閑話・ある受付嬢の災難
レース越しに温かな日差しが差し込んでくる。暦は春の中月に入り、冬の寒さはとうに姿を消し、通りに沿って植えられた花々が一斉に咲き誇るようになった。
朝食を済ませ、軽く化粧を施してギルドの制服に身を包み、姿見の前でくるりと回る。衣服に皺などが無い事を確かめると置いてあった眼鏡を摘まむ。本来、魔人種である彼女に眼鏡は不要で、実際この眼鏡に度は入っていない。しかし、地上に残った数少ない魔人種という事で注目を浴びやすい彼女は周囲の奇異な視線を遮る壁としてあえて眼鏡を着用していた。
姿見の中で眼鏡を掛けた自分と眼を合わせると、鏡に向かって「これでよし」と小さく呟く。椅子に載せてあった鞄を掴み、玄関へと足早に向かう。しかし、その途中にあるチェストの前で足を止めると、体を向きなおした。
チェストの上には小さな肖像画が飾ってあった。彼女自らが筆をとって画いた拙い絵。年のころは十に届かないと思しき少年が笑顔で手を振っていた。
「アハド。行ってきます」
笑みを浮かべたまま動かない肖像画から視線を切ってアイナは外へと駆け出した。
ネーデの街に住むアイナは魔人種である。見た目は二十歳になりたての清楚なうら若き乙女だが、実年齢は二百歳を超えている。その上、見た目から容易に想像できない人生を送ってきた。
人と魔人種の間に起きた戦争。
『人魔戦役』。
魔王と六将軍に率いられた魔人種たちの独立戦争は多くの悲劇と混乱をエルドラドに齎した。特に魔王と勇者の一騎打ちによって中央大陸の中心部は抉れ、今では中央湾と呼ばれる海へと姿を変えた。
この戦争の結果、敗北した魔人種の大部分は地上から姿を消した。
地上に残った魔人種は両の手で数えられるほどしか居らず、人々の憎悪を前にして全員が人里離れた場所に逃げ込んだ。
アイナの数少ない家族の思い出は日も碌に差さない暗い森の中での生活だった。そして、弟のアハドが生まれてすぐに二人は姿を消した。おそらく、死んだのだろう。その直前に幼子のアイナと赤ん坊のアハドはネーデの街の孤児院に預けられた。
孤児院の院長と両親の間にどんな約束事が交わされたのか知らないが、少なくとも当時の院長は特別な扱いはせず、他の子供と同じように面倒を見ていてくれた。
だけど、人よりも長命の魔人種は幼年期も人一倍時間が掛かる。同じ時期に孤児院に入った子供が卒業を迎えるのを何度か見送る内にアイナは幼いなりに金を稼ぐ手段を模索した。その結果、旧式魔法の才能に目覚め、程なくして冒険者の道を選んだ。
冒険者という職が彼女に合っていたかどうかはさておき、魔人種にとっては天職といえた。順調にレベルも上がり、ランクもB級まで上昇し二つ名も手に入れるほどの一流冒険者へと至る。
だが、終わりというのは呆気なく訪れる。
弟の死と仲間の死。
タイミングはずれていたが、立て続けに起きた二つの悲劇に彼女は耐えきれず武器を置き、平穏な暮らしを望むようになり、ギルドに身を寄せる事になった。
最初の数年は奇異の視線に晒されることになる。
凄腕の冒険者で五体が満足なのに、何故ギルドのカウンターに入ったのだと聞かれたのは一度や二度では無い。パーティーやクランの勧誘もひっきりなしに起こった。百歳を超えたばかりの彼女は魔人種としてみれば成長する余地を残していた。A級どころかS級にさえ手が届くかもしれない人材を大人しく見逃す者は居なかった。
しかし、彼女は平穏と静謐を好み、ネーデの街を出る事を頑なに拒んでいった。
月日は流れ、当時の彼女の強さを知る者は年老いていき引退や死亡などで数を減らしていった。引退を決めてから百年近く経ち、ようやく彼女は彼女の求めた物を手に入れた。
―――はずだった。
「アイナ嬢! 今日こそ首を縦に振ってはいただけないだろうか!?」
「魔石の鑑定、終了いたしました。此方が鑑定額となっております。お納めください」
「アイナさん!! どうか、僕らと共に!!」
「ステータスの更新ですね。少々お待ちください」
「頼むよー。あたしらのパーティーに参加してくれない?」
「おととい来やがってくださ、っ痛い! 痛いですよ、ギルド長!!」
柳眉の上に青筋を立てて、群がる冒険者たちを捌いていたアイナの後頭部にバインダーが吸い込まれた。鈍い音を立てると、後頭部を摩りながらアイナは背後を振り返って抗議した。
投擲の構えのままの眼帯の老人は唯一残った瞳を鋭くしてアイナを睨む。彼女は刃のような視線を受けて思わず黙り込んでしまった。年下で後輩といえ、ネーデのギルド長にして街長であるハクシは人を圧倒する凄みを持っている。委縮したアイナは苛立ちを飲み込み冒険者たちに向き直った。
