後悔
アウズの背景です。
全2話。
妹を許せない自分を許せない。その一念でこんなところまで来てしまった。
控え室でアウズは鏡を見つめた。
妹と同じ茶色の髪と瞳。どちらかというと母親似であるから、面差しも妹と似ている。
重厚な軍服が豪奢になったような正装が、線の細い自分には不釣り合いだ。髪を上げて整えているからまだ見られるものの、黒地に金糸の刺繍をびっしりと施された正装は浮いていて、服に着られているようにしか見えない。苦笑していると、侍女たちが胸に勲章をつけていく。一体何の勲章なのかと、さらに苦く笑った。
「それでは、失礼いたします」
支度を終えた侍女たちが、丁寧に礼をとって退出した。誰もいなくなったことを確認して、大きく息を吐く。無意識に詰襟をゆるめそうになって、手を下ろした。本番はこれからなのに、崩してしまったら台無しである。
侍女や侍従に支度をしてもらうことも、彼等に対しての態度も慣れない。反乱組織を率いてはいたが、成り行きで指導者の立場にいただけで、組織の者たちとは対等だった。
扉の向こうで声がした。
「ギムレーです」
「お入り下さい」
兵からの声かけなしに直接名を告げてくるのは、彼の方が高い地位にあるからだ。テュールはヴィーグリーズ国元帥で、暫定統治者になるにあたって男爵から陞爵して公爵となっている。対するアウズは国王になるとはいえ、まだ平民に過ぎない。
「よくお似合いですよ、アウズ卿」
「よして下さい、閣下。分不相応なのは承知しております」
格式ある服に着られている自分に対して、テュールは真に似合っている。線の細さは同じなのに、正装に負けていないのはにじみ出る品位と風格か。
「卑下なさることはありません。我が王と他の候補者も含めて、卿が王位につくことを望んでおります。不満があるのはベルヴェルク側にいた貴族ですが、波風立ててくれた方が対処しやすいというもの」
実を言えば、アウズが次期国王になることは確定していた。にも関わらず、候補者にしていたのはそのためだ。
暫定統治者であるテュールに、アウズの身分についての懸念を進言してきた者。国を裏切った逆賊と見下した者。逆にアウズにすり寄ってきた者。彼らの意見を快く聞いたテュールは、嬉々として新政権の要職から外した。
「アウズ卿のおかげで調査の手間が省けましたよ」
にっこりと笑う優男。柔らかな物腰に反して、この男は容赦ない。ヴィーグリーズ国軍のトップなのだから当たり前なのだが。
「釣り餌としての役割は果たしましたし、閣下がこのまま王になって下さればと思いますが」
「それは出来かねますね。我が国の不利益になるので」
痛む胃を押さえ、恨みがましくテュールを見やれば、涼しい顔で一蹴される。本当に、なぜ自分が国王になることになったのか。このやり取りも何度目かなので結果は分かっているのだが、割りきれていないアウズはつい何度も言ってしまう。
「これ以上、火種を抱えるのはごめんだというのが陛下のご意向です」
テュールがひょいと肩をすくめた。
ヴィーグリーズ国の公爵であるテュールがアースガルズ国を治めるというのは、属国か完全な吸収になる。大陸の中で一番の大国であるアースガルズ国をヴィーグリーズ国が支配すれば、各国が黙っていない。打倒ベルヴェルクを旗印に連合軍として共に戦った国々が。
先の戦争では『英雄』を理由に、のらりくらりとほぼヴィーグリーズ国のみで戦わされた。各国の戦力は温存され、国力もさほど削られていない。大義名分を与えてしまえば、牙をむく姿勢を見せるだろう。
「各国が起こす火種など可愛らしいでしょう。御国最大の火種を使わない陛下のご恩情に感謝いたします」
ヴィーグリーズ国にはヴァナルガンドがいる。火種という形容が可愛らしい、ほぼ一人で国を滅ぼした人間兵器が。
連合軍は小国やアースガルズ国に占領され、国を追われた亡命政府の集まりが主である。大国だったアースガルズ国を滅ぼした英雄が投入されれば、その国は一溜りもない。
ヴィーグリーズ国がその気になれば、世界を手中に出来るのだ。
「使う気はありませんよ。神の領域に手を出せば、裁きの鉄槌を受けるだけです」
怪物と呼ばれてもヴァナルガンドは人間である。怪物だったベルヴェルクも、老いて加護が弱まったように、いつか終わりが来る。ヴィーグリーズ国が世界統一を成しても、英雄の抑止力がなくなれば綻ぶだろう。
ヴァナルガンドの加護は強い。強すぎた。人の身に余る力は持ち主を蝕む。
対するヨルズの加護は軽微の治癒。精霊の加護を持つ者同士の婚姻は、互いの力を安定させるが。ヴァナルガンドの力を抑えきれはしないだろう。数年の延命が関の山である。だから連合軍各国も、ヨルズのヴァナルガンドへの下賜に反対しなかったのだ。
