3-47 精霊祭 六日目〈Ⅰ〉
城壁上に立つミカロスの頬に生ぬるい風が当たる。本来ならこの季節はアマツマラのすそ野に咲いた野花や新緑などの匂いが風の中に感じられるのに、それらを押しのけて鉄錆びのような匂いが混じる。
精霊祭、六日目。
まるでここが正念場ともいうように、モンスターの軍勢は数を膨らませていた。その数は目視できる限りでおよそ四万。このスタンピードの期間で送り込まれた規模としては最大だった。
中級から超級までの混成は変わらず、昨日一昨日と姿を見せなかった飛行系モンスターも軍勢の中に姿を現している。だが、数以外に目新しいものは見つからなかった。赤龍もクリストフォロスもキュクロプス亜種も投石機も無い。もっとも開戦してしまえば何が出てくるのか分からないのが今回のスタンピードだった。
「消耗戦でも仕掛けてくる気なのか。……まさか、今更そんな事を」
「敵の思考を読もうとするだけ無駄だと思うぞ、ミカロス」
己の考えを呟いたミカロスの背後から一人の男が声を掛けた。ハリのある若い男の声にミカロスは振り返った。
銀色の髪を父親と同じように短く切りそろえた、粗野な顔立ちの男が城壁上の通路に現れた。伸びた顎髭と相まって山賊もかくやの風体だが、何処か気品のある仕草を見せる偉丈夫こそシュウ王国第二王子スヴェン・ヴィーランドその人だった。二十代終わりの青年はミカロスの隣に並び、すそ野の一角を占領する敵を見てもいささかの動揺を見せなかった。
何故なら彼にとって戦闘は日常茶飯事だからだ。いつもはシュウ王国の南部地方を治めている。特にメスケネスト平野との境界線にあるオウリョウは常にモンスターとの戦闘に晒されており、兵士の損耗が高い。アマツマラで作られる武器の一部はオウリョウに送られるために存在していた。
それでも、今回のスタンピードを除けばオウリョウが築いた防衛線は突破された事は無く、モンスターのコロニーをメスケネスト平野に抑え込んでいたのは間違いなくスヴェンの力量だった。
それだけに、彼は今回の事態を重く受け止め、領主自ら部隊を編制し連絡の取れなくなった砦などの調査に乗り出し、スタンピード発生の報せを受け取るとそのまま部隊を引き返さずに北上を続けたのだ。
「考えても無駄……とはどういう事でしょうか、スヴェン殿下」
年はミカロスの方が上だが相手が殿下の為、敬語を使う。スヴェンは兵士から借り受けた双眼鏡を目に当てたまま私見を述べた。
「ルルスのじーさんからこの戦の流れを教えてもらったが、アイツら全く本気じゃないだろ」
ミカロスは何も言わずにスヴェンの意見に耳を傾ける。なぜなら、自分も同様の事を考えていた。少なくとも、最初から赤龍や投石機。そしてモンスターの軍勢をすべて投入すればダラズと同じように一日足らずでアマツマラは廃墟とかしていたはずだ。
「俺はここに来るまでバルボア山脈沿いを北上してきた。道中の砦や村を見て回ったが……どれも皆殺しだった。ご丁寧に火の始末もしてあって煙も立たせない程の徹底ぶりだ。ダラズも僅か一日で壊滅させられた。それなのにアマツマラだけこれだけの時間を掛けているのは理屈に合わん」
「だとすれば……」
「考えられるのは二つ。一つは今回のスタンピードはスタンピードを起こさせるのが目的だった。もう一つは……時間稼ぎ?」
ギクリ、とミカロスの体が震える。前者はミカロスも一度は考えていた可能性だ。今回のスタンピードは起こすことが目的のスタンピード。もしくは赤龍を支配下に置くことが目的なのかもしれない。その理由は不明だが、そこは魔人のする事。理解できなくても当然だった。
