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救出

 アシュレイは買い物の前に仕立て屋を訪ねることを思い立った。

 以前の訪問からすでに一週間近くが経っていたからだ。


 アシュレイが店の近くまで来た時、おもむろにひとりの男が近づいてくる。

 黒服にスキンヘッドという出で立ちの大柄な男。


「おい、そこのあんた」

「……なんだ」

「悪いが帰んな。あんたをここに近付け――ごぶッッ!?」


 男が言い終わるよりも早くアシュレイは男の上腹部に拳を叩き込んだ。

 肝臓打ちである。

 アシュレイはさらに拳を重ねて気絶させた男を放り捨て、急ぎで店の中へと駆け込む。


「あ……アシュレイさんッ、良く来てくれたね……!」

「……どうかしたのか」


 トリシュは縋りつかんばかりの勢いで顔を上げてアシュレイを迎える。

 ――これはただ事ではない。

 事情を詳しく聞いてみると、アシュレイの悪い予感は的中した。


「……本当に……本当に、申し訳ないよ。私のせいでお客さんを危険に晒すなんて」

「……いや、良く教えてくれた。面倒事に巻き込んですまない。また来させてもらう」

「ああ、どうか気をつけとくれ。あの子にもし何かあったら大変だからね」


 アシュレイはトリシュに見送られて足早に店を出る。

 そこからの行動は迅速だった。

 外に出ている場合などではない。

 今すぐにでも別の場所に身を潜める必要がある。

 アシュレイは細い路地を最短経路で辿って帰路につく。


「――アシュレイさんッ!!」


 戻ってくるなり焦燥に満ちた声がアシュレイを迎える。

 二度目の嫌な予感はほとんど確信に等しい。

 

