3-62 精霊祭 七日目〈Ⅶ〉
※一部名称を変更。
暗い空間だった。
等間隔に円を描くように置かれた紫色のかがり火が一部の闇を切り裂く。それでも全てを見通せない程深く澱んだ暗闇が四方を取り囲んでいる。
唯一、光源の確保されている場所には長机とそれを囲うように七脚の椅子が置かれていた。机も椅子も大理石を削った様な武骨な姿だが、上座に置かれた一脚だけは残りの六脚の中でも豪奢な意匠を施されている。その上座から見て、左右に三脚ずつ並んでいる。
上座の椅子だけは表面が磨かれていたが、残りは長机を含めて長い時間が経過したかのように劣化していた。表面の岩肌が摩耗したかのように荒れている。無人の空間に長い間、放置されたかのようだった。
すると、誰も居なかった空間に足音が響き渡る。足取りは軽く、迷いはなかった。闇の中を慣れ親しんだように響く。
濃い闇の中から吐き出されるように一人の男が現れた。
黒い長髪を無造作に流し、片腕を無くした黒檀の鎧を身に纏い、人の手を重ね合わせたような意匠をした杖を唯一残った手で握っている。
六将軍第四席クリストフォロスだった。その表情は喜悦に満ち、上機嫌に見える。
クリストフォロスは足を止めて無人の上座に恭しく一礼すると、大理石の椅子に座る。上座から見て左手の中央の椅子に深く腰掛けると、空席を眺めて呟く。
「どうやら、私が一番乗りのご様子で」
四方の闇が呟きを吸い上げ、誰も返事をしなかった。さして気にした風も無く、クリストフォロスは指を鳴らして言葉を紡ぐ。
「《蔵よ、開け》、《クレヤボヤンス》」
技能による魔法を発動させると、彼の眼前に三つの窓が開いた。どれもがこの場に居ないはずの人間を映し出していた。映し出されている場所はアマツマラの城壁前。残ったモンスターたちを相手に指揮を執るテオドール。群がるモンスターを蹴散らしながら城壁を越えようとするオルド。そしてそのオルドに背負われて眠るように意識を失っている少年がそれぞれ映っていた。
金色の瞳を細めて三人を眺めていると、クリストフォロスしか居ない空間に再び足音が響き渡る。それも一つではない。二つだ。
クリストフォロスが音のする方に視線を向けると自分と同じように闇から吐き出されるように二つの人影が現れた。どちらも異様な姿をしていた。
一人は、見た目は十代半ばから終わりぐらいの、少年から青年へと至る狭間の顔立ちをしている。快活そうな笑みを浮かべ、切れ長の瞳と相まってひどく好戦的な印象を与える。
長く伸びた黒髪はクリストフォロスのように流しているのではなく複数本で捩じり合い、太いロープが頭部から伸びているように見える。だが、この男の異常な点はそこでは無い。体の表面に走る無数の傷跡こそ男の際立った異常さだった。
惜しげも無く晒される鍛え上げた上半身の全身には無数の傷跡が残っている。刀傷、擦傷、打傷、刺傷、熱傷、氷傷。ありとあらゆる傷が全身をはしり、傷跡の上から傷跡が張り付き、元の皮膚の色すら分からないほど傷跡が全身を覆っていた。上半身だけでなく、申し訳程度に巻かれた腰布から伸びている素足にも同様の傷跡が姿を見せていることから全身に傷が走っていると分かる。中には肉を抉った様な後もあり、肉体が隆起している。
傷だらけの男の隣に立つ者も異様な出で立ちだった。紫色のかがり火に照らされた青銀の鎧は艶やかな光沢を放つ。顔まで覆った全身鎧の為、性別は分からない。だが、何より特徴的なのはその巨体だろう。隣に立つ男が二メートルは無いとしてもそれなりの高さを持つのに、全身鎧は優に三メートルを越す巨体だった。
