3-50 精霊祭 六日目〈Ⅳ〉
アイアンライノーの猛攻の前にガラスのように砕けた結界。それは避難民にとっては死を意味する。一瞬の静寂の内にそれを理解した人々は我先にと地上方向へ通じる通路へと殺到した。狂乱する彼らの耳にはもう、僕らの声も届かないだろう。せめて、彼らが広間を抜けるまでの時間を稼がないと。
「全員! 避難民が逃げる時間を稼げ!!」
ギャラクさんの指示を皮切りにアイアンライノーの群れとの戦いが始まった。陣形は横長に展開。ホラスや僕、リザなどの前衛組が半円に広がり、背後に遠距離攻撃のできるシアラやメーリアさんが控える、アイアンライノーを一体でも突破させないようにするため、長く薄い陣形をとった。
それでも中級モンスターの中でも飛びぬけて高い防御力を持つアイアンライノーはD級以下しか存在しないこの迷宮では傷をつけるのでさえ難しい相手だった。魔法や弓が牽制の為に放たれるが、物ともせずに直進する。
「《我を倒す者は汝なりか》!」
すると陣形の先頭に立つホラスが《決闘ノ宣誓》Ⅰを発動した。彼の前方に居た三頭のアイアンライノーはすぐさま方向転換しホラスの方へと殺到した。
「ホラス、死ぬ気か!?」
横にてバスタードソードを握る僕が叫んでも、ホラスは微動だにしなかった。確かにホラスのもう一つの技能ならアイアンライノーといえどひっくり返せるかもしれない。けど、相手は同時に三体も襲い掛かっている。一体を止めても残りに倒されてしまう。
援護に回ろうとした僕の首根っこをシアラが掴んだ。
「このバカ! アンタが死ねば、ワタシたち全員が死ぬのよ。無駄死には止めなさい」
「でも、ホラスが!」
シアラに向けて抗議をするよりも前にアイアンライノーはホラスと接触しようとする。犀に似たモンスターは巨大な角を真っ直ぐにホラスへと向けていた。もう、僕にもどうしようもなかった。
ホラスの体がアイアンライノーの体に貫かれる……はずだった。しかし、彼はすんでの所で大きく後ろに跳躍した。いや、あれは跳躍というよりもとにかく後方に飛び込んだ様な姿だった。受け身も取れずに背中を打ち付ける。そして彼の居た場所に三方向からそれぞれ突進してきたアイアンライノー同士が衝突を起こした。
ぐちゃり、とモンスターの頭蓋が砕ける音がした。固い皮膚を持つがゆえに起きた悲劇だ。ホラスの狙いは同士撃ちだった。自分を囮にした危険な作戦を成功させた彼は僕に向かって指を突き付けた。
「こっちの心配なんかしてんじゃねよ! てめぇはてめぇの心配をしてな!」
不敵に笑うとホラスは果敢にアイアンライノーに向かって行った。その戦いぶりを見て呆然としていた僕はシアラに小突かれて正気に戻る。
「そーいう事よ。アイツはワタシたちの中でも死の影が薄い。しばらくほっといても自力で何とかするはずよ。それよりも自分の方に集中しなさい」
「……ああ、分かった」
僕はシアラとホラスの言葉を信じて、自分の戦いに集中する。
縦横無尽に走り回るアイアンライノーにバスタードソードを振り下ろした。固い外皮に覆われたモンスターに刃がくい込む気配は無い。だけど、正面からの突進に僕のSTRはどうにか耐えていた。その隙を突いたようにリザが側面から襲い掛かる。
「《この身は一陣の風と為る》!」
《風ノ義足》Ⅰを発動した彼女は技能によって集まった風を足刀と共に解放した。密閉された迷宮の中に暴風が吹き溢れ、アイアンライノーの体が横倒しになる。リザはすかさずロングソードで柔らかい腹を貫いた。
「《超短文・低級・盾》! あとはお願い、シアラ姉」
「上出来よ、レティ。《器を満たせ》《バレット》!」
爆走するアイアンライノーを盾の魔法で足止めするレティがシアラを呼ぶ。彼女が杖を振りかざせば、放たれる魔法の弾がアイアンライノーの側面を襲う。ぐらりと傾いた巨体に続けて僕とリザが突撃して柔らかい腹から魔石を砕いた。なかなかどうして、僕らの即席のコンビネーションは悪くなかった。
だけど、懸命に戦う僕らをあざ笑うように戦局は不利になっていく。奥の通路から新手のようにバットイーターやグリーンゴブリン、更には地上でも遭遇したブラッドリザードなどが押し寄せていき、陣形を保つことが出来ず、乱戦へと切り替わる。
「なんだよ、このモンスターの量と種類は!? これじゃ、まるでスタンピードじゃないか!?」
