4-12 森の少女
グリーンボアに囲まれていた少女の小さな拳から繰り出される打撃はまさに風の弾丸とでも形容するような、鋭さと疾さを兼ね備えていた。レイは胴体にくらってから、攻撃されたことに気づいた。
「―――ぐぅ」
幸い、と表現するにはいささかおかしいが、少女の一撃は軽い。レイの能力値なら一発や二発程度で沈む事は無い。問題は、その速度だった。
レイが返す刀として振り下ろしたファルシオンの峰打ちは少女の眼前を素通りした。
素手と剣。
リーチで勝り、自分の間合いにいた少女はあっという間にレイの射程圏外へと退避したのだ。峰打ちを避けた直後、少女は再び距離を詰めた。地面に叩きつけられたファルシオンの刃に向かって足を踏み出して押さえつけた。リザと同じようにブーツに鉄板でも仕込んであるのか、固い金属音と共に少女は刃を足場に宙を舞う。ぐるり、と縦回転した少女はレイの頭上に向けて踵落としを繰り出した。
足場にされた事でファルシオンは地面に食い込む。レイは炎鉄の手甲を頭に掲げた。少女の体重と回転が加わった一撃がレイの左腕に刃のように落ちた。まともにくらえば失神では済まない。
「いい加減にしろ! 少しは話を聞け!!」
声を荒げるレイに対して、少女は短く返答した。
「……ことわる」
「このっ!?」
少女はレイに叩きつけるように放った踵を起点に、上体を一気にレイの後方の地面へと回した。曲芸じみた動きにレイは対応できずにいた。レイの背後に着地した少女は低い態勢のまま、足払いを仕掛ける。視界が高速で流れたと思ったら、レイの体は地面に横向きで倒れた。
すかさず少女はレイの頭部に向けて足を振り下ろす。一度高く持ち上げたつま先が弧を描く。レイの視界の端で鎌のような一撃がちらりと視認できた。立ち上がる余裕は無い。頭部を守る為に両腕で頭を抱えた。
しかし―――鎌のような一撃が叩き込まれることは無かった。
「《超短文・低級・盾》!」
レティの唱えた光の盾がレイと少女の間に数枚展開された。頭部へと落とされる一撃は盾を次々と破壊していくも勢いが削れていく。
それで十分だった。一気に距離を詰めたリザが少女に向けて鋭い掌底を繰り出した。片足立ちの少女は十分な態勢では無い事もあってリザの掌底を避ける事もできずに受けてしまう。受けた衝撃で少女の体は二転三転と転がり、木の根に激突して止まった。
「リザ!? 殺すなよ!!」
レイは起き上がると同時にリザに対して注意を促した。助けようとした対象を自分たちの手で殺そうとする後味の悪さや、村の少女を殺したことで村人との関係が悪化するのを避けるためだ。
無論、その辺りの事はリザも頭に入っている。ロングソードを抜かずに素手で少女を制圧しようとしたのもそのためだ。
しかし。
「ご主人様。……殺す気で掛からないと、こちらが負けるかもしれません」
リザの静かな、緊迫した様子にレイは不審を抱いた。すると、木の根に激突した少女が何事もなく立ち上がったのだ。煩わしそうに着ていたフード付きのマントを脱ぎ捨てると、その下に隠れていた革鎧やクロスボウが姿を見せる。まだ顔を隠すためのターバンは残っているが、切れ間から伸びている長耳が全員の目を引く。
「エルフ……だと?」
少女はレイの呟きに萌黄色の瞳を鋭くした。途端に。少女の全身から殺気が迸る。木々が騒めき、小鳥や小動物が逃げ出すほど濃い。まるで逃げる覚悟を捨て、命の一滴まで絞りつくそうとする覚悟が目に宿っている。
ここに来て、レイもレティもシアラも、少女が本気で挑もうとするのを肌で理解した。
「シアラ。何時でも魔法を使えるように構えて。種類は何でもいい。あの子の足を止めて。レティはあの子が逃げ出そうとしたら、《半球ノ盾》で囲ってくれ。誤解されたまま村に戻られちゃたまんない」
囁く様な指示に二人は視線を少女から逸らさずに頷いた。レイはファルシオンを拾い上げると、リザの斜め後ろに着いた。本来なら、二人同時でかかるべき状況だが、少女のスピードで隙を突かれ、シアラたち後方組を襲われる事を警戒しての動きだった。
「僕らは冒険者だ! 君は誤解している。何ならプレートを見せる!」
レイは少女に向かって告げたが、少女は聞き入れない。苛立ったかのように背後の木を叩く。空気が震え、大木が揺れ、木の葉が舞い落ちる。
「だまれ! 人族はいつもそうだ! だまされるもんか! 奴隷をひきつれているのが奴隷商人のしょうこだ!!」
「聞いてください! 私たちは確かに奴隷ですが、主は冒険者です。貴女に危害を加える気は」
「うるさい、うるさい、うるさい!! だから、おとうさんは死んだんだ!! お前らなんかを信じたから、死んだんだ!!」
支離滅裂だった。彼女はレイたちを見ていない。何か別の事に対して激昂していた。少女はくらり、と。頭を揺らした。一度に叫んだので酸欠に陥ったようだ。荒い息を何度も繰り返し―――息を整えた。
(来るっ!)
