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怪物と呼ばれる呪われ英雄に嫁いだ亡国の不憫姫ですが、こんなに幸せでいいのでしょうか  作者: 遥彼方
第一章

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14/22

夫婦

 ヨルズはそうっと寝室の扉を開けた。

 壁に立てかけずに、床に置かれた剣。ヴァナルガンドは、ヨルズが庭に出るまでと同じ姿勢でベッドに眠っているけれど、かかっていた布団が体の下になっている。


 この人は本当におおざっぱだ。


「眠れないのか」


 後ろ手に扉を閉めると、低い声が優しく響いた。目を開けたヴァナルガンドが、半身を起こす。


 その顔には、怒りも憎しみもなかった。


「ヨルズ」

「はい」


 胸の奥からこみあげて、喉をふさぎそうになる熱い塊を飲み下し、ヨルズは返事をした。


「触れてもいいか」

「はい」


 吸い寄せられるように彼の前に寄った。頬に触れる大きな手に、自分の手を重ねて握る。温かい。


「俺の、英雄としての役割は果たせた。テュールへの恩にはまだ足りないかもしれないが、これ以上負担になりたくない」


 テュール元帥は、きっと負担になど思っていない。ヴァナルガンドのことを語る時の、親しみのこもった声と目がそう言っていた。


「父さん母さんと君とは、上手くやっていけそうに思う。俺がいなくなっても、あの二人の娘でいてくれないか?」


 言うわけにはいかない言葉を、ヨルズは心の中だけで思った。

 それは無理です。貴方がいなくては、あの二人はずっと悲しみを引きずるから。


「俺自身にも、この家にも、君をしばるつもりはない。誰かを婿にとってもいいし、誰かに嫁いでもいい。君の自由にしてくれ」


 貴方以外の人と、夫婦になるつもりはありません。


 ヨルズはヴァナルガンドを見つめた。

 この人は全て知っていて、死ぬつもりでいる。

 ひっくり返してみせる。この人を絶対に死なせない。


「君はどうしたい?」

「わたくしが、何をしたい、ですか?」


 答えは決まっている。


「わたくしは貴方を死なせたくありません」


 死なせないためには。

 ヨルズが居なくなっても大丈夫なように。

 ヴァナルガンドのために、ヨルズが最後にできることをしなくては。


 ……いいえ。違う。しなくては、ではなくて。


 ヨルズはヴァナルガンドの手を握る手に、力をこめた。


「お願いです。ヴァナルガンド様。わたくしを抱いて下さい」

「ヨルズ、それは」


 朱金の瞳が揺れた。


「俺のために君が犠牲になる必要なんてない。それは同情だ。君は優しいから、怪物の俺を憐れんでいるだけだ。それとも妻としての義務感か責任感か」

「いいえ!」


 優しくなどない。これからヨルズがすることを思えば、少しも優しくなんてない。ヴァナルガンドの方がヨルズの何倍も優しい。


「同情などではありません。義務でも責任を感じてでもありません。貴方が好きなのです!」


 ぽろぽろと、我慢していた涙がこぼれ落ちた。本心も。


 好きです。怪物などと呼ばれているのに、優しい貴方が。武骨かと思ったら意外に表情豊かな貴方が。何でもおおざっぱで、不器用な貴方が。


「ヴァナルガンド様が好きです。愛しています。最初で最後のわがままを言います。お願いです。最後に貴方を下さい。貴方を忘れたくないのです」


 こんなことをしなくても忘れない。忘れられるはずがないけれど。


「ヨルズ」


 こぼれた涙を優しく払っていた手がヨルズの腕を掴んだ。ぐい、と引き寄せられ、抱き締められる。


「俺はヨルズが好きだ。はじめて会った時からずっと好きだった」

「ヴァナルガンド様」


 また新しい涙が流れた。止まらない涙をすくい取るように、ヴァナルガンドがキスをしてくれる。


「灯りを落として、カーテンを閉めていただけますか」


 カラスに見せるのは毒殺の現場だけでいい。他は見られたくない。


「ああ」


 ちらりと窓の外、木の枝にとまる鳥に向いた朱金の瞳が、強い光を放った。

 寝室の灯りを消してから少し乱暴にカーテンを引いて窓をおおう。


「愛している、ヨルズ」

「愛しています」


 月明りも届かなくなった寝室で、二人の影が重なった。


 ヴァナルガンドとの行為は、何よりも満たされて何よりも幸せだった。幸せすぎて、とけて消えてしまうのかと思った。とけて消えてしまいたいと思った。

 けれど思いに反して、ヴァナルガンドもヨルズも消えないで実在している。


 何もつけていない肌に隙間もなく密着すると、背中に回った腕に力がこもった。


 ずっとこうしていたい。離れたくない。このまま二人で眠って朝を迎えられたらどんなにいいだろう。

 流れた涙をヴァナルガンドが唇で拭った。そのままヨルズのまぶたに、腫れている目尻に、頬にとキスを落としてくる。ヨルズは顔を上げて唇を寄せ、重ねた。

 いくら愛を囁いても何度しても足りなくて、名残惜しい。だから終わりにしなくてはいけない。


 ヨルズは気だるい体を起こして、衣服を身に着けた。ヴァナルガンドもシャツの袖に腕を通す。カーテンを開けてから、ナイトテーブルの上の水差しを手に取った。ヴァナルガンドに背を向けて、懐の包み紙を出して開き、水に溶かす。手が震えて、少しだけテーブルの上に薬がこぼれた。


 グラスに注いだ水を差しだすと、ヴァナルガンドが受け取った。


 互いに無言だった。

 水の入ったグラスを持って視線を絡めると、同時に飲み干した。ヴァナルガンドが立ち上がり、空になったグラスをナイトテーブルの上に置くと、体が揺れた。糸が切れたように崩れ落ちる体をヨルズは受け止めた。成人男性の体を当然受け止めきれず、二人して床に転がる。


 ヨルズの上のヴァナルガンドが血を吐き、体を丸めた。


「苦しい思いをさせて申し訳ありません」


 枯れてかすれてしまった声で謝ると、完全に力が抜けたヴァナルガンドの体の下から抜け出して。

 ヨルズは屋敷の外へ駆け出した。

お読み下さりありがとうございます。

ここ数話、苦しい展開が続く中、ここまでお付き合い下さり感謝です。

ここがどん底。この後は徐々に上がっていく予定です。

これからも二人を見守って頂けると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 苦しい!! 常に胸苦しい!! 泣ける!! ……つまり、最高です!!( *´艸`)
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