誰かの絶叫はまさに、この状況を正確に表していた。畳みかけるように押し寄せるモンスターの軍勢はスタンピードそのものだった。だとすれば、これも人為的に行われているスタンピードなのだろうか。
ちらりと後ろを見れば、避難民の数も半分ほどに減っている。このまま持ちこたえれば全員を後ろの広間に逃がすことはできるはずだ。
でも、その先はどうすればいいのかなんて僕には分からなかった。ともかく、考えている余裕は無い。一体でも多くの敵を倒そうと剣を振るう。他の皆も同じなのだろう。
結界が破れ浮足立った防衛部隊の中で戦い慣れている冒険者たちはどうにか対応が出来た。ギャラクさんも崩れた陣形の穴を塞ぐように弓を放ちアイアンライノーの勢いを止めようとする。メーリアさんも混乱しながらも魔法を放ってグリーンゴブリンを倒した。レベリングの効果はあったようだ。レティも無防備になっているシアラや周りを助けるために盾の魔法を使う。元冒険者のマエリスさんも大槌を振るってブラッドリザードの頭蓋を砕こうとする。
しかし、鍛冶師であるニコラスや鉱夫。それに予備兵役組は状況に対応できなかった。
乱戦の続く中、予備兵役組が一人、また一人と続けてアイアンライノーに吹き飛ばされて動けなくなっていく。あのままではアイアンライノーに踏みつぶされてしまう。そう考えたのか僕らの背後で控えていたレティが動いた。
「ご主人さま、あたし行ってくる!」
「ちょっと、レティ! 待ちなさい、一人で行かないで!」
「―――っう! 待て、レティ! 僕らから離れるな!」
同じように後方から魔法で支援していたシアラの手を振り切ってレティは走り出した。襲いかかるアイアンライノーの突進と正面から向き合っていた僕も背後に控えていたレティの行動を止める事は出来なかった。敵味方入り混じる戦場を進む少女に『命令』を出してでも止めるかどうか迷ってしまった。
―――結局、その迷いが命とりだった。
負傷者へと駆け寄ったレティの小さな体を狙ってアイアンライノーが突進してきた。咄嗟の防衛本能で体を守ろうとしてレティは脚を止めてしまった。僕らは次の瞬間、小さな少女が吹き飛ばされる光景を思い浮かべてしまう。
だけど、
「《この身は一陣の風と為る》!」
風を利用した高速移動したリザが妹を突き飛ばした。レティはエメラルドグリーンの瞳を大きく開いて、桜色の唇を動かした。
「お、お姉ちゃん?」
リザは突き飛ばした妹にただ笑みを浮かべ応え―――鋭い角を持つアイアンライノーに吹き飛ばされた。僕はその光景を呆然と見ているしかなかった。
「リ、リザァッッッ!!」
果たして、アイアンライノーの突進力が大きかったのか、リザの体重が軽かったのか。僕には分からなかったが、彼女の体は大きく吹き飛ばされて迷宮の床を何度か弾んで止まる。そして、ピクリとも動かないでいた。
僕は鍔迫り合いを続けるアイアンライノーに対して片腕を伸ばした。黄色く濁った円らな瞳を打撃武器に変形した手甲で殴りつけた。手にぐちゃりとした感触が残るが知った事では無い。痛みから後ずさりをした隙にその場を駆けだした。
リザを吹き飛ばしたアイアンライノーが続けて動かなくなった少女へと照準を向けていた。僕は咄嗟に技能を発動させた。
「《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」
効果範囲に入っているアイアンライノーが意識をリザから僕へと向けた。殺意をこちらに放つモンスターが加速するのと同時に僕も前方へと大きく駆けだした。
そして、タイミングを見はからって、精神力を込めた両足で高く飛んだ。
前方から突進するアイアンライノーの頭上を越えて着地するのと同時に、後方でぐちゃりと鈍い音が聞こえた。おそらく、後方で同じように技能の効果を受けた片目のアイアンライノーが僕の背中を追いかけてきて前方の同胞と正面衝突したのだろう。ホラスの取った手法を真似させて貰った。
僕は後ろを確認することなく、前進する。倒れて動けないリザに群がろうとするブラッドリザードを排除する。この時ばかりはレベルアップした能力値に感謝する。焦りから出鱈目に振り回しても、ブラッドリザードは簡単に倒れてくれる。そして迷宮の床に倒れたままのリザへと駆け寄った。少し離れた場所ではレティが呆然と倒れた姉を見つめていた。
「リザ、リザ! しっかりしろ、エリザベート!」
