴びた感触だけは色鮮やかに残っている。いまだに燻る感触が致命傷だと告げる。アイアンライノーに吹き飛ばされ、死んだ時と同じ、絶望的な死の感触が彼女の中で一致した。
しかし、処刑人との距離は幾らかあった。リザが技能を使っても四歩は必要な距離を、あの処刑人は一瞬で詰め、一撃を加えたのかと彼女は驚愕した。
そもそも、あの処刑人が移動したところすら、彼女には見えなかった。
同時に、レッサーデーモンの脇腹に神業のような傷を与えたのが、あの処刑人だと確証は無くとも、確信した。
どうにかイタミの波が治まったリザは体の自由を取り戻した。二度目の体験といえ、これに慣れる事は無いだろうと内心で考えた、その時。
「主様? 主様、主様、主様ッ!!」
シアラの鬼気迫る声が聞こえた。
リザはほとんど反射的に声のする方へと駆けだした。ベッドの前に辿りつくと、シアラがレイの頬を叩き、何度も呼びかけている。
「主様、主様、主様ッ! お願いだから返事して!!」
彼女の切迫した声に、エトネがただならぬ様子を察してベッドの上から呆然と眺めている。リザはシアラを呼ぶも、黒髪の少女は聞く耳を持たない。
「シアラ! 落ち着きなさい!!」
強引に肩を掴んで自分の方を向かせると、金色黒色の瞳がこれでもかというほど見開かれている。
その瞳を覗きこんで、リザの背筋に不吉な悪寒が触れた。
「何が起きてるのか、説明してください!」
「ワタシにも分かんないわよ! でも、ワタシが死に戻っても主様は目覚めないの。それどころか、氷のように冷たくなっていくし、呼吸も浅い。何より死の影が急速に体を包んでいるのよ!!」
リザはシアラの持つ特殊技能、《ラプラス・オンブル》について思い出す。赤龍戦の直後、目覚めないレイの看病をする最中に互いの事を知る為に話をした時に、説明は受けていた。
人の死の確立を影で認識できる力。その影が人を覆えば、死が確定するという。
今までは誰一人、その未来を覆す事は出来なかった、と。唯一覆したのがレイだと彼女は微笑みながら口にした。
そのレイが死の影に囚われているとシアラは告げる。
リザもレイの体に触れると、確かに彼女の言う通り、氷のように冷たく強張っている。イタミの波に襲われているのか、表情には苦悶が浮かび、呼吸は荒く弱々しい。
今までにも、そしてこれから先も見るであろう、人が死ぬ寸前の姿に酷似している。
「何が……何が起きているのですか!?」
「だから、分かんないって言ってるでしょ! このまま主様が死ねば、《トライ&エラー》は発動するの!?」
問い返されてもリザには答えが無かった。彼女が聞いたのは自殺した場合は『使用不可』となることだ。それだって、本当に死に戻れなくなるのかどうか彼女は知らない。そもそも、この状況が死に戻りの最中に訪れる地獄を味わっている最中なら、レイが目覚めなければ待ち受けているのは戻れなかったという結末だけだ。
つまり、全員の死だ。
ふと、リザは先程のシアラの発言に引っ掛かりを覚えた。場違いとは思いつつも違和感を口にした。
「ねえ、シアラ。今さっき、自分が死に戻ったって言った?」
「はぁ!? 今この状況で聞くことはそれじゃ―――」
「―――いいから答えて!!」
リザの剣幕にシアラは気圧されて答えた。
「そ、そうよ。アンタは覚えてないでしょうけど、森の奥でモンスターの死体がごろごろと並んでいる所で―――」
「―――エルフの剣士に殺されたかもしれない」
後を引き継いだリザをシアラは呆然と見つめた。言葉なく、唇がなんで、と動いた。
「私も死に戻ったんです」
その言葉にシアラは冷静に思考を働かせる。自分の知っているあの怪物なら、果たしてそんなことが出来るのか自問自答する。その上で慎重に結論を出した。
「アンタとワタシが同じ時間軸上で死んだとしたら、ワタシらは全員同時に殺されたって事? 主様や……もしかしてレティも」
そこでリザは妹の姿が無い事に気づいた。遅れて、彼女がこのタイミングでどこに居たのかを思い出した。
―――地響きが無人の村に響いた。
揺れる家屋の中で二人は同時に叫んだ。
「「しまった! レッサーデーモンがっ!?」」
レティは井戸に凭れかかり、ずるずると地面に横たわっていた。皮膚の下を這いずりまわるイタミの奔流に耐え、意識を繋ぎとめるので精一杯だった。赤龍戦の時と遜色ないイタミに、身悶えする。
それもやがて退いていくと、周囲に向けて胡乱気な瞳を向けた。
(えっと。……戻った……って事でいいのよね?)
