3-48 精霊祭 六日目〈Ⅱ〉
「そんな! まだ戦いが続いてるの!?」
カーミラの悲痛な声が病室に響き、誰もが手を止めて彼女の方に向いた。病室の中は患者で溢れ、ベッドの足りない者には申し訳程度に引かれたシーツの上に寝かせている。
仮設診療所にて治療を続けるカーミラは何時まで経っても運び込まれてくる負傷者に疑問を抱いた。今までの戦いならこの時間にこれほど真新しい負傷者が運び込まれることは無く、情報の降りてこない仮設診療所では状況が分からないでいた。
負傷者を運ぶ兵士を捕まえて外の状況を聞きだすと予想外の、しかしある意味当然の回答が返ってきた。負傷者を連れてきた兵士もまた疲労困憊といった具合で差し出した水を煽るように飲んだ。
「ああ……いつもなら夕暮れに終わるはずの戦いがまだ続いている。かがり火を焚いて、戦ってるけど……上の人たちの話だと場合によっちゃ城壁を放棄することもありうるとか」
兵士はそれだけを言うとすぐさま診療所を飛び出した。
薄々は感じていた状況の変化が白日の下になると集まったヒーラーや医師などが顔を見合わせる。前々から城壁を放棄した場合、アマツマラの街の中腹辺りを遮るように防壁を展開するという作戦は知らされていた。その場合この診療所は新しい防壁の外側に位置してしまうため、患者を連れて更に上へと避難しないといけない。
だが、この診療所で動ける患者の数は多くない。軽傷者は自力で動けるかもしれないが重傷者は必ず人の手が必要だし、中には絶対安静の者もいる。それら全てを一度に運べるほどの人手は無い。
動けない彼らを見捨てて、動ける者だけで脱出するべきなのか。
難問を突き付けられた医療班だが、時間はそれほど多くない。迅速に情報が降りてこないため、いつ城壁を放棄して防壁を展開するか分からない。それに動かせる患者の数も少なくは無いとはいえ、怪我人である以上、直ぐに移動はできない。物資や回復薬なども置いていくわけにはいかない。
だとすれば、いまのうちに撤退の準備を始めないと、いざという時に身一つで診療所を後にすることになる。しかし、そのためには人手が必要で、重傷者の治療を打ち切らざるを得ない。
前線指令所の指示を待ってから行動を開始するべきか、準備だけは始めるべきか。混乱する医療班の面々を尻目にカーミラは一人その場を離れる。
廊下に出ると窓から外を、遠い前線の方へと視線を向けた。いくら坂の街とはいえ、他の建物で遮られているため戦場を直接見る事は叶わない。しかし、城壁のある方角の夜空は明るく、耳をすませば戦いの音がかすかに聞こえる。
(……みんな。お願いだから、無事でいてちょうだい!)
前線に居るだろう『紅蓮の旅団』の面々へと思わず祈った。祈るしかできない自分を呪いつつも祈った。
その時、背後で風が吹いたように感じた。
振り返るが明かりの落ちた廊下にカーミラ以外の人気は無く、病室代わりの部屋から医療班の面々による論争が白熱しているのが聞こえるだけで、廊下に抜け出した彼女を呼びに来た者も居ない。
カーミラは気のせいかと思い、病室の入り口に向かい室内を見回した。誰もが議論に夢中になり患者を放置してしまっている。自分の役割を忘れた状態で脱出すべきかを討論している面々を叱り飛ばそうとして違和感に気づいた。
病室の壁際のベッド。
運び込まれた患者たちの中で唯一違う理由で体を損傷させ意識を失い、眠りについている男の姿が無かった。立てかけていた愛用の大斧と衣服と共に煙のように消えていた。あれだけの巨体が居なくなったことに誰も気づいていなかった。
「―――団長!?」
室内から廊下へと振り返ったカーミラだったが、誰も居ない静寂しかな無かった。
鍛冶王の工房にて男がひたすらに刃と向き合う。
炉の明かりしかない暗闇の中で刀身を磨き上げていく。まるで男の魂が具現化したかのような一振りの刀は青白く光る。己が魔刀だと証明するかのように輝く。