僕の呼びかけにうっすらと少女は目を開けてくれた。しかし青の瞳は焦点が合わず、体はあらぬ方向に曲がり、買ったばかりの衣服に血が染み込んでいく。防具どころか脇腹はアイアンライノーの角で抉られている。そこから滝のように血が落ちていく。息が荒く、青白いを通り越して紙のように白い肌を見て、素人でもこの状態が危険だと分かる。
「ご……主……人……様?」
振るえる唇から僕を呼ぶ少女の声がした。だけど、安心できない。言葉を発すると同時に唇を汚す血の量が焦燥感を掻きたてる。
「喋るな! いま、回復薬を飲ます!」
ポーチから取り出した支給品の回復薬を少女の唇に当てる。だけど、緑色の液体は少女の唇から溢れていく。もう、自分で飲むこともできないようだ。僕はリザの傷口に対して回復薬を降り注いだ。しかし、目に見えた効果は無い。それほどまでに傷口は深い。
「もうし……わけ……ありま、せん。わたし……死んだら……ご主人、様も……」
「いいから、喋るな!! レティ! 急いで回復を!!」
僕の呼びかけに腰を抜かしていたレティが反応する。彼女は迷宮を這うように進み震える手で魔法を唱えた。しかし、淡い光が何度リザに注がれても傷口が癒えることは無かった。
「主様! リザの様子は―――っ!」
シアラもやってきてリザの状態を見て言葉を無くした。
「《超短文・初級・回復》……駄目っ! 傷口が塞がんない!」
「いいから掛け続けろ! 誰か! 回復薬を持ってないか!?」
悲痛な叫びを訴えるレティに怒鳴り返してしまう。床に倒れるリザを腕で支えながら周りで戦いを続ける仲間に叫んだが、誰も答える余裕は無かった。唯一、可能性のありそうなギャラクさんの姿も乱戦の中で見つからなかった。
すると、少女の手が僕の頬を撫でた。その冷たさにゾッとする。いまにも消えそうな命を振り絞ってリザはか細い声で喋りかける。
「……ご主人様。……最……期の、お願い……が……あり、ます」
息を切らしながらになりながら、リザは不吉な事を言い出した。僕の全身の血が燃えるように熱くなり、生み出された感情が口を突いて出た。
「最期って……そんな縁起の悪いこと口にすんな! 君は絶対に生き残らせるから!」
怒鳴ると、リザは焦点の合わない瞳で僕を見つめた。今にも消えそうな声とは裏腹に瞳に宿る光だけはまだ克明に輝く。
「聞いて、ください。……奴隷……契約を……破棄、して……ください。そう、すれば……死ぬのは私……だけです」
それは至極真っ当な意見だった。一人の死が全員の死に繋がる対等契約。ならば、その死に逝く者を見捨てれば残りは生き残る。一人が死ぬか、四人で死ぬか。合理的に考えればどちらが正しいかなんてすぐに分かる。だけど、その選択肢だけは僕に存在しない。
「ふざけんな! 僕は君たちを見捨てないってそう決めたんだ!! だから絶対こんな形で縁を切るつもりは無い!」
リザは僕の言葉を聞くと、困った様に眉を下げて、しかしどこか嬉しそうに呟いた。
「ああ……困り、ました。……本当に……おやさし……い、かた……なん……です……から」
そして―――頬に添えていた少女の手がだらりと地面に向かって伸びた。
「……リザ? リザ!! 死ぬな―――ぐぅ!?」
叫ぶ僕に対して今度は見えざる死神の鎌が振るわれた。強烈な痛みに耐えかねて膝を屈した。せめてリザを落とさないように強く抱えている右腕が酷く痛んだ。滲む視界の中で右手の甲に浮き出ている鎖が蛇のように伸びて、腕を伝って胸に向かっているのが僕の最期の光景だった。
「お姉ちゃん!? ご主人さま!!」
「ちょっと!! アンタたち!!」
二人の動揺する声は耳元で聞こえるのに、二人の姿は光を失った僕の瞳には写らなかった。
★
何が彼女たちを守る、だ。威勢の良い事を言っておきながらいつだってこのザマだ。
地獄のような気分だった。どれだけの責め苦を浴びても、この心の呵責に勝る苦痛にはならない。目の前で散った少女の姿が蘇る度に深く心を抉る。
煉獄の焔に焼かれ、灰になっても。極寒の吹雪に晒され、氷像になっても。荒れ狂う大海原に飲まれ、冷たき海に沈んでも。酸の沼に浸かりながら、全身を溶かされても。無数の刃が、内側から体を突き破っても。無機質な歯車に挟まれ、体が砕かれても。
イタミを上回る後悔だけが、ずっと胸に残っていた。
★
「ほら、起きろよ、レ―――」
