第六話 戦中のヨーゼフ王子
少し時間はかかったがヨーゼフ王子の治療は無事終了した。傷のあった場所には新しい皮膚ができている。体力も70台まで回復させた。出血のためか顔色は悪いが、喋れるくらいには元気になったようだ。
その代わりに俺の魔力はほとんど空になってしまった。万が一戦闘が発生した場合を考えると、これ以上治療を続ける余裕はない。
「もう大丈夫です。しかし出血が多いようなので、しばらく安静にされたほうがいいかと思います」
「彼に感謝の言葉を――」
「殿下が亜人の治癒術士に礼を言っておられる」
「ありがたくお受けさせていただきます」
王族に対する礼儀など知らないので、こういう対応でいいのか分からないが、怒られたりしなかったので、とりあえずは許される範囲内だったのだろう。
それから王子とその護衛たちは部屋の一角を占めて何やら話し合っていた。味方のはずの兎人に襲撃されたことでこれからどうすればいいか困っているようだ。
「何やらきな臭くなってきたな」
壁際に座り込んで休んでいるとアレリア先生がやってきて、小声でそう言った。
「どういう状況だと思う?」
「ブラムストンブルク王家では長男が跡取りという決まりはない。王は常にその時点で誰が世継ぎに相応しいか遺言を残している。もちろん別の誰かがより相応しいと王が思えば遺言は書き換えられる」
「つまり跡継ぎ争いが生まれるわけか」
「そうだ。そして戦功というやつはいつでも輝いて見えるものだ」
「それでヨーゼフ王子はオーテルロー公国に来たんだな。ここは決まった時期に戦争が起きるから戦功を立てやすい」
「そしてそれを快く思わない誰かがいた。戦場で普通に死んでくれれば良かったんだろうが、そうもいかなかった。暗殺するにもこれまで近づく機会が無かったんだろうな」
王子の護衛騎士たちは戦士レベルが6から8と高い。その不意をついて暗殺するのは容易なことではないだろう。
「そこに魔族の夜襲か」
「ちょうどいい機会だったのか、あるいは暗殺者側が魔族と通じている可能性もある」
「そんなことがありえるのか?」
てっきり魔族と人間は完全な没交渉だと思っていた。今のところ言葉が通じている様子も無かったし、お互いに完全に敵対しているものだとばかり思い込んでいた。
「よく魔族と交流を持つのは冒険者だな。魔界に入って仕事をする機会が多いからどうしてもそうなる。たとえばこの前に我々が受けた討伐任務だが、尻尾が討伐証明部位で他の部分は焼いて捨てただろう? だが魔族からすればそれは食べられる食料ということになる。その逆もまた然り、というわけで、魔族に魔物の肉を売りに行く冒険者もいれば、人間に肉を売りに来る魔族もいたりする」
生々しい話だ。肉だけに。
「そんなわけで魔族の言葉に通じる冒険者は少なからずいるし、共通語を使える魔族も少なくない」
「つまり魔族を手引した誰かがいるかもしれない、ということだな」
「そうだ。そしてそいつらは王子の直接的な暗殺にも失敗した。これで終わりならいいのだが――」
「なにかマズい可能性があるのか?」
「もっと破壊的な方法で王子を殺そうとするかもしれない。例えば砦そのものを全滅させるような方法で」
「そんなことにはならないと信じる他ないな」
とにかく今は魔力が回復しないことには何もしようがない。
外で何が起こっているのか分からないのが不安でならないが、それを抑えこんで休息を取る。この部屋は負傷者でいっぱいになってしまって、追い返されている負傷者もいるようだ。他にも負傷者を集めている部屋があると信じたい。
それからどれくらい時間が過ぎただろうか。
何の前触れもなく、突如として腹の底に響くような振動が砦を襲った。
