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「断罪の令嬢 ― 弁護士の記憶が織りなす逆転劇」  作者: 月白ふゆ
第二章

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第十二話 余白は残る

裁きが終わると、世界は元に戻る。


……そう思いたい人間は多い。


でも、本当に戻るのは「形」だけだ。

空気は戻らない。

癖も戻らない。

一度、疑った人間の目は、以前と同じにはならない。


宰相府の発表は淡々としていた。


罪不成立。

訴え差し戻し。

監査開始。

該当取引の保留。


言葉としては地味だ。

だからこそ効く。


派手な断罪がないぶん、

派手な反撃もできない。


怒りをぶつける相手がいない。

それが一番、相手の手を鈍らせる。



---


クラリスは、戻る準備をしていた。


宰相府の一室で、荷物は小さくまとめられている。

衣装箱は少ない。

豪奢な品もない。


「……これだけでいいんです」


侍女にそう言って、クラリスは自分の指を見た。


指輪はある。

夫の名を背負っている。

でも、その名が守ってくれるとは限らない。


守ってくれるのは、記録と順序。

そして、自分が黙らないこと。


そこへ、アーデルハイトが入ってきた。

紙束を一つ持っている。


「これは、あなたへ渡します」


クラリスが受け取ると、それは“結論の要旨”だった。


罪不成立。

差し戻し。

監査対象。

保留措置。


難しい言葉を使っているのに、読みやすい。

読みやすいから怖い。

読みやすいから、強い。


「これを持っていれば、大丈夫でしょうか」


クラリスが問うと、アーデルハイトは淡々と首を振った。


「大丈夫、とは言いません」


クラリスの胸が冷える。


「ただし」


アーデルハイトは続けた。


「これがある限り、“同じ形”では潰せません。

 相手は形を変えます」


クラリスは息を吸った。


「……次は、何ですか」


アーデルハイトは淡々と答える。


「生活です。

 領地の税。商人。家臣。

 そこを崩して、“結論があっても領が持たない”形にします」


優しい言葉ではない。

でも、現実だ。


クラリスは頷いた。


「なら、私も整えます」


アーデルハイトが、わずかに目を細める。


「その言い方で十分です」



---


王都を出る日の朝、雪は降っていなかった。


だから余計に寒い。

雪がない寒さは、逃げ場がない。


馬車の前には護衛がつく。

厚すぎない。

目立たない。

目立たないから、生き残れる。


宰相ヴィルヘルムが見送りに来ることはない。

そういう男だ。

しかし、その代わりに“手順”がある。


護衛隊長が淡々と言った。


「街道の宿は三つ確保しています。

 予定は変えません。変えるなら、あなたが決める」


クラリスは短く答えた。


「分かりました」


変えない。

変えると、相手に読まれる。


読まれるほど、余計な事故が起きる。


馬車が動き出すとき、クラリスは一度だけ振り返った。

宰相府の塔は遠い。

しかし、あそこから見られている気がした。


見られているのではない。

記録されている。


それが、怖いのに、少しだけ心強い。



---


同じ頃、王都の別の建物では、別の静けさがあった。


会計監督官室。


会計監督官補佐グレゴール・シュタインは、机に座り、書類を一枚閉じた。

閉じる動作が丁寧すぎる。


そこへ部下が入ってくる。


「補佐殿。監査局から、正式な照会が」


「来たか」


声は落ち着いている。

焦りはない。

むしろ、手順の範囲内で動く自信がある。


部下が言う。


「監査となると、取引の一部が保留に――」


「保留で済むなら、軽い」


グレゴールは淡々と言った。


「問題は“政治”になることだ。

 だが、今回は政治にされなかった」


部下が眉を動かす。


「では、我々の――」


「失脚はしない」


グレゴールは即答する。


「監査は監査だ。

 適正に説明し、適正に書類を出せば終わる。

 そして、書類はいつでも作れる」


その言葉が、怖かった。


書類はいつでも作れる。

だからこそ、書類だけでは勝てない世界がある。


しかし、今回に限っては違う。


外部記録がある。

税帳。通行記録。監査台帳。


それらは、作り直しにくい。

作り直すなら、王都全体の運用を壊す。


グレゴールは小さく息を吐いた。


「……あの調査官は、余計な熱を持っていない」


