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「断罪の令嬢 ― 弁護士の記憶が織りなす逆転劇」  作者: 月白ふゆ
第三章

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第四話 リリアナ、席を得る

アーデルハイトが宰相府へ戻ったのは、夜の更けた時間だった。


玄関の衛兵に名を告げると、相手は一瞬だけ眉を動かし、すぐに姿勢を正した。噂は速い。軍法会議が明日というだけで、王都の空気はもう一段冷えている。


廊下を進む。灯りは落ちているのに、机の上だけが明るい部屋がいくつもあった。紙の白さは夜でも目立つ。白いものは、まだ決まっていないものだ。決まっていないものほど、人は怖がる。


彼女が扉を叩くと、返事はすぐに来た。


「入れ」


執務室には、宰相ヴィルヘルムがいた。外套は脱いでいるが、疲れは見せない。疲れを見せると、それを利用されるからだ。机の上の書類は整理されている。整理されているのは、今日が終わっていない証拠でもある。


「状況を」


宰相は、問いの形だけで要求した。


アーデルハイトは立ったまま報告した。余計な形容を削って、事実だけを並べる。


「軍法務は門前で止めました。『管轄』を盾に、面会も資料確認も拒否です。供述調書は『整っている、署名待ち』。証言は複数で揃っていることを誇っています」


宰相の指が、机を一度だけ叩いた。


「揃っている、か」


「揃いすぎています。確認の独立性を問うと、逆に敵意を向けられました。軍では揃っていることが優秀、と」


「優秀という言葉は便利だな」


宰相は、淡々と紙束を一つ閉じた。閉じる音が、軽く聞こえる。軽い音ほど、重い決断が乗っている。


「それ以外は」


「神殿文書局が書式支援として入っています。記録係が供述を『整える』。軍法務はその言葉を疑っていません。今夜中に神殿側の『付記』が入る可能性があります」


宰相の目が、一瞬だけ鋭くなる。


「付記?」


「神託です。判断材料として」


沈黙が落ちた。沈黙は宰相の武器で、同時に部屋の温度を奪う。


「軍が神託を判断材料にするなら、速さが増す」


宰相が呟く。


アーデルハイトは頷いた。


「止めるなら、今夜です。ただ、押せば押すほど、軍は反発します」


「反発は予想できる。問題は、止め方だ」


宰相は視線を上げた。


「殿下は?」


「今夜も起きています。呼べばすぐに」


「呼べ」


宰相の声は静かだったが、指示は鋼のように短い。


アーデルハイトが扉を出ようとしたところで、宰相がふと付け足した。


「もう一人だ」


アーデルハイトは一瞬だけ首を傾げた。


宰相は、迷いなく言う。


「リリアナ・ド・ヴァルフォード」


その名が出た瞬間、アーデルハイトの胸の奥で、何かが合致した。


あの令嬢は、戦場に出ない。

だが、戦場の形を変える。

そして今必要なのは、正しさを叫ぶ声ではなく、速さが通らない条件だ。


「承知しました」


アーデルハイトは部屋を出た。



───


ユリウスが宰相府に来たのは、程なくしてだった。


護衛は最小限。夜の移動は目立つが、目立つこと自体を恐れる立場でもない。彼が扉をくぐった瞬間、室内の空気が少しだけ張った。張りは、期待と責任が混ざったものだ。


ユリウスは礼を省き、椅子に座る前に言った。


「軍の件か」


宰相が頷く。


「明日、軍法会議。速すぎます。止めるには、軍の顔を潰さずに止める必要がある」


ユリウスは眉を寄せた。


「軍の顔を潰さずに、どうやって」


アーデルハイトが答えるより先に、宰相が言う。


「権限の線を一本引く」


ユリウスが視線を上げる。


「線?」


「『結論』に口を出さない。『順序』にだけ口を出す。軍は結論に口を出されると反発するが、順序の話なら反発しにくい。反発しても、反発する側が不利になる」


ユリウスは少しだけ息を吐いた。


「順序……証拠保全か」


「そうです。証言が揃っているなら、それはそれで構わない。ただし揃った証言は、検証がないと刃になります。検証の入口を作る」


ユリウスは短く頷いた。


「それを誰がやる」


宰相の視線が、机の端の小さな封書に落ちる。まだ開けていないものだ。封の色が嫌な予感を持っている。


「リリアナです」


ユリウスが、少しだけ意外そうに目を細めた。


「あの令嬢に、軍を動かせるのか」


宰相は否定も肯定もしない顔で言った。


「動かすのではありません。止めるのです。止め方を作る。彼女は、止める順序を知っています」


アーデルハイトが補足する。


「軍は外部の介入を嫌います。ですが、介入の形を変えれば入れます。彼女が言うなら、信仰を否定しないまま、裁きの根拠から外す線も引ける」


ユリウスの指が、椅子の肘を軽く叩いた。


「つまり、彼女に席を与える。席がなければ、ただの口出しになる」


「その通りです」


宰相は即答した。


「王太子付の職です。名目は再審手続の整備。証拠保全の指針作成。表に出ない仕事。軍も『書式』を重視している以上、書式と順序の権限を拒む理屈が薄い」