だが、もしも後者だったら。時間稼ぎ。つまり、今回のスタンピードが本命の為の囮に過ぎないという可能性もある。だとすればこの先に待っているのは更なる地獄の幕開けかもしれない。すでに事態は一指揮官であるミカロスの手に余っている。
いまだ、テオドールの鍛冶は終わらず、オルドも目覚めない中で敵の真の目論見が動き出した時、果たしてアマツマラは、いやシュウ王国はどうなってしまうのだろうか。
言葉に出来ない程の恐怖がミカロスの体を深く貫いた。指先一つ動かせない程だった。
それを打ち払うようにミカロスの背中を力強い手が叩いた。
「痛っ!」
思わず、前へ吹き飛ばされそうになり、城壁の縁に手をかけて止まる。首を向けたミカロスは自分の背中を叩いたスヴェンを見た。彼は悪びれずに、獰猛な笑みを浮かべている。まるで戦いに臨もうとするテオドールのように笑う。
「なーに。その時はその時。どっちにしろ、こっちの戦力も全部投入しないと今日を乗り切れるかどうかも危ういだろ。悩むのは真の困難が訪れた時にしろ。それに兄上も明日には来るんだろ?」
スヴェンの楽天的な物言いにミカロスの体を縛る恐怖が和らぐ。確かに、スヴェンの言う通り、今日を乗り切らなければどちらにしても未来は来ない。それに第一王子の軍勢が明日には来る。
元々、偵察部隊として出陣していたスヴェンと違い、第一王子の軍勢はれっきとした援軍だ。運んでいるのは兵だけでなく食料を始めとした物資なども運搬している。そのため速度は遅くなるが到着すればこちらが攻勢に出る事も可能になる。すべては明日に決着がつくはずだ。
すると、二人の元に足早に近寄る兵士の姿があった。手には書簡が握られている。兵士は迷うことなくミカロスに書簡を渡した。確かに地位としてはスヴェンの方が上だ。第二王子スヴェン・ヴィーランドはシュウ王国南部地方軍指揮官という肩書も持ち合わす。形式上、アマツマラを含めた中央部の指揮官はテオドールで、ミカロスはその麾下の騎士団団長に過ぎない。
だが、昨夜の会議において前線の指揮権に関する問題は決着がついていた。
指揮系統の混乱を避けるために昨日まで指揮を執っていたミカロスが前線における指揮官のまま変わらない。スヴェンの率いた援軍もその指揮下に入る事になる。これは現場の混乱を避けるためともう一つ、文官からの意見でもあった。シュウ王国の次期後継者はまだ決まっていない。武官が押すのはテオドール譲りの武を見せつける第二王子スヴェンで文官の推すのは第一王子だった。これ以上、スヴェンの名声が上がるのを避けるための政治が絡んだのだ。
もっとも、それが無くてもスヴェンに指揮官を任せるのは、ミカロスは危険だと考えていた。いくら、援軍がアマツマラに必要だと頭で分かっても夜襲を受け、混乱する部隊の大半を見捨てて出発するという策は危険すぎだ。結果的にスヴェンの率いた増援が無ければ投石機の前に敗北していただろう。切り離された負傷者たちも今の所安全にオウリョウに帰還している最中だ。
しかし、いくら正しいからといって、こんな博打めいた策を思いつき実行する思考が危険だった。ゆえにスヴェンに指揮を譲るつもりは無く、ミカロスはいまも前線における最高責任者だった。スヴェン自身、指揮権に拘るつもりは無かったようで彼からの反発は無かった。
ミカロスが受け取った書簡の封にはウージアの女帝の印章が刻まれていた。
二人は眉を上げて驚きを露わにしつつ、書簡を開く。スヴェンがミカロスの肩越しに書簡を覗きこみ、驚嘆の声を上げた。
「なるほど、向うも遂に本気できたようだな」
「ええ。まさか、全部の戦力を投入するとは」
二人の視線は書簡からすそ野に集まったモンスターの軍勢に向いた。書簡の印章は確かにウージアの女帝の物だったが、書簡の内容はウージアの偵察部隊からのものだった。
