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「断罪の令嬢 ― 弁護士の記憶が織りなす逆転劇」  作者: 月白ふゆ
第三章

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第十話 折れない証拠は軍にもある

会議の延期が通っても、空気は変わらない。

軍は速さを失った分、別の方法で終わらせようとする。終わらせる道具は、いつも人だ。


医務官の記録は封印されたまま机の端に積まれていた。封印番号、出納の印、受領者の署名。どれも整っている。整っているのに、安心できない。整っているものほど“整えられる”。


リリアナは封印に触れず、番号だけを控えた。

触れないのは臆病だからではない。余計な“行為”を増やさないためだ。行為は痕跡になる。痕跡は武器にもなるが、敵にも渡る。


宰相ヴィルヘルムが紙束を机に置いた。


「四十八時間。軍が嫌がる時間だ。だから軍は、その四十八時間で“折る”」


「折らせません」


リリアナは軽く言った。軽いから強い。言葉が重いと、誓いになる。誓いは破れやすい。


「折れない材料を出します。人ではなく、物で」


王太子ユリウスが視線を向けた。


「何がある」


リリアナは、膝の上の紙を一枚差し出した。いつもの、紙一枚。項目だけが並ぶ。


「兵站台帳。封印印。出庫の立会記録。輸送隊の行軍記録。あと門の通行札。これで“物の流れ”を作ります」


宰相が低く頷く。


「物の流れが作れないなら、事件は成立しない」


「成立しません」


リリアナは淡々と言った。


「軍需品は、数と印と時間で動きます。動くなら必ず通る。通るなら必ず残る。残るものが残っていないなら、動いていない」


王太子が短く言った。


「取りに行く」



───


兵站は、軍の胃袋だ。

胃袋は目立たない。目立たないのに、止まると全員が困る。困るから、誰も正面から触りたがらない。


兵站庫の前で、リリアナは門番の兵へ、宰相府の通達書を見せた。

通達書は武器だが、刃物ではない。刃物に見せると反発が出る。だから、淡々と。


門番は一瞬だけ迷い、そして奥へ走った。迷うのは悪意ではない。慣れていないだけだ。慣れていない場所ほど、痕跡が残りやすい。


出てきたのは兵站係の下士官だった。腕まくりして、指先が黒い。黒い指先は現場の証だ。現場の証は、書式の整った嘘に弱い。弱いが、味方にもなる。


「原本の外形確認と、出納の照合です」


アーデルハイトが用件を言う。短い。短いと通る。


下士官は顔をしかめた。


「原本は……写しで」


「写しはある。だから原本を見たい」


リリアナは優しくもなく冷たくもなく言った。


「写しが正しいなら、原本を見るのが一番早いです。原本を見せれば終わります」


“終わる”。軍はその言葉が好きだ。好きだから、口を滑らせる。


下士官は口元を引きつらせた。


「……倉庫長に確認を」


倉庫長が来るまで、リリアナは倉庫の扉に貼られた封印札を見た。封印札の角が少しだけ浮いている。浮きは軽い。軽いものほど強い。軽いものは、見落とされるから。


倉庫長は、遅れてやってきた。遅れは計算だ。計算の遅れは“時間稼ぎ”の痕跡になる。


「宰相府の確認と伺いましたが、兵站は現場が忙しい。写しで足りませんか」


倉庫長の言葉は丁寧だ。丁寧な言葉は拒否を隠す。


リリアナは拒否を叩かない。叩くと壁になる。壁は厚い。


「写しで足りるなら、写しを作った手順を確認します」


倉庫長の眉が僅かに動く。


「手順?」


「封印番号。出庫の立会。受領者の署名。写し作成者の印。写しの作成日時。これが全部揃っていれば、写しでも足ります」


リリアナは淡々と並べた。


「揃っていないなら、原本が必要です。どちらにしても、今日は終わります」


倉庫長は“終わる”に反応した。軍は終わらせたい。終わらせたいから、余計な手間を嫌う。


「……分かりました。外形だけです。中身は――」


「外形で十分です」