ユリウスは、少しだけ笑った。笑いというより、納得の息だ。


「なるほど。軍が大事にしているのは速さと書式。なら、書式で止める」


宰相は頷く。


「速さが通らない条件を、書式で作る。彼女の得意分野です」


ユリウスは決めた。決めるのが彼の仕事だ。


「呼べ」


アーデルハイトが動こうとしたが、ユリウスが手を上げて止めた。


「アーデルハイト、君は軍の反発の癖を把握している。宰相、草案を用意してくれ。私は本人に話す」


宰相は短く頷いた。


「今夜中に」



───


リリアナ・ド・ヴァルフォードは、宰相府の奥の小部屋に通された。


豪奢ではない。無駄な飾りもない。机と椅子、灯り、そして湯気の立つ茶。こういう部屋の方が、話は進む。飾りが多いと、余計な言葉が増える。


彼女は外套を脱がずに座った。落ち着いている。落ち着きは余裕ではなく、習性だ。感情を先に出すと、相手に形を与える。


扉が開き、ユリウスが入った。


護衛は外。二人きりではないが、話に必要なのはこの二人だ。


ユリウスは座りながら言った。


「急に呼び出して悪い。軍で件が起きている」


リリアナは頷く。


「明日の軍法会議の件ですね」


「情報が早いな」


「速い裁きは噂も速いです」


淡々と言う。言い方が刺々しくないのに、刺さる。


ユリウスは本題に入った。


「君に頼みがある。いや、頼みという形では弱い。職を用意する」


リリアナは目を瞬かせたが、驚きは見せない。


「王太子付です」


ユリウスが続ける。


「名目は二つ。再審手続の整備と、証拠保全の指針作成。君は表に出ない。だが、紙で線を引ける」


リリアナは少しだけ視線を落とした。考える癖だ。すぐに肯定しない。肯定すると、責任が曖昧になる。


「権限の根拠が必要、ということですね」


ユリウスは頷いた。


「軍は外部の口出しを嫌う。だが、君が王太子付なら『外部』ではない。私は、軍の結論には口を出さない。しかし順序には口を出す」


リリアナが静かに言う。


「結論に口を出さない、と言い切れるのは強いですね。軍はそこに反発しますから」


「反発させない」


ユリウスの声が低くなる。


「反発するなら、反発する側の理屈が折れる形にする」


リリアナは茶に手を付けず、机の上の紙を見た。紙はまだ白い。白い紙は可能性で、同時に責任だ。


「私は、軍の中で正しさを語れません」


彼女は先に釘を刺す。


「正しさは、正しさで殴り返されます。必要なのは矛盾です。矛盾があれば、速さは止まる」


ユリウスは短く頷いた。


「君の言葉で聞きたい。止め方を」


リリアナは、ようやく茶に手を伸ばした。ひと口飲む。喉を潤すためではない。間を整えるためだ。


そして、机の上の白い紙に鉛筆を置く。


羽根ペンではない。鉛筆。

消せる。書き直せる。

整えるための道具だ。


「一枚で足ります」


リリアナが言った。


「軍は紙が好きです。整った紙なら、速度に乗ります。だから、速度に乗らない紙を一枚混ぜます」


ユリウスが眉を寄せる。


「乗らない紙?」


「『証拠保全違反の疑義』です」


リリアナはさらりと言った。


「結論ではない。順序の問題です。軍は順序を否定しづらい。否定すると軍が乱れる」


鉛筆が走り始める。短い文。箇条書き。無駄がない。


「――軍法会議に付す前に、最低限保全すべき記録」

「――原本保全の要件」

「――写し採用の要件」

「――証言採用の条件(独立性確認の手順)」


書きながら、彼女は言う。


「証言が揃っている時ほど、独立性の確認が必要です。軍の言葉で言い換えるなら『同じ教育を受けた者の視界は似る』。似る視界は揃いやすい。揃いやすいから、揃ったことを優秀と誤解しやすい」


ユリウスが、ほんの少し口角を上げた。


「軍に嫌われない言い方だ」


「嫌われない必要はありません。拒めない言い方が必要です」


リリアナは言い切った。


「嫌われるかどうかは感情です。拒めるかどうかは手続きです」


鉛筆が止まる。紙一枚に、線が引かれた。


「この紙は、軍法務へ『提案』ではなく『指針』として送ります。王太子付の職務として。宰相府からではなく、殿下の名で」


ユリウスは頷いた。


「私の名で出せば、軍は受け取らざるを得ない」


「受け取っても、従うとは限りません」


リリアナが静かに言う。


「だから二段目です。従わなかった場合の不利益を、紙の中に埋めます」


ユリウスの目が少しだけ鋭くなる。


「埋める?」


「例えば、こうです」


リリアナは紙の一角に短く書き足した。


「――本指針に反し、原本保全に疑義が生じた場合、当該会議の結論は再審手続の対象とする」


たった一行なのに、空気が変わった。

速さの中に、遅さの刃が混ざる。


ユリウスが小さく息を吐く。


「軍は嫌がるだろう」


「嫌がります。でも、嫌がっても従う方が得になります。従わないと、結論が後でひっくり返る可能性が生まれる。軍は体面を最優先する。体面を守るなら、最初から順序を守る方が安い」


