元帥
「こんにちは、ヨルズ姫。今日も麗しいね」
にこにこにこ。朝食兼昼食の席には、背後に大輪の薔薇でも背負っていそうな男が、優雅に着席していた。
波打つ金髪を後ろでくくり、背中に流している。
優し気な顔立ちと柔和な物腰。その身を包むのは軍服ではあるものの、勲章がアクセサリーのように華やぎを添えていて、ヴァナルガンドのような威圧感はない。
年齢は四十を越えたばかりと聞いているが、三十代前半にしか見えなかった。
テュール・ギムレー。ヴァナルガンドとヨルズの婚姻を進め、現在のアースガルズ国を公爵として統治している人物である。
彼にはヴィーグリーズ国に保護される際、世話になった。
「お出でになるとは存じず、お待たせして申し訳ありません。テュール陛下」
ヨルズはドレスを摘まむと片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げた。背筋の伸びた美しい礼は叩きこまれている。
「陛下はいらない、いらない。僕は単なる暫定的な統治者。戦争の混乱が落ち着けば、ちゃんとした人間をアースガルズ国から選出して王座についてもらうんだから。単なる男爵に過ぎないよ」
ひらひらと振る手も、軍人とは思えないほど指が長く優美だ。
ギムレー男爵という肩書きに相応しい外見だが、この男の名は社交界を沸かす華より、国王の懐刀であり軍神であるヴィーグリーズ国軍大将、もしくは元帥の方が有名だ。
といってもそれは、他国の間ではであって、ヴィーグリーズ国内では社交界の華の方が有名なのかもしれない。
「では、テュール閣下。姫と呼ぶのもおやめください。わたくしはもう王女ではありません」
社交界の華ギムレー男爵ならば、ギムレー様。国王の懐刀ヴィーグリーズ国元帥ならば、ギムレー閣下。ヨルズは姫と呼ばれた意趣返しに閣下を選んだ。
「ははは! そうきたか。それじゃあヨルズちゃん。堅苦しい閣下を止めて、テュールと呼んでくれないかな?」
立ち上がったテュールがヨルズの手を取り、引き寄せながら自身もかがんで口を近づける。口づけの直前でヨルズの手をヴァナルガンドがさらった。
「ふざけるなよ、テュール」
「心外だなあ。ふざけてなどいないさ。僕はいたって真面目だよ」
「ふざけていないのなら、なおさら悪い」
「おやおや」
むすっとしたヴァナルガンドがヨルズの肩を抱き寄せると、テュールの片眉が面白そうに上がった。
「ふふふ。この結婚は、僕の予想以上に正解だったようだね」
「何が正解だ。祖国を滅ぼしただけでは飽き足らず、彼女を道具にしやがって」
朱金の瞳が怒りに煌いた。チリ、と部屋の温度が上がる。力の暴走の気配を感じ、しっかりと抱きこまれたままのヨルズは、掴まれていない方の手でヴァナルガンドの手をさすった。
「ヴァナルガンド様」
空気を焼いていた熱が去り、食器を凍らせようとしていた冷気が霧散する。
「軍を動かすのは国です。軍は国のためにあり、戦争は国の利益のためにやるもの。そして戦争の正当性は勝った国にあるのです。元王族の下賜は正当です」
「そういう問題ではない。こいつは君を……」
「このバカ息子!」
スパン。ヴァナルガンドの後ろ頭が、小気味いい音を立てた。
「母さん」
ヨルズの目が丸くなった。ヴァナルガンドの頭を叩いた犯人で『母さん』と呼ばれたのは、家政婦長アングルだ。
「黙ってきいてりゃ、テュール様を呼び捨てにするわこいつ呼ばわりするわ。もっと敬意をこめて父上とお呼び。お前と私たちがこのお方にどれだけお世話になっていると思ってるんだい」
「ぐ。それは分かっているが」
腰に手を当ててふん、と鼻から息を吐く家政婦長に、ヴァナルガンドがたじろぐ。
「しかもこんな時間まで寝坊するなんて。あんたまさか。ヨルズ様に無体を働いたんじゃないだろうね」
「それはないない。肝心なところでヘタレなヴァナルガンドにそんな度胸があるなら苦労しないさ」
家政婦長の言葉をテュールが笑って否定すると、
「テュール様はこの子に甘すぎるんですよ」
なぜかこの場にいる庭師ロキが、呆れたように息を吐いた。
「父さんまで」
ヴァナルガンドは、苦虫を噛み潰したような顔でそっぽを向いている。
テュール元帥が『父上』で家政婦長が『母さん』、庭師が『父さん』。
父が二人。呼び方の違いからある程度の推測は出来るが。ぎこちなさやギスギスとした空気、そういったものが無いことに驚いた。
何よりも家政婦長と庭師のヴァナルガンドに対する、まるで平民の家族のような態度。
遠い昔のヨルズの家族のような。
痛みというには柔らかく、寂寥というには温かく、何かが胸をしめつけた。湿り気を帯びそうになった眼球を、まばたきで落ち着かせる。
「どうした、ヨルズ」
「いいえ」
なんでもないとヨルズは首を振って、微笑んでみせた。
更新が空いてしまい、申し訳ありません。
ヴァナルガンドの家族の説明は次回にやります。