テオドールは反りを確認し、刀身に浮かんだ波紋を確認し、次の工程に移った。熟練の鍛冶師の手つきに淀みは無く、迷いも無かった。刀身の根元、茎を木製の枠組みが包む。目釘を差し込み、その上にホーンホエールの皮を帯状の紐を巻いていく。これで柄の完成となる。
恭しい手つきでテオドールは生まれたばかりの刀を作業台の上に置いた。
生まれたばかりの刀に銘は無く、鍔も鞘も無かった。装飾といえるのは青白く発光する刀身の波紋という武骨な姿を晒す刀を前にテオドールは頭を下げた。そして心の中で謝罪する。
(すまんな。これだけの見事な出来栄えのお前に対して俺は鞘すら用意できない。それどころか、もうじきお前は使い潰されるかもしれない運命かもしれん)
テオドールにとって武器との関係は本人の意志とは裏腹に希薄だ。武器の出来栄えが良ければ戦技の威力が上がる特性を持つ以上、必然的に良き武器を彼は求め、消滅させる。
そんな若き頃の彼に良質な武器を提供する鍛冶師は少なかった。どこの世界に消費されるためだけの武器を打つ鍛冶師がいるだろうか。確かに戦いの中で消耗し、砕けるのは武器の宿命かもしれない。だが、消耗品として愛着も無くこの世から消失させてしまう冒険者時代のテオドールと鍛冶師は相容れなかった。
皮肉な事に彼の名声が高まるにつれ、彼の戦い方も広まり、どの鍛冶師も彼を避けるようになった。
そのため、テオドールは自分で武器を作る必要に迫られる。冒険者でありながら鍛冶師として小槌を握る彼は元々の才能もあり、すぐさま一流の鍛冶師に至った。遂には彼の鍛冶師としての名声は冒険者としての名声すら上回る程になる。
同時に自分の持つ戦技を呪わしく思うようにもなった。どれだけ自分が素晴らしい逸品を作っても、それを自分が使えば、何処かで戦技の糧として消費してしまい、影も形も無くなってしまう恐れがつきまとった。その頃になって鍛冶師たちの気持ちがテオドール自身にも理解できた。満足のいく武器を作れば消費するだけの冒険者時代にいつしか虚しさだけが残るようになる。結局、先王が亡くなった時に冒険者を引退する事に何の躊躇いも無かった。
その後、テオドールは自分の為に鍛冶を行うのではなく、他人の為に鍛冶を行うようになる。自分の生み出した武器を大切に、そしていつまでも使ってくれそうな戦士に惜しみなく渡してきた。並行して、冒険王の残したレシピの解読も行ってきたのは王としてシュウ王国に鍛冶に関する新しい分野を残したいという考えからだ。残念ながら刀を打てる鍛冶師は今の所鍛冶王一人だが、いつかシュウ王国全ての鍛冶師にこの技術を広め、シュウ王国の名産として世に出回らせようと考えていた。
つまり、戦いのための鍛冶を行ったのはこれが久しぶりだった。
そしてその久しぶりの武器を戦場にて使い潰す己の業に嫌悪を抱いていた。
だけど、
「それでも俺は王なのだ。王として民と国を守る為に、例え己が子供でも使い潰そう」
王は自分に対して宣言するように呟くと、刀を掴んだ。呼応するように刀身が一際強く輝いた。
「それが、ゲオルギウスの血を使った魔剣ですかい」
すると、テオドールの他に誰も居ないはずの無人の闇から声が投げかけられた。テオドールが闇へと視線を向けると、一人の大男が姿を見せた。
「武器ってよりも、芸術品みたいですね」
「お前は! ……ふん。やっと目覚めたか」
テオドールの瞳は大男を鋭く睨む。
禿頭の大男はすまなそうに頭を掻いた。しかし、すぐさま表情を切り替えると、勇ましい戦士の顔になる。気力は十分といったようにテオドールの目には写った。どうやら男の方も覚悟を決めたようだった。
「行くぞ、戦場が我らを待っている!」
「お供します、陛下!」
二人の戦士が意気軒昂に戦線へと足を進めた。
「ミカロス殿! 左翼にてモンスターが!」
「分かった、今行く! すまんが、ここは頼んだぞ!!」