「何があった」

「クレアさんがッ……攫われましたッ! 馬車で、あちらに……ッ!!」

「わかった。……感謝する」


 大家に伝えられた言葉は端的で、的確だった。

 アシュレイは表情をこわばらせ、一瞬たりとも歩みを止めずに扉が崩壊した自室へと向かう。

 表面的な動搖は微塵もうかがえない――平時は見せない機敏さと迅速な行動だけが男の感情を表す。


 切り崩された扉を除き、部屋の中は意外なほど整然としていた。

 つい先ほどまで火にかけられていたことがうかがえる鍋。

 暖炉の火。

 床に零れたインクとペン。

 テーブルの上に広げられた本のページ。


「……ッ……?」


 アシュレイはかすかな違和感を覚えて本に目を落とす。

 それはアシュレイの個人的な日記であり、白紙のページには乱れに乱れた文字が記されていた。


『たすけて』


 アシュレイは部屋を飛び出し、屋根の上に駆け上がった。

 遥か町の風景を見晴らし、掌を後方にかざす。

 炎熱の逆噴射。

 爆発的な熱量が巻き起こり、アシュレイは滑空とともに加速しながらある場所へと向かう。

 クラリッサが連れ去られた場所には心当たりがあるが、その前に向かうべきところがある。


 そこはレクスが滞在している宿だった。


 *


「レクス・バルハートに用がある」

「はっ、少々お待ちを……」

「すまないが急いでいる。案内はいらん」

「――お、お客様、お待ちをっ!!」


 支配人に一言伝えたアシュレイは迷わず宿の一室を訪ねる。

 追いすがる支配人を無視し、アシュレイはノックもなくその部屋の扉を開けた。


「誰だ、ノックもなしに――って、アッシュ?」


 レクスは呆気にとられたような表情で闖入者――アシュレイに目を向ける。


「レクス。取引だ」

「……ま、待てアッシュ。何の話だ?」

「クラリッサが攫われた」

「……なんだと?」


 レクスは支配人を追い出して扉を閉じる。

 アシュレイは表情をこわばらせたままレクスに言葉を続ける。


「アルファーノを壊滅させる。それを見逃せ。代わりに戦果は全ておまえのものにしてくれていい」

「……ほ、本気で言っているのか?」

「急いでいる。決断してくれ」


 レクスは一瞬言葉を失った後、顎に手を添えて言う。


「……わかった。俺の目的も元々はそこだ。市長に不信感を覚えた領主が報告を寄越してな――俺が視察団を率いてきたって寸法だ」

「そうか」


 あの日、レクスが〝手を回す〟などと迂遠な言い方をしたのは、アシュレイを職務に巻き込まないためだろう。

 結果として一歩遅れることになったが――その是非を問うている暇はない。


「手間を取らせた。すまん」

「……待て、アッシュ。持っていけ」


 レクスは踵を返すアシュレイに丸めた羊皮紙を手渡す。

 アシュレイはそれを広げて目を細めた。


「……これは?」

「地図だ。アルファーノの屋敷はおまえも知っているだろうが……隠れ家もある程度は抑えてある」

「……ありがとう。レクス」


 アシュレイは丸めた地図を歩きながらポケットにねじこみ、窓の桟に足をかけた。

 壁を蹴り、身を宙に投げ出し、〝魔法〟による異常な加速度を発しながら空を駆ける。


「……なんてこった。あいつ、全く変わってねえじゃねえか」


 レクスは呆然と彼を見送りながら、渇いた笑い声を漏らした。


 *


「幸運だな、ドルト。おまえは二本目の指を失わずに済んだ」

「……ご厚情に感謝いたします、首領(ドン)


