3-52 精霊祭 六日目〈Ⅵ〉
目が覚めて最初に切り落とされたはずの首が繋がっているのを手で確認する。まっさらな肌には傷跡なんて残っていない。それでも皮膚の薄皮一枚下に刃がくい込み、筋繊維を千切っていく感触が生々しく残っている。きっとギロチンで死ぬときもあんな感じなのかもしれない。
何度死んでも、死ぬ瞬間そのものに慣れはこない。波のように徐々に治まりつつあるイタミに耐えていると再びリザの悲痛な叫びが聞こえてきた。
僕はすぐさま駆け寄った。リザはなにかを遠ざけようと腕を振り回し、姉の膝で眠っていたレティも混乱する姉の体を押さえつけるようにしがみ付いた。僕はリザを落ち着かせるためにも命令を口にした。
「リザ。ここは大丈夫だから落ち着くんだ。これは《命令》だ」
今回は迷宮の変成前に試しておきたいことがあり、命令を何度も、何度も繰り返した。乾いたスポンジが水を吸うようにリザに命令を染み込ませる。イタミに体を震わせ、譫言を呟く彼女に繰り返し落ち着くように命令する。一度ではそれほど効果を見せなかった命令も次第に繰り返すうちに定着していく。
その反応を見て、効果の高さを喜ぶよりも、何か精神改造を行ってしまったかのような不安が残る。しかし、時間が無かった。迷宮の変成が起きる前に行かねばならない場所がある。
命令の重ね掛けによってシアラが到着する前にはリザの精神は落ち着いていた。前回よりも早い。瞬きを繰り返した彼女は唐突に僕の顔を見て叫ぶ。
「ご主人様! 敵が来ます。……いえ、敵が来るかもしれない?」
「それは分かってる。……事情は後で話すけど、リザ。その前に聞かせてほしい事がある」
精神の落ち着きとは裏腹に、むしろ落ち着いたからこそ記憶の齟齬に混乱する彼女に質問を投げかける。
「君はどこまでを覚えている?」
「ご主人さま?」「ちょっと、主様?」
横で姉の動揺を見ていたレティと結界の外から帰って来たばかりのシアラが不思議そうにするが構っている暇はない。リザはしばし瞑想するように両目を瞑り、覚悟を決めたかのように瞳を開けた。
「私が覚えているのはレティを守る為にアイアンライノーに弾き飛ばされて、……死んで、その後に妙な世界に陥った事です。次々と切り替わる世界はまるで―――」
「―――分かった。もういい。もういいから。……酷な事をさせてごめん」
死に戻りのイタミを思い出しかけるリザの肩に手を当てた。年頃の細い肩は恐怖からか震えていた。しかし、一つ分かった事もある。リザの引き継いだ記憶は僕から見て二つ前の記憶だ。前回の記憶は存在していない。
どうして、彼女まで《トライ&エラー》による死に戻りが発動したのか分からないけど、僕単体の死亡においてはいままでと同様に巻き込まれる事は無いようだ。死に戻りのイタミは僕だけが味わう事になる。妙な言い方だがこれなら安心して死ねる。
前回と違い、リザの精神の回復が早く終わったとはいえ、直に迷宮の変成が始まってしまう。僕は大急ぎで前回三人に伝えた説明を繰り返した。
三人の反応はこれまた前回と同じくレティが猛反対をし、シアラが僕を罵倒し、未来を知るリザが消極的賛成を示す。本来なら、ここでレティとシアラをちゃんと説得しておきたかったが、もう時間が無い。僕は断腸の思いで命令を口にした。
「三人とも。今は僕の指示に従ってほしい。これは《命令》だ」
そう告げた時、三人の体を電流が奔ったかのように軽い身震いを起こした。どうやらリザも心の中では反対していたようだ。命令には逆らえないため、一番反対しているレティが唇を尖らせて「ずるいよ」と口だけで抗議していた。
僕はそんなレティの頭を撫でて、
「ごめん。でも誰かがこれをしないとここに居る人たちだけでなく、迷宮に居るみんなが全滅するかもしれないんだ。だから、行かせてほしい」
と。自分の中の譲れない意志を口にした。そして、立ち上がると走り出した。ギャラクさんが止めようとするのも振り切って進む。
「御武運を!」「気をつけてね!」「絶対に帰って来なさいよ!」
背後からそれぞれのエールを受け取ると、振り返りたい欲求を堪えて広間の左の通路に飛び込んだ。C-8からB-8へ。
そして、広間の通路から次の通路までの最短距離を駆け抜ける。半ばまで来た時に遂に振動が起きた。立っていられない程では無いが揺れる中を全速力で走るのは難しい。倒れ込み四つん這いになっても前進する。