レイは体の中心を貫く悪寒を感じ取った。幾度の戦闘で培った経験からの虫の知らせ。それは、今回は正しく機能した。
少女は背後の木に向かってふわり、と。飛び移った。まるで、重力を感じさせない動きに全員の反応が遅れた。木の側面を足場に力を込める。
「《我が足は、世界を跨ぐ》!」
レイの動体視力では少女の姿を捉える事は出来なかった。ただ、理解できたのは少女の体が一直線に跳んだことだ。彼女はリザ達に阻まれることなくレイを連れ去る。
「―――しまっ! ご主人様!!」
すぐ傍をすり抜けられたリザは焦燥を感じながら振り返った。しかし、そこにはレイの姿は無かった。レティもシアラもレイの姿を探し、周囲を見渡したが、少女の姿もレイの姿も無かった。
意外な事にレイたちの姿はリザ達の近くにまだ居た。砲弾のような速度で跳んだ少女はレイの腹部に拳を叩きこんだと同時に森の奥へと連れ去ろうとした。
狙いは一つ。レイの死だ。リザの言葉から、彼らの関係を瞬時に理解した少女は主の死により発動する戦奴隷のルールを利用するのを思いついた。
本来ならリザ達が追いかけて来られない程遠くに着いてから処理を始めるつもりだったが、レイの抵抗にあった。先程の地点から数メートル離れた窪地に落ちたのだ。大地のせり上がった高所から落ちたレイは、その衝撃によって少女から距離を取る事に成功した。
「クソったれ。……さっきと動きが全然違うじゃないか」
レイは思わず愚痴を零してしまう。
それはある意味当然といえた。少女はレイを倒す為に全力を費やす。先程の中級モンスターに囲まれていた時は全力を出すわけにはいかなかった。あの時の少女の目的は窮地からの脱出。あの状況でも全力を出せば数体ぐらいなら倒す自信はあった。しかし、全部を倒すことはできなかったはずだ。そして、全力を出せば余裕から手を出さなかった壁役のグリーンボアたちが動く。あの状況では牙を見せず、逃げるチャンスを待つのが少女にとっての最善手だった。
そして今の最善手はレイを殺す事だった。
レイはファルシオンの峰を少女に向けながら、意識を集中させる。全身に精神力を纏わせて、防御力を強化させる。ここまでの戦いで、脅威なのは鉄板入りの足技だと判断した。少なくとも少女の拳はレイの能力値の前では脅威では無い。そのため、防御に徹してリザ達の到着を待つことを選んだ。
少女も左足を前に出し、右足を後ろに引いて半身の姿勢を取る。左手を前に出して防壁のように突き出す。握られた右拳は弾丸のように射出されるタイミングを計る。
睨みあいは数秒で崩壊した。先に動いたのは少女の方だった。なにしろ、時間が経てばリザ達が合流する可能性がある。その前にけりを付ける必要があった。
すり足からの一足飛びはレイの視界にはいつ移動したのか分からなかった。少女の動き出しに対し、遅れてファルシオンを振り下ろした。それは先程の一撃と全く同じ軌道だった。あまりにも無策な攻撃のようにしか映らない。
しかし、それは放ったレイが一番分かっている。
(これは躱される。だから本命はその後の突きだ!)
