第二話 治癒術士として
志願兵になれば行動の自由が利くというのは本当で、俺たちは翌朝にはユエル氏から志願兵であることを記した書状を受け取り、自分たちの馬でブライゼンへと旅だった。
書状と契約があるので、再度、強制徴募隊に捕まることはないという寸法だ。
自然と急ぐ気にはなれずに、今は馬を歩かせて旅をしている。
俺は俺の我が侭で三人を連れてきたことで戦争に巻き込んだことを詫びたが、三人は俺が思ったほど気にはしていない様子だった。
「この世界で生きるということは魔族と戦うということだ。私もかつてはアルゼキア貴族として、戦争に参加する覚悟は決めていた。まあ、まさか他国の志願兵として戦争に参加することになるとは思っていなかったが、魔族と戦うことについて不満はないよ」
とはアレリア先生の弁だ。
アレリア先生に限らず、ユーリアもシャーリエも魔族に対しては強い嫌悪感を抱いているらしく、それと戦うことに抵抗はないらしい。どうやらそれがこの世界の常識であるようだ。
「戦争なんて無ければそれが一番だと思うけどな」
「魔族と共存など世迷い事だ。食べるものが違うのに、どうやって共存を図ればいい? 人間同士でも飢えれば戦いは起きるのだ。分かち合うことがそもそもできない相手に、何を交渉できる?」
「そりゃまあそうなんだろうな」
ゲームなんかでは、魔王とか、魔族っていうのは世界征服を企んでいたりして、絶対的な世界の敵で倒すべき相手だとはっきりと分かるようになっている。しかし聞いている限りこの世界に魔王はいないし、魔族が吹っかけてきているのも領土を巡る普通の戦争だ。ただそこに交渉の余地がないだけで、相手が絶対悪というわけでもない。
だからこれは俺が召喚されてきた異世界人という第三者的な視線で物事を見ているということなのだろう。
現実として俺はこの世界の人類に親しくて、その一部として扱われている。そうである以上、魔族との戦争において人類側に付くのは当然の選択だ。
「少なくとも直接切った張ったする部隊に配属されないことだけが救いだよ」
「本当の魔術士スキルを明かせば、魔術士隊に抜擢されるのは間違いないがな」
「隠しておいて本当に良かった」
「おかげで私は出番が無さそうだ」
アレリア先生は自分の魔術を魔族に向けて使う機会が無さそうなことに不満であるようだった。そんな機会はないほうがいいと思ってしまう。それとも俺が魔族について無知すぎるのだろうか。
やがて天球の暮れかかる頃になって、ブライゼンの門扉が視界に入ってきた。森の中を通ってきたのでその全容は分からないが、木造の城壁はアルゼキアの石造りのものと比べればずいぶんと頼りなく思える。ユーリアの話によれば街の規模としてはアルゼキアにも負けないのだという。
戦時中ということもあってか、門番の前に並ぶ人の列は無く、門番自体もどこかピリピリとした様子だった。俺たちはユエル氏から預かってきた書状を見せて、志願兵はどこに行けばいいか尋ねる。
すると衛兵の一人がわざわざ新兵募集所のところまで案内してくれるという。あるいは逃げ出さないように見張るのが目的かもしれなかったが。
やってきた衛兵は若い男性の兎人で、ユーリアの姿を認めると目を丸くした。
『ユーリア、ユーリアか。なんだってこんな季節に戻って』
それからハッとした表情になり、その目が俺を捉えた。
「おい、どうしてユーリアが奴隷なんだ! 貴様、ユーリアに何をした!」
まあ、こういう反応も予想の範囲内だ。
「俺は奴隷商人から買っただけだ。神人の街で人攫いにやられたんだったよな?」
俺はあたかも確認を取るようにユーリアに訊ねると、彼女は頷いた。
『カロン、彼の言ってること、本当なの。不用意にアルゼキアを訪れた私が間違っていたんだわ。心配しないで、彼は悪い人ではないわ。何かを強要されたりはしていないし、よくしてくれる』
『そんなことを言っても亜人の男だぞ。裏でどんなことを考えているか分かったもんじゃない』