びっくりして飛び起きる。どうやら眠ってしまっていたようだ。周囲もざわざわとしている。皆不安そうな顔だ。
そんな中やおら立ち上がったのはヨーゼフ王子だった。
「皆の者心配するな! 我らには王祖の加護がある! まだ戦える者は付いて参れ!」
その顔色は赤く紅潮しており、事態を収めなければならないという王族の強い意思を感じさせた。護衛騎士たちも続いて立ち上がった。十数名の軽傷者も後に続いて立ち上がる。皆、戦う気のようだ。
「魔術士アイン、貴方も来てくれないか」
「殿下が共に戦うことをお許しである」
一瞬迷うが、選択できる状況でないことにすぐ気がついた。
「喜んでお伴させていただきます。アリューシャ、リンダ、ユーリア、行けるか?」
「問題ございません」
「はいっ」
「大丈夫、です」
俺が寝ている間にユーリアも少し休息を取ったようだ。顔色は悪くない。
そうしてヨーゼフ王子以下二十数名の小隊で俺たちは救護室を後にする。その間にも散発的にドーンドーンと砦が揺れる。一体何があればこの砦そのものを揺らせるのか想像もできない。
「正門のほうですね」
護衛騎士の一人が進言し、それに従う形で俺たちは振動の元へと足を進める。
途中で何度かゴブリンと遭遇したが、数の差もあってあっという間に殲滅された。俺たちはまだ魔力を温存できている状況だ。
途中、煙の酷いところを腰を低くしてやり過ごしたりしながら、俺たちはなんとか正門のところに辿り着いた。そこでは多くの兵士が必死に正門を押さえつけている。そしてドォンと音が鳴る度に正門が大きく内側に揺らぐ。閂はまだ無事だが、それも何時まで持つやと言った様子だ。
「どうやら地竜に丸太を牽かせて門にぶつけているようです」
状況を確認に行った護衛騎士が戻ってきてそう進言する。
「地竜など今まで一度も現れなかったではないか!」
「恐らく伏兵として用意されていたのではないかと。野戦で万が一突出する部隊があれば地竜でその側面を突くつもりだったのでしょう」
「そうか。では私は何度も命を落とすところだったのだな」
ヨーゼフ王子の唇がきゅっと引き絞られる。
あの様子では野戦では敵を深追いしようとしていたのだろう。その辺は護衛の騎士たちがうまく諫めていたようだ。
そんな会話を聞き流しながら、俺は周囲に注意を払っていた。正門前の兵士たちがごった返したこの状況なら――
振り返って雷の魔術を打つ。
今まさにヨーゼフ王子に飛びかからんとしていた兎人の兵士が体を硬直させてその場に崩れ落ちる。
「なっ!」
「暗殺者か!」
慌てて護衛騎士たちが剣を抜くが、どうやら暗殺者はその一人だけだったらしい。暗殺者がまだ死んでいないことに気付いて、護衛の一人がトドメを刺そうとするのを慌てて止める。
「殺しちゃ裏が取れないでしょう。取り押さえておいて、後で誰の差し金か喋らせるのが得策かと」
「それもそうだ。誰か、この裏切り者を取り押さえておけ!」
ほっと息をつく。何のために加減してまで雷魔術を使ったのか分からない。流石に俺の魔術が直接的な原因で人が殺されるのは勘弁して欲しい。
「それにしても今の魔術、初めて見るな」
「独自に編み出した硬直の魔術です」
ということにしておく。雷系統は、その系統自体が知られていないということなので、疑われるようなこともないだろう。
「それにしても魔術士殿にはまた命を救われたな」
おおう、殿がついちゃったよ。
「当然のことをしたまでです。それに私が間に合わなくとも、護衛の騎士様の誰かが対応できたでしょう」
本当にそうかはさておき、あまり王子から関心を持たれすぎるというのも嬉しくない。別に権力者と仲良くなりたいわけではないのだ。これを機にブラムストンブルクの跡継ぎ争いに巻き込まれるとか本当に止めてもらいたい。