ベルヴェルクは加護持ちの妻を複数持ち、延命を繰り返したが。ヴィーグリーズ国にはアースガルズ国ほど加護持ちがいない。たとえヴィーグリーズ国が各国に攻め込んだとしても、世界統一の前にヴァナルガンドの限界が来るだろう、と。
向こう三、四十年の隆盛に酔うか。
己の力量にあった統治を敷くか。
期限つきの不確定な力に頼らない。ヴィーグリーズ国は後者を選んだ。
ヨルズの加護が軽い治癒でないと、判明するまでは。
『わたくしの加護は『回復』。今よりも前の状態に戻すことができます』
ヨルズが切り札として『回復』の加護を見せた時。アウズは人生で何度目かの覚悟を決めた。
ヴァナルガンドをそそのかして、ヨルズを逃亡させる。
アウズの打倒ベルヴェルクと妹の救出。ヴィーグリーズ国の大国アースガルズの侵攻阻止と英雄の延命。メリットが重なっての共闘だったが、ここまでだ。
ヨルズの本当の加護を使えば、寿命は覆される。英雄の力も安定する。期限付きの不確定な力ではなくなるのだ。ヴィーグリーズ国は正真正銘、怪物を擁した大国として世界に君臨出来るだろう。ベルヴェルクによって閉じ込められていた塔が、ヴィーグリーズ国という檻に変わる。それも、永遠に。
テュールと共に監視していく中で、ヴァナルガンドがヨルズを大切にしている様子を見ていた。ヨルズも彼に心を許していた。彼ならヨルズを守ってくれるだろう。彼を心配して渋るテュールを説得して、意識のないヴァナルガンドを駆り出した。ヨルズのために、国と親を裏切らせようとした。
酷い奴だと、我ながら思う。
妹のために。家族のために。
そんな、綺麗なものじゃない。ただただ自分のために。いつだって利己的に動く。それがアウズという人間だ。
「女王陛下とギムレー閣下には、重ね重ね感謝いたします」
感謝と罪悪感から、アウズは顔が見えないほど深く頭を下げた。己の醜さを隠したかったのかもしれない。
「ヴィーグリーズは新興国です。陛下は戦火から逃れた子爵令嬢で、私にいたっては騎士ですらなく、陛下と共に逃れた、ただの従卒だったのですよ。農民出のね」
「えぇ?」
少しの間をおいてかけられた言葉の意外さに、アウズは抜けた声で聞き返してしまった。
「同じような難民と生活をして、少しずつ集団として纏まるようになって、いつのまにか陛下が中心にいました」
難民として流れた当時の女王陛下は六歳。テュールは二十二歳だったという。
「ベルヴェルクに故国イザヴェルを落とされなかったら、貴婦人として生涯を閉じたのでしょうが。あのお転婆の行動的で果敢な性格が人々を惹きつけ、気がつけば難民自治区の代表から、女王です」
誰もが嘆きと悲しみと疲れ、諦めといった暗い感情に侵されていた中、希望の星として輝いた。女王陛下は増えた難民自治区の代表になり、やがて身を寄せていたアールヴヘイム国が攻め落とされたこともあって、自治区ではなく国家を名乗るようになり、今のヴィーグリーズ国となった。
「難民としての生活の中で、沢山のものを見ました。食べる物もなく、弱いものからバタバタ死ぬ。食べ物や金品を奪う者もいました。血と汚物の臭いも、蔓延る病も、すさんだ人々の怖さも全て。でも陛下は、ただのお転婆だったお嬢様は、現状に絶望するのではなく怒りました。戦争への怒りを糧に苦境を蹴り飛ばして登りつめました。私は今も昔も、そんなお嬢様の剣です」
アウズを見ているのに遠い所を見ているような目をしていたテュールが、アウズに焦点を合わせた。剣を捧げ持つような仕草をする。
「戦争への怒りは陛下の原動力です。誰よりも戦争を憎む陛下が火種を放つことはない。万が一、陛下自ら戦争を起こすのならば、あの日のお嬢様を殺したのも同じ事。僕が陛下を討つ」
そんな時は来ないと信じていますがね、と付け加えた。
「と、いうわけで。私はアウズ殿と同じ平民。陛下だって一応貴族令嬢だったとはいえ、難民出です。そもそも由緒ある貴族も、元をただせば似たようなもの。何世代かすれば立派な高貴な血筋になるというだけのことです」
両手を戻したテュールがにっこりと笑う。
「ありがとうございます」
英雄をそそのかさなくて済んだらしい。過去を語ることでヨルズを利用しないという意思表明と激励をしてみせたテュールに、感謝すると共に格の違いを感じて苦笑する。
「ですから、アウズ卿。分不相応などではなく、よくお似合いですよ。ねぇ、ヨルズちゃん」
「え!?」
続く言葉に、素っ頓狂な声を上げた。