 以前にも見覚えのある豪邸の一室。

 私はあの男とクロウに連れられ、一切の寄り道無くこの部屋に通された。


「しかし――少し足りないものがあるようだが?」

「も……もちろん心得ております、ドン・カルロ。クラリッサを釣り餌にすれば、例の銀髪の男は必ずや姿を表すはずです。このため、表は徹底的に守備を固めておきました」


 私は思わずいぶかしむ。

 今やカルロの目的は私だけでなく、アシュレイさんも含まれているのだろうか。


「相当の腕利きとすればやむを得んか。結構、俺の私兵隊も好きに使え――だが、必ず目的は果たせ」

「も、もちろんです!」

「クロウ。おまえはいかにして考える?」

「娘を殺すには及ばず――生かして盾に取れば彼奴は手を出せず」

「やはりそうなるか。……ドルト、おまえは指揮に当たるがいい」

「……了解しました」

「今回はヘマをしたがな、俺はおまえの人でなし振りを気に入っているんだ。失望させてくれるなよ」

「……もちろんです!!」


 あの男は踵を返し――嘲笑するような表情で私を一瞥して――部屋を出て行く。

 それと同時にカルロ・アルファーノは私に目を向けた。

 彼のかたわらにいた女の人は今日はいない。


「さて。久方振りにその顔を見たが――クラリッサ、と言ったか?」


 カルロが遥か高みから私を見下ろす。

 七尺にも及ぶ身の丈との差は圧倒的だった。

 私は身じろぎもできずに彼の目の前で立ち尽くす。


「どうせ殺されはするまいと高をくくっているのだろう、牝犬め」


 彼のごつごつとした巨大な手が私の方に伸びる。

 避けたい。なのに身体が動かない。


「安心しろ、これだけの手間を掛けさせられたのだからな。決して一思いに殺してなどはやらん」


 男の手が私の顔を撫で回す。

 まるで陶芸品か何かの手触りを確かめるように。

 それは、ただただ気持ち悪いとしか思えない感触だった。


「二十本だ。人の指は二十本とある。……まずはこれを一本ずつ斬り落としてやろう」


 男の手が私の指をちょんと摘む。

 ぞくり、と背筋が怖気立つような感覚。


「その次は四肢だ。腕と脚を根本ごと落とす。――人の生命力は逞しいものでな、四肢を落としてなお適切な処置さえあれば生き延びることはできるのだ」


 触れられるほどに息が詰まる。胸が苦しくなる。今すぐにこの場から逃げ出したい。

 耐えがたい、とはこのことだった。


「想像できんか? そうだな、奴隷ごときの頭では想像がつかんか。ならばこの機会に味わっておくがいい」


 カルロは嗜虐的な笑みを浮かべて私を見下ろす。

 想像できないわけもない。

 痛みは怖い。

 身体を失うのも怖い。

 ――アシュレイさんなら治してくれるかな、と思う。

 アシュレイさんは傷痕をすっかり治してくれた。もしかしたら、その力は欠損にも働くかもしれない。


 ――わかってる。

 これは現実逃避だ。

 アシュレイさんだって、そんな無茶苦茶な期待をされても困るに違いはない。

 アシュレイさんは〝勇者〟でも、決して神様では無いのだから。


 その時、ずっと黙っていたクロウが一歩前に踏み出した。

 カルロが頷いて顎でうながす。


「クロウ、やれ。なんなれば死んでも構いはせん」

「殺すには……」

「及ばず、とでも言うつもりか? 先に殺すか後で殺すか、つまるところはその程度の違いだ。アルファーノに楯突くものはどうなるか、とくと知らしめるためにはな」

「……是非に及ばず」


 クロウが剣の柄に手をかける。

 カルロは悪意に満ちた笑みを浮かべ、パチンッと指先を鳴らす。


 ――瞬く間に、ヒュンッという音がして細い剣が鞘走った。


 *


 アシュレイは本命の屋敷を上空から見下ろす。

 空から一網打尽にするのは容易いが、それにはクラリッサを巻き込む危険があった。


 アシュレイは出力を調整して豪邸の中庭に降り立つ。

 正面からの侵入を想定している警備兵が門前にいるのを確認し、アシュレイは内側から門の方向に手をかざした。


 ――閃光、爆音。吹き荒れる熱量と破壊の嵐。

 門周辺が跡形もなく砕け散り、周りにいた兵は諸共に爆死する。


「な……なんだ、何が起きた!?」

「て……敵襲、敵襲だッ!!」


 屋敷内や衛兵の宿直所らしい建物から私兵がぞろぞろと現れる。

 その数はおそらく百前後。市街での急襲に即応できる兵数としてはかなりのものだろう。

 私兵たちはそれぞれ剣と弩、そして急所を守る部分鎧で武装していた。


 アシュレイは彼らの存在を全く無視して屋敷内部へと向かう。

 敷地内の構造は上空からの観察によってほぼ把握していた。


「弩、撃てぇッ!!」


 アシュレイを取り囲んだ兵は弩を構え、撃つ。

 放たれた矢はアシュレイに届く寸前で発火し、炎上、跡形もなく焼失した。


「う……!?」

「き、効いてません!! どうすれば……!!」

「う、撃て!! ひるまずにう――――ぎゃああああッッ!!!」