「熱がない者は厄介です。

 殴っても、殴られた顔をしない」


部下が言うと、グレゴールは淡々と頷いた。


「だから次は、殴れない場所を使う」


部下が目を上げる。


「場所、とは」


グレゴールは、紙を一枚指で叩いた。


「裁きの場ではない場所だ」


その一言で、未来の匂いがした。



---


宰相府では、会議が続いていた。


事件は終わった。

でも、余波は終わらない。


監査局の担当官が淡々と言う。


「監査は始まりました。

 ただ、結論が出るまで時間がかかります」


宰相が頷く。


「時間がかかるのはいい。

 時間がかかるほど、短期の手札は死ぬ」


ユリウスが低く言った。


「問題は、次の案件だ」


その言葉に、全員が黙る。


次。

それは、今回の相手が学習しているという意味だ。


アーデルハイトが淡々と答える。


「今回、彼らは“貴族の裁き”で勝てませんでした。

 なら、次は貴族を被告にしない」


宰相が言う。


「庶民か」


「あるいは、兵です」


アーデルハイトは静かに言った。


「裁きの場を変えられると、

 証拠の取り扱いも変わります」


ユリウスが頷く。


「神殿ではなく、軍。

 軍の裁きは速い」


宰相の目が細くなる。


「速い裁きは、検証を殺す」


ユリウスは短く言った。


「だから、制度を一段増やす」


監査局の担当官が眉を動かす。


「制度を増やすとは」


ユリウスが言った。


「再審の手続きを“形式”から“癖”にする」


宰相が淡々と続ける。


「今回、差し戻しが通った。

 それは“前例”になる。

 前例は、ゆっくりだが強い」


前例。

それは剣より遅い。

でも、一度刺さると抜けない。


アーデルハイトが静かに言った。


「王都に“確認する癖”が残れば、

 次の案件で救える範囲が増えます」


ユリウスが頷いた。


「増やす」


この一言が、次への橋になる。



---


その夜。


リリアナ・ド・ヴァルフォードは、屋敷の書斎にいた。


誰もいない。

暖炉の火が小さく揺れている。


机の引き出しを開ける。

中には紙がある。


前世の記憶の癖で、紙を残す。

証拠ではない。

手順のための紙。


今日、彼女は新しい紙を一枚足した。


内容は短い。


――裁きの場が変わる。

――次は速度で殺しに来る。

――証言ではなく、記録を先に押さえろ。


署名はしない。

誰にも見せない。

それでいい。


彼女は表に出ない。

今回も出なかった。


出なくても、動くものがある。

仕組みと癖は、人が出なくても残る。


暖炉の火が、少しだけ弾けた。


リリアナは紙を引き出しに戻し、静かに閉める。


勝ったわけではない。

救ったわけでもない。


ただ、潰されなかった。

潰されなかったという事実が、次の余白になる。



---


翌日、王都の兵舎で小さな揉め事が起きた。


内容は軽い。

誰かが酒を盗んだ。

誰かが殴った。

誰かが逆らった。


いつもある話だ。


ただ、今回は違う。


記録係が、最初から「書式」を整えていた。

そして、上官が言った。


「神殿の文書局が“協力”するらしい」


そこで空気が止まった。


神殿。

軍。

速度。

書式。


それらが一つに並ぶとき、

裁きは一気に人を潰せる。


宰相府に届く報告は短かった。


――次の案件、発生。

――被告は貴族ではない。

――裁きの場は軍。


ユリウスは紙を読み、静かに息を吐いた。


「……来たな」


宰相ヴィルヘルムは頷く。


「余白が、次の刃になる」


アーデルハイトが淡々と言った。


「なら、先に順序を作ります」


派手な終幕ではない。

でも、続く終幕だ。


今回、宮廷に残ったのは、たった一つの癖。


疑う癖。

確認する癖。

そして、裁けない形にする癖。


その癖が、次の誰かを潰さないために使われるなら。


この事件は、完全な勝利ではなくても、

無意味ではない。


余白は残る。


残った余白に、次の物語が入ってくる。

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勝つか、負けるか。 白か、黒か。 正しいか、誤りか。 テミスの天秤はどちらにも傾かず、どちらも残った。 一つの物語が終わる毎に、良くも悪くも双方がブラッシュアップされていきますね。 相手方の、物語を続…
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