『いいえ、彼は私に好意を持っていると伝えてくれたわ。その上で私はどんな行為も強要されていないのよ。こうして里帰りもさせてくれてる。ね、分かるでしょ?』
ユーリアめ、俺が兎人語スキルを取ったことを知らないから好き勝手言ってるな。しかしいつもの敬語一辺倒な言葉遣いとは違っていてなんだか新鮮だ。こういうのもいいなと言うのは、惚れた贔屓目だろうか。
しばらく二人はあーだこーだ言い合っていたが、やがてカロンという衛兵は俺に話しかけてきた。
「あんた、ユーリアに何もしてないって本当か?」
ピンポイントでそこを聞いてくるのか。
俺は居心地の悪さを誤魔化すために頭を掻いた。
「そっちが邪推してるようなことはしてないよ」
「しかしあんたはつまり、その、ユーリアのことを」
俺は目線でユーリアを一瞥するが、ユーリアは素知らぬ顔だ。
「確かにユーリアにそういう気持ちはある。だからといって奴隷という彼女の立場を利用してどうこうしようっていうのは俺の趣味じゃない」
「変わった亜人だな。あんたは。俺はてっきり……」
「そう思われるのは仕方ないと思ってるよ。どうやら俺は変わり者みたいだな」
「それなら、しかし、ユーリアを解放してやれないのか?」
「それは分かるだろ? 彼女を手放したくない」
「うう、そうだよな」
不承不承ながらも彼が納得したのは、この街でもやはり奴隷制度が存在しており、その必要性を認めているということだ。奴隷というのは主人の当然の財産であり、それを意味もなく手放すようなことはないということも理解しているのだろう。
「とにかくあんたが悪い亜人じゃないことは分かった。ユーリアを連れ帰って来てくれて助かる。彼女ほど優秀な治癒術士はそうはいないからな」
「俺も治癒魔術が使える。できるかぎりのことはするつもりだ」
「分かった。事の経緯は俺の知り合いにも話しておくよ。多分、行く先々で同じようなことがあると思うが、しっかり話せば分かってくれるはずだ」
「ありがとう。恩に着るよ」
それから彼は俺たちをブライゼンの新兵募集所まで案内してくれた。その建物の前で彼と別れる。
「ユーリアのことを頼んだ。絶対に守ってやってくれ」
「もちろん。大切な仲間だからな」
それから彼はユーリアと二三言葉を交わし、足早に去っていく。
「友達だったのか?」
「そう、ですね。遊び仲間、でした。また会えてよかった、です」
「ユーリアのこと好きだったのかも」
「分かりません」
相変わらずユーリアは他人から寄せられる好意というものに疎いようだ。俺から見れば確実にユーリアに惚れていて、それで激昂したように見えたのだが。
「とにかく真面目に仕事する理由ができたな」
ほとんど通りすがりとは言え、知己の一人もできれば街に対する思い入れも変わる。それがユーリアの友達だというのならなおさらだ。
俺たちは新兵募集所の戸を開けて中に入った。
カウンターでユエル氏から預かった書状を見せると、そのまま面談室に通される。すぐに魔術士の男性がやってきて俺たちの面談を始めた。
志願兵になった経緯を話し、治癒術を活用したいことなどを伝える。どうやら治癒術士の手が足りていないそうで、諸手を上げて歓迎された。
しかし治癒術士が足りていないというのは相当に不味い戦況なのではないかと、そこはたとなく聞いてみたら、軍に所属する水系統の魔術士は前線で火災を食い止めるために出払っていて、治療に携われる魔術士の数が足りないのはいつものことであるらしい。
「なるほど。当然のことですが、魔族は森を魔界に変えるために焼こうとするんですね。それを防ぐために水魔術士は前線に張り付いていなければならない。ですが、そのために治癒術士の不足が慢性化するわけですね」
つまりどういうことなのかと俺が聞く前にアレリア先生が要点をまとめてくれた。
なるほど。
領地を巡る戦争とは言っても、魔族からしてみればどうせ魔界化のために森を焼かなければならない。ならば、攻める前に森を焼いてしまおうと考えるのが当然だ。