組み立てた攻撃の流れを確認していると、少女の頭部に向けてファルシオンの峰が当たろうとしていた。レイはそれが空振りされると予測して、すぐさま刺突に移れるように重心を移動させた。
しかし。
「―――え?」
あっさりと。目論見は崩れ去った。
少女の前に置いてあった左手の甲が、ファルシオンの側面を叩いた。邪魔な物を払いのけるような軽い動作だった。
それだけで、ファルシオンの刀身は右に流れる。重心も剣の重さと勢いにつられて流されてしまう。
少女はワンアクションでレイを自分の間合いに呼び寄せた。
そこからは一方的な戦いだった。いや、戦いといえる代物では無い。
まるで蝶のように舞う少女の四肢から繰り出される拳打は嵐のようにレイの体を襲う。身を捩り、距離を取ろうとしても瞬時に詰められてしまう。振るわれたファルシオンは掠りもしない。
(なんていう速さだ! 手を伸ばせば触れられそうな距離に居るのに、捕まえる事すらできないなんて!!)
目で追いきれない速度では無い。レイの動きが遅い訳でも無い。単純にレイと少女の技量の差だった。
レベルなら、おそらくレイの方が上だ。少女の繰り出される拳の嵐は、確かに当たりはしているがダメージとしては薄い。なのに、レイの攻撃が当たらないのは少女の方がステータスに現れない分野でレイよりも勝っているからだ。
しかし、追い詰められているのは少女の方だった。わずか数分の間に叩き込んだ拳の数は五十を超えるのに、どれも手ごたえは薄く、例え百、千と体に刻み込んでも倒せないと痛感しつつあった。
鉄板入りの足刀ならあるいは、と思っても足は回避の為に費やすしかない。何しろレイの攻撃は掠りでもすれば一気に戦局がひっくり返す威力を持っていた。ターバンに隠された顔は焦りに歪んでいた。
(こうなったら、イチかバチか!)
何時までも続くかもしれない拳の嵐から抜けるためにレイは動いた。
「《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」
レイは技能を発動した。少女はどのような効果があるか分からない以上、一度距離を退こうとして、腕を振るった。
「―――っ! なんで!?」
下がろうとした足とは裏腹に拳を振った自分に少女は動揺した。
《心ノ誘導》Ⅰは中遠距離ならターゲティングの変更だが、近距離で発動すると副次効果を齎す。強制的に相手が攻撃してしまうのだ。本人の意思を無視して、戦闘の流れを無視して、何が何でも一撃を繰り出す。最初から来ると分かっている一撃ほど程対処のしやすい攻撃は無い。
自らの意思とは真逆に動いた体は不安定な態勢から一撃を繰り出す。速度も、理も無い一撃をレイは簡単に避ける。そして、動きの止まった胸部に向けてファルシオンを薙いだ。
少女の幼い躰が吹き飛び、木に叩きつけられる。レイは手加減したつもりだが、戦いの高揚感からか、思っていた以上の威力となってしまう。しかし、油断はできない。
なぜなら、もうすでに少女は立ち上がっているからだ。
瞳には継続の意思が滲みだす。
(説得は無理か。……殺す気で来る相手を殺さないように捕まえるなんて……難しいだろ)
レイは仕方なしにファルシオンを構えた。
一方で少女の方は、意思とは裏腹に体の方は追い詰められていた。革鎧の上を狙われていなかったら確実に負けていた。そして、少女の研ぎ澄まされた聴力は、確実に近づいてくる複数の足音を捉えていた。もうじきレイの仲間がやって来る。
―――だから、少女は切り札を出す事にした。
少女は背後の木を蹴って横に移動してレイとの距離を取ると、呟いた。
「《願い奉る》」
どこか神聖な響きを含んだ声に、レイはそれが何なのか瞬時に悟った。魔法使いが魔法を使う時の『宣言』である。
(この状況下で魔法だと!?)