「はい!!」
呼びかける兵士の言葉を最後まで聞く前にミカロスは城壁上を駆け抜けた。次々に上って来るモンスターを薙ぎ払い、兵士たちの窮地を救いながら左翼へと走る。戦矛を握る騎士団団長も遂に指令所を飛び出して前線にて戦っていた。それほどまでに防衛側の戦力がひっ迫してきたことの証明だった。
朝方から始まった戦いは夕暮れを越え、夜中に差し掛かる頃になっても続く。動ける味方は開戦時から比べると半分まで減った。防衛側は少ない人員をやりくりしてどうにか戦線を維持できている程度だった。どこも重要な部分を支えているのはB級以上の冒険者とスヴェンの率いた騎士達だった。その彼らにも疲労の色は濃い。すでに予備兵役組はほとんど戦場にいなかった。
モンスターの数も朝方の四万から一万五千ほどに減らし、疲れを見せてはいる。だけど、留まる事を知らないかのように攻めを止めない。これが知性ある人間なら、死を恐れて我に返り動きを止めるはずがクリストフォロスによって操られているモンスターに退く意志は存在しない。
幸運にも飛行系モンスターは数が多くなく、早い段階で全滅している。そのお蔭でヨグトゥースを始めとした魔法使いたちが城壁の防衛に参加している。それでもミカロスの元に集まる報告では一人、また一人と魔力切れを起こした者の撤退が知らされる。
左翼の城壁上の一角を占領しようとするレッサーデーモンに戦矛を突き立てる。硬い皮膚に阻まれ刃は浅い傷口しか作れない。だが、構わずに押し続けて、城壁上からレッサーデーモンを突き飛ばした。
巨体が昇ろうとしていたレッドリザードを巻き込んで地上へと落下した。
レッサーデーモンは退治されたが通路上にはモンスターの暴れた跡が残り、兵士たちが蹲っている。ミカロスは懐から回復薬を取り出すと息のある兵士を優先して回復させる。それ以外の者は歯を喰いしばって見捨てるしかない。
(どうする!? ここが引き際か!?)
城壁上は何処もここと同じような状況だ。ミカロスを始めとしたB級冒険者と同程度以上の戦士が個別に動き、崩れかかっている戦線を崩れないように補強している。それは破綻していないだけで時間が経つにつれ損耗は激しくなっていく。このままでは防壁を築いても守る人員が居なくなってしまう。
ミカロスの頭に先程から撤退の二文字が浮かんでは消えていた。もしもの時に備えて下層部分を放棄し、街の中腹に防壁を作るという作戦。すでに魔方陣は刻まれ、精神力を籠めれば発動する手はずだ。
同時に下層部分に仕込んである火薬を爆発させてここら一帯を火の海にするという奥の手もある。
だがこれは本当の意味での奥の手だ。使えば、アマツマラの街の復興は向こう数年にわたる。諸外国から見れば自国の首都を自爆させた国とみなされ、信用が失墜する。防衛面でも問題はある。街の前方を火の海にすれば防壁も延焼する恐れがある。それに赤龍が現れれば防壁ごと避難施設もろとも吹き飛ばされるかもしれない。保険として耐火結界が避難施設に展開されているが、それもどれ程もつかわからない。
その重大な決断をミカロス一人が決めるには荷が重かった。事は国家の運命を左右する程の大事だ。
しかし、迷う時間を削り取るように戦局は秒単位で悪化していく。
唯一の希望は第一王子の増援部隊だ。こちらの状況を送った通信からの返答で、部隊を一部切り離し可及的速やかにアマツマラに向かうとの知らせが齎された。
通信があった場所から逆算すれば明日の朝方までには増援が来るかもしれない。
それまで持ちこたえれば生き残れる可能性はある。彼の脳裏に爆薬はまだしも防壁までの撤退はアリではないかと言う考えが主導権を取る。生きる為の撤退だ。
そして、彼は遂に決断した。
「全軍に通達! 城壁を放―――」
「―――団長! あれをご覧ください!!」