両者は先に座るクリストフォロスに目線を向けずに、空席の上座に向けて恭しく一礼するとそれぞれの席に座る。クリストフォロスの左斜め前に全身傷だらけの男が。そして全身鎧はクリストフォロスの左側にゆっくりと腰かけた。大理石の椅子は巨体に相応しい大きさでは無いので、どこか居心地の悪そうにしている。
「あー。つかれたー」
最初に静寂を打ち破ったのは全身に傷を負っている男だった。長机に顎を乗せてため息まじりの愚痴を続けた。
「ほんとうにもー、人手不足にも程があるってもんだよ。残り時間が少ないのに、全体の進捗率はまだ半分にも達していないんだぜ。本当に嫌になるってもんだ」
「グチヲコボスナ。コレモ、ワレラノシジョウノオカタノゴイシ。ワレラニデキルノハ、タダヤクメヲマットウスルコトダ」
対面にて愚痴を零す男を窘める全身鎧の声はどこか濁った様な音が混じり聞き取りにくかった。しかし、窘められた男は理解した様に「へいへーい」と生返事を返した。『窓』に視線を向けていたクリストフォロスはあからさまに呆れた顔を浮かべて二人に声を掛けた。
「……まず、報告が先でしょう。陛下不在の折りは私が指揮官なのですから」
「だとしたらますます末期じゃんか。指揮官が高みから指揮を出すんじゃなくて、現場に出張るのって組織としちゃ限界に来てるってかんじがするよー」
へらず口を続ける男に向かってクリストフォロスは静かな殺意を放つ。常人なら、それに当てられただけで失神しかねない殺気をそよ風のように目を瞑って浴びた男は背筋を伸ばして居住まいを正す。
「六将軍第五席ジャイルズ。古代種が一つ、風を司る龍の討滅を確認。なお、副次目標については確認できず」
続けて全身鎧が胸を張って告げた。
「ロクショウグンダイロクセキディオニュシウス。コダイシュガヒトツ、ミズヲツカサドルリュウノトウバツカクニン。ナオ、フクジモクヒョウ二ツイテハドウヨウデアル」
「分かりました、ご苦労様です。ああ、ちなみに私の方も火を司る龍の討滅を確認。副次目標については……可能性のありそうなのは見つけましたよ」
その言葉にジャイルズは目を細くした。金色に輝く瞳がまるで猛禽類のようにクリストフォロスを見つめる。
「さっすが! あんな回りくどい手を一生懸命に行ったかいがあったじゃんかー」
「そこまで手間ではありませんよ。……まあ、趣味に走って回りくどくなったのは否定しませんが。趣味と実益を兼ねたよき遊戯でしたよ」
クリストフォロスが上を見上げて恍惚が滲む声色で告げた。まるで荘厳な音楽を楽しむかのような横顔にディオニュシウスは付き合いきれんとばかりに首を振った。
「アイカワラズ、インケンナセイカクヲシテイル」
同意するように頷くとジャイルズは起き上がり、背もたれに寄りかかる。今度はめいっぱい足をのばしてだらしない格好をした。
「だよねー。俺なんて下準備も何もしてなかったから全部空振りだったよー。面倒だから緑龍を追い詰めては人間共の国に逃がして、人間共と戦わせては外れを引いて、ってのを三回も繰り返しちゃったよ。結局どの国も滅びちゃったし、副次目標は見つかんなかったし。あーあー、つまんなかったなー」
「ワレモニタヨウナモノダ。クニヲフタツホドツブサセテミタガ、トロウニオワッタ」
愚痴る二人に向け、笑みを消したクリストフォロスが向きなおった。
「まあ、古代種の龍さえ倒せれば目的は果たしたと言えますから、問題は有りませんよ」
「慰めありがとー。それでさ、どんなのが副次目標の可能性があんのー。その『窓』に映ってる奴?」
