兄妹
妹は生まれる前から邪魔な存在だった。
大好きだった母がなぜかボロボロで帰ってきたあの日から、家の空気が変わった。母はよく泣くようになり、前みたいにアウズをぎゅっと抱き締めないで、悲しそうな顔で頭を撫でるだけになった。
どうしてなのか父に聞くと、母さんのお腹の中に妹が出来たからだと言う。お腹に赤ちゃんができるとお母さんは不安定になって、よく泣くようになる、お前がお腹にいる時もそうだったのだと父は言う。少し寂しかったがそういうものなのかと、アウズは信じた。
近所のおじさんやおばさんたちの雰囲気も変わった。アウズの方をちらちらと見て、何かひそひそと喋るし、挨拶するといつもより変な笑顔だ。
友達に遊びを断られることも多くなった。なんでと聞くと、お前ん家もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだろ、だからあんまり遊ぶなって言われた、らしい。
父さんも母さんも、おじちゃんもおばちゃんも、あいつらも、みんなみんなお腹の中の赤ちゃんのせいで変だ。
アウズはお腹の中の赤ちゃんが嫌いになった。
でもそんなのは妹が生まれると吹っ飛んだ。小さくて可愛い妹。両親も笑顔になった。妹を可愛がると、嬉しそうにアウズを褒めてくれる。抱きしめてくれる。母は忙しそうだったけど泣かなくなったし、悲しそうな顔もしなくなった。両親に妹を守ってやってと言われ、アウズはもちろんだと約束した。
妹が歩くようになると、可愛いだけじゃなくなった。アウズが遊んでいたおもちゃを涎でべとべとにするし、外に行こうとするとついてくる。可愛いけど困る。無視して外に出ようとしたら、妹がアウズの足を掴んで転んだ。アウズも転んでしまい、二人で大泣きしていたら。両親が血相を変えて二人を家の中に連れ戻した。
「そんな、加護の力だ」
「ああ、なんてこと」
擦りむいていた膝小僧が、綺麗に治っていた。両親に絶対にこのことを言ってはいけないと約束させられた。なんだか怖かった。
だけどまだ小さい妹はきょとんとしていた。それから二人とも外出禁止になった。アウズが外に行くと妹もついてくるからだ。その日からアウズは外で遊べなくなった。
妹のせいだ。
妹なんて嫌いだ。いなくなっちゃえ。
大嫌いなのに、分かっていない妹はアウズにくっつく。にこにこ笑う。それは可愛いって思う。でも外に遊びに行けないのは嫌だ。見られちゃいけないのは妹の『カゴ』なのに、どうして自分も我慢しなきゃいけないのか。
アウズはこっそり外に出かけるようになった。友達とも少しずつ遊ぶようになった。数日たったけど、両親は何も言わなかった。妹はご機嫌ななめだったけど、ちょっと遊んでやったら笑う。
なんだ、大丈夫じゃないか。
段々アウズは堂々と外に遊びに行くようになった。
妹もこっそり外に出るようになっていたなんて、気がつかなかった。
そして妹は、森でボロボロの男の子を見つけた。
「おにいちゃん! こっちきて!」
「ばかっ! なんで来たんだよ。怒られるだろ」
「だっておにいちゃんばっかりずるい。ヨルズもおそとであそびたいもん。あ! ちがう、たいへんなの。こっちきて」
妹のせいで怒られるなんて嫌だけど、いつもよりうるさい。しかたなくついて行ったアウズは何も言えなくなった。
行ってはいけないと言われていた外の、さらに森の奥の奥に妹と同じくらいの子が倒れていた。あちこちが赤や青に腫れていて、血が出ているところもあった。片方の足が変なところで変な方向に曲がっている。
「お、大人を呼んで来なきゃ」
男の子の小さな手がアウズの足を掴んだ。その途端、足が冷たくなった。
「うわあ」
驚いたアウズは悲鳴を上げて男の子を蹴飛ばした。すると男の子はそれきり動かなくなった。
「うそ、ごめん。大丈夫?」
慌てて様子を見たけど、目をつむっているだけ。怖かった。弱ってたのに蹴飛ばしたりしたから動かなくなってしまった。死んでしまうかもしれない。自分のせいだ。
違う、妹のせいだ。妹が約束破って外に出たから。
「なあ、ヨルズ」
だからアウズは妹に『カゴ』の力を使わせた。たぶん元の通りになった男の子を妹と森のもっと奥に隠して家に帰った。
その何日か後、家に怖い大人が来て妹を連れて行った。
父は妹を返してもらいに行くと出かけて、二ヶ月後に傷だらけで帰ってきた。あの男の子みたいにボロボロだった。妹がいれば治せるのに、妹はいない。母は毎日泣いた。
全部妹のせいだ。
妹がいないと両親は笑わない。
アウズは町の商会に奉公に出た。必死に働いて、文字や計算を勉強した。段々と認められてそれなりの地位について。国反乱組織ビフレストを立ち上げた。否、元からあった反乱組織を統合して作り直した。それゆえにあらゆる地方、業種の人材がいて、情報も集まった。
後は商会の立場を利用してヴィーグリーズ国と手を組み、妹をベルヴェルクから解放した。
妹とは結局、救出後から一度も会っていない。
「テュール閣下!」
テュールが扉に手をかけた。扉の向こうにはヨルズがいる。あの妹が。
「いい加減観念しましょうか、アウズ卿。単独で敵国に潜入した挙句にあの陛下相手に一歩も引かない交渉までした癖に。肝心の妹から逃げてどうします」
アウズは言葉に詰まった。テュールの言う通り逃げていた。妹と顔を合わせたくなかった。合わせる顔がなかったから。
「お兄ちゃん」
「ヨルズ」
小さかった妹とあの時の男の子が、成長した姿でそこにいた。
「すまなかった!」
分かっていた。何もかもが自分のせいだ。それなのに妹のせいだと。ずっと自分を騙してきた。
「私が外に行かなければ。加護の力を使わせなければベルヴェルクに見つかることもなかった。塔に幽閉されることもなかった」
誰よりもずるいやつだ。今も許してもらおうと頭を下げている。妹に許してもらうことで、自分自身も自分を許せるのではないかと。抱えてきた罪から解放されるのではないかと。浅ましく期待している。
そんな自分が大嫌いだ。
「違います。言いつけを破っていたのはわたくしも同じでございます。遅かれ早かれ、わたくしの加護は知れていたでしょう。どうか顔を上げて下さい。ヴァナルガンド様に引き合わせて下さったこと、感謝こそすれ、恨みなど一つもございません」
記憶の妹とは違う、落ち着いた声と改まった言葉遣いだ。妹は成長した。自分とは違って。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「ヨルズ?」
ふいに砕けて震えた声に、思わず顔を上げる。泣き笑いの表情をした妹がいた。
「ごめんなさい、お兄ちゃん。わたし、悪い子だったっ」
堪らなくなったアウズは、両手を広げて妹を抱き締めた。小さな妹ではなくなったが、華奢で細い。自分も大きくなったからだと気づいた。
「守ってやれなくてごめんな、ヨルズ」
妹を許せない自分が許せない。その一念でここまで来た。ここから先は。
「お兄ちゃん。わたし、今幸せだよ」
自分のために歩けると思う。
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