それからも波のように押し寄せる冒険者たちを躱し、逸らし、いなした彼女はようやく昼食の時間へと辿りついた。弁当を取り出したアイナの様子はまさに疲労困憊。細い両肩に見えない重しが圧し掛かっているかのように下がっている。そんなアイナの様子に同僚のクレアとカトリーヌは気遣わしそうに声を掛けた。
「アイナ、お疲れ様。アタシの卵焼き、食べる?」
「庭で取れた果実です。甘くて美味しいですわ。お一ついかが?」
二人はそれぞれ弁当のおかずをアイナへと渡す。本来、ただの人間種である二人にとって魔人種であるアイナは年上なのだが、アイナ本人が敬語を嫌った。曰く、「一番の下っ端が周りから敬語を使われるのってなんか変」とのこと。ネーデのギルド内最年長にして最古参はずっとギルド受付嬢のままだった。
少しだけ元気になった彼女は二人の優しさに思わず涙を流しそうになる。
「ううう。二人ともありがとう。……お返しに、私の新作創作料理を贈呈させ―――」
「「―――結構です」わ」
二人は息を揃えることなく、同時に言い放った。アイナの机の上に置かれた弁当箱から放たれる邪悪的な気配を感じ、先んじて断った。アイナの料理は一言で言うと―――斬新である。これが彼女の家庭環境のせいなのか、種族の違いなのかは分からない。しかし、アイナ以外には食すことが出来ない味なのだ。
再び落ち込むアイナに向かってクレアが話の流れを変えるべく、先程の冒険者たちについて話題を振った。
「そ、それにしてもあれから一月近く経っているのに、まだあんたを勧誘する冒険者が居るんだね」
「そ、そうですわね。むしろ、一時期よりも増えていませんか?」
便乗するかのようにカトリーヌは自分の疑問を口にした。三人は揃ってカウンターの内側から外側へと視線を送る。そこにはアイナの事を盗み見るように冒険者たちが集まり混雑していた。
事の発端は六将軍第二席ゲオルギウスの襲来だ。
『人魔戦役』において人々に死と恐怖を撒き散らした六将軍。その中で最強と呼び声高いゲオルギウスの襲来はネーデの街に幾つかの変化を齎した。
一番の変化は迷宮の難度が上がった事だ。
ネーデの街近辺にある迷宮。ネーデの迷宮はギルド公認の『初心者向き』の迷宮だ。別に冒険者なりたての新入り(ニュービー)向きという意味では無い。上層、中層、下層と三層に分かれ、どの層も階層や広間の数、モンスターの出現頻度やレベル。それに罠の数などが平均よりも下と攻略しやすい迷宮なのだ。
そのため、冒険者になりたての新入り(ニュービー)は上層部を。中級冒険者に辿りついた一人前たちは中層部を。ベテランと呼ばれ始めた一流見習いは下層部を挑戦するのに向いていた。ある種、踏み絵のような、超えるべき関門のような場所だった。そのため、街にある武器屋や防具屋、それに道具屋も幅広いニーズに合わせるように多種多様な店や職人が集まっていた。
だが、一月前のゲオルギウスの襲来を機に迷宮は姿を―――いや、真の姿を露わにした。
いままで、迷宮の生み出す魔力はモンスターの生成では無く、ゲオルギウスの治癒に回されていた。それが、ゲオルギウスが深層の最深部から居なくなったことで迷宮が正常に働くようになった。
すでに上層部のギルド攻略推奨レベルは四十を超えた。更に新しく発見された深層を目当てにネーデに訪れる事の少ないB級、A級冒険者たちが集まるようになった。すると、彼らの求める水準の武具や道具を作る職人が外から移住してくるようになった。
街の変化は人が入ってくる事だけでは無い。元からこの街に滞在していた冒険者たちにも動きがあった。ネーデの迷宮の魔石を日々の糧にしていた者達は難度の上がった迷宮を前にして方針転換を迫られた。
街を離れるか、戦力を増強させるか。
大きく分けてこの二つだった。
前者を決めた者達は問題なかったのだが、後者を選んだ者達こそがアイナの憂鬱の原因だった。戦力を増強するといっても何のしがらみを持たない冒険者なんてそう都合よくは居ない。外からやって来る冒険者たちは大抵パーティーやクランに所属しており、街に在住している冒険者同士が手を組んだところで、同じようなレベルの者たちが増えるだけで劇的な変化とは言えない。
そんな彼らのアンテナに一つの噂話が引っかかってしまった。
曰く、「ギルドの受付嬢がゲオルギウスを撃退したと」