「それより今はあれをどうするかでしょう」
「そうだ。こんな時にまで私の命を狙うとは、本当に愚かな……」
ごたごたしている間にも、門への攻撃は続いている。
閂は今にもへし折れそうで――
そして次の衝撃と共に閂はへし折れた。
門は勢い良く開け放たれ、それを押さえていた兵士たちは吹き飛ばされる。巨大な丸太がそのまま門の中に突っ込んできて、壁に当たって砦を揺らして止まる。それと同時に怒号を上げながらオークの群れが砦の中に突撃して来、待ち受けていた公国軍の兵士とぶつかりあった。
たちまち俺たちも乱戦に巻き込まれる。
俺よりも一回りも大きいオークが長剣を振り下ろしてくるのを回避して、カウンター気味にその腹に身体強化した拳を叩きつける。オークは体をくの字に折って、悶絶し崩れ落ちるが、一撃で殺すには至らない。まあいい。しばらくは動けないだろう。
シャーリエは別のオークと足を止めて互角に戦っている。走り回るスペースの無いこの乱戦は彼女にとって辛いだろう。
ユーリアは水を操ってオークを一体ずつ窒息死させている。なんというか、手慣れた動作だ。この乱戦の中でも普段と変わらない。
一方、この乱戦に振り回されているのはアレリア先生だった。火の魔術は広範囲に効果を及ぼしやすいが、味方への影響も大きい。この乱戦では使いにくいのだろう。今にもアレリア先生に戦斧を振り下ろそうとしていたオークを横から蹴り倒す。そのまま馬乗りになって、その顔を目掛けて拳を振り下ろす。地面と拳に挟まれて、オークの頭蓋がぐしゃりと割れた。
「アリューシャは内壁まで下がって上から援護してくれ」
「くっ、足手まといですまない」
「使い所の問題だろ。門のあった場所に炎の壁を張ってくれたらありがたい」
「届くか分からないがやってみよう」
アレリア先生が下がったのを見届けて、シャーリエの援護に入る。
前言撤回。
足が止まっていたところでシャーリエの今の強さならなんの問題もなかった。彼女はすでに三体のオークを仕留め、今も二体のオークと同時に戦っている。互角に見えたのは体躯が小さい上に、武器が短剣で中々オークに致命傷を与えられないだけのことだ。足を何度も切りつけ、オークを跪かせたら、後は彼女の独壇場だ。胸を突き、首を掻っ切り、その生命を刈り取る。
シャーリエは何の問題も無さそうだ。
「ユーリア、魔力は大丈夫か?」
「まだしばらくはいけます」
器用に水の塊を伸ばして二体のオークを同時に窒息させるという芸当を見せているユーリアも大丈夫そうだ。
一方、ヨーゼフ王子はというと、彼自身は護衛騎士に囲まれて戦うことはしないようだ。本人が火魔術士でアレリア先生同様、魔術の使いどころが難しいということもあるだろう。
その代わりに護衛騎士の働きはまさに獅子奮迅と言った様子で、オークたちが次々となます切りになっている。流石は高レベルの戦士の集まりだ。別に俺の助けを必要としているようには見えない。
しかし倒しても倒してもオークは次々と門から侵入してくる。
ゴブリンと合わせて二千弱という話だったが、あー、二千弱だよな。
改めてその数字の大きさにため息でも吐きたい気分になる。
数の差があるのでこのままでも押し勝てるんだろうが、出る犠牲も相当な数になるはずだ。
その時、門のあった場所に炎の壁が現れる。内壁を見上げると、弓兵に並んだアレリア先生が杖を真っ直ぐに門に向かって伸ばしていた。何十匹ものオークが火だるまになって転げまわる。すでに侵入を終えて戦っていたオークたちも退路が絶たれたことに動揺したようで、乱戦が明らかにこちらに優勢になる。
このまま押し返せるか、と思った時だった。
炎の壁を越えて二体の地竜がその図体を現した。