通路に飛び込んでから、後悔した。人が二人横にならんで両手を伸ばせばぶつかるような狭い通路が狭まってきていた。やはり、迷宮の変成は通路をずらすのでは無く、一度閉じて、広間を切り離してから動かして、再度通路を出現させるようだ。両側から閉じていく通路の中を駆け抜ける。振動は変わらず続き、倒れたら最後壁に阻まれて潰されてしまう。
「うぉぉぉぉおおお!!」
腕が両側の壁に削られ、蟹のように横向きに進み、閉じる通路の出口に向かって飛び込んだ。同時に背後の通路は完全に閉じきった。あやうく壁に挟まれて全身圧迫で死亡という事態だけは避けられた。
僕は変成の振動が続くB-7の床に寝そべった。荒い息を落ち着かせる為に呼吸を繰り返す。なんだか今回の《トライ&エラー》が発動してからずっと走りっぱなしだ。死ぬたびに体力は回復しているが気力はガリガリと削れていく。走るのを止めれば途端に死に追いつかれるかもしれないなんて莫迦げた妄想が浮かんだ。
そして、遂に振動は治まる。一瞬、遅れて前後の壁の一部が開き、通路が形成される。これで広間一つ分ショートカット出来たことになる。変成が終わってから移動を始めれば、ホワイトタイガーが第一階層を電撃作戦さながらに進んでしまう。それでは僕の作戦は意味を成さない。
僕の目の前に変成後の新しい並びの広間へと続く通路の出口が手招きしている。休んでいる暇は無い。震える足に鞭を打って新しい第一階層の最奥。ファルナのいる広間へと進む。
変成が収まった直後の広間は何処も同じ反応を示す。天幕から顔を覗かせる避難民たち。何が起きたのか周囲を不安そうに見る防衛部隊。その中を掻き分けて僕はファルナの姿を見た。彼女はこの防衛部隊の指揮を執っているのか声高に指示を出す。
「まず、避難民の安否確認を! 怪我人などは一カ所に集めて治療を。それとキャメル、カーメルはそれぞれ前後の通路を進んで隣の広間の様子を確認!! 異常が無いかだけでも見てきな」
「「了解です、姐さん!!」」
ファルナの指示に同じ顔の少年たちが応えると勢いよく二手に分かれた。エルドラドに来て、双子を見るのはこれが初めてだった。周囲の状況を確認すファルナの瞳が僕を捉えた。
「……レイ? アンタこんな所で何をやってんだい?」
訝しんでいるファルナに詰め寄ると肩を掴んだ顔を近づけた。
「ちょ!? ア、アンタ、こんな時に、ナニを考えてんだい!!」
悲鳴じみた声をあげて顔を真っ赤にするファルナに囁いた。
「よく聞いてくれ、ファルナ。今この第一階層は変成が起きている。恐らく広間の配置が縦一列になっているはずだ」
「はぁ? ……まさか、下の階層から上の階段までが! そんなのまるでスタンピードじゃないか」
僕よりも冒険者として多くの経験を積んだファルナは瞬時に答えを出してくれた。顔色を赤から青に切り替えると奥の通路を睨みつける。その先の暗がりに潜む何かを睨んでいるように眼光は鋭かった。
すると、先程様子を見に行った少年が慌てた様子で帰ってきた。
「姐さん!! 通路の先が折れてどうも階段みたいです。そんで、モンスターが上がって来そうな気配がしてます!!」
その言葉にファルナは瞬時に判断を下した。
「避難民に通達! ここを放棄して後方の広間に撤退する。急いで支度をしな!!」
流石だと僕は内心舌を巻いた。僕の確証の無い情報と偵察からの情報の二つだけで撤退を決められる決断力はまさにオルドそっくりだった。
突然の通達に避難民たちは動揺し不満から抗議の声を出す。けど、先程の振動とファルナの剣幕から、ただならぬ事態が起きていると誰もが理解した。緩慢な動きではあるが荷物を纏め始める。
ファルナは次いで、防衛部隊に使えそうな物資を纏める様に指示を出し、同様の指示を入り口側の広間に伝えるように命令した。緩慢な動きを見せる避難民とは違い、冒険者や予備兵役組は一目散に動き出す。
僕はファルナに僕らの広間の位置と誰が居るかだけを伝える。
「いいか、ファルナ。二つ先の広間にリザ達がいる。彼女たちにはモンスターが地下から昇ってくる可能性を話してある。すでに広間からの撤収も始めているはずだから、協力して避難民を地上に誘導して欲しい」
「分かった。でも、時間が足りないぞ。これがスタンピードなら直にモンスターが下の階層から昇って来るぞ」
「わかってる。そのために僕は来た」
最初、言葉の意味を理解できない様に呆けた顔を見せたファルナは次の瞬間、激昂した様に顔色を変えた。彼女の細い手が僕の胸倉を掴もうとするのをすんでで躱し、そのまま前方の通路へと向かった。
「このバカレイ! アンタは本当にバカだよ!!」