曰く、
『ダラズの街に敵影無し。夜の内に大移動を行い、街はもぬけの殻』
と、要点を纏めればこのような内容が書いてあった。女帝はその知らせを受けて遂に派兵の決定を下したと追記されている。ウージアの街にスタンピードの群れが来ることは無くなり、街の守護に重きを置かなくてもよくなったとそれらしい理由を口にしている。
「いまごろになって増援とは御婆様も随分と悠長な。女性の身支度に時間が掛かるのは知っていたが、ふん、醜悪な本性を隠すのに六日も必要とはな」
スヴェンが吐き捨てるように文面を揶揄する。先代の国王の後妻として嫁いだウージアの女帝はスヴェンから見れば同年代の祖母になる人物。だが、シュウ王国の王族の中で彼女に好意的な人物は居ない。嫁いできた理由もそうだが、あからさまに悪意が透ける行動を女帝は度々起こしてきた。武の方に重きを置くスヴェンにとって搦め手を用いる女帝は天敵といえた。
「ともかく、向うも全ての戦力を投入したようですね。……つまり―――」
「―――あれを全滅させれば。今回のスタンピードは終わる。もっともそれだけに向うも全力で向かってくるだろうな」
二人が頷いているといつの間にかロテュスとディモンドも集まってきた。それだけじゃ無い、周囲の兵士や騎士、そして冒険者がミカロスの号令をまだかと待ち構えていた。
スタンピードの群れ、およそ四万に対し、アマツマラ防衛部隊の総兵力は正規兵五千二百、予備兵役千、冒険者五百十。付け加えると城壁上に展開されているバリスタは八十挺程。ここに本来ならオルドとテオドールが加わるが二人の戦線復帰はまだだ。
そして、向うの最大戦力たる、古代種の赤龍と六将軍第四席クリストフォロスの姿も無い。アマツマラの城壁を巡る戦いは双方の陣営に最強戦力が不在のまま、幕を開けた。
六日目の戦いは苛烈を極めた。
初日や二日目のように互いに余力を残した戦いで無い。
三日目のように混乱を巻き起こす怪物たちの襲来も無い。
四日目や五日目のように飛び道具のような策も無い。
ただ、ただ、力任せの、数による乱戦だった。そしてそれが一番―――防衛側にとって厳しい戦い方だ。
大地を疾走してバリスタの射撃を掻い潜ったモンスターの群れは城壁に爪をたて、我先にと上を目指す。兵士が長槍を城壁の側面の穴から突き刺しても、瓦礫を上から落としても構わなかった。むしろ骸と化した同胞の屍を積み上げて階段のように駆けあがる。城壁上に昇れば刃で串刺しにされる前のあがきの如く暴れる。結果、その部分が空白地帯のように開けてしまい、後から続くモンスターの為に後を濁しているようなものだ。
バリスタが砕け、兵士が城壁上から落ちていく。内側に落ちれば虫の息ではあるが、他の兵士に引きずられて戦線を離脱できるかもしれない。だが、外側へと落ちれば這い上がる事さえ叶わない。モンスターの大海原に飲み込まれて浮かび上がらずに沈没する。兵量の足りなくなった場所を突くかのように地上と空の両方から進撃は続く。
ロータスとヨグトゥースの二人が指揮する遠距離部隊が空の敵を迎え撃ち、遊撃部隊としてロテュスがあいた穴を塞ぐかのように戦線を維持する。街中に降り立った敵は《クローズドウォール》に阻まれ、前方のバリスタと後方から攻めるディモンドによって駆逐される。
それでも城壁の各地から被害報告が次々と指揮所のミカロスの元に届く。その度に兵の割り振りを替え、休息をとらせるのも忘れないように采配を振るう。刻一刻と状況が苦しくなる中、ミカロスは心を折らずに指揮を続けた。