想定外の選択だった。
あからさまに拳士という少女が魔法を使うというイメージは彼の中に無かった。レイは反射的に少女へと駆け寄った。ファルシオンを振り回し、詠唱を止めようとする。
しかし、少女はまるで宙に舞った花弁のようにレイの攻撃を軽やかに躱し、詠唱を続ける。
「《この身に祝福を》」
少女はファルシオンの側面を足場に、空中へとバク転をする。鮮やかな着地を決めると同時に詠唱を完成した。
「《出でよ、『カテギダ』》!」
瞬間。
クライノートの森に少女を中心に莫大な魔力が吹き荒れた。傍に居たレイはその正体を脳では無く、肌で理解した。
(僕はこれを知っている!!)
ネーデの迷宮で。アマツマラのスタンピードで。人よりも上位の存在。圧倒的な破壊を齎す力の塊。人と13神を繋ぐ存在。
「精霊魔法かよ!」
レイはネーデの迷宮でファルナが召喚した《アメノマ》を思い出した。卵の様な楕円形の胴体に羽を生やしたコミカルな存在。しかし、その実力は本物だった。迷宮に空間を焼き尽くす炎の滝を生み出した存在。そして、肉体を持った精霊といわれた赤龍。あの圧倒的な破壊力は決して忘れる事は無い。
どの属性の精霊が呼び出されたか分からなかったが、レイは《トライ&エラー》を使う事を覚悟していた。
しかし、森に吹き溢れる魔力は突然止み―――精霊は姿を見せなかった。
「……不発……じゃない!」
あっけに取られたレイはすぐさま目の前の少女の変化に気づいた。先程までクライノートの森を震わした魔力が、上位の存在を少女から感じたのだ。
精霊は此処に居る。
萌黄色の瞳がレイを射抜くと、全身を悪寒が貫いた。
まるで蛇に睨まれた蛙のようにレイは動けずにいた。だが、視界だけはやけに鮮明に映っていた。
ゆらり、と。少女が動き出したのを。
―――その背後に、空からリザが落ちてきたのを。
ほぼ同時に視認していた。
背後の襲撃者に気づいた少女は裏拳を叩きこんだ。しかし、リザはそれを予期してしゃがんで回避した。リザの前で少女は勢い余って独楽のように一回転してしまう。
リザは無防備な背中に飛びつくと、少女のターバンを下から持ち上げて細い首を外気に晒した。
「ごめんなさい。……でも、これ以外思いつかなかったの」
謝罪の言葉と共にリザは少女の頸動脈を押さえつけた。蛇のように絡めとられ、身動きが取れない少女は必死に抵抗するも失敗に終わった。しばらくしてから動きを止めたのだった。
リザは意識を失った少女の体を優しく横たわらせる。
「……殺してないよね」
「大丈夫です。気道では無く、血管を押さえただけですから、呼吸もしています」
近づいたレイの耳にも少女の細い呼気が聞こえてきた。いつの間にか、少女の中から感じた精霊の存在が露のように消えている。意識を無くしたことで効果が切れたようだった。
「おーい! おーねーちゃん! ご主人さまー!! どこに居るの?」
ふと、上の方からレイたちを呼ぶレティの声が聞こえた。
「ここにいたら、さっきのモンスターの仲間がやって来るかもしれない。急いで合流してこの場を離れよう」
「その方が良いですね。……この子はどうしますか」
リザが意識を無くしている少女に視線を向けた。覚醒する気配も無く、かといって置いておくわけにもいかない。
「バックパックの縄を使おう。目が覚めた時に暴れられたら大変だ。腕だけでも縛っておこうか」
頷くと、リザは少女を持ち上げた。レティよりも小さい躰の少女は何の抵抗も無く、リザに身を委ねた。すると、二人の視線が少女の腰のあたりに集中した。
背中はマントに隠れ、戦闘中も意識を向ける余裕が無かったため、気づかなかった。
灰色の尾がだらり、と垂れていたのだ。
リザは抱えた少女に生えている尾をまじまじと見つめた。誰の目から見ても驚いているのだと分かる。
小ぶりな唇が小さく言葉を紡いだ。
「もしかして……この子はハーフエルフ……なのでしょうか?」
もちろん、異世界人であるレイには答えようのない質問である。
読んで下さって、ありがとうございます。