そんな事、僕が一番分かっているよ。背後から聞こえたファルナの罵声に胸の内でそう返した。
そして、僕は下の階層へと続く通路へと足を踏み入れる。バスタードソードを抜いて仁王立ちに立つ。ここが僕の戦場だ。これが僕の作戦だ。
この異変がスタンピードで、迷宮の広間の並びが縦一列に変化しているのなら、モンスターをスタート地点で足止めできれば脅威は他の広間に向かない。その間に後方の広間でモンスターを迎え撃つ時間を稼げるし避難民の誘導も完了できる。
そのために僕はここで単身、モンスターたちを相手に足止めをする。
リザ達にはギャラクさんと連携して避難民の誘導をお願いした。彼女たちだけでは説得できないかもしれないが、ここにはファルナが居る。『紅蓮の旅団』のネームバリューがあれば交渉の余地もあるはずだ。
幸い、この通路は狭く、モンスターの体格だと僕を無視して突破することはできない。同時に複数のモンスターを相手にしなくて済む。もっとも、通路が狭いためにリザやシアラを連れて乱戦は出来ない。レティの盾の魔法も中級以上を相手にすると大した時間稼ぎにはならない。だから三人を連れて来れず、単身で挑むことになる。
相変わらず作戦というには綱渡りが過ぎるが、今のところ被害を出さずに時間を稼げる方法がこれしか思いつかなかった。もしかしたら、もっといい方法があるのかもしれない。だけど、もう考えている時間は無い。
通路の奥の曲がり角から、ホワイトタイガーの鼻先が現れた。のそり、と四肢を動かした怪物の数は十数体。一斉に飛びかかって来れないとはいえ、十分脅威だ。この後に控える強敵と戦う前にまずはこの群れを相手にしないといけない。
「さて、始めるとしますか、な!!」
呟きに合わせるようにホワイトタイガーの群れの内一頭が駆けだした。しなやかな筋肉を持つ四足獣は瞬く間に距離を詰めた。通路の至る所に生えたヒカリゴケがホワイトタイガーの白い毛並みや口元からはみ出した牙や鋭い爪を照らす。
僕はバスタードソードを、飛び出したホワイトタイガーの額に叩き込む。鈍い手応えで刃は食い込むが致命傷では無いようでホワイトタイガーは勢いそのままで右腕に噛みついてくる。
牙が腕に突き刺さり、激痛を脳に知らせる。しかし、痛みに呻く暇は無い。この一体に手間取ればその隙に他のホワイトタイガーが横をすり抜けてしまう。噛まれた影響なのか指を動かせないためバスタードソードが右手から動かない。無事な左腕でダガーを抜くと腕を噛んだままのホワイトタイガーの柔らかい喉元を大きく切り裂く。魔物の血が通路に滝のように落ちた。絶命したホワイトタイガーが力を無くして倒れこむも、牙は食い込んだままだ。思わず右腕が下に落ちる。
「ぬおおお!!」
僕は腕に噛みついたままの屍を横に振り回した。振り回した衝撃で牙は根元から折れ、それを支えにしていた屍は横を通り抜けようとしたホワイトタイガーを巻き込んで壁にぶつかる。僕は屍の上から下敷きになっているホワイトタイガーの中央部分に向けてバスタードソードの刃先を突き刺した。長い刀身は重なりあう二体を同時に貫き、先端で魔石を砕いた手ごたえがした。
二体の同胞を倒されたことでホワイトタイガーの群れは僕に対する警戒心を一気に上げた。闇雲に向かってくるのではなく、距離を取って僕に唸り声をあげていた。その隙に右腕の状態を確認した。ホワイトタイガーの牙は右腕前腕部を噛み潰していた。徐々に握力が無くなっていき、指先の感覚が無くなっていく。動脈が破けたのか右腕は鮮血に染まっている。これは致命傷だろう。
―――だったら。
距離を取ろうとするホワイトタイガーの群れに向かって前進した。死ぬ前に一体でも多くのホワイトタイガーと戦い、行動パターンを引き出す為に襲い掛かった。
結局、同時に飛び掛かってきた二体のホワイトタイガーに襲われ、通路の天井を眺めながら腸を食いちぎられて死亡した。
★
「ほら、起きろよ、レイ。そろそろ時間だぞ」
ニコラスの幼い横顔がかがり火に照らされる。
これで四度目の起床だ。当然、右腕の傷跡も、腸にできた噛み傷も無かった。しかし、記憶と体と魂は死ぬときの痛みと死に戻りのイタミを克明に刻み込んでいる。
二つの痛みに耐えている間、思考だけは自由だった。ホワイトタイガーの行動を一つずつ紐解いていく中、ふと思ってしまった。
果たして避難民の撤退が終わるまでに僕は何回死ぬことになるのやら、と。
答えはまだ分からない。
読んで下さって、ありがとうございます。