立ち上がる気にはなれなかった。レイが言っていたが、イタミの度合いは相手とのレベル差に比例する。あの処刑人がどれ程のレベルを有しているのか知らないが、もしかすると赤龍よりもレベルが高いのかもしれないとレティはイタミの度合いから推察した。
「……ご主人さまったら……一体全体、どこからあんな怪物を引き寄せてるのよ」
思わず愚痴が零れてしまう。
普通にエルドラドで生きてきて、六将軍や古代種の龍。果てはあのような怪物と連続して遭遇する確率はゼロに等しいはずなのに、彼の行く先々にはいつも強敵が待ち構えていた。
異世界人だからなのか、あるいは《トライ&エラー》が引き寄せているのか、レティには答えが出せなかった。
―――地響きが無人の村に響いた。
地面の揺れをレティは直接感じた。遅れて、自分が手ひどい失敗を犯したことに気づいた。
「朝に戻ったって事は……レッサーデーモンが来たのね!」
動けない体を鞭打って、井戸の影に回る。前回の時間軸の焼き直しだ。少なくとも、この位置はレッサーデーモンが昨晩泊まった家屋から出てくるまでは見つからない事を知っていた。
そして、これまた前回の焼き直しのようにレッサーデーモンは家屋を回る。モンスターも瀕死の体を押して一軒一軒回り、遂にレイたちの居るはずの家屋に辿りついた。
そこでも誰も、何も見つけることなくレッサーデーモンは引き返す。まるで予定調和のように歴史はなぞる。こんな状況ではあったが、レイがなぜ、アマツマラの迷宮で足止めを一人で行っていたのか十分理解できた。条件を毎回同じにすることでモンスターの行動を固定させることで、対処をしやすくする。
その結果、前回は家屋を出た瞬間にレッサーデーモンに見つかったが、今回は死角になる位置へと身を寄せることが出来た。
レッサーデーモンはぎらり、とした鋭い視線で辺りを睨みつけると金棒で大地を揺らした。まるで苛立ちを晴らすかのような代償行為。どしん、という音と共に、モンスターの荒い息遣いがレティの隠れている井戸まで聞こえてくる。
(どうしよう。どうしよう。どうしよう)
心臓の音が少女の不安をより加速させる。
あたりまえの話だが、レティにレッサーデーモンに立ち向かう力は無い。彼女の持つ《半球ノ盾》は前回の時間軸でも、一発で破壊された。
手負いとはいえ、相手は超級モンスター。見つかれば待っているのは死だ。
(やっぱり、ここは一度やり過ごして逃げないと)
レティは自分の存在が気づかれないように、手で口を押える。身じろぎ一つせず、モンスターが居なくなることだけを一心に願った。
それが通じたのだろうか。レッサーデーモンは足音を立てながら、レティから離れていく。レティは遠ざかっていくレッサーデーモンの背中にほっとした。しかし、振り返られればすぐに見つかってしまう。今のうちに別の場所に隠れようと考えて井戸のヘリにつかまり、立とうとした。
かつん、と。
レティの指が硬い物に触れた。それは井戸の水をくむ桶だった。咄嗟に手を伸ばすも、もう遅かった。井戸のヘリに置かれていた桶はあっという間に井戸の中へと落ちた。
かん、かん、ぱしゃん、と。
井戸の内壁を擦り、水に飛び込んだ音をレティは絶望と共に聞いた。レッサーデーモンが足を止め、音のする方へと振り向いた。
レティの居る井戸の方へと。
「メェエエエエエエエ!!」
興奮か、奮起か、それとも威圧の声なのか、レティには分からない。だけど、モンスターの絶叫が少女の体を震わせる。自分が標的だと告げている。
金棒を引きずってレティの方へと距離を詰める。
逃げなくては。イタミが治まり、活力が戻った体は彼女の意思に従い動く。立ち上がり、距離をとろうとしたレティはレッサーデーモンの行動に身を固くした。
レッサーデーモンは引きずっていた金棒を振り回すと、投擲しようと構えたのだ。少女の脳裏に、前回のある光景が蘇る。分厚い鉄の塊が槍のように放り投げられた。その一撃はレイが壊してくれなかったら、即死するのに十分な威力を持っていた。
下手に動けば移動先を狙われる。咄嗟に判断したレティは金棒が投げられてから避けられるように腰を低くする。―――それでも避けられるかどうかは運任せだった。
