第56話 情報共有③
政樹はどうしようかと、風呂場から動けないでいた。転送装置かなにかしらから届けられた『美女』が、自宅の湯舟に入れられた。おそらく、悪友の茂明がまえもって仕掛けていたものだろうと推測して。
会社のOLの中では、見た目もだが人当りもよくて人気がある彼女。常に仕事量を貯めずにこつこつ頑張る姿勢が事務課以外に、他の部署でも評判がよかった。そんな彼女が、なぜ転送装置で開発部門の政樹の自宅へと送られたのか。
全く身に覚えがないどころか、現実の情報共有が整っていないのでこの場で出来ることはただひとつ。
解凍作業のために、自分と彼女がゆっくり風呂で温まる必要があることだ。
そのために、政樹は自動湯沸かしで温めに設定して湯舟を動かし。自分は自分で、水道代は気にするどころじゃないからシャワーで足から順番に温めることにした。
「……えーっと。名前、はたしか」
部署はすぐに思い出したが、肝心の名前があやふやだった。入浴用の浴衣も着せられているため、不埒な思いはあまり出なかったが……まだ焦っているので、なかなか名前を思い出せないでいる。
つい先ほどまで、ナビゲーターとしてAIに扮していた政樹なのだ。クリエイターの『クロニクル=バースト』の一員として、きちんと稼働はしていたが。コールドスリープの時間が今回思いのほか長すぎて、VRMMO以上にダイブしていたらしい。下手をすると『死んでいた』状態に近かったかもしれないだろう。
それを思い起こしてくれたのが、発案者のひとりの『仁王雅博』までは思い出せてきた。しかし、雅博自身も政樹のことを認識できていなかったため……運営側はどうやら、狭心迫害の兆候があった人間ばかりだったかもしれない。精神疾患は、幼少関係なく、成人でも当たり前のことくらいに起きる症状だ。一番酷いのは、『加東奈月』『月峰紗夜』たち、『クロニクル=バースト』の発起人たちだとされている。
アフターケアの錠剤もいくらか飲みたいところだが、まずは目の前の女性と自分の身体面の保護が重要だ。いくらか足の感覚が戻ってきたら、次は上半身、顔、頭の順に流していく。
その間、美女は一向に起きないでいたが……このまま眺めていいのか、起こしていいのかやはり悩んでしまう。胸部の上下はあったので、完全に冷凍はされていないのだなと理解はしているが。起きた瞬間に溺れては怖いので、いい加減起こすことに決めた。
「……あの。もしもし、大丈夫か?」
定型文しか出せないのは、名前を知らないので仕方がない。腕を肩を軽く揺すったが、まだ冷たいと感じたので湯沸かしの設定よりもとシャワーで流してあげた。すると、温度の変化で刺激を感じたのか、ゆっくりと目を開けてくれた。クォーターだからか、綺麗なブルーアイ。
「……え? 鬼頭チーフ??」
「あ、俺のこと知ってた??」
目が合うとこちらの苗字と役職を呼んでくれたのに、少しうれしくはなったが……目を開けてくれても、政樹は肝心の彼女の名前を覚えていなかった。それを正直に告げると、なぜか彼女の方が謝ってきた。
「く、クロードの妹のサーシャ=如月です!! すみません!! 勝手に立候補して!!」
「……クロード! ああ、あいつ……立候補?」
「……ダイブしていたのでまだ共有出来てませんね? チーフのパートナーに立候補して、兄を説得したんです。私」
「え、あ、うん?」
どうやら、一時の感情ではないのを政樹に抱いていたらしく。シェルター開発が整ったときに、兄の反対を押し切って政樹の『今後のパートナー』に立候補したそうだ。そんな夢見みたいなことがあっていいのかと思ったが、実行されたあたり政樹も並行世界やVRMMOなどにダイブしていたどこかで……それを受け入れたのだろう。でなければ、今行動に移してサーシャに抱き着かないわけがなかった。
次回は金曜日〜