リリアナは頷いた。外形で十分な戦いは、勝ちやすい。


扉が開く。油と鉄の匂いが出る。

箱が並んでいる。封印印がある。印は綺麗だ。綺麗すぎる印は、押した人が急いでいない印だ。急いでいない印は、現場では珍しい。


リリアナは封印印を一つずつ見ていく。印影の角度。押し込みの深さ。乾き方。

印は同じでも、押す手は違う。違うと、癖が出る。


アーデルハイトが、低い声で言った。


「……同じ手だ」


リリアナは頷いた。封印印が、複数の箱で“同じ癖”を持っている。

本来は、複数の係が押す。押す手が変わる。変われば癖が散る。散らないなら、まとめて押した。まとめて押したなら、現場の時間ではない。


「出庫の立会記録を」


リリアナが言うと、倉庫長は渋々、帳面を出した。帳面は厚い。厚い帳面は嘘に向かない。だから敵は、厚い帳面を嫌う。


ページを開く。出庫の欄に、同じ名前が続く。立会者の欄も同じ。受領者も同じ。

同じが続くと、現場の匂いが消える。消えた現場は、作られた現場だ。


リリアナはページの端を指で押さえた。


「この日、輸送隊は動いていません」


倉庫長が反射で言う。


「動いています。ここに記録が――」


「輸送隊の行軍記録をください」


リリアナは淡々と返す。

記録で殴ると、記録で返すしかなくなる。返せないと、終わる。


倉庫長は一瞬だけ固まり、そして言った。


「行軍記録は輸送隊の管轄で」


「なら、輸送隊に行きます」


王太子ユリウスが低く言った。

その声で、倉庫長の言い訳は封じられる。王太子の一言は、管轄を薄くする。



───


輸送隊の詰所は、兵站より空気が乾いていた。

乾いた空気は、嘘を早く乾かす。乾いた嘘は割れやすい。


隊長は若い。若いのに疲れている。疲れた若さは、誰かの決定に従っているだけの若さだ。


「行軍記録の提示を」


アーデルハイトが言うと、隊長は喉を鳴らした。


「それは……軍法務の案件です。ここに来られても」


「ここに来たのは、あなたの記録が必要だからです」


リリアナが淡々と言った。


「あなたの隊が動いたなら、記録がある。動いていないなら、動いたことにされた理由がある」


隊長は顔色を変えた。“動いたことにされた”。

現場は、その言い方が一番怖い。自分が嘘の材料にされていると気づくから。


隊長は、迷ってから、帳面を出した。


「……これが行軍記録です。日付、目的地、人数、馬車の数、通行札番号」


帳面を開く。

問題は、ここからだ。


リリアナは最初から矛盾を探さない。矛盾は、探し方を間違えると“こじつけ”に見える。

代わりに、成立条件だけを見る。


「通行札番号が、連番ではない」


彼女が言うと、隊長が慌てて言った。


「通行札は……発行が不規則で」


「不規則でも、配布には規則があります」


リリアナは淡々と返した。


「札は“門”で配られます。門で配られるなら、門の発行台帳に残ります。残っていないなら、札はこの世にありません」


隊長が黙った。

黙ると、書くしかない。書くと、痕跡になる。


リリアナは次の項目へ移る。


「馬車の数が多い。なのに、補給の記録が薄い」


隊長が言い訳しようとした瞬間、ユリウスが短く言った。


「薄いなら、薄い理由を出せ。理由がなければ、虚構だ」


隊長の肩が落ちた。若い肩の落ち方は、現実だ。


「……その日、隊は動いていません」


言った瞬間、隊長は自分で自分を殴ったような顔になった。言えば終わる。でも言わないと、もっと悪い形で終わる。現場は、それを知っている。


リリアナは責めない。責めると、口が閉じる。口が閉じると、紙が取れない。


「誰の指示でした」


隊長は震える息で答えた。


「軍法務から……“書式支援”が入ってきて、整えた写しを置いていきました。署名と印だけ、こちらで合わせろと」


整えた写し。やはりそこだ。

現場は、整えられる。


リリアナはゆっくり頷いた。


「証言は今ので十分です」


それ以上は要らない。証言は最後に添えるだけ。主役は、外部記録だ。


