追跡
朦朧とする意識の中、体の下から突き上げるようにしてリズミカルな衝撃があった。
寝起きのいい方ではないヴァナルガンドだが、とりわけ今は最悪だ。まぶたが異様に重い。むかむかと気持ちが悪く、吐き気がする。
「……ルガンド。おい、いい加減起きろよ。寝坊助」
「ん……」
聞き覚えのある声に、ヴァナルガンドは苦労して目を開いた。
真っ先に目に飛び込んできたのは、栗色。脚の動きに合わせてなびく馬のたてがみと、しなやかな筋肉を包む艶やかな毛並みだ。体の下からの衝撃は、走る馬の振動だったらしい。
なぜ馬の上にいるのか。どういう状況だ。
確認するために体を起こそうとして失敗した。馬に体を固定されている。唯一動く首を持ち上げると、剣呑な光を灯したテュールがいた。
「テ……ュール?」
「ああそうだよ。お前の麗しの御父上だ。この馬鹿息子」
「何で、テュールがここに。何で俺は、生きている? ヨルズは?」
「この馬鹿が!」
「ぶっ」
焦って質問した途端に、拳が飛んでくる。頬に受けた強い衝撃で首がのけ反り、空中に血の花が咲いた。
「何で生きてるじゃないよ。自分の命の見切りが早すぎるんだよ。お前が死んだら自分の命を亡くした以上に悲しむ人間がいるってことを忘れるんじゃない!」
テュールがヴァナルガンドを殴った右手を戻して振る。
「……ベルヴェルクの情報を書き残したのは褒めよう。そこまではいい。問題はその後だ。自分が死んだら? 一生分の幸せ? ふざけるんじゃないよ、お前」
「他に道がなかったんだ。テュール、ヨルズは。ヨルズはどうした!?」
「あ"? 僕の話聞いてた? 今僕はお前に怒っているんだけど」
腹の底から響かせる低い声と無表情。かなり怒っている証拠だ。
「他に道がなかったってお前は言うけどね。お前一人で道が開けないなら頼れよ。僕たちは何のためにいるんだ」
冷たく見下ろしてくるテュールのシャツやコート、ウエストコートが赤く汚れている。身なりに人一倍気を遣うテュールらしくない。血を吐いて倒れた自分をなりふり構わず抱えたのか。
テュールの養子になってからは、父のロキよりも一緒に過ごす時間が長い。ロキよりもずっと厳しくしごかれ、叱られてきたが。本気で怒ることは滅多になかった。理由もなく殴ることも。
「すまない」
「それ、親に向かっての謝り方かな」
「ごめんなさい」
「よろしい。二人には帰ってから謝り倒せよ」
ようやくテュールの表情にいつもの余裕と柔らかさが戻った。
「安心しなさい。お前はきっちり死んだことになっているよ。ベルヴェルクの『目』を欺くためだろう。僕たちが駆けつけた時のお前は、仮死状態だった。触れたらすぐに息を吹き返したけどね。体調は?」
「誰かさんのせいで口の中を切った。馬の振動が腹に響いて気持ち悪い。吐く」
「それだけ減らず口を叩けるなら平気だね。加護を解くから自分で手綱を握れ」
ふっとテュールの口元がゆるんだ。
体を縛っていたものが消えて、ヴァナルガンドは体を起こした。テュールの加護で意識のないヴァナルガンドの体を固定し、手綱を操っていたらしい。
「そもそもお前は読みが甘いね。お前の毒殺という目的が達成されたら、ヨルズちゃんとその両親は用済みだ。命の保障なんてないんだよ。大人しく殺されるなんて悪手だ」
「それではヨルズは」
テュールの言葉に血の気が引いた。
「無事だよ。ヨルズちゃんは自分の加護というカードを切って、カラスにベルヴェルクの居所へ案内させている。僕たちはそれを追っているところだ。死にかけたお前は置いて行きたかったんだが」
ちらりとテュールの視線が後方に流れる。それを追って首を巡らせたヴァナルガンドは、驚いて目を見開いた。
「アウズ殿」
視線の先にいたのは、先の戦争で共闘した茶色の髪の青年。元アースガルズ国反乱組織ビフレストの指導者で、アースガルズ国の統治者有力候補だ。
「お久しぶりです。本当はこんな形の再会をしたくはなかったのですが」
少し表情を曇らせてから、アウズが背筋を伸ばした。
「王女殿下の救出に英雄殿の戦力は必須です。ヨルズ王女の加護の力を受けたのなら、体に問題もないからと、渋る閣下を私が説得しました」
「父上の説得感謝します。しかし貴殿がなぜここに」
テュールもアウズもアースガルズ国王に準じる存在だ。
「私がここにいる理由は、閣下と共にあなた方夫婦を監視していたからです」
「どういうことですか」
アースガルズ国を左右するような二人が、わざわざ自分たち夫婦を監視していた理由が分からない。
「英雄殿の力が、ご自分で思われているよりも大きいものだということです」
ヴァナルガンドから目を離し、アウズが前方を見つめる。その凛とした横顔が、なぜか最愛の女性に重なった。
「ベルヴェルクは最強の怪物でした。怪物以上の怪物。英雄殿、貴方が現れるまでは」
確かにベルヴェルクの加護の力は強大だった。ベルヴェルクの加護の力は『死の軍隊』。戦死した者を己の意のままに操り、戦わせるというものである。痛みも疲れも恐れも知らないおぞましい死の軍隊は、アースガルズ国に勝利をもたらし、次々と侵略していった。
その快進撃を止めたのがヴァナルガンドだ。
死の軍隊を制御不能の加護で凍らせ、焼き払った。敵味方の区別が出来ないから、先陣をきるどころか単独で攻め入らなければならなかったが。
高齢になったベルヴェルクの加護の力が衰え、死の軍隊を操る精度が低くなり、簡単な命令しか下せないことも味方した。
「ベルヴェルクは大人しく亡命・隠遁するようなタマじゃない。自分の娘が若い怪物に嫁いだとあれば、必ず利用すると踏んだ。お前さえいなければ、返り咲けるからね」
「だから俺たちを監視していたのか。ヨルズを利用しようとして接触してきた者から、ベルヴェルクの居所を突き止めるために」
「そ。お前にアースガルズ国境近くの領地を与えたのもそのためさ。向こうが接触してきやすいし、何かあっても僕たちがすぐに動けるからね。だけど、ベルヴェルクの『目』が鳥だったのは、完全に誤算だったよ。おかげで初動が遅れた」
「追いつけるんだろうな」
「誰に向かってものを言っているのかな、お前は」
不敵に笑ったテュールが右手の指を動かした。その指先から細く黒い紐が前方に伸びている。
「もう捕捉してるよ。たとえ追いつけなくても逃がさないさ」
お読み下さりありがとうございます。
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ここしばらくの苦しい展開についてきて下さり、感謝です。引き続き、二人を見守って頂けると嬉しいです。
すみません、まだハラハラ展開中ですが、ここからまたゆっくり更新に戻ります。
なるべく早い更新を心がけますので、よろしくお願いします。