混乱を避けるために六将軍の襲来は緘口令が引かれていたが、人の口に戸は立てられない。あっという間にアイナの冒険者として経歴が明らかになると、冒険者たちは彼女に群がった。
最初は丁寧に断り続け、ギルドの力も借りて追い払えていた。
アイナも噂なんてすぐに忘れられると思い、そこまで真剣に対処せず、放置してしまった。それが次の災難に繋がってしまった。
ネーデの迷宮についての情報が各ギルド間で共有されると、上級の冒険者たちがネーデを訪れるようになる。彼らは情報収集とばかりに街の噂話を耳にし、アイナの存在を知った。厄介な事に、噂話は沈静するどころか、人の口を介したことで変質し、脚色されるようになっていた。
アイナが後から聞いた時には、彼女はゲオルギウスに一人で立ち向かい、奴隷の少女を守りながら互いの心臓を潰し合い、街を吹き飛ばす魔法を防いだ英雄になっていた。余計な尾ひれがついた上、オルドやレイの功績が彼女の物となっていた。
噂話の真偽はともかくとして上級冒険者たちはアイナの存在に目をつけ、彼女の来歴と出自を知ると第二次勧誘合戦を始めた。
なにせ魔人種。それも元B級冒険者。実践経験が豊富の旧式魔法使いとなれば上級冒険者たちにとっても魅力的な人材だった。厄介な事に上級冒険者、それも世界に十五人しか居ないA級冒険者ともなるとギルドも無碍に扱えず、アイナも強く出ることが出来ないでいた。
そのためここ最近はしつこく勧誘を続ける冒険者たちをあしらうのに心血を注いでいた。
「本当に……もう。ただでさえ異常事態の最中なのに、こんな面倒事に巻き込まれるなんて。なんて災難よ」
黒焦げのナニカを口に運び平然とするアイナを恐れるあまり、クレアとカトリーヌは視線を別の方へと向けた。二人の視線に気づきアイナも同じように視線を壁に掛かったコルクボードへと向けた。
アイナを勧誘しようとする集団とは別種の集団がカウンターの外のコルクボードに集まっていた。それは冒険者だけでなく一般の市民や貴族なども交じっていた。
縦に二本の線が引かれ、三分割に分けられたコルクボードにはびっしりと幾枚もの紙片が張り付いていた。それはこのエルドラドで起きている異常事態に対する各地のギルドからの報告だった。
始まった時期も場所もバラバラだが一つだけ、共通点があった。
それは『古代種の龍』が騒動の中心にいる事だ。
北方大陸にて青竜。西方大陸にて緑龍。東方大陸にて赤龍がそれぞれ確認された。
青竜と緑龍は昼夜を問わずに暴れまわり、幾つもの国を叩きつぶしていた。復興など不可能なほど灰燼とかしたと報告にあった。
また、東方大陸ではスタンピードの発生も確認されていた。折しもシュウ王国首都アマツマラでは精霊祭が開かれることもあって、各地から観光客が集まっていた。ネーデの街からも向かった者達がおり、コルクボードの前に集まっている人たちは彼らの関係者たちばかりだ。
そんな彼らの表情は昨日までの絶望しきった物とは違った感情が浮かんでいる。安堵と不安が入り混じった形容しがたい表情を浮かべていた。というのも、今朝早くの段階でアマツマラのギルドからスタンピードの終息が宣言されたのだ。同時に赤龍の討伐も発表された。更に言うと時は違うが青竜、緑龍の討伐も報告された。海を越えた向うで起きた火事は取りあえず沈下されたのだ。
いま彼らの一番欲しい情報は生存者に関する情報だった。アイナは視線を横に滑らすと気難しそうに魔水晶を睨むギルド長へと向けた。全ての情報は彼の元に集まり、開示するべきかどうかの判断が下される。アイナはここ数日、その魔水晶の動向に意識が集中していた。
「やはり、気にかかりますか?」
「……え? 何が?」
カトリーヌの問いかけに遅れて反応したアイナ。その様子に二人はため息を吐いた。平静を装っているがやはりまだ尾を引いているのは明白だった。
「あの新入り(ニュービー)君。確か……レイって子の事よ」
どきり、と胸中に思い浮かべていた少年の事を言い当てられ、アイナの肩が固くなる。畳みかけるようにカトリーヌが口を開いた。
「あの時は大変でしたわ。スタンピードが発生した第一報を受け取った時、アイナさんたら崩れ落ちるように倒れたのですから」
「あれは! ……その」
「本当、大変だった。その上、次に入った赤龍の報せにも同じ反応を示すんだから」
「ううう。お手間をお掛けしました。……お詫びに新作創作料理を―――」
「「―――結構です」わ」