ミカロスの言葉を遮るように誰かが叫んだ。振り返ると、正門から真っ直ぐと城に伸びる大通りを二人の男が駆け下りる。まるで獣じみた速度だった。
一人は青白く光る刀を手にし、もう一人は大斧を振り回す。立ちふさがるように大通りまで侵入したオークの群れに向かって一歩先んじた大男が大斧を横に投げた。回転する大斧は丸太のような分厚い脂肪が滑らかなバターのように切断される。
「随分と待たせてくれたわね」
城壁上にてブラッドゴブリンの群れを駆逐したロテュスが返り血を拭いながら笑う。血化粧を施したエルフの妖艶な笑みは見る者に恐怖と欲情を引き起こした。
「がへんだで良がたじゃばって、随分どまあわったどなてますきゃ」
プラチナゴリラとの殴り合いに打ち勝ったディモンドが腫れた顔で呟いた。隣に立つ仲間が周りに「元気そうで良かったですけど、随分とまあ強くなっていますね」と翻訳しないと理解されない。
大通りにて大斧の一撃を躱せたホーンオークは群れのボスとして大男二人に襲い掛かった。だが、無手の大男と入れ替わるように銀髪の男が手にした刀を振るうだけで決着がついた。
ホーンオークの体が紙きれを破くかのように細切れに切断される。その戦いぶりはまさに嵐のように周囲に血を撒き散らす。
「おお、おお、おおお!!」
魔力切れを起こしかけているヨグトゥースは弟子から受け取った回復薬を歓喜のあまりに放り投げてしまう。周囲の弟子が慌てて瓶を掴んだことにも気づかずに大通りに視線を向けていた。
「あれが親父の新しい武器か! 成程、相当心血を注いだと見える、な!!」
スヴェンは背後から迫るブラッドリザードの群れを手にした大剣にて纏めて両断した。そして再び視線を正門の方角へと向けた。
大通りを疾駆する二人は次々とモンスターを骸に変えて、遂に城壁上へと駆けあがり、吼えた。
「皆の者!! よくぞここまで持ちこたえてくれた!! 俺は王として其方らを誇りに思う!!」
正門上で高らかにテオドール・ヴィーランドが叫ぶ。
戦場に響く大音声は城壁の端まで伝わる程よく通る声だった。誰もが心待ちにしていた男が戦場に帰って来たのだと理解できた。
しかし、モンスターには関係が無かった。城壁の縁に立つ男に向けてホワイトキマイラ数匹が一斉に躍りかかり―――物言わぬ骸となって地面へと落ちていく。
両者の間に滑るように割り込んだ禿頭の大男が大斧を数度振るっただけだった。だが、その切れ味の鋭さは見違えるほどだった。
「まったく、まったく、まったく! 勝手に倒れて勝手に戻って来る人なんですから!」
城壁上の物見櫓から見下ろしていたロータスは涙を浮かべて愛する男の復活に喜んだ。カーティスもオイジンも『紅蓮の旅団』の冒険者は全員涙を浮かべて父親の帰還を喜ぶ。
「さあ、ここから反撃の時間だ!!」
戦場に『銀狼』と『岩壁』が帰還した。
同時刻。誰もが城壁上の英雄たちの復活に視線を向けている頃。
人知れず、ある存在がバルボア山脈を越えてアマツマラに近づいていく。まるで鋼の如き鱗は赤く、時折黒い縞のような線が入る。両翼を羽ばたかせて夜の闇を切り裂く。鋭き牙からこぼれる火の粉が街に赤い粉雪のように落ちていく。額から伸びた禍々しき角は健在のまま。
それはアマツマラ上空をひとしきり滑空すると城の尖塔を踏みつぶして着地した。
「グリュウウウウウガアアアアアア!!」
狂おしい絶叫がアマツマラの街を揺らした。その背に立つ男はうるさそうに耳を塞ぎ、そして赤龍の背中から街並みを眼下に収めた。人の手を重ね合わせたような意匠の杖を握り、黒檀の鎧に身を包む男の黒髪が風に煽られて揺れる。消し飛ばされたはずの下半身は確かな実体を持っている。
「さて、ここから祭りの幕引きと行こうじゃないか。せいぜい最後まで足掻けよ、人間」
六将軍第四席クリストフォロスが残忍に笑う。
英雄の帰還と同時に怪物たちもまた、戦場に舞い戻ってきた。
読んで下さって、ありがとうございます。