問われるとクリストフォロスは無言で『窓』を指ではじいた。すると、机上を滑って三枚の『窓』はジャイルズの所に辿りつく―――前に横合いから伸ばされた手が拾い上げた。
ジャイルズは、いや、この空間に居る全員がその男の出現に驚いた。三人が三人とも怪物級に強く、例えこの魔界であっても気を緩める事は無かった。それにもかかわらず、男の侵入に気づかなかったのだ。誰にも気づかれずに三人の傍に近づいた男の相貌は整ってはいるが非常に怜悧で、見た者の魂をも凍らせるような美しさを孕んでいる。
「……三百年ぶりのご帰還ですか。六将軍第二席ゲオルギウス」
いち早く静止から動き出したのはクリストフォロスだった。彼は事前にゲオルギウスの生存の可能性を知っていたからさほど驚かずにいた。しかし、ゲオルギウスはクリストフォロスに見向きもせず、掴み取った三枚の『窓』のうちの一つに視線を送っていた。
「この小僧……レイか。……なぜ、『窓』で追いかけている」
クリストフォロスはゲオルギウスの態度に文句を言いたげな表情を浮かべたが、その感情を上回る疑問が生まれた為、質問に答える。
「救世主候補の可能性を持った者ですよ。貴方が不在の間、陛下の御下命により、私達は古代種の討伐を行っています。この少年はその時に遭遇した……奇妙な少年ですよ」
説明しながらクリストフォロスは赤龍から回収した自分の分身が見ていた光景を思い出す。赤龍のブレスを躱し、奇策と奇跡を重ねて城壁まで引きずり下ろした存在。最後には赤龍に対して一撃を放っていた。
その姿が妙に心に残った。他の二人よりも格段に弱いながらも、同列に扱うのも拭いきれない違和感を抱いたからだ。そんな少年に対してゲオルギウスが、この三百年姿を見せなかった男が反応を示している。不思議に思うのも当然だ。
ゲオルギウスは質問に答えず、空席の上座に向かって礼をすると、クリストフォロスの右側に座った。そして、掴んだ『窓』をクリストフォロスの方に差し出して答えた。
「その少年。それと、禿頭の男とは中央大陸のある街で遭遇し……手傷を負わされた」
その言葉に三人の間に動揺と困惑が広がる。席次では第二席に収まっているがゲオルギウスは六将軍の中で最強の存在。撤退する魔人種たちの殿を務めて、魔王と同格の『勇者』と戦い生きのびたゲオルギウスに対して手傷を負わせたと聞けば、驚かない方が難しい。
クリストフォロスは手元に帰って来た『窓』に映る少年に視線を向けた。禿頭の大男に背負われ、意識を失ったままの少年は時折、苦しそうに呻いていた。
「名をレイと言っていた」
「レイ……覚えておきましょう。次に私たちの前に現れれば、確実にこの少年が13神の送りだした救世主候補になりますね」
ゲオルギウスは同意するように頷くと、自分の対面とその隣の空席に視線を向けた。本来なら第一席と第三席が座るはずの大理石の椅子はどちらも奇妙な姿と成り果てている。
第一席が座るはずの席は縦に割れていた。大理石の分厚い石椅子は鋭利な刃物で切られたような切断面を晒している。
一方で第三席が座るはずの椅子は砕かれていた。それも徹底的に、執念深く、念入りに。まるで怒りを晴らすためのサンドバックのように無座な姿を晒す。唯一残っている石の塊が、そこに椅子があった事の証明だった。
「逐電者と裏切者。どちらも不帰か」
「ついさっきまで、そこにアンタも入っていたんだよー」
ジャイルズが揶揄すると、ディオニュシウスも頷いて同意を示す。ゲオルギウスはすまん、と一言詫びるとクリストフォロスに対して問いかける。
「陛下は今どちらに? 帰還の挨拶をしたいのだが」