暗黒が立ち込めるような戦場で輝くのはスヴェンと彼が連れてきた騎士達だ。シュウ王国において騎士とは一定の強さを得た兵士の階級を指す。大概の兵士が基礎訓練を終えればアマツマラや、迷宮の傍にある砦などに配属され、戦闘訓練とレベルアップを並行して行う。その中でレベルの壁を越え、一定の強さを手に入れた者に騎士の称号と専用の装備が与えられる。
そして、騎士の大半は国防の要になりえる場所に配属される。バルボア山脈によって大陸の東側と切断されているシュウ王国にとって隣接する国は海の向こうと、南に広がるメスケネスト平野だ。そのため、オウリョウの騎士は常に戦の渦中にいる。
オウリョウの街を出発し、夜を徹してアマツマラに辿りついた騎士たちの士気はいまだ高く、その実力はB級冒険者に及ぶものも居る。彼らの存在が無ければモンスターの猛攻の前に敗北していただろう。
そんな騎士たちの中でもスヴェンは一際雄々しく戦っていた。大人程の背丈のある両手剣を軽々と振り回し、上級モンスターも一刀で両断する。一度くらいついたら離れない狼のように例えられる父親と違い、一撃に全てを籠める戦い方は獅子のようで、これまた見る者を圧倒させる。
彼は父親とは違い、冒険者として旅をしたような経験は持たない。だが、幼少期を『学術都市』にて過ごし、その地下にある巨大迷宮に幾度も挑戦した結果、心身を鍛えた。本人も頭を使う事に向いておらず、王なんて責任のある役職は、兄である第一王子がなって、自分は冒険者として旅をしたいと常々広言しているほどだ。彼が前線の指揮権に固執しなかったのも剣を振るっている方が性に合うと判断したからだ。
しかし、彼の思いとは裏腹に城壁上で巨大な鉄板のような大剣を振り回し怪物と戦う姿を見た多くの者が彼に王の姿を重ね合わせていた。彼が望むにしろ望まないにしろ、スヴェンが活躍すればするほど周りの士気は高まる。それは城壁全てに伝播し、モンスターの猛攻を押し返す。
いつしか太陽が天頂を越え、地平線に沈む頃になっても戦線は保っていた。紙一重の危ういバランスではあるが防衛側は敗北していなかった。
戦場に居る誰もが声に出さずに思った。今日も生き残れた、と。
戦いが終わってもいないのにそう思ったのは、今回のスタンピードが始まってからずっと続く掟のような物があったせいだ。モンスターの群れは夕暮れになると退く。一度だけ、タガが外れたかのように何時までも攻め続けた群れも存在したがそれは城壁を越えた一部の群れだけ。それ以外のモンスターはピタリと動きを止めてすそ野へと引き返す。
―――そんな風に誰もが絶対の掟のように信じていた。
しかし、人間の思いをあざ笑うように太陽が地平線を沈み、青白い月光が姿を現してなお、モンスターの軍勢は引くことを見せなかった。勢いは衰えず、自己の生命を惜しまずに狂ったように城壁へと挑みかかる。
城壁の各地で兵士や冒険者たちの動揺が広がる。それはA級冒険者のロテュスやディモンドも同じだった。何時まで経っても引く気配を見せないモンスターに自分たちの浅はかさを突き付けられたように感じた。ロータスやヨグトゥースが率いる遠距離部隊は飛行系モンスターを急いで撃ち落す。このまま夜の空で自由に振る舞われれば、こちらは狙いをつける所では無いからだ。スヴェンは城壁上で大剣を思い切り振り回し、付着していた血液を払い落とした。このまま続くであろう戦いに対して、歯をむき出しにして嗤う。
指揮所に詰めていた兵士たちが戸惑い、混乱する中ミカロスは絞り出すような声で命じた。
「……敵に退く意志は無い!! かがり火を用意せよ!! 我らはこれより夜戦に入る!!」
精霊祭、六日目。宵の時刻。
ついにアマツマラの街は夜戦へと突入した。
同時に最終局面の幕が上がる。
読んで下さって、ありがとうございます。