一方、オーテルロー公国にしてみれば森を焼かれては困るので、火災を食い止めるために水魔術士を前線に常駐させなければならない。
だが水魔術士というのは治癒術士も兼ねているので、後方では治癒術士の数が足りなくなる。そこでこうして多少無理矢理にでも治癒術士を集めてきているということになるのだろう。
そして俺たちの扱いは、一般的な志願兵のそれというよりは、冒険者の協力者的な立ち位置になるようだった。これは治癒術士の志願兵に対する行動の自由の保障が絡んでくるようだ。
噛み砕いて言うと、命令とかはできるだけしないから、頑張って働いてね。ということになるんだろう。
実際に荷物や馬もそのままにできるだけ早くエルゲン砦に赴いて治療に当たって欲しいという要請を受けた。
とは言え、もう天球も暮れかかった時間だ。今日は宿を取ることにして、翌朝出発することを約束する。簡単な地図ももらった。どうやらブライゼンから東には宿場町などはなく、農村と砦が点々としているようだ。アレリア先生と相談して、トルゲン砦を経由してそこで一泊し、エルゲン砦を目指すのが良さそうだという結論に達する。
そうして翌朝、俺たちはまずはトルゲン砦を目指して出発したのだった。
やはり治癒魔術を駆使した俺たちの早馬は、この世界の常識に比べてずいぶんと速いようだ。太陽が天球に隠れる前にはたどり着けるだろう、というトルゲン砦に俺たちは昼過ぎになる頃には到着していた。
砦を守る兵士に志願兵であることを告げ、エルゲン砦までの距離を確認すると、今からだと深夜頃になるだろうと言われる。それなら夜が深ける前には到着できるだろう。俺たちは兵士に礼を言って先を急ぐことにした。
エルゲン砦は森のなかに切り開かれた一角にある、川に面した砦だった。夜半にも関わらず篝火が焚かれていて、見張り兵があちらこちらにいるのが見える。兵士たちに志願兵として来た治癒術士であることを告げると、真っ直ぐに負傷者たちがいるという一角に案内された。
そこに近づくにつれ、血と汗の臭いが充満してくる。ベッドが足りていないのであろう。軽傷の兵士が廊下に寝かされている。ユーリアが緊張した面持ちでぎゅっと杖を抱きしめた。
彼女を必要としているのはそんな軽傷の兵士ではない。俺たちは兵士に案内されてより重症なものが運ばれているという部屋に連れて行かれた。
部屋に入った瞬間に、うっと胃が拒絶反応を示す。それまでの血の臭いが、実は充満などしておらず、ただ漂っていただけだということに気付かされる。松明の灯りで照らされた部屋の中には、無数の重傷者とうめき声が満ち溢れていた。それを看護しているのは衛生兵ばかりで魔術士の姿は見えない。治癒術士たちはとっくに魔力を使い果たして休んでいるのだろう。
あまりの凄惨な光景に、俺は息を飲んで、杖を構えた。
部屋全体に範囲治癒魔術をかける。この部屋では重傷者も、それを看護する衛生兵ももう限界に近かった。彼らの体力は50を割り、酷い者では10を切っているものもいる。アレリア先生の言葉を思い出せば、それはもう死の直前だ。
「ユーリア!」
叫ぶと、弾かれたようにユーリアは手近にいた重傷者の中でもっとも酷い者に向かっていった。両足と右手が失われていて、出血しないように荒縄できつく縛られている。その彼にユーリアは杖を当て、治癒魔術を使う。残念な話ではあるが、この世界の魔術にも限界はあって、ユーリアの治癒スキル6を持ってしても失われた手足の再生はできない。だが傷口を塞ぎ、出血を止め、死なないようにすることはできる。痛みにもがき苦しんでいた彼はやがて静かに寝息を立てた。
それからは同じ作業の繰り返しだった。
俺が範囲治癒魔術で体力の底上げをしている間に、ユーリアがとにかく死にかけているものの治癒をする。手足をもがれた者、腹を裂かれた者、目を覆いたくなるような光景の中で、ユーリアは次々と彼らの傷口を癒していく。