「陛下なら、あちら側で日光浴を。なにぶん魔界の太陽は黒く、日差しの温かさではあちらに劣りますからね。かれこれ……二十年ほどは不在です」
「そうか。ならば邪魔をしないのが臣下の務め。……それで陛下の御下命は全て終わったのか。まだ、済んでいないのがあるのなら、回せ」
「ふむ。……実は少々、面倒な仕事があるのですが、頼まれても良いでしょうか、ゲオル?」
かつての愛称で呼ぶとクリストフォロスはゲオルギウスに対して作戦の概要を説明していた。残りの二人は元から知っていた為、特に反応を示さず、ゲオルギウスも驚きを露わにせず、二つ返事で頷いた。
「……それでは通達します。次作戦は南方大陸。対象は古代種が一つ、土を司る龍。黄龍。なお、作戦において陛下から一つだけ、指示があります」
言うと、クリストフォロスは何もない空間から一枚の書簡を取り出した。全てが黒一色の紙に白文字が書き込まれている。
「『これは狼煙である。三百年前の戦争で全てが終わったと思い込んでいる人間共に、我らの恐怖を思い出させろ』」
クリストフォロスの言葉を聞いた三人は一斉に立ち上がると胸に手を当て、空席の上座に向かって礼をする。まるで、そこに魔王が居るかのように。
「なお。この作戦には六将軍総力を持って挑みます。陛下の仰る通り、これは狼煙です。全ての人間に対する、二度目の宣戦布告となるのですから、いっその事、大陸を燃やす勢いの惨禍を引き起こしましょう」
光を通さない濃い闇に包まれた空間で四人の怪物は残忍に嗤った。
―――まぶしいな。
全身が酷く痛み、指先を動かすのも難しかった。唯一動く瞼を上げると、差し込んできた光で視界が白く潰された。何度か瞬きを繰り返して、ようやく視界が正常に戻る。
眼球だけを動かして周囲を見渡せば、清潔感のある室内に見覚えは無かった。耳に飛び込んでくる音は人々の活気あふれる声や何かの作業の音。少なくとも、戦いの音色では無かった。
どうやら此処は安全のようだ。
そこまで理解してはたと、気づく。自分の中にある最後の記憶は赤龍に一撃を与え、オルドに庇われたシーンだった。
その後がどうなったか、僕は知らなかった。リザは、レティは、シアラは、ファルナは、決死隊の皆は、避難民はどうなった。赤龍は倒せたのか。スタンピードはどうなったのか。何一つ、分からない。
そこまで考えると居ても立っても居られない。さび付いた機械のように体の関節が軋み、苦痛を発する中起き上がって見ると、自分が清潔なベッドに寝かされていたと理解できた。そして―――ベッドの中頃でうつぶせに頭を乗せている三人の少女が居た。一人は流れるような金髪を。一人は肩で切りそろえた栗毛色を。一人は長く伸びたウエーブがかった黒髪を。寝息と共に頭が上下する。どうやら眠っている様だ。
「リ、っ!」
名前を呼ぼうとして、しかし、喉が酷く乾いて言葉が続かなかった。咳き込む音に反応してばね仕掛けのように三人の頭が持ち上がった。
青色の瞳が。翠色の瞳が。金色黒色の瞳が。一様に大きく開かれると、三人は異口同音に告げた。
「「「おはよう。ご主人様!!」ご主人さま!!」主様!!」
輝く様な笑みを見せる三人に向けて僕はつぶやく様な声で返した。
「……おはよう、みんな」
―――精霊祭、終幕。
ここまで読んで下さって、本当にありがとうございます。
これにて3章終了です。なお、今後の投稿は前に明言した外伝を年内に一本、年明け後に一本を予定しております。その後は3章終了時のステータスや登場人物、及びモンスター図鑑的なのを投稿しようかと予定しています。
詳しくは活動報告に載せますので、ご確認して頂けると幸いです。