 アシュレイは矢が飛んできた方向に手をかざし、先刻同様の爆撃を放つ。

 一瞬にして十数という兵がただちに即死する。


「だ、だめです!! どうすればッ……!!」

「近付け!! 近付きさえすれば奴もあの魔術は使えんはずだ!!」


 兵たちはなおも果敢に接近を試みる。

 立て続けに放たれた爆撃で合計数十人の兵が即死した後、生き残った兵はアシュレイを至近距離から取り囲んだ。


「止まれ!! 止まらねば――」


 アシュレイの正面から警告を発する兵がひとり。

 アシュレイは歩くような何気なさで近付きながら拳を振り抜き、頬骨を砕き、その遺体を別の兵に放り投げた。

 悲鳴、混乱、恐慌。アシュレイはどさくさに紛れて剣を拾う。

 統制を失った兵が弩を放ち、仲間の兵を射抜いた。


 アシュレイはさっさと包囲を抜け出し、兵が固まっている位置に再び掌をかざす。

 遍くを薙ぎ払う爆風。

 人気が失せたのを確かめ、アシュレイは真っすぐ屋敷内部へ乗り込んだ。


「来たぞ!!」

「撃て、撃てッ!!」


 乗り込むなりアシュレイを迎えるのは四方八方から迫る弩の洗礼。

 広間には二階へと続く階段があり、バルコニーの兵も入り口の方へと狙いが定められる。

 内部にいるのはアルファーノ・ファミリーの構成員か、はたまたカルロ・アルファーノの私兵か――アシュレイには区別がつかなかった。


「……どっちに、行くか」


 放たれた矢は全てアシュレイに届かぬまま焼失する。

 彼は周りをぐるりと見渡し、いくつもの分かれ道に眉をしかめた。

 アシュレイは一番近いところにいた兵に歩み寄りながら言う。


「カルロ・アルファーノはどこにいる」

「だ、黙れ!! 誰が――」


 アシュレイは男が言い終えるよりも早く剣を振り抜いた。

 脳天から股下まで真っ二つに断たれた死体が倒れる――玄関口で待ち構えていた兵全員が凍りつく。


「お、応援を呼べッ!!」

「殺せ、殺せッ!!」

「撃ち続けろ!!」


 一瞬後、再び矢の雨がアシュレイに向かって降りそそぐ。

 それらは一本たりとも届かない。

 アシュレイは再び至近の兵に近付き、言った。


「カルロ・アルファーノはどこにいる」

「し、知らね――ぶッッ!!」


 アシュレイは剣の柄で男の鼻頭を殴る。

 再び問う。


「おまえの上の人間はどこにいる」

「し、しら……ぎゃッ!!」


 アシュレイは剣の柄で男の後頭部を殴る。

 気絶した男を放り捨て、他の兵に言う。


「上の人間を呼んでこい。急いでるんだ」


 兵たちはすでに弩を降ろし、完全に戦意を喪失していた。

 その時、ひとりの兵が突然入り口に向かって駆け出す。

 アシュレイはその男の行く手を遮って殴り倒し、屋内に蹴り戻した。


「上の人間を呼んでこい。遅ければこの場の全員を殺す」


 繰り返すと、何人かの兵が奥へ走り出した。

 アシュレイは剣をベルトに差し、少し待つ。

 程なくしてひとりの男が階段の上から顔を覗かせた。


「――貴様ら、何をやっている!? 殺しても構わん、とにかく止めるんだッ!!」

「もう無理です!!」

「ドルトさん、あいつは化け物です!!」


 あれが指揮官か。

 アシュレイは入り口を離れ、ドルトと呼ばれた黒服の男に近付く。

 その瞬間、玄関口付近にいた兵たちは我先にと逃げ出した。


「ど……どうなってる? そんな、まさか、本物の……」


 ドルトはアシュレイを見た瞬間にわかに震えだす。

 他の兵は遠巻きに眺めることしかできない。


 アシュレイは彼の目の前で足を止め、言った。


「クラリッサはどこにいる?」

「そ……それを知って、なにを゛――ぎゃッッ」


 この男はクラリッサを知っている。

 アシュレイはドルトの胸ぐらを掴み、彼の顔面を殴打した。

 鼻骨が砕け、潰れた鼻から血が吹き出す。


「クラリッサはどこにいる」

「……ッ、ド……ドン・カルロのお部屋にッ……いいぃぃッ!?」


 アシュレイはドルトが指差した方へ向かう――彼をずるずると引きずりながら。

 誰にもそれを止めることはできない。


「案内しろ。どっちだ」

「さ、三階のおぐ、にッ……!!」


 アシュレイはドルトを引きずりながら駆け上がる。階段にドルトの足先がぶつかっている。

 ドルトはひゅうひゅうと歪な呼吸音を漏らしながら言った。


「へ、へへッ……どれだけ、急いだって、むださ……あの娘は、も――お゛ごッッ」

「……黙っていろ」


 アシュレイは男の顔面をがつんと叩く。折れた前歯が赤絨毯に転がる。

 アシュレイが三階の踊り場へたどり着けば、そこには十数人という黒服の男たちが結集していた。


「き、来たぞ!!」

「ここで食い止めろッ!!」

「ドン・カルロの部屋に近づかせるなッ!!」


 彼らは一様にアシュレイへと小型の弩を向ける。

 途端にドルトは狼狽し始めた。


「ま、待ておまえりゃッ!! 撃つな、やめッ――」

「撃てぇッッ!!」


