魔王、勇者というものを思い出す
「おまえなんか、勇者様がやっつけてくれる!」
子供がそう叫んだ瞬間、俺の頭にゲーム画面が浮かび上がった。
「勇者?」
指先が思わず動く。コントローラー、勇者を操作して世界を旅して、壮大な冒険の果て、強大な魔王を討ち滅ぼすのだ。それは小さな画面の中の話だったが、幼い心はどこまでも自由に広い世界を旅していた。
「……、ああ!」
そんな前世の記憶と裏腹に、今の俺は魔王だった。
魔王。魔物の王。突然の記憶にさほど動揺せずにいられたのは、この世界での長い記憶のおかげかもしれない。人間の一生よりもずっと長い時、ここで魔王として在る。
目の前にいる母子は逃げ出そうとしている。
この場に勇者はいない。
「や、やめなさいっ! ユート、逃げるの、逃げて……!」
「母さん! 母さんのことは僕が守……ク、カッ」
なので健気に互いをかばい合っていた母子は、俺の指弾ひとつで血を吐いて倒れた。心臓を一撃で壊せたはずだ。
二人はしばらく痙攣していたが、すぐにまったく動かなくなった。うん。
「きれいな死に様だ」
俺は感動的に思う。
何が良いって、二人はしっかり互いの手を掴んだままだった。互いの手の甲に爪をたて、傷さえつけながら死んだのだ。なんて強い絆だろう!
「そうだ、俺は、前世で人間だったな……なるほど、だから、こういうのが好きだったんだなあ」
今までちょっと魔物の中で浮いてる自覚はあったのだ。人間の愛とか情とか裏切りとか、死んでも消えないものとか、そういうのってワクワクするだろう。しかしどんな魔物に伝えても「はあ?」って感じで全く共感されなかった。
「まあ、いいけどさ」
だって今の俺にもないものだ。愛と勇気と希望のことを、ただのフィクション、漫画か小説のように楽しんでいるだけなのだ。
だいたい魔物なんて、誰より強くなって人間を滅ぼす以外考えてない。
生殖もしない。魔素を使って配下という名の子を作ることはできるが、家族の情などないので、使えるだけ使って育ってきたら美味しく食うだけだ。もちろん子が優秀すぎた場合は、親が食われることになる。
そうならざるを得ない。だって縄張りの魔素は独り占めしたい。強さとは魔素量のことだから、良い魔素溜まりは自然、一匹の魔物が支配することになる。それは生まれたての魔物でも本能でわかっていることだ。隙あらば邪魔者は食う。
だから俺は気づいたときには一匹だったし、すでにそれなりの力を得ていた。
(俺の父さんか、母さんかは知らないが、まあ、俺の中で生き続けるってやつだな)
もしかしたら俺を作ったときに魔素を入れすぎて弱って死んだのかもしれないが。たまにいるんだ、そういううっかりさんが。
「この名の意味が聞けなかったのだけは残念だ」
俺という存在に刻まれた名はジュスディヴァルトス。長いのでジュストで構わない。配下にそう言っているのだが、呼ばれたためしがない。愛称で呼び合うなんてまるで人間の馴れ合いのようで面白いだろうに、悲しいことだ。
「魔王様」
「……なんだ」
これだ。まあ、そうだよな。名前を覚えるより肩書で呼んだ方が楽だ。わかる、わかるぞ。前世でいうと「部長」とか「先輩」とかになるやつだ。どうせ仲良くしようなんて考えはないということだ。
そんな情のないのは、我が部下、右腕たるソヒルだ。魔素量はまったく大したことがないが、小回りのきく便利なやつだ。冴えない人間の小男の姿をして、更に身を丸めながら言う。
「ヒトの処分があらかた終わったようで」
「ああ、うん」
我ら、魔王軍が襲ったここは小さな村だ。
山間にあるにしては頑張って増えたなあという規模だが、住民はせいぜい五十人、こちらは魔物が三百なので、戦いになどならない。
それにしても逃げ回るのを追うのに時間がかかっただろうに、俺はずいぶん長いこと母子を眺めていたらしい。
「どうするんすか、コレ」
呆れたようにソヒルが聞いてくる。
いや、呆れてすらいない。どうでもよさそうな顔だ。
全くノリの悪いやつだが、これでも魔物の中では話の分かる方だ。俺が人間どもの美しい愛について語ると「はあ」とか「ああ」とか相槌を打ってくれる。
そもそも会話ができるだけで珍しいんだよなあ。
他のやつらは「ニンゲン・ウマイ」くらいしか言わないし、多少まともな言葉を話したとしても、だいたい内容は同じである。
そんなやつらをそばに置いてもつまらんので、ソヒルを右腕としているわけだ。魔素量的には、たぶん俺がちょっと殴ったら死ぬが、他の有象無象を従える程度の力はある。
「埋める」
「なんのために」
「食われたりしたら、なんかもったいないだろう? こんなにきれいなんだ」
「はあ」
母子の周囲にある魔素は俺が頂いたが、魔素感知なんてできないやつが食いつく可能性がある。
魔素でできている魔物と違い、人間は完全に魔素以外の物質で出来ている。つまり人間の体は魔素を吸収しない、通しもしない。ゆえに人間の表皮には魔素が溜まっていく。
ぴっしりと皮膚に張り付いた魔素を、下位の魔物たちは物理的にかじって食う。上位の魔物のようにスマートに魔素だけ吸収などできない。魔素こそが力であり、魔素溜まりが強い魔物に支配されている以上、効率が悪くとも弱い魔物はそうして食らうしかないのだ。
「この二人はな、母と子なんだよ。よく似てるだろう?」
地面を蹴りつけて墓穴をつくる。いずれ死体の上に木が生い茂って光を浴びてキラキラ輝くんだよ、いいなあ。
「はあ」
「若い母親と、まだ小さい男の子だな。俺が近づいたら母親は子供を後ろに庇った。自分はどうなってもいいから子供を助けたい一心だ。美しいだろう?」
「どうせ両方死ぬのに」
「そう言うな。一方の子供がな、これもまた母親の前に出て、母さんは僕が守る、とやって」
「無理じゃないっすか」
「うん、まあ、弱かったなあ。でもそこがいいんだよ」
本当に子供が強かったなら、こんなに美しいことにはならない。弱くて絶対無理とわかっているのにやろうとする、そこがいいのだ。そこで勇者の力が目覚めるのだ。
残念ながら彼は勇者ではなかったが、いい線いっていた。こういう子供がいっぱいいれば、そのうち本当の勇者も生まれることだろう。
「よし、このくらいでいいか」
俺はちょいちょいっと母子二人が収まりそうな穴を掘った。前世だったら重労働だが、魔王たる俺は土からも魔素を奪える。この世界では万物が魔素を持っているので、それを奪ってやれば脆くなるのだ。
とはいえ微量な魔素で、奪いすぎるとサラサラになりすぎて逆に掘れない。なかなかコツのいる作業なのだ。自慢したい。
だが残念ながら魔物というのは、大して力にならない微量の魔素操作に興味がないのだ。脳筋魔王軍どもめ。