エメラルドグリーンの瞳が瞬きもせずに金棒の行方を見つめる。振りかぶられた金棒がレッサーデーモンの手を離れる瞬間。
―――一陣の風が巻き起こった。
「《風牙》!」
家屋の切れ間から飛び出したリザが戦技を発動した。風の刃がレッサーデーモンを襲う。持ち上がった金棒は風の刃を迎え撃つため、軌道を変えて振り下ろされた。
どしん、と。大地を揺らした一撃で風の牙は散らされる。
しかしそれで十分だった。その隙を突いて、家屋の隙間から飛び出したリザはレッサーデーモンと妹の間に割り込んだ。
「お姉ちゃん! ……ご主人様は!?」
レティは姉の登場に喜ぶが、前回と違う展開に疑問を抱いた。本来ならここにはレイが来るはずだった。
リザは表情を険しくすると、妹に向けて告げた。
「ご主人様は……来ません」
「えぇ!?」
「私達はご主人様抜きでこの難局を潜り抜ける必要があります」
固い意思を言葉に乗せてリザは告げる。覚悟の表れのようにロングソードを構えた。
「あの馬鹿!! 本当に行っちゃった!」
シアラは家屋の隙間から飛び出したリザの背中に罵声を投げつける。苦悶するレイと何が起きているのか理解できないエトネと共に家屋から脱出したリザとシアラだったが、リザは妹の危機に居ても立っても居られず、風のように駆けだした。
止める暇も無かった。
一方で理性はリザの判断を否定できないでいた。何しろレイがこの状態なのだ。はたして自分たちが死んだとして、《トライ&エラー》が正常に発動するかどうかは不明である。発動しなかったら最後、全滅だ。
それでも、真っ正面から戦った所で、自分たちに勝機があるとはシアラには思えなかった。
(手が足りない! どうする!? どうすればいいのよ!?)
金色黒色の瞳が勝利の道筋を見出そうと四方八方に向けられた。そして、傍で状況の変化に着いて行けないエトネを見出した。
「おちび!」
鋭い声に、エトネの体が飛び上がらんばかりに震えた。
「アンタにお願いがあるの。……ワタシらと共に戦ってほしい。アンタの力が必要なの」
「……む、むりだよ。あんなのと戦って勝てるはずがないよ。みんなしんじゃうんだよ、おかあさんやおとうさんと同じように!!」
弱気の言葉は想定内だった。前回でも、リザの呼びかけに少女は応じなかった。しかし、前回とは状況が違う。シアラは膝をつくとエトネと目線を合わせた。少女が逃げられないように肩を強く握った。
「いい、エトネ。……アンタはこの先、一人で生きる事になるかもしれない」
エトネの喉から掠れた悲鳴が上がる。それは少女が見たくないと思っていた未来だ。もし、エルフの隠れ里にエトネの居場所がなかったら、自分は両親のいない世界を生きないといけない。その現実に向き合うにはエトネはまだ幼かった。
だけど、似たような境遇のシアラがエトネに厳しい現実を突きつけた。
「もう、アンタを守ってくれる優しい両親は居ない。……誰もアンタを無償では助けてくんないんだよ。誰も守ってくれないなら、誰がアンタを守るか。分かる?」
エトネは首を横に振った。一拍置いた後、言葉を継ぐ。
「アンタがアンタを守るんだよ。降りかかる困難を、自分の手で突き破るしかない」
「……そんなこといっても。勝てっこないよ」
「そうね。……独りぼっちだと、そう思っちゃうのは当然よ。つい最近まで、ワタシもそう思ってたわよ」
脳裏に過るのは暗い檻の中で見た赤龍の姿。それに屈した自分の姿だった。そして、伸ばされた手の温もりを覚えている。
「でもね、今は一人じゃないわ。ワタシが居て、リザが居て、レティが居る。今だけは一人じゃない! ワタシらが居るのよ!」
シアラは立ち上がるとエトネに背を向けた。
「もし、アンタに困難に立ち向かう勇気があれば、一歩前に踏み出してほしい。……それが出来ないなら、それまでよ」
そして、積み上がった木箱を足場にして、屋根に上り、戦闘に参加する。
残されたエトネは昏睡したままのレイの傍で呆然としていた。突き付けられた困難を前にして答えを出せないでいた。
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