 黒服のひとりが威勢を張り上げ引き金を引く。

 アシュレイはドルトの身体を盾のごとく突き出し、同時に逆方向から飛来する矢は手で掴んだ。

 ドスッ、ドスドスドスッ――と数本の矢がドルトの身体に突き刺さる。


「あ、がが、がッ……」

「返すぞ」


 アシュレイは掴み取った矢を投げ返す。

 矢は発射機構から射出されたものを超える疾さを奮い、黒服の男を貫いた。


「なッ……」

「あがッ」

「ぎゃッ!?」


 アシュレイはドルトに突き刺さった矢を抜いて投擲する。男たちが次々と矢に倒れていく。

 アシュレイはすかさず別の男に飛びかかり、徒手空拳の一撃で昏倒させる。

 放たれた二の矢は全て肉の盾を用いて受け止める。

 その矢を全て投げ返した時、広間の男たちはひとり残らず死傷していた。


「……こっちだな」


 手の中のドルトはもはやぴくぴくと痙攣するばかり。

 もう役には立たないだろう。

 少し廊下を進んだ時、道の真中に立ちふさがるひとりの男がいた。


「――貴殿こそ〝勇者〟に違えあらず」


 彼は開口一番そう言った。

 赤い髪。全身を黒衣に包み、片手に細剣を提げた若い男。

 アシュレイは彼を目の当たりにした瞬間、目を見開く。

 彼の黒衣が、そして剣身が血の色に黒ずんでいたからだ。

 それはおそらく、返り血の色。


「……何を斬った」

「語るに及ばず」

「……何を斬ったと、聞いているッ!!」

「答えるに及ばず」


 数十の死体を築いてなお表情をぴくりとも変えなかった男が、にわかに激情をあらわにする。

 血塗れのドルトはふらふらと頭を上げ、せせら笑うように言う。


「……く、くく、へへッ。ざまあみろ、英雄気取りが。おまえのやったことは、みんな、みーんな無駄だったんだ。あきらめて、クロウさんに殺されちま――」


 彼が言い終えるより早く、アシュレイはドルトを赤髪の男――クロウ目掛けて放り投げた。

 クロウは表情をぴくりとも変えずに剣を振るう。

 ドルトは上下真っ二つに両断され、屍がクロウの後ろを転がった。


「――――退けッ!!」


 アシュレイは腰の長剣を抜き、ドルトの肉体の影から現れるように斬りかかった。

 クロウは振り切った刃をすかさず返し、アシュレイの剣身をまともに受け止める。

 一進一退の鍔迫り合い。


「力――及ばずか」


 しかし、クロウはこの一瞬で彼我の実力差を悟った。

 一秒、二秒、三秒。

 時が経つほどに彼の細剣が悲鳴を上げる。刀身に刻まれた罅が蜘蛛の巣のように広がる。


 きんっ、という甲高い金属音とともにクロウは一歩大きく飛び退る。

 アシュレイはその間合いを埋めるべく踏み込み、全身をひねり、肩口から斜に斬り下ろす一筋の剣閃を振り放った。


 ――――ガキィンッ!


「……御見事」


 細剣が断末魔の刃鳴りを上げる。

 跳ね飛ばされた刃先が地に突き立つ。

 刃諸共に胸を切られたクロウは地に膝をつき、蹲った。


 賞賛の言葉を受けたアシュレイの内心は虚無。

 クロウの一太刀を浴びて罅まみれの長剣を床に突き刺し、すれ違うように歩き出した。


「――この身、すでに生けるには及ばず」

「俺が知ったことか」


 すでに無力化したと見るや、アシュレイは彼を一顧だにしない。

 歩みを進めた先、通路の突き当りには他のどの部屋よりも大きな扉がある。


 それを見つけたアシュレイの表情は全くの無。

 殺意、憎悪、悲哀、憤怒、無力感――そして諦観(あきらめ)

 それら全てがないまぜになった感情を抱えたまま、アシュレイは扉を押し開けた。

 

 扉を開け放ち、豪奢な部屋の中を見渡し――アシュレイは思わず目を見開く。

 聞こえるはずのない声を聞いた。

 あるはずのないものを見た。

 あらゆる負の感情が溶け、意識と視線が一点に集約される。


「――――アシュレイさんっ!!」


 はっとしたように顔を上げるひとりの少女。

 少女の白いかんばせは涙に濡れ、されど傷ひとつ無い。

 少女は――クラリッサは飛び跳ねるように立ち上がり、駆け寄ったアシュレイの懐に縋り付く。


「……クラリッサッ……!!」


 少女の肩をきつく掻き抱く。か細い背中をなだめるようにさする。

 まるで夢まぼろしでも見ているようだった。


「大丈夫か。怪我はないか。……俺が不甲斐ないせいで怖い思いをさせて、本当に、すまなかった」

「……だいじょうぶ、です……わたしは……っ、ふ……ぅ、く……」


 クラリッサは涙を噛み殺すように歯噛みする。泣き濡れた顔をアシュレイの胸元に擦り寄せる。

 どこか現実感が薄いままアシュレイは顔を上げ――クラリッサが無事であった理由(わけ)を知る。


 アシュレイの視界に入ったテーブルの上。

 そこには、凄まじく鋭利な切り口で切断されたカルロ・アルファーノの首が鎮座していた。 

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