「―――リザ!!」
「うおっと!?」
バネのように飛び上がった僕の頭とニコラスの顎がぶつかりそうになる。慌てて躱したニコラスが文句を言うが、僕はそれどころでは無かった。体を蝕むイタミに意識が飛びそうになりながら、周囲を確認してちゃんと戻れたことを確認する。同時に死ぬ前に起きた悪夢のような、いや、悪夢その物の光景を思い出した。
リザの死亡。そして対等契約によって僕が死んだ。考えてみると対等契約で死んだのはこれが初めてだった。《トライ&エラー》によって生き返ると想定していたが、いざこうやって生き返えられた事にほっとした。
息を整えながら、素早くステータス画面の技能欄を開き、『使用不可』が出てないか確認する。問題は無かった。
「おい、聞いてんのかよ、レイ!」
苛立ったニコラスの声で僕の意識は浮上する。目を開けてステータス画面から戻ってきた。
「ごめん、ごめん。もう大丈夫だ」
「……なら、良いけどよ。こんな状況だから嫌な夢を見るのも無理もねえ。あんまり一人で抱えんなよ」
「ありがと、ニコラス。その時は頼らせてもらうよ」
僕は心配するニコラスに礼を言いつつ、思考だけは先程の事件に思いを馳せていた。突然の地震から立て続けに起きたモンスターの襲撃。それも第一階層に現れない中級モンスターの群れ。誰が言っていたのか分からないがあれはまさしくスタンピードといえる。
このスタンピードが人為的なのか偶発的なのかどうかは脇に置いておく。どちらにしろ、中級モンスターの群れが襲ってくるのは間違いないのだから。そして、スタンピードなら発生源はこの階層では無く、下の階層で起きているはずだ。
『冒険の書』や他の冒険者からの話でスタンピードの流れは知っている。そもそもスタンピードの目的はモンスターの数が迷宮のキャパシティを越えた時に、食料を求めてモンスターは地上を目指す事。この階層に出てこない中級モンスターが姿を見せたのは地上に向かう最中だったのだろう。だとすればやるべき事は一つ。
厄介なのはあまり時間が残されていない事だ。あと十数分後に迷宮に変成が起き、中級モンスターとの戦いが始まる。
そして、その戦いでリザが。
脳裏に彼女がアイアンライノーに吹き飛ばされた光景が蘇る。振り払うように首を振ったその時だった。
「―――っ! あああ!!」
リザの悲痛な叫び声が聞こえたのは。
「……おねえちゃん? どうかしたの。ねえ、お姉ちゃん! お姉ちゃん! ご主人さま、お姉ちゃんが!!」
レティの姉を気遣う声に反応して僕は大急ぎで駆け寄った。リザはなにかを遠ざけようと腕を振り回し、妹は姉を押さえるようにしがみ付いた。周囲の人の視線が突き刺さるが気にしている余裕は無かった。
(こんなこと、前回は起きていないぞ!)
混乱する僕は二人の傍にしゃがむと小声で命令した。
「リザ。大丈夫だ。ここは安全だ。……落ち着くんだ。これは《命令》だ」
すると、ひきつけを起こしたかのように暴れるリザの両腕からだらりと力が抜けた。賭けではあったが、どうやら奴隷に対する命令は行動だけでなく、相手の精神にも作用するようだ。
しかし、落ち着いたのは表面上だけで、呼吸は震え、晴れた青空を思わせる瞳に恐れが浮かんでいた。少女の瞳が妹を、そして僕を順に捕えた。
「どうしちゃったの? 悪い夢でも見たの」
レティが優しく語りかけたがリザはどこか心有らずの様子だった。
「……夢? いいえ。あれを夢と言うにはあまりにも生々しい……でも、どこも怪我なんてしてない」
少女の手が自分の腹部を触るのを見て、僕は衝撃を受けた。まさか、まさかそんな事がありうるのか?
僕は信じられない思いでリザに問いかける。
「リザ……僕に奴隷契約の破棄を申し出たのは覚えている?」
唐突な問いかけにレティは僕の意図が分からない様に首を傾げた。だが、リザは自分の記憶に戸惑いながら答えた。
「……ええ。死ぬのは私一人で良い、と願い出たのにご主人様は断られて。それで……それで私は……死んだはず。……でも、今は生きてる? 何が起きてるんですか、ご主人様!?」
それは僕が知りたいことだった。
しかし、これで確信した。
リザは前回の記憶を引き継いでいる。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は12月7日を予定しております。