再び拒絶されたアイナはますます悲しそうな表情で手製の弁当を摘まむ。もっとも口では大変だったと言うがクレアとカトリーヌはアイナの態度も無理はないと思っていた。何しろ彼女は先のスタンピードによって弟を無くしている。どこか面影を感じさせると言っていた少年がスタンピードに巻き込まれたかもしれないと思い、卒倒するのも致し方ない。
そんな時だった。ハクシの手元にあった魔水晶に羊皮紙の束が現れたのは。素早く引き抜くとハクシの顔は落胆から戸惑いへと変化していく。ギルド長の様子を遠巻きで見つめる職員たちの前で彼は羊皮紙に何かの紙片を付け加えると、近場の職員に手渡した。一言二言付け加えると、その職員はどういう訳だか真っ直ぐにアイナの方へと近づいた。
「アイナ。これ、ギルド長から」
「……私に……ですか?」
丸まった羊皮紙を嫌な予感と共に受け取った。
いくらギルドの最古参だからといって権限は受付を担当する一般職員。そんな彼女に重要機密が回ってくるはずが無い。なのに、その情報が彼女の所に届いてしまった。
言葉にできない重苦しい予感を感じつつ、封を開ける。羊皮紙の題目は『特別功労者について』と書かれている。
読み進めれば、今回のスタンピードにおいて特に目立った功績を上げた冒険者のリストだと分かる。この難局においてアマツマラのギルドは緊急クエストを発令している。そのため、国とは別に冒険者に報奨金を払う必要があり、中でも活躍した者達には特別な報酬が贈られる。これはそのリストである。
しかし、そんな物はもっと戦後処理が行われてから作成されるべき案件だ。なのに、こんなのが安否確認よりも先に送られてきたのは未だ現地が混乱している証拠だろう。
内心、そう思いながら紙の片隅に目を向けると、紙片が付け加えられていた。短く、『中央を読め』と書いてある。走り書きではあるがハクシの字だと分かった。疑問を抱きつつ、特別功労者の名前を追いかけていくと―――見覚えのある名前が飛び込んできた。
赤龍討伐作戦に参加した者、と書かれた項目につらつらと並ぶ名前の中に『REI』と書いてあった。
「な……何をやっているんですか、君は!?」
周りの注目を浴びる中アイナは叫んでしまった。頭の冷静な部分は同名の他人かもしれないと囁くが、何故か容易に想像出来てしまう。あの少年が赤龍と対峙する姿を。それはゲオルギウスに立ち向かっていた姿と重なっていた。アイナはこの『REI』があのレイだと確信していた。
真偽を確かめるべく羊皮紙に目を走らせて探すアイナ。意識は文字の羅列を追うのに向けられており、聴覚が周囲の騒めきを拾ってはいたが、気にする余裕は無かった。
ところが、カウンターの外側から大音声が響くと、彼女の意識はようやくそちらに向いた。
「アイナ殿! アイナ殿はどちらですかな!?」
またしても勧誘の類かと思い振り向くと、彼女の予想に反した光景が待っていた。
年の頃は三十を超えているだろうか。青白い、病気を患っているかのような青白い肌をした男が複数の共を連れてカウンターの外でふんぞり返っていた。細長の顔に細い目が相まってまるで爬虫類のような印象を振りまいていた。
しかし、アイナはその男の顔では無く身に纏う衣服に視線を奪われていた。白を基調とした法衣。胸に掲げる十字を重ね合わせたようなシンボルはエルドラドにおいて有名な物だった。ずらりと背後に控えている者達も同じシンボルを掲げていた。
ギルド中の視線を浴びても彼らは怯むことなく堂々としており、威圧されたかのように周囲の人達は距離を取った。
「……アイナなら私です」
机から立ち上がり、カウンターに近づくと、爬虫類のような男の細い目がアイナの全身を上から下までじっとりと見つめた。思わず、不快な感情が表情に出そうになったのを鋼の精神で堪えた。下手にこの男たちの前で感情を出せば、待っているのは厄介事しかないと分かっていたからだ。
「なにか、御用でしょうか……法王庁の神官様」
すると、尊大な態度で男は告げた。
「我らは法王庁調査部所属、異端審問官なり。魔人種アイナ殿。エルドラドにて起きている異変について幾つか審議したい事がある」
男の口調はアイナに有無を言わせまいとする圧力が込められている。不吉な予感に全身を苛まれていると、男は思い出したかのように付け加えた。
「……なお、これは法王の御意志であり、略式ではあるが異端審問でもある。偽証は許されぬと知れ」
アイナの災難は終わらない。
2016年、初投稿です。読んで下さって、ありがとうございます。
この閑話の続きは四章終了後です。アイナの明日はどっちだ。
明日か明後日に三章終了時のステータスと人物紹介を投稿します。