彼女は隊長の帳面から、通行札番号を控えた。

控える行為が、次の扉を開ける。



───


門の発行台帳は、兵站より硬い。門は秩序の入口で、秩序の入口には、必ず番号がある。


門番は王太子の徽章を見て即座に頭を下げた。軍は王太子に逆らえない。逆らえないから、逆らわない形で抵抗する。


「発行台帳を」


リリアナが言うと、門番は即答した。


「あります。ただし閲覧は……」


「閲覧でいいです。写しは要りません」


リリアナが軽く言うと、門番は僅かに戸惑った。写しを取られるのが怖いと思っていたのだろう。怖いものは、だいたい弱点だ。


台帳を開く。通行札番号。発行日時。発行先部隊。受領者。

淡々と並ぶ数字は、感情を持たない。感情を持たないものは強い。


リリアナは控えた番号を探し、指を止めた。


「……ありません」


門番が息を呑む。


「あり得ません。札は必ず――」


「必ず残ります」


リリアナは淡々と言った。


「残っていないなら、札は発行されていない。発行されていない札が行軍記録に載っているなら、行軍記録は虚構です」


虚構。

軍は虚構を嫌う。嫌うのに、虚構で人を潰す。矛盾が胸に刺さる。


アーデルハイトが言った。


「これで“物の流れ”が成立しない」


兵站の出庫は、行軍の札に繋がる。札がないなら、出庫は届け先を持たない。届け先がない出庫は、横流しではなく、作られた罪だ。


リリアナは最後に、兵站の封印印を思い出した。

同じ癖の印。まとめ押し。現場の時間ではない時間。

全部が一本の線になる。


「決定打は出ました」


彼女は王太子へ向けて言った。


「証言は最後に添えるだけ。主役は台帳です。台帳が“無い”と言った。それで終わります」


ユリウスは頷いた。

短く頷くのは、迷いがないからではない。迷う余地がないからだ。数字の前では、迷いは贅沢になる。



───


宰相府へ戻ると、宰相ヴィルヘルムはすぐに紙を揃えた。

兵站台帳の出庫欄。封印印の照合。出庫立会記録。輸送隊の行軍記録。門の発行台帳。

“物の流れ”が途中で断絶していることが、誰の目にも分かる形で並ぶ。


リリアナはその横に、隊長の短い証言を添えた。証言は飾りではない。接着剤だ。記録と記録の間に、現場の息を挟む。


ユリウスが線を引く。


「結審はできない。成立しない」


宰相が静かに言った。


「軍は反発するだろう。だが、反発しても形が残る。形が残れば、次の段で潰せる」


リリアナは頷いた。

勝つのではない。裁けない形を維持する。維持すれば、敵は動く。動けば、痕跡が増える。


その時、執務室の扉が叩かれた。

伝令の声が、少しだけ緊張している。緊張は良い知らせではない。


「王太子殿下、宰相閣下。神殿より文書が」


神殿の文書。

紙は紙でも、別の種類の紙だ。数字ではなく、信仰の紙。


ユリウスが受け取り、目を通す。読んでいる間、部屋の空気が一段重くなる。


読み終えた王太子が、淡々と言った。


「神殿が動いた。神託の付記を軍へ送るそうだ」


宰相の目が細くなる。


「押し切る気か」


リリアナは驚かない。驚かない代わりに、心の中で順番を決める。

信仰を否定しない。だが裁きの根拠にしない。

ここで線がぶれると、今までの積み上げが崩れる。


ユリウスが紙を机に置き、短く言った。


「次は、信仰が裁きを飲み込む」


リリアナは頷いた。

外部記録で矛盾は固定した。固定したからこそ、相手は別の軸で押してくる。


紙と紙の戦いは、まだ終わらない。

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― 新着の感想 ―
神が実在する世界なら、神託が冤罪に悪用されている状況に腹を立てて神罰を下すなど、無いのでしょうか。 本当に神託が出ているなら、多分、対象はレオンではないのでしょうね。 でも〈獅子の牙に欠けたるものあり…
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