ユリウスは、机の上の紙一枚を見た。

派手な言葉はない。

脅しもない。

ただ、手続きだけがある。


「君は前に出ない」


ユリウスが言う。


「出ません。出ると標的になります。標的になると、次の案件で使えない」


リリアナは淡々と返した。


「私は矢ではなく、矢筒です。矢を揃える側です」


その比喩は軽いのに、中身は重かった。


ユリウスは決めた。


「任命する。今夜、書面を作る」


リリアナは一度だけ頷いた。


「条件があります」


ユリウスが目を細める。


「言ってくれ」


「私の仕事は、誰かを断罪することではありません。断罪は敵を作ります。必要なのは、裁けない形にすることです。裁けない形にした結果、罪が落ちるなら落ちる。それは順序の帰結です」


ユリウスは迷いなく頷いた。


「構わない。私は裁きの根拠を守りたい。勝ちたいわけではない」


リリアナが、ほんの少しだけ表情を緩めた。

緩めたのは笑いではなく、確認の合図だ。


「では、進めます」



───


深夜、宰相府の文書室が動いた。


任命書。

職務規程。

付随する権限の範囲。

宰相とユリウスの署名。


そして、リリアナの一枚紙が複写され、封書に収められる。


宰相はそれを見て言った。


「紙一枚で、軍の速度を鈍らせる」


アーデルハイトが答える。


「鈍れば、息ができます」


宰相が頷く。


「息ができれば、矛盾を探せる」


その会話は短い。短いほど、決まっていることが分かる。


封書は、夜明け前の伝令に託された。



───


朝、軍法務庁舎に封書が届いた。


蝋印は王太子のもの。

重い。封を切る前から重い。


軍法務の担当官は一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに姿勢を正し、封を切った。内容を読んだ瞬間、喉が鳴る。


「……王太子付、法務参事?」


彼は呟いた。声は小さいのに、部屋にいる者全員が耳を立てた。王太子付という言葉は、それだけで命令に近い。


担当官は、次の紙を読み進める。

証拠保全の指針。

原本保全。

写し採用の要件。

証言の独立性確認。

そして、最後の一行。


――指針に反し原本保全に疑義が生じた場合、当該結論は再審手続の対象とする。


担当官は、紙を机に置いた。置いた音が、硬い。


上官が入ってきた。肩章が光る。


「何だ」


担当官は、王太子の蝋印を示した。


「殿下からです。王太子付の職が新設されました。リリアナ・ド・ヴァルフォード……法務参事。再審手続と証拠保全の指針」


上官の目が細くなる。


「外部が、軍に口を出すのか」


担当官は言い淀んだ。


「外部ではありません。殿下付です」


上官の口元がわずかに歪む。


「言い換えただけだ」


その言葉は、苛立ちの本音だった。

軍にとって、裁きは軍のものだ。

外から線を引かれるのは屈辱に近い。


上官は紙を掴み、ざっと目を通し、吐き捨てるように言った。


「結論に口を出さない? 順序だけ? 都合のいい言葉だ」


担当官が慎重に言う。


「しかし、殿下の名です。受領しないわけには」


上官は、苛立ちを隠さずに言った。


「受領はする。だが従うかどうかは別だ。軍の裁きに外部の口出しは不要だ」


不要。

拒否。

その空気が部屋に広がる。


担当官は、紙の最後の一行をもう一度見た。

従わなければ、後でひっくり返る可能性が生まれる。

ひっくり返るのは、軍の体面に致命傷だ。


体面を守るなら、順序を守る方が安い。

その理屈は分かる。分かるから腹が立つ。


上官が言い切った。


「外部の口出しは拒む。軍は軍でやる」


担当官は、低く返した。


「……承知しました」


承知は従うことではない。

承知は、受け取ったという事実の確認だ。


封書は受領された。

だが、その瞬間に別の戦いが始まった。


速さで人を潰す裁きの中に、

紙一枚で引かれた線が混ざった。


軍は、その線を嫌う。

嫌うからこそ、線は効く。


そしてリリアナは、表に出ないまま席を得た。

これから先、ただの口出しではなく、手続きとして触れられる席を。


扉の向こうで、軍法会議の準備が進む。

整った証言。整った調書。整った空気。


その整いに、拒まれかけた一枚の紙が、静かに刺さっていた。

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― 新着の感想 ―
リリアナの〈弁護士〉業務、この辺で本格的に開始と言う感が有ります。 しかし、王太子でなくて国王(その名前だけでも)が出た方が、軍の面子や感情を、より尊重出来そうな気がしますが(制度上・手続き上でも、よ…
今回も面白かったです。 > 裁けない形にした結果、罪が落ちるなら落ちる。それは順序の帰結です」 「地獄に落ちる」「罪を犯す」「罰を下す」「罰が下る」は目にも耳にもしますが、「罪が落ちる」は初見の表現…
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