しかし当然のことながらユーリアの魔力にも限界はある。見るからに青ざめてきた彼女の顔色を見て、俺は限界を悟った。
「ユーリア、ここまでにしよう」
「でも、まだ……」
「とりあえずすぐに死にそうな人はもういない」
しかしその時、俺たちを案内してきた兵士が余計な口を挟んできた。
「実はこのような部屋がまだいくつか」
「だが彼女はもう限界だ。治癒魔術士に潰れられても困るだろ。続きは俺が出来る範囲でやる。ユーリアに休む部屋を、アリューシャ、リンダ、君たちも休め。これは命令だ」
「ご主人様も無理はなさらないように」
「分かっている」
俺はユーリアたちと別れ、衛生兵に案内されて、別の重傷者たちの元に向かった。その部屋は先の部屋よりも凄まじく、もう助からないと分かる兵士で溢れていた。この部屋を後回しにしたのは彼らも無理だと分かっていたからだろう。だがユーリアがあまりにも鮮やかに負傷者を治癒するものだから、俺が範囲治癒魔術なんて器用な真似をするものだから、一縷の望みに縋りたくなったのだ。
「どうでしょうか?」
「やれるだけやってみる」
俺は吐き気をこらえつつ、腹から臓物をはみ出させ、ベッドに横たわる男性に治癒魔術を使いはじめる。
治癒スキルはあっても、俺は傷を治すのは得意ではない。経験が圧倒的に不足しているからだ。ユーリアなら救えるかもしれない。だが彼女はすでに魔力が枯渇しており、俺では救えない。いや全力を傾ければ助けられるかもしれない。
あらん限りの魔力を振り絞って治癒魔術に変換し、その男性に注ぎ込み続けたが、一向にその男性の容態はよくはならなかった。傷口は塞がろうとするのだが、はみ出した臓物が邪魔をする。衛生兵が手で臓物を腹の中に押し込んで、それでようやく傷が塞がった。だが体力が7しかない。6に下がる。体力を回復させる治癒魔術もほとんど効果が無い。そこで俺は足元に広がる血だまりに気づく。
「この血は彼のか」
「えっ、あ、はい」
「出血が多すぎる」
詳しい知識があるわけではないが、血液の何十パーセントかを失えば、大量出血によって人は死ぬ。当たり前のことだ。そして彼はここに運ばれてくるまでにも出血していたはずだ。それも大量に。そう考えると未だに生きているのが不思議なほどだ。おそらくは治癒魔術によって死を引き伸ばされているのだろう。
「輸血の技術はないのか?」
「輸血とは、なんでしょうか?」
ああ、くそ。別に医療的に遅れているわけではないのだろう。この世界は剣と魔術の世界なのだ。銃があるということすら聞いたことがない。おそらく医療に関しても同様で、まだ輸血の発見に至っていないだけなのだ。
「血が足りていない人間に、他の人の血を入れるんだ。だけどそれには条件があって、血液型が合わないといけない」
正確にはO型からならどの血液型の人にも輸血できるはずだが、そんな細かいことを言っていられる状況ではない。
「血液型というのはなんなのでしょう? それに他人の血を入れて大丈夫なのですか?」
「血液型さえ合えば問題ないんだ。だけどそれを検査する方法を俺は知らない。くそっ」
言っている間に彼の体力は4まで下がった。
俺は体力を回復させる治癒魔術を彼に使おうとするが止められる。
「お止めください。その魔力で別の方の治療をお願いします。彼に費やした魔力で、他の二人が助けられるのです」
衛生兵の彼の言うことは間違いではなかった。だが俺は彼を見捨てることに最後まで抵抗を感じていた。その一方で、俺は彼の最後の瞬間を見とらなくていいということにホッとした。次の瞬間に、自分のそんな思いに気がついて、俺はどうしようもなく憤りを感じて杖を握りしめた。
その夜、俺の目の前で七人が死んだ。すべて俺が助けることを放棄して死んでいったものたちだ。砦全体ではもっと多くの負傷者がその生命を失ったそうだったが、そんなことはなんの救いにもならなかった。
俺は七人を救わない判断をして死なせたのだ。




