平民
テュールが長い足を組み直した。組んだ足に左手だけを添える。
「ヨルズちゃん。もう察しはついていると思うけど、ヴァナルガンドに流れるのは、『薄い王族の血』でね」
国が推奨する伝説、神殿が民衆に説く神話や説教では、精霊の加護は聖なる血を持つ王族のみに宿るとされている。しかし実際は平民にも生まれるのだ。
平民に加護持ちが生まれると、即座に『薄い王族の血』が流れていたとされて、王侯貴族の養子に迎えられる。
だから表向き、平民に精霊の加護持ちは存在しない、ということになっている。
「うちが少し特殊だというのはそういうことだ。両親共に平民で、もちろん俺も平民。だが、俺には精霊の加護がついた。制御の効かない加護が」
ヴァナルガンドが口を開いた。隣を見上げると、穏やかに光る赤と金の瞳とぶつかった。
声は硬く、唇はぐっと不機嫌そうに結ばれているものの、朱金の瞳に怒りや憎悪はない。
「感情のままに、何かを焼いたり凍らせたりする子供を、村中が化け物だ、怪物だと気味悪がった。村八分にされていた俺たち家族を、ある日『遠い王族の血を持つ者』として王都の貴族が引き取りにきた。その貴族がテュール・ギムレー男爵で俺の戸籍上の父だ」
赤と金の瞳がヨルズから、にこにこと笑うテュールに移った。
「いやあ、迎えに行ったら想像以上にやんちゃで参ったよ」
何でもないように言うが、ヴァナルガンドほどの加護持ちとなると危険を伴う。やんちゃで済ませられるものではない。ヴィーグリーズ国元帥という立場は、色々と伊達ではないのだろう。
「ヴァナルガンド様に施された呪印はテュール様のものですね」
ヴァナルガンドの体に這っていた黒い紐と同じ力をテュールから。特に、ない右手の部分から感じる。
「そ。僕も精霊の加護持ちってわけ。軍のトップにいるのもこれのおかげ。さて、いつまでも立ち話というのも何だ。席に着こう」
さらりと肯定して、テュールが着席を促す。ヴァナルガンドとヨルズは席に着いたが、ロキとアングルは立ったままだった。
「あ。駄目ですよ、アングルさん。今日は家政婦長ではなく、ヴァナルガンド様の母上なんですから」
「そうですよ。ここは私たちに任せてどーんと座っててください」
「ほら、ロキさんも立ってないで」
それどころか給仕のワゴンに近づこうとしたアングルを、執事や他の使用人が止めた。所在なさげに立ちつくす、ロキの背中をぐいぐいと押す。
「母上なんて柄じゃないから、我儘を通させてもらってるのに」
「どうも性に合いませんや」
「ぷっ」
背中を押され、椅子を引かれて座ったものの、落ち着きなくそわそわと体を揺らした。そんな二人を見て、テュールが吹き出した。
「ははは! 『男爵や男爵夫人なんてとんでもない。平民としてこの子の側にいさせて下さい』だなんてね。あれは前代未聞の我儘だった。まさか貴族の地位を嫌がるとはね。君たちは欲がない」
ひとしきり明るい笑い声を上げてから、片目をつむる。
「ごめんね、ヨルズちゃん。この通り、二人は貴族として振る舞うのが苦手なんだ。だから『父上』と『母上』ではなく、『父さん』と『母さん』のままでいる。元王族のヨルズちゃんには悪いけど、平民流でいいかな」
言動が軽く感じるほど、テュールという男は気さくだ。怪物と恐れられているわりに、ヴァナルガンド自身が普通なのも、ここの使用人たちが温かいのも、きっとこの男の力なのだろう。
「もちろんです。ですが、あの……」
平民流という提案に否などない。けれどヨルズは言いよどんだ。ぎゅ、と自分の手を握る。
「わたくしも幼い頃は平民として育ちましたが、その頃の記憶はあまりありません。平民流を上手くやれる自信がないのです。ご迷惑をかけてしまうでしょう」
せっかくの温かい空気を、きっとヨルズは壊してしまうだろう。もうすでに壊しているかもしれない。それが心苦しくて、頭を下げた。
「申し訳ありませ……」
「あー、良かった!」
「助かった」
うつむく視界に、アングルの両手が飛び込んできた。驚いて顔を上げると、ロキに背中をぽんと叩かれる。
「貴族流なんて肩がこっちまいますからね。平民流を許してくれてありがとうね、ヨルズちゃん!」
「上手くやろうなんて思わなくていいんですよ。ここ数日、ヨルズ様を見てきましたけどね。ヨルズ様はバカ息子には勿体ないくらい、いい娘さんですよ」
ヨルズの手を包んで握る、アングルの満面の笑顔と、背中に置かれたままのロキの手が温かい。
「よろしくね、ヨルズちゃん」
「はい。よろしくお願いします」
今度は謝るのではなく、頭